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sigma  作者: 鯖サンド
黎明編
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第七話 ある出会い②

 その日の早朝。東雲、新、シアの三人は新宿区にある施設へと足を運んでいた。


「着いたぞ、諸君!」


 東雲は大げさに両腕を伸ばす。

 視界に広がるのは巨大なアーチ状の建造物。春を迎えたはずの季節にもかかわらず、内部からはひやりとした空気が流れ出している。


「ここは……屋内のスケートリンク?」


 新は氷の広がるフロアを端から端へ見渡した。


「へー、思ったより広いんスね。私もっとこぢんまりしてると思ってました」


 その隣でシアも興奮気味に目を輝かせる。


「今は国家防衛対策室の権限で貸切にしてもらってある。あと五時間は誰も来ないはずだ」


 言いながら東雲がスケートリンクにそのまま普段履きの靴で入った。

 だが次の瞬間、


「どぉっ!?」


 見事に足を滑せ、盛大に転倒。顔面を勢いよく氷にぶつけ、すぐさま腫れた鼻先を手で押さえた。


「……何やってんスか?東雲さん」

「大丈夫、ですか?」


 リンクの外から二人が覗き込む。


「……新君、さっき渡したバックに靴が二足入ってるだろう。それを出してくれるかい?あとその一足を君が履いてくれ」


 よろめきながらも東雲は言った。


「わ、分かりました……」


 新は指示通りに靴を取り出し、そのうちの一足を履いた。残りのもう一足を東雲が履く。


「あ、それ。スケートリンクでも滑らない靴ってやつスか?テレビで見ました」

「その通り。今日はこれを使って新君に稽古をつけようと思ってね。実戦のための訓練だよ訓練」


 履き替えた東雲はリンクへ戻り、軽く跳ねて感触を確かめる。問題なく動けることを確認すると、こちらを振り返った。


「それじゃあ早速始めようか」

「は、はい」


 新も続いて氷上に踏み込んだ。


「今回君に教えるのはちょっとした護身術と超能力の使い方。ここでなら君の能力も存分に使えるはずだ」


 準備運動の最中、東雲が説明を始める。

 それが終わると身体を新に向かって横にそらすように構えた。


「さぁ、早速始めようか。新君、好きなタイミングで来ていいよ」

「え、いや。いきなり、そう言われても……」


 新も同じように構えを取ったが、躊躇ってなかなか一歩を踏み出せない。


「そう?なら——」


 東雲は後ろに回した右足に力を込め、一気に床を蹴り上げる。


「僕からいっちゃおうかな」


 急加速した東雲の拳が新の顔に接近する。


「うおっと!?」


 咄嗟に新は身を捩らせて避ける。だが、着地した東雲が着地と共に左足を軸に回転し、無防備だった新の腹部を蹴り上げた。


「——ウッ」


 新は膝を折り、その場に崩れる。


「大丈夫スか!?新さん!!」


 シアが外から身を乗り出して叫んだ。

 しかし新は応えず、歯を食いしばって立ち上がり、拳を顔の前に構え直す。


「転んでも立ち上がるってところはまず合格だね」


 その姿に東雲は満足そうに口角を緩める。


「でも根性だけじゃこの仕事はできない。分かってるだろ?」

「……」


 ようやく新の瞳に闘志が宿る。

 背をかがめて足を前後に広げ、それらしい体勢を取った。けれどこれではまだ太刀打ちできないと言うのを心の奥底で気づいていた。


———多分、力じゃ負ける。なら頼るのは……


 息を整えつつ目先の東雲をじっと見つめる。


「超能力か」


 新は力強く走り出し、拳を力一杯に前に突き出した。


「早く出ろ、氷……!」


 同時にそう呟くが超能力が発動する気配はない。

 反射的に東雲が腕を絡み取ってその関節を外に捻る。新は腕をかばうように転がり、東雲は手を離した。

 瞬時に新は受け身を取って両足を床につく。


———今、東雲さんが手を離してくれなかった確実に折られてたぞ!?


 背筋に冷や汗が伝い、更に寒気が押し寄せた。


「新さん!」


 見ていたシアは口に手を当てて声を上げる。


「超能力ってのは自分の身体の一部だと思ってください!意識して動かすんじゃなくて、勝手に動くものっス」

「勝手に……?」


 その声を聞きながら新は東雲の間合いから急いで逃げた。


「熱いもの触ったら、考える前に手を引くでしょ?あれと同じ、反射なんス!」


———反射


 ふと氷の能力が発動した、横断歩道に突き飛ばされた時と霧島に刺されかけた時のことを思い出す。


———あれは両方とも俺が死にかけた時だった。なら、もう一度……


「……東雲さん。絶対に避けるので本気で殴ってくれませんか?拳で」


 新は深い呼吸の後に言った。


「い、いいけど。どういう……」


 困惑した表情をしながらも東雲は腕を背後に伸ばす。すると新は再度東雲に向かって走った。対して東雲は言われた通り力一杯に拳を振るうが、当たらないようにと僅かに軌道をそらす。

 だが、


「——ッ!?」


 新がそれに合わせて進路をずらし、飛んでくる拳を目と鼻の先に捉える。

 ぶつかる——そう東雲が直感した時、新の全身を冷たい衝撃が駆け抜けた。直後、スケートリンクに小さな亀裂が入ったかと思うと、地面から巨大な氷柱が迫り上がり波のように新と東雲の間に割り込んだ。


「なるほど……」


 東雲はその反動で後ろに飛ばされ、即座に顔を上げる。

 新も現れた氷を駆け上がって飛び越え、東雲の方へ視線を下げた。


 二人の視線が重なった。


 そんな状況に東雲が不意に笑みを溢す。


「君は意外と強引だね」


 楽しそうに言うと手のひらを真上に掲げた。

 その途端、歪んだ波動が周囲に轟き、新の身体が空中に貼り付けられたかのように静止した。


———これは、あの時の……!


 動こうとしても何もできず、新は東雲に押さえ付けられている感覚だった。


「ここで一つ、君にご教授しよう」


 そんな中、東雲が話す。


「そのやり方はいつか死んじゃうから辞めとくように。今日だけにしとけよ?」

「は、はい……」


 言い切ると東雲は手のひらを下げ、新の身体はふわりと浮遊して床についた。


「しかし、まさかこんなやり方で能力を発動するとは思ってなかったよ。どう思いついたんだい?」

「えーっと、さっきの『反射』って言葉と実際に能力が出た時のことが繋がって……それで死にそうになったら咄嗟に出るんじゃないかって。我ながら馬鹿な手ですね」


 頬を掻きながら新は苦笑する。

 その表情に東雲は呆れたように息を吐くと、新の頭をポンと叩いた。


「どんな事であれ、その発想にはしてやられたよ」


 そう言って巨大な氷塊の方へ歩み寄り、指先で表面に触れる。


「さっきシアちゃんが言ってた通り超能力は身体の一部、この氷も君の手足みたいなものだ。でもただ出すだけじゃ捻りがないし、能力は使いすぎると急激に体力が消耗される」


 少し間を置き肩越しに振り返った。


「そこで次に必要なのは応用だ。例えば僕の能力は”反発”、他からの力を跳ね返せる。例えばバリアとかかな。そして、それをこうやって……」


 東雲は落ちていた床に散らばっていた氷片を拾い上げると、宙に浮かせて静止させる。軽く指を動かしただけでそれは自在に位置を変え、やがて手元へ戻った。

 そしてもう一度手元に戻すと氷塊目掛けてぶん投げた。放たれた破片は氷塊に衝突しその一部を粉砕する。


「このように重力を反発すれば浮遊させれるし、反作用を反発させればぶつかった時の破壊力を上げられる。要は自分に合った使い道を見つけることだ」

「それが、応用……」


 新は小さく繰り返す。


———俺の力は、おそらく”氷”。それをどう扱うか、か


 しばらく考えた後、手のひらを地面に向けた。


「……身体の一部を動かす……」


 目を閉じ余計な力を抜く。集中はし過ぎずできるだけ自然に任せた。


 冷たい感覚が指先まで伝わる。


———何だこれ、寒気?


 違和感に気づき目を開けると、足元から細い氷柱が伸び始めていた。それは徐々に厚みを増して形を整えていく。やがて鍔と握りが現れ剣の輪郭が浮かび上がった。


「氷の剣」


 東雲が低く呟く。

 シアも遠くからそれを嬉しそうに見ていた。


「やっぱり、新さんは面白いっスよ」


 新は何も言わずにその剣を握る。


———冷たいはずなのに、不思議と馴染む


 手に吸い付くような感覚があった。軽く振ってみても重さに違和感はない。


「まさかここまで超能力を理解するなんて……流石だよ。新君」


 東雲は端正に構築された剣をまじまじと眺めた。


「じゃあその剣でもう一回——」


 そう言いかけたところで彼の懐の端末が震えた。東雲はそれを取り出し画面を確認する。


「と、その前にちょっと席を外すよ」


 そう言って観客席の方へ向かいながら通話に出た。


「もしもし。何だい司ちゃん」


 その携帯には発信者の名前に「佐倉 司」と表示されていた。


「……ちゃん付けをするなと言っただろう」


 電話越しに佐倉の不機嫌そうな声が聞こえる。


「いいじゃない可愛いんだから。それで用件はなんだい?」

「あぁ、新君に、日本用のパスポートを作り終えたから明日に送ると伝えといてくれ。今そっちにいるだろ?」


 そう話す佐倉の片手には赤いパスポートが握られている。


「OK分かったよ。伝えておく」

「ありがとうな、征月」

「どういたしましてー」


 東雲は通話を切ると携帯を仕舞った。

 一方で佐倉は画面を無言で見つめている。


「どうした?」


 向かいで作業していた御堂が声を掛けた。


「いえ、今征月と電話をしていたんですが、その声が楽しそうに聞こえまして」

「あいつはいつも楽しそうだろ」

「それとは少し違うんです。本当に、心から楽しんでいるような……あんな声、久しぶりに聞きました」


 佐倉は話しながら手元の仕事に戻る。


「……好きな相手の変化には敏感になるってやつか」

「——す、好きぃ!?」


 御堂の台詞に思わず佐倉の声が裏返る。


「な、何を根拠に言ってるんですか。私が征月を好きな訳ないじゃないですか。そもそもあんな男を好きになるような人なんて絶対にいません!……と、とにかく違いますから!」

「……そうか。そりゃ、何より」


 顔を真赤にして否定する佐倉を見て、御堂は肩をすくめるだけだった。




 * * * * *




「……身体が、特に肩が痛い」

「大丈夫っスか。東雲さんはあー見えてスパルタっスからね」


  稽古を終えたあと、新とシアは都心から少し離れた通りを歩いていた。平日の昼間だというのに人の流れは途切れず、気を抜けばすぐにはぐれてしまいそうなほどの混雑だ。


「そういえば東雲さんは何処に?」

「あの人なら壊したバイクが直ったってそれを受け取りに行きましたよ」


 二人は信号待ちで足を止める。


「ところで新さんってモテたんスか?」

「な、何だ急に。変なこと言って」

「いやいや気になっただけっス」


 平然としたシアは腕を組んだ。


「意外に新さんって意外に顔整ってるじゃないスか。ってことでやっぱりモテたんじゃないかと」

「い、意外って……まあ俺はそういうのとは無縁だからな」


 困ったように新は笑う。

 信号が変わり、人の流れに乗って横断歩道を進んだ。


「ん〜、そうなんスか。じゃあ逆に新さんが好きになったってことはないんスか。あ、淡い初恋の話とかで良いっスよ」

「そういうのもないな……多分」


 言いながらふと一つの光景が脳裏に浮かぶ。

 夢の中で見た長い赤髪の女。現実と見紛うほど鮮明で思わず見入ってしまったあの姿。


「……そういえば、前に、赤い髪の女性を見たことがあるな」

「ほう。それでそれで?一目惚れしたんスか?」

「いや、そこまでじゃないな……ただ、目を引かれたっていうか」

「それはもう一目惚れじゃないスか」


 シアは断言しながら指を向ける。


「そうなのか?」

「普通にそうっスね」

「……そうなのか」


 腑に落ちないまま新は前を見た。

 あの時感じたものは本当にそんな単純な言葉で片づけていいのか。胸の奥に残る感覚はもっと別の何かではないのか。一歩進むたびにそんな疑問が少しずつ膨らんでいった。


 二人は駅に着き改札を抜けると顔を合わせた。


「今日はここで解散っスね。ちゃんと体休めてくださいよ?」


 シアは軽く手を振りながら笑う。


「ありがとう。じゃあまた」


 短く返して新は背を向けた。人混みに紛れるようにしてホームへ向かい、そのまま電車へ乗り込む。

 揺れる車内で窓にもたれながらぼんやりと外を眺めた。流れていく街並みの輪郭がどこか現実味を失って見える。


 やがて最寄り駅に到着する。そして扉が開き外へ出ると、


「雨、か」


 冷たい水滴が頬に当たった。


 空は厚い雲に覆われ昼の明るさはすでに消えかけている。駅前の灯りがぼんやりと滲んでいた。

 新は近くのコンビニに入り、簡素な傘を一本手に取る。会計を済ませて外へ戻ると、それを広げて歩き出した。


 雨音が一定の調子で耳を打つ。舗装された道に弾く水の音、遠くを走る車の跳ねる音。それらが混ざり合い、妙に静かな世界を作っていた。


———目を奪われた、か……


 夢での感覚が蘇る。胸の奥がざわつくような言葉にしきれない高揚感。ただの好意ではない、もっと違う何か。

 考えれば考えるほど答えは遠ざかる。


 ふと視線を上げると周囲はすっかり暗くなっていた。街灯の明かりだけが濡れた地面にぼんやりと映っている。

 人通りもまばらでどこか不気味な空気が漂っていた。


———この公園、横切れば近道になるよな


 それはいつも通り過ぎていた公園だった。

 傘越しに落ちる雨音を聞きながら新はその中へ足を踏み入れる。


 木々の間を抜ける風がざわりと葉を揺らした。足元の水たまりを避けながら進む。街灯の数が減り、だんだんと影が濃くなる。


 その時だった。


 視界の端に人影が映る。公園の中央にある小さな屋根付きの休憩所。その下に一人の女が立っていた。雨を避けるように佇むその姿はじっと動かない。

 新は一瞬だけ目を向けたが、そのまま通り過ぎようとする。


 だがふと視界に色が差し込んだ。

 暗闇の中で鮮やかに揺れる長い髪。それははっきりとした赤だった。


「——ッ」


 心臓が大きく跳ねた。足が止まり雨音が遠のく。

 新はゆっくりと振り返った。


 女は俯いていたが、彼の気配に気づいたのか静かに顔を上げる。

 濡れた髪の隙間から覗く瞳がこちらを捉えた。


 その瞳は一度大きく開いたかと思うと、徐々に柔らかく細まる。

 まるでずっと待ち望んでいた人に再会したかのように、女は顔を綻ばせていた。


「やっと見つけた。新」

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