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満願堂の仕上がり  作者: 高山 墨人
第三章 奥の部屋で待つもの

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第八十五話 願いを閉じる箱

願うことに疲れた人は、静かな顔をしている。


リゼットは、そのことをよく知っていた。


泣き叫ぶ人や、怒りながら願具を求める人は、まだ願いの熱が外へ出ている。だが、本当に疲れた人は、声を荒げない。欲しいものを問われても、少しだけ笑う。もう何もいらないと言う。


その日、満願堂へ来た女もそうだった。


名をユリアといった。年は三十前後。服はきちんとしているが、色の選び方にどこか力がない。紅茶を頼んだものの、カップにはほとんど口をつけず、湯気が消えるのを見ていた。


「願わなくて済む品はありますか」


しばらくして、ユリアはそう言った。


リゼットはすぐには答えなかった。


「何を、願わなくなりたいのでしょう」


「全部です」


ユリアは穏やかに言った。


「仕事で認められたいとか、母に分かってほしいとか、昔の友人に謝りたいとか、誰かに好かれたいとか。そういうものが、もう全部疲れました」


彼女の声に激しさはない。


だからこそ、モルは椅子の下から出てこなかった。白い毛だけが、椅子の影で少し揺れている。


「願うから、苦しくなるんです」


ユリアは続けた。


「叶わないなら、最初から願わない方がいい」


リゼットは表の棚を見た。


願いを軽くする香草。気持ちを整える小瓶。眠りを助ける茶葉。いくつかの品は、ユリアを少し休ませることができるかもしれなかった。


だが、ユリアが求めているのは休息ではなかった。


願いそのものを閉じたいのだ。


リゼットは奥の棚から、小さな箱を取り出した。


黒でも白でもない、灰色の箱だった。手のひらに乗るほどの大きさで、蓋には何の模様もない。鍵もない。ただ、閉じるためだけにあるような箱だった。


「願いを閉じる箱です。魔願具にあたります」


ユリアは初めて少しだけ目を動かした。


「どう使うんですか」


「願いを思い浮かべながら蓋を閉じます。すると、その願いは痛みにくくなります」


「消えるんですか」


「消えるわけではございません。遠くなります」


リゼットは返りについても告げた。願っていたことが遠くなる分、自分が何へ向かっていたのかも、少し分かりにくくなるという。


ユリアは箱を見た。


「それでいいです」


「よろしいのですか」


「向かう場所なんて、もういりません」


その言葉で、リゼットの胸の奥に灰の匂いが戻った。


処分場の炉。壊される前の願具。忘れたいという声。もう苦しいから壊してください、と言った人々。壊した後に、何を失ったのか分からない顔で戻ってきた人々。


願いを閉じる箱は、処分場の火とは違う。


壊さない。燃やさない。願いを完全になかったことにするわけでもない。


それでも、リゼットには似ているように見えた。


痛むから遠ざける。苦しいから閉じる。忘れたいから蓋をする。


それを否定することはできない。人は、全部を抱えたまま生きられるわけではない。リゼット自身、壊さなければならなかった願いをいくつも知っている。


だからこそ、怖かった。


納願帳に、ユリアは書いた。


もう願いたくない。


文字は乱れていなかった。整っていた。整いすぎていた。


モルがようやく椅子の下から出てきて、帳面を嗅いだ。


「とじるにおい」


それから、リゼットを見た。


「リゼット、こわいにおい」


ユリアが少し驚いたように顔を上げる。


リゼットは微笑んだ。


「モルは、時々正直です」


「怖いんですか」


ユリアが尋ねた。


「はい」


リゼットはそう答えた。


自分でも、口にしたことに少し驚いた。


「願いを閉じることが?」


「願ったことまで、なかったことにしてしまうことが」


ユリアは箱を受け取った。


「私は、なかったことにしたいです」


「そうでしょう」


リゼットは否定しなかった。


「ですから、お渡しします。ただし、閉じる前に、何を閉じるのかだけは見てください」


ユリアは箱を持って帰った。


ユリアはまず、母に分かってほしいという願いを閉じた。


小さな部屋で、灰色の箱を膝に置く。母へ言えなかった言葉は、いくつもあった。仕事を続けたいこと。結婚だけが幸せではないと思っていること。母の心配が愛情だと分かっていても、その愛情で息が詰まる日があること。


それらを思い浮かべ、蓋を閉じる。


音はしなかった。


ただ、胸の中で張り詰めていた糸が一本、遠くへ移動したような感じがした。


楽だった。


ユリアは久しぶりに深く息をした。


次に、職場で認められたい願いを閉じた。上司の目。競う同僚。誰かに「よくやった」と言われたい気持ち。箱の中へ入れると、翌朝の仕事は驚くほど軽かった。


失敗しても、それほど痛まない。褒められなくても、胸が沈まない。


楽だった。


けれど、昼過ぎになると、書類の端を揃える手が少し止まった。


どうでもいい。


そう思ったのだ。


その言葉の軽さに、ユリアは少しだけ怖くなった。


三つ目の願い、昔の友人に謝りたい気持ちを閉じた夜、彼女は眠れた。


眠れたが、翌朝、なぜ謝りたかったのかを思い出すのに時間がかかった。


数日後、彼女は再び満願堂へ来た。


箱を持つ手は、前より安定していた。


だが、安定しすぎているようにも見えた。痛みが薄れた人の手ではなく、何かを感じる前に距離を取ることを覚えた手だった。


リゼットはその手を見て、処分場で見た人々を思い出した。


壊してください、と言って品を差し出す人々。壊された後、少し楽になった顔で礼を言う人々。その何人かは、後から戻ってきた。何を失ったのか分からないまま、ただ胸に穴があると訴えた。


ユリアはまだ、その手前にいる。


だからこそ、戻ってこられた。


リゼットはそう思った。


顔色は少し良くなっていた。紅茶にも口をつけた。だが、目の奥の光は以前より遠かった。


「楽になりました」


彼女は言った。


「母に分かってほしい気持ちも、職場で認められたい気持ちも、昔の友人に謝りたい気持ちも、全部遠くなりました」


「そうですか」


「でも、朝、起きる理由も少し遠いです」


カップの中で、紅茶が小さく揺れた。


「不思議ですね。苦しい願いばかりだと思っていたのに、私を起こしていたのも、あれだったのかもしれません」


ユリアは箱を差し出した。


「納めます」


リゼットは両手で受け取った。


「はい。魔願具ですので、納めることはできます」


「閉じた願いは、戻りますか」


「箱を納めれば、これ以上遠ざかることは止まります。けれど、閉じた間に遠くなった分は、すぐには戻りません」


「そうですか」


ユリアは少しだけ笑った。


「では、少しずつ近づいてみます」


「何にでしょう」


「まだ分かりません」


その答えは、以前の彼女なら言えなかったかもしれない。


分からないままでも、閉じ切らない。遠くなったものを、少しずつ見に行く。そういう時間が必要なのだろう。


リゼットは箱を黒布に包んだ。


モルが近づき、鼻を寄せる。


「まだ、とじてる」


「ええ」


「でも、すこし、すきま」


「そうですね」


リゼットは奥の棚へ箱を納めた。


その夜、彼女は処分場のことを長く思い出した。


壊された願具。灰になった布。割れた鈴。折れた杖。遠くなった声。思い出せなくなった歩き方。


すべてを閉じてしまえたら、どれほど楽だっただろう。


だが、リゼットはそうしなかった。


壊す前に書いた。忘れられる前に記した。願ったことを、なかったことにしたくなかった。


それが自分の願いだった。


ならば。


リゼットは納願帳を開きかけて、手を止めた。


自分の願いは、どこへ行くのだろう。


その問いは、まだ頁に書けなかった。


モルは足元で丸くなり、眠っているふりをしていた。


「リゼット」


「はい」


「こわいの、まだある」


「ええ」


「とじない?」


リゼットは少しだけ笑った。


「閉じないように、してみます」


箱は奥の棚で静かにしている。


ユリアはその後、月に一度ほど満願堂へ来るようになった。


願具は買わない。箱を返してほしいとも言わない。ただ、紅茶を飲み、時々手帳を開く。そこには、閉じてしまった願いを思い出すための短い言葉が並んでいた。


母。職場。友人。謝る。認められたい。腹が立った。会いたい。


どの言葉も、まだ遠い。


ある日、ユリアは母へ短い手紙を書いた。


分かってほしい、と迫る手紙ではなかった。なぜ分かってくれないのかと責める手紙でもない。ただ、最近は朝に窓を開けるようにしていること、仕事の帰りに花屋の前で立ち止まったこと、まだ何を話せばいいのか分からないことを書いた。


書き終えてから、彼女はその手紙をすぐには出さなかった。


願いを閉じる前のユリアなら、返事を恐れて破っていたかもしれない。箱を使っていた頃なら、出す意味さえ遠く感じただろう。


今は、封筒の上に手を置いて、しばらく迷った。


迷えるくらいには、願いが戻ってきている。


そう思えたことが、彼女にとって小さな変化だった。


けれど、遠くにあると分かるだけで、完全に失くしたわけではないとユリアは言った。


リゼットはその手帳を見るたび、自分の納願帳を思った。


願いは閉じることもある。遠ざかることもある。それでも、言葉の形で少し残しておけば、いつか近づく道になるのかもしれない。


願いを閉じることは、悪ではない。


けれど、閉じたままでは、どこへも行けない願いもある。


リゼットはそのことを、自分自身に言い聞かせるように、灯りを落とした。


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