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満願堂の仕上がり  作者: 高山 墨人
第二章 奥の棚に眠るもの

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第三十六話 願具市

月環街の古道具市は、朝から人で溢れていた。


割れた陶器、古い燭台、欠けた額縁、誰かの名前が彫られた銀の匙。使い道の分かるものも、分からないものも、布の上に並べられる。古いものには、持ち主の癖が残る。オルスはそういう市が好きではなかったが、仕事にはなるので顔を出す。


「今日は満願堂へ持っていくものが多そうですね」


隣でココが言った。


「何でもかんでも持っていくな」


オルスは短く返す。


「でも、願具になりかけのものがあるかもしれません」


「だから見るんだろ」


さらに後ろで、ロイが小さな帳面を持っている。逓便局としての用ではないが、ヴェルナーに「目を慣らしてこい」と言われたらしい。納め物だけでなく、満願堂へ届く前の品を知っておくことも必要だという。


古道具市には、普通の物がほとんどだ。


普通の物にも、古い暮らしは染みている。


誰かが長く握った杖。子どもの背丈を刻んだ柱の板。もう使われない薬研。半分だけ残った刺繍糸。そういうものは、願具ではない。ただ、人が暮らした跡があるだけだ。


オルスは、その違いを大切にしていた。


何でも願具にしてしまえば、物を見誤る。古いものがすべて不思議なわけではない。壊れたものがすべて願いを持つわけでもない。


けれど、たまにある。


普通の物のふりをして、もう普通ではなくなっているものが。


しかし、普通の物ほど危うい時がある。


最初に見つけたのは、小さな櫛だった。


飾りはない。歯が一本欠けている。オルスは手に取り、すぐに戻した。


「これは普通だ」


「欠けてますよ」


ココが言う。


「欠けてるだけだ。何でもかんでも願具にするな」


次に、ロイが古い手袋の前で足を止めた。


「これは?」


白い手袋だった。指先が少し擦れている。近くに立つと、拍手のような音が遠くから聞こえた気がする。


オルスは眉を寄せる。


「触るな」


ロイは手を引っ込めた。


店主の老人が笑う。


「ただの古手袋だよ。昔、芸人が使っていたらしい」


「値は」


オルスが聞くと、老人は少し高めの額を言った。


「買うんですか?」


ココが耳を立てる。


「満願堂へ持っていく」


「やっぱり願具ですか」


「なりかけだ。まだ分からん」


ロイは手袋を見た。


拍手。


その音に、どこか聞き覚えがある気がした。満願堂の奥で聞いたことがあるような、ないような。


オルスは手袋を布に包み、工具袋とは別の袋へ入れた。


「こういうものは、売り物に置いておくと誰かが遊びで嵌める」


「嵌めたらどうなるんですか」


「拍手が欲しくなるかもしれん」


ココは少しだけ真面目な顔になった。


市の奥へ進むと、今度は小さな陶器の鳥があった。


その前に、ココは古い靴を見つけた。


片方だけの子ども靴だった。小さく、革は硬くなっている。ココが手に取ろうとすると、オルスが首を横へ振った。


「それは置いておけ」


「危ないんですか」


「違う。まだ誰かが探してる」


「じゃあ、満願堂へ」


「探しているなら、まず市の店主に聞く。何でも満願堂じゃない」


ココは少し恥ずかしそうに耳を倒した。


願いがあるからといって、すぐ納めるとは限らない。


そのことも、この市では学ぶ必要があった。


羽の先が欠けている。腹の中に何か入っているのか、動かすとからからと鳴る。


ココが覗き込んだ瞬間、鳥のくちばしが少しだけ動いたように見えた。


「今、動きました?」


「見間違いだ」


オルスはそう言いながら、鳥を手に取った。


冷たい。


けれど、中にほんの少し熱がある。


「これは?」


ロイが聞く。


「帰りたがってる」


「どこへですか」


「俺に聞くな」


オルスは鳥も買った。


さらに、市の端で、小さな鏡を見つけた。


曇っていて顔は映らない。けれど近づくと、鏡の奥に別の顔が一瞬だけ見える。


ココは思わず後ずさった。


「これは、さすがに満願堂ですよね」


オルスは鏡を見た。


「いや、これは違う」


「違うんですか」


「ただの嫌な鏡だ」


「ただの嫌な鏡って何ですか」


「買わなきゃいいものだ」


ロイは少し笑いそうになったが、オルスの顔が真面目だったのでやめた。


満願堂へ持ち込んだのは、手袋と陶器の鳥、それから市の最後に見つけた細い銅の鍵だった。


三人が満願堂へ向かう途中、ロイは何度か袋を見た。


自分たちは、荷物を運んでいるのか、願いを拾っているのか。


逓便局の仕事なら、行き先は伝票に書いてある。だが、市で見つけた品には伝票がない。差出人も、受取人も、時には持ち主さえ分からない。


それでも、満願堂へ向かう道だけは分かる。


ロイはそれを少し不思議に思った。


鍵は、どの箱にも合わなかった。店主は飾りだと言ったが、モルが見た瞬間、耳を立てた。


「ちがう鍵」


「違う?」


ココが聞く。


「開けない鍵」


リゼットは三つの品を一つずつ見た。


手袋は、表の棚でしばらく休ませることになった。まだ強く願いを覚えてはいない。ただ、拍手を欲しがる人の手に渡れば、育つかもしれない。


陶器の鳥は、奥の棚へ。


「帰りたい願いが残っています」


リゼットはそう言った。


「持ち主を探しますか」


ロイが聞くと、リゼットは首を横へ振った。


「帰りたい場所が、人の家とは限りません」


最後に鍵。


リゼットはそれを長く見た。


モルも静かだった。


「これは満願堂のものですか」


ココが尋ねる。


「いいえ」


リゼットは答える。


「ですが、満願堂に似た場所を知っている鍵かもしれません」


その言葉に、ロイは少し背筋を伸ばした。


満願堂に似た場所。


願いは、この街だけにあるわけではない。


だから願具も、満願堂の棚だけで生まれるわけではない。


オルスは工具袋を置き、ため息をついた。


「市へ行くだけで、面倒が増える」


「でも、見つかってよかったですね」


ココが言う。


「見つからなければ、誰かが買っていた」


「そうだな」


オルスは手袋の包みを見る。


「道具は、使う人間を選べない。だから面倒なんだ」


リゼットは微笑んだ。


「ですから、見つける人も必要なのです」


オルスは鼻を鳴らした。


「褒めても何も出ないぞ」


モルが工具袋に鼻を近づける。


「はさむやつ、ある?」


「今日はない」


「つまらない」


古道具市で見つかった三つの品は、それぞれ違う棚へ納められた。


外にも願いは落ちている。


拾われるのを待つものも、間違った手に渡るものもある。


満願堂の扉は、その全部を集めるために開いているわけではない。


けれど、帰り道を見つけた品だけは、今日も静かに棚の中へ入っていく。


翌月の古道具市にも、三人は顔を出した。


今度はココが小さな札を作ってきた。


「願具らしき品、要確認」


「そんな札を勝手に貼るな」


オルスは即座に言った。


「分かりやすいと思ったんですけど」


「分かりやすいのが一番危ない。面白がって人が集まる」


ココは耳を倒した。


ロイは横で少し笑った。


「局でも同じです。納め物を特別便みたいに見せすぎると、覗きたがる者が出ます」


「ほら見ろ」


オルスは得意げではなく、面倒そうに言った。


その日、願具になりかけの品はほとんどなかった。


古い釦、錆びた鍵、割れた皿、動かない時計。どれも暮らしの跡はあるが、願いとしては静かだった。


ココは少し拍子抜けした顔をした。


「毎回あるわけじゃないんですね」


「当たり前だ」


オルスは古い椅子の脚を見ながら答える。


「願いがそんなにごろごろ転がってたら、街はもっと面倒なことになってる」


「もう十分面倒な気もします」


「それは満願堂に関わったせいだ」


ロイは市の人々を見た。


古い皿を値切る婦人。壊れた玩具を欲しがる子ども。使えるか分からない燭台を買う若者。そこには、願具ではない願いがいくつもあった。


安く買いたい。


子どもを喜ばせたい。


古いものを飾りたい。


そのほとんどは、品に宿らないまま人の中で過ぎていく。


それでいいのだろう。


すべての願いが物になるわけではない。


満願堂へ戻ると、前回の陶器の鳥は奥の棚で静かにしていた。


モルが言う。


「まだ、帰りたい」


「帰る場所は分かったんですか」


ココが尋ねる。


リゼットは首を横へ振った。


「まだです」


「じゃあ、ずっとここに?」


「分かるまで」


その答えは、短いのに満願堂らしかった。


オルスは手袋の置かれた棚を見る。


「前の手袋は」


「表には出しておりません。拍手に近い願いの方が来られた時だけ、お見せするかもしれません」


「厄介だな」


「はい」


リゼットは微笑む。


「でも、見つけていただけて助かりました」


オルスは鼻を鳴らした。


「俺は拾い屋じゃない」


「ええ。直す方です」


「最近は、直す前に持ってくる方が増えた」


「それも、見極めのうちでは」


オルスは答えなかった。


ただ、工具袋の留め具を少し強く閉めた。


その横で、ココがロイに小声で言う。


「僕たちも、見極めの練習ですね」


「そうだな」


「黒い紐がなくても」


「納め物になる前のものもある」


ロイはそう答えながら、表の棚、奥の棚、そして黒鉄の扉の方を順に見た。


満願堂は、届いた願いを受け取る場所だ。


けれど、その手前で誰かが気づくこともある。


逓便局の仕事ではないかもしれない。


それでも、道を間違えそうな品を見つけた時、見なかったことにはできないだろう。


外にも願いは生まれる。


そして、満願堂へ続く道は、伝票の上だけにあるわけではない。


願具市という名前は、ココが勝手につけたものだった。


「古道具市です」


オルスは何度も訂正した。


「でも、願具も見つかりました」


「だからって市の名前を変えるな」


「心の中で呼ぶだけです」


「それもやめろ」


ロイは横で帳面を開き、見つかった品の特徴を書き留めていた。ヴェルナーに報告するためではあるが、半分は自分のためでもあった。


白い手袋。拍手に似た気配。


陶器の鳥。帰りたい願い。


銅の鍵。開けないための鍵。


記録にすると、どれも確かなもののように見える。だが実際に市で見た時、それらは普通の品に紛れていた。少し古いだけ、少し傷んでいるだけ、少し妙なだけ。


その「少し」を見落とせば、誰かの手に渡る。


「見極めは難しいですね」


ロイが言うと、オルスは短く答えた。


「難しいと思ってるうちは、まだましだ」


「簡単だと思ったら?」


「だいたい壊す」


それは職人の言葉でもあり、満願堂に関わる者への忠告でもあった。


数日後、市で見つけた陶器の鳥について、小さな手がかりが届いた。


古い人形芝居の一座が使っていた飾りらしい。舞台の上で鳴く役目を持っていたが、火事の後に行方が分からなくなったという。


リゼットはその話を聞き、鳥の置かれた棚を見た。


「帰りたい場所は、舞台だったのかもしれませんね」


「戻すんですか」


ココが聞く。


「一座が今もあるなら」


「なければ?」


「その時は、別の帰り方を探します」


帰るとは、元の場所へ戻ることだけではない。


その言葉は、ロイの中に残った。


満願堂には、元に戻れない願いが多い。壊れたもの、仕上がったもの、持ち主を失ったもの。それでも、行き先はある。


古道具市の品々も同じだった。


誰かの家へ戻るものもある。


満願堂へ納められるものもある。


ただの物として、次の持ち主に使われるものもある。


全部を不思議にしないこと。


全部をただの物にしないこと。


その間を見極めるのが、これからの三人の仕事になっていくのだろう。


オルスはそう言われれば嫌な顔をするに違いない。


だが、翌月の市の日を、彼は誰よりも先に覚えていた。


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