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sigma  作者: 鯖サンド
黎明編
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第六話 ある出会い①

 新の退院から約二週間前。


 無機質なコンクリートに囲まれた訓練施設の中央。その一角に設けられた強化ガラスの区画に、ひとりの男が拘束されている。

 椅子に縛りつけられた四肢を関節ごと固定され、指一本まともに動かせない。


「……そうか、俺は」


 目を覚ました霧島は自分の置かれた状況を理解する。


———俺は抹殺に失敗した。恐らくこれはその報復か


 その鋭い視線がガラスの外側に向けられた。

 そこには彼の予想通り、沢渡がこちらを見下ろして立っていた。


「やっと起きたか、霧島2尉。今の状態は理解できてるな?」


 スピーカー越しの沢渡の声が密閉された空間に反響する。


「……手を出しているのは俺だけか?もしあいつにも手を出してるなら今すぐにお前を——」

「その状態でどうやってだ。今のお前では超能力は使えんぞ」


 霧島の言葉に被せるように沢渡が言った。

 そして壁に設置されたレバーを下げる。するとガラス部屋の天井の通気口から、白い煙が勢いよく噴き出した。


「お前は池ヶ谷 新の抹殺に失敗した。今日はその落とし前をつけてもらいたくてな」

「……俺を処分する気か」


 霧島の眉が僅かに動いた。

 すると沢渡は肩を竦める。


「安心しろ。殺すつもりはない。ただ少しの間、死にたくなるほどの苦痛を味わってもらう。まあそのせいで何週間かは動けなくなるだろうが、その時には代わりがいるからな」

「代わりだと?お前らにそんな奴いるわけ……」

「いるんだよ。お前がさっき言ってたじゃないか」


 その言葉に一瞬霧島は怪訝な表情を浮かべるが、その直後言葉の意味を察した。


「待て、俺はまだ出来る。あいつには手を出すな。仕事は全て俺がやると言っただろ。あいつは関係ない!」


 そして必死に身体を揺らして拘束具を軋ませる。

 沢渡はその姿を見て、目を細めて笑った。


「もう無駄だ。霧島 冬華は有効活用させてもらう。命令違反など考えさせる暇もないよう、きちんと働いてもらうさ」

「ふざけるなよ。沢渡……!」


 霧島は椅子ごと身体を起こして額をガラス壁に打ち付ける。それをもう一度。さらにもう一度。何度も何度も繰り返し、その衝撃のたびに鈍い音が響いた。

 しかしヒビ割れが走るだけでガラスはびくともしない。


「無駄だ。これは強化ガラスだ」


 面白がるように沢渡が言う。


「——ゴフッ」


 その時、霧島の口から血が溢れる。

 次第に視界が急速に狭まり、手足の感覚が消えていった。


———やっぱりこの煙……毒ガスか……


 それを理解した時にはもう遅かった。

 意識は崩れていき、思考は途切れ途切れになる。やがて身体は完全に力を失い、項垂れたまま動かなくなった。

 瞳から光が消える。


「……さて、もうそろそろか」


 沢渡は腕を組み、その様子を達観しようとしていた。


 しかしその時、


「今すぐその装置を止めなさい!」


 唐突に訓練場の扉が開け放たれ、武装した人影が雪崩れ込んできた。

 先頭の若いスーツの女が一直線に壁のレバーに向かい、迷いなくそれを引き上げ、毒ガスの放出を止める。


「な……何の真似だ!」


 思わず沢渡が声を荒げた。

 だが女は聞く耳を持たず、短く指揮を飛ばす。


「このガラスを撃ち壊してください」

「了解」


 彼女の背後にいた隊員たちが動き出し、銃声が連続して響いた。

 弾丸が一点に集中し、強化ガラスに細かな亀裂が走る。続けざまに打撃を加え、脆くなった箇所をこじ開けた。


「引き出すぞ!」


 穴が人ひとり通れるほどに広がったと同時に、隊員は霧島を椅子ごと運び出し、拘束具を外して床に寝かせた。


「起きれますか?大丈夫ですか?」


 女が膝をつき様子を確認する。


「……早く外に運び出しましょう」


 即座に判断し霧島の肩を担ぎ上げた。

 しかしそのまま出口へ向かおうとした瞬間、


「聞こえなかったか?」


 低い声が背後から落ちた。

 いつの間にか沢渡が距離を詰め、拳銃を女の後頭部へ突きつけている。


「何の真似だと言っている」


 だが女は一切動じず、片手で霧島を支えたまま瞬時にもう一方で懐から銃を抜いた。

 そして振り向きざまに相手の額に照準を合わせる。


「私は内閣情報調査室の調査官です。この場の指揮権は私が引き継ぎます」


 その女——姫氏原 千夏(きしはら ちなつ)の声が空気を切った。


「申し訳ございませんが、従っていいただきます」




 * * * * *




 内閣情報調査室——内閣官房に属する、官邸直轄の情報機関。

 警察庁、防衛省、自衛隊、外務省、法務省の公安調査庁といった各組織から集約された情報を分析し、国家の安全保障を裏側から支えている。


 その影響力は、近年問題視されている“超能力者”の扱いにも及んでいる。

 国と自衛隊が完全抹殺、警察の一部が保護という方針で動いており、内閣情報調査室はその沿革から自衛隊の動きを支えつつ警察の保護を抑える働きが求められる。しかしそんな中、警察は外務省と密接に手を組み、国外の枠組みを利用することで保護を強行していた。


 こうした対立を受けて内閣情報調査室は、自衛隊との結びつきをさらに強め事態の早期収束を図ろうとしていた。






 その後、霧島は内閣情報調査室の調査官により医務室へ搬送された。


 同時刻、その調査官らを仕切っていた姫氏原は沢渡により駐屯地内の会議室に呼び出された。室内には三つの長机がコの字に並び、その中央に彼女の席が置かれている。


「さて、」


 右方の机に座る沢渡は口を開いた。


「内調がどういうつもりで我々の邪魔をしてきたのか、説明してもらおうか」

「……了解しました」


 姫氏原は静かに立ち上がり、整った前髪から端正な顔立ちを見せる。


「二週間前、自衛隊は池ヶ谷 新抹殺作戦を実行し、その過程で市街地における発砲、住宅の損壊など、規定を逸脱した行為が確認されています。これがその報告書です」


 そして手にしていた資料を軽く掲げた。


「本件を受けて内閣情報調査室は再発防止措置として、自衛隊の今後の事後処理、作戦に最低一名の調査官を同行させる及び行動を監督させることを決定しました」


 言いながら前方を見据える。


「私が霧島2尉への制裁を中断したのはその方針に基づく判断です」

「……ほう。その話は聞いてねぇな」


 前方の机、中央に座る男が口を挟んだ。


「もしも本当なら内調が勝手に決めたのか?」


 男は人差し指で一度強く机を弾き、その一点に視線が集まった。

 その男の名は二階堂(にかいどう)、将補の階級を有し、池ヶ谷 新抹殺作戦では沢渡の上に立って司令官を務めた。


「明後日に報告会議を開く予定でしたが、霧島2尉への制裁の情報が入り、緊急性を考慮して私の判断で先行して介入しました。こちらの不足で申し訳ございません」

「じゃあほぼあんたの独断ってわけか」


 二階堂は眼鏡の奥から瞳孔の小さい片目の義眼を覗かせた。


「まぁ過ぎたことは良いわ。でも一つ言いたいことがある。少し話が変わるけどな」


 その冷たい瞳に鈍い光が入る。


「派遣された調査官は作戦の監督が出来るんだろ?それであんたは俺等を邪魔した。でもそれって裏切り行為なんじゃねぇか?」


 威嚇するような圧のある声音。


「……裏切り、ですか」


 姫氏原は肩を強張らせる。


「だってそうだろ。あんたは俺等が国から任されてる超能力者処理っていう仕事を妨害したんだ」

「それとこれとでは意味が違うます。霧島2尉は貴方達が一度利用した超能力者です。しかし貴方達は通常と同じ超能力者処理という名目で彼を殺そうとした。これこそ裏切りという道徳的不正に値します」


 強硬な態度で話を続けた。


「ですが、そもそも超能力者を自衛隊が利用するという行為そのものこそ国にとっての裏切りですよね」


 会議室に重苦しい空気が積もっていく。


「いやそれは違うな。俺等がやってんのは『目には目を、歯には歯を』だ。超能力者には同じ超能力者を。実際、霧島2尉達を導入したらうまくいってんのさ、最近はイップス気味だがね。それに俺等が利用してんのは人じゃねぇ。国が認めたバケモンだろ?」

「……超能力者は化物ではありません」


 その姫氏原の返しには情がこもっていた。


「彼らは人として生き、周囲はそう生きさせていました。それを超能力者だと分かった途端に掌返しというのはあまりにも都合が良過ぎます。誤っていたのは周囲の私達の認識です。私達に彼らを化物だと罵る権利はありません」


 二階堂と姫氏原は互いに一歩も譲らず、もはや話し合いではなく二人だけの言い合いと化していた。


「じゃあ何だい。あんたは超能力者処理っていう考えには納得してないのか」


 長話に疲れたのか溜め息混じりに問う。


「納得はしています。ですが超能力者を殺す事は”化物だから駆除する事”ではなく”周囲の危険を減らす為に私達が独善的に区別し防除する事”だと考えています。だから私達は相応の罪悪を自覚すべきです」


 手にした資料を姫氏原は強く握って歪ませた。


「……罪の意識ってやつね」


 二階堂は眼鏡を机に置くと義眼を抑えるように指で瞼をなぞる。

 そしてふと呟くように言った。


「悪いがあんた本当に超能力者殺す気あんのか?」


 その言葉に不意に姫氏原の瞳が揺らいだ。






 その頃、医務室のベッドの上で霧島の指先が微かに動いた。

 閉ざされた意識がゆっくりと浮上していく。


「今度は、何処だ……?」


 喉が焼けたように乾いていた。

 霧島は浅く息を吐き周囲へ目を巡らせる。すぐに目に入ったのは真っ白で大きな壁だった。


「……」


———死んでいない


 安堵より先に、別の記憶が浮かび上がる。

 煙に満ちた空間。真っ白な界の向こうで確かに聞こえた声。


「……あの女……」


 朧げな記憶の中でこちらへ駆け寄ってきたスーツ姿の女。そして、


 霧島はゆっくりと上体を起こした。

 全身を鋭い痛みが貫くがその苦痛を押し殺すように腕を伸ばす。ベッド脇に立てかけられていた刀を掴み、それを杖代わりにして立ち上がった。


「……まだ終わってねぇ」


 低く吐き扉へ向かう。

 医務室を出ると廊下は静まり返っていた。おぼつかない足取りで霧島は歩き出し、しばらく目指すところもなく歩き続ける。

 やがて見慣れた扉の前まで来た。しかし、


「……チッ」


 突然血の気が引き、膝が折れかける。それを咄嗟に刀に体重を預けなんとか倒れるのを防いだ。

 そのまま額を押さえようとした時、


「あんた本当に超能力者殺す気あんのか?」


 扉の奥から男の野太い声が聞こえてきた。


———この声は、二階堂か……


 霧島は目を鋭く細める。刀を腰のベルトに引っ掛けると、躊躇なくその扉を押し開けた。

 すると扉の軋む音が会議室に鳴り渡り、室内にいた全員の目が一斉に入口へ向かう。


 その中で、霧島の目に一人の女の姿が映る。

 長い黒髪を後ろでまとめ、耳の上あたりから上だけを束ねた落ち着いた形。首元を覆う衣服の上に上着を重ねた、簡素で無駄のない装い。

 細身だが姿勢を崩さず、立つだけで周囲の空気を引き締めていた。


———こいつ、あの時の……


 意識を失う直前に見た女の姿とその容姿が重なった。

 霧島は確信する。


 そして視線を横に滑らせ沢渡を見つけ、そこで彼はようやく状況が繋がった。


「沢渡……」


 低く押し殺した声で唸る。


「どうした霧島2尉、今は会議中だぞ」


 その様子に二階堂が言った。

 霧島は声を聞いて今度は前を睨む。


「……二階堂。お前、沢渡に俺を殺せと命令したな?」

「あぁ、そうだ。俺がいらねぇと判断した。だがな……」


 二階堂は顎に手を当て、霧島の隣に立つ姫氏原を見入る。

 不意にその口元が緩み嘲笑を浮かべた。


「気が変わった。今回は見逃してやる。制裁は無しだ」


 あまりにもあっさりとした宣告。だがそう告げた二階堂の笑みには明らかな不気味さが滲んでいた。

 反射的に霧島は本能的な拒絶を覚える。


 それは姫氏原も同じであった。

 恐らく何か不穏なことを考えているに違いない——そう感づいてはいたが口にはしない。


「……ご協力感謝します」


 姫氏原は冷静に一礼する。


「では、失礼します」


 頭を上げた後、即座に踵を返した。

 その最中に霧島は立ち去る姫氏原と視線を合わせる。


———何だ……?


 霧島にはその姫氏原の瞳が自分に何かを訴えかけているように思えた。

 そうして会議室の扉が再び閉まる。


「運が良かったな。霧島2尉」


 静寂が帰ってきたところで二階堂が口にした。


「さっきの女のおかげで命拾いしたぜ?お前」


 それは吐き捨てるような声だった。


「二階堂、お前何企んでる」

「別に何も企んで——」


 霧島の問いに二階堂は返そうとするが途中で止める。その義眼は断固とした霧島の表情を捉えていた。


「いや、お前に隠す意味もねぇか」


 二階堂は机に置いていた眼鏡を掛け直す。


「あの女の言い分でやっと腹を決めれた。やっぱり内調との協力関係は俺等自衛隊にとって邪魔になる。だからな……」


 そこで再度机を大きく叩いた。


「これを期に奴らとは協力関係を切る。そしてお前をそれに必要な駒として選んだ」

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