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sigma  作者: 鯖サンド
黎明編
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第五話 変える

 千葉近郊を抜け、シビックは東京まで移動。その後、警察病院に停まると新をそこで降ろした。


 それから二日が過ぎた朝、新は病室にいた。

 窓脇のベットの上、外の景色を見ながら横になっている。


「新君。あとは僕らに任せてくれ」


 それは病室に運ばれる際、東雲が言った言葉だ。

 続けてこうも言う。


「傷が本当にひどいから絶対安静でいてくれよ?」


 軽い口調だったが、忠告の意味だというのははっきりしていた。


 実際、容体は楽観できるものではなかった。

 背には斜めに走る縫合痕が残り、包帯の奥で鈍い痛みが脈打つ。右足首は腫れが引かず、固定具で支えられていた。少しでも体重を乗せれば、関節が崩れそうな不安定さがある。


 新はゆっくりと瞬きをした。

 空は晴れている。あの日の粉塵も硝煙も、まるで嘘のようだった。


 コン、と扉が軽く叩かれる。


「入るぞ」


 落ち着いた声とともに扉が開く。


 入ってきたのは、見覚えのない男だった。

 現れたのは、見覚えのない壮年の男だった。五十歳手前ほど。背丈はそれほど高くないが、腹回りに厚みがあり、仕立ての良いスーツがやや窮屈そうに見える。整えられた髪、細い目の奥に宿る冷静な視線。典型的な管理職の雰囲気を纏っていた。


「どうも新君、元気?」


 その後ろに見舞いの花束を抱えた東雲が続く。

 新は身体を起こそうと腕に力を込めた。


「……っ」


 背中に痛みが走る。


「そのままでいい」


 その動きを男が軽く制した。


「無理に動かなくていい。傷が開くといかんからな」

「……」


 言われて新はベッドに背を戻す。


「私は船森(ふなもり)だ。東雲たち、公安課国家防衛対策室の責任者を務めている者だ。言わなくても分かるだろうが、主に超能力者案件を取り扱っている」


 男はベッド脇に立ち、静かに名乗った。

 その間に東雲は花瓶の水を取り替えに行く。


「君はどこまで状況を理解している?」

「……状況、ですか」


 船森の言葉の意味を悟り、新は数秒黙り込んだ。そしてこれまでの出来事を思い出す。


 東雲や佐倉が話していた事、実際に見た自衛隊の男達、斬撃によって引き裂かれたアパート断面、そして自分がどういう存在なのか。


「俺が超能力者で、自衛隊がそういう超能力者を殺そうとしてる。でも警察の東雲さん達は超能力者を保護する為に動いてる……と俺は思ってるんですけど」


 新は自信なさげに答える。

 すると、


「概ね理解できているようで安心だ」


 船森は軽く頷き、慎重な口調で話し始める。


「私は今日、君に今後の君の生活について話すために来た。長くなるだろうが必要なことだと思って、心して聞いてくれ」


 その時、窓から差し込んでいた日光が雲に遮られ、部屋は少し暗くなった。


「まず知っての通り、君は自衛隊に狙われた。だが普通、人を殺せば犯罪になる。だから連中は標的を始末する際、社会的痕跡をすべて消す。戸籍、学歴、医療記録……人として生きていた証をな。そうすれば、排除しても罪に問われない」

「……そう、ですか」


 新は淡々と聞いていた。


———つまり今の俺がその状況か……


 特別驚いた様子はなく、ただ黙って話を受け止めていた。


「自衛隊は国が直接後ろ盾になっているからな。私達が正面から君の人権を取り戻そうとしても恐らく無駄だろう。そこで、違う手段を取ることにした」


 船森は内ポケットから一冊のパスポートを取り出し、サイドテーブルへ置いた。黒い表紙に見慣れぬ文字が並んでいる。


「裏の協力国を通じて新しい身分を用意した。君はその国から来た保護対象者として日本で生活することになる」

「じゃあ、池ヶ谷 新(俺)はもうこの世からいなくなるって事ですね」


 軽く息を吐き、新は自嘲するように笑った。


「そうなるだろうな。君はもうこの世界には存在しない。辛いだろうが受け入れてくれ」

「……」


———俺は、辛いなんて思ってるのだろうか?


 一瞬自分に向けてそう問うてみたが、答えは出さずに考えるのをやめた。


「何から何までありがとうございます。えっと、もう俺は大丈夫ですので……」


 そう言いかけた時、再び扉が開く。


「どうも、話は終わったかい?」


 水が半分ぐらいまで入った花瓶を両手に抱えた東雲は、駆け足気味に病室に入り、花瓶を元の位置に置き直した。

 花弁に縞模様が入ったオレンジ色の花が、燦々と日光に照らされる。


「綺麗な花だろ?名前はアルスト……ロメリア?って言うんだ。確か花言葉は……」


 東雲は快活に話していたが、新と船森が呆然とこちらを見ているのに気づいて口を止めた。


「あれ、どうしたんだい?そんな目でこっちを見て」

「……東雲、お前は場を読むということをもう少し覚えたほうが良いな」


 やれやれと言わんばかりに船森は首を横に振る。


「ははっ、僕が場を読むことを覚えちゃったら、取り柄がなくなっちゃうよ」


 それでもまだ東雲の上機嫌は収まらなかった。


「さて、大体のことは話し終えてるようだから、次は僕の話を聞いてもらっても?」

「は、はい。分かりました」


 東雲は窓際の壁に寄りかかり、新と視線を重ねる。


「このまま行けば君は僕らの全面的な保護で、もとの生活とほどんど変わらない人生を送れる。超能力なんて使わないで、そんなこと一切忘れて、普通の人間としてね……でも、今ならもう一つの選択肢がある」


 鋭いハイライトのかかったその瞳がきらりと輝いた。


「”僕らと一緒に超能力者を保護する為に生きる”っていう選択肢だ」


 一瞬、新は自分の耳を疑った。聞き間違えと思って流そうとしたが、何故か耳からその言葉が離れない。気づけばしばらくの間、目を見開いて固まったままであった。


「……えっと、俺は、超能力者なんですよね」

「うん、そうだよ。前に話した通り君は正真正銘、超能力者だ」

「え、待ってください。それじゃあ、超能力者が超能力者を保護することになるじゃないですか」


 新は怪訝な表情で聞き返す。


「それを言うなら僕だって超能力者だよ。ほら、前に銃弾止めてただろ?」


 そう言えばと新は過去を振り返った。たしかにあの時、東雲が手のひらを前に出したのに従って、弾丸は不自然に空中で止まったのだ。


「それに超能力者の君なら超能力のことはすでに知っている。だから他の警官を雇うより、君を雇った方が情報の機密性は守られるんだよ。あっ、君が弱いからとか未熟だからとかの理由は気にしなくて良いよ。その時は僕や司ちゃんが一人前になるまで育てるから」


 東雲は握り拳を前に出し、その意を示してみせる。


———軽い口調で何を言っているんだ、この人は


 その様子に新は微量の不快感を覚えた。


「いや、でも俺何も出来ないですし、人助けなんて向いてませんよ……」

「そうかなー?僕は十分向いてると思うんだけど」

「……何でですか?」


 新はベッドのシーツを無意識に掴み、視線を強める。

 しかし、


「僕の直感さ」


 その返しは予想の遥かに斜め下を通過しいった。


「……はい?」


 もはや新は一人漫才を見せられている気分だった。急に変な話題を振ってきたかと思ったら、よく分からないボケをかましてくる、そんなどことなく微妙な漫才を。


「まぁ、すぐに決めてくれとは言わないさ。この提案は君の人生の一つの選択肢として、覚えとくくらいで今はかまわない」


 釈然としていない新を横目に東雲は、扉の方へと歩き出す。


「それじゃあ、お大事に」


 病室から出る最中、東雲はまるで何もなかったかのように笑ってみせた。


「……やはり、東雲のああいうところは直さないといけないな」


 その後ろ姿を見ていた船森がため息混じりに漏らす。

 そしてサイドテーブルの上のパスポートを懐にしまった。


「これは君が病院を退院したときに送ろう。今渡すと邪魔だろうからな」

「え、あ、はい……!ありがとうございます」


 思わず新は深く頭を下げる。

 それから顔を上げ直すと、船森はすでに扉の前まで歩いていた。だがそこで船森は振り返る。


「……さっき東雲が言っていたことだが、あまり気負わなくていい。恐らくその選択肢は君にとって重い決断だ。人を守るには膨大な責任を負う必要があると共に、それを熟せる技量と精神力がいる」


 その言葉に新は反射的に表情を強張らせた。


「だが——」


 船森は少しだけ笑った。


「あの東雲がああ言ったということは、彼は君がそれを成せる者だと確信したんだろうな」


 そして小さく会釈する。


「では失礼する」


 扉が閉まり、病室には再び静けさが戻った。

 新は当分の間、何も言わずにその扉を見つめていた。






 約二週間後、退院の日がきた。

 朝早くから支度を終え、衣類の入ったバッグを肩に掛ける。時計が九時を指すとともに静かに病室を後にした。


 冬はすでに遠ざかり、街には春の気配が広がっている。

 外に出ると、水彩絵の具が乾く前のような淡い匂いを含んだ風が頬を撫でた。


 病院の玄関前まで歩いたところで新は足を止める。


「……あれ」


 そこでようやく気づいたのだ。


「俺、これからどこ行けばいいんだ?」


 船森の話が頭をよぎる。


———確か船森さんの話からして、俺の戸籍とかその他諸々はなくなっている。俺の家だって無くなってるかもしれない


 空を見て、左右前後と周りを見渡した。当然待っている人なんていない……はずだった。


「池ヶ谷 新さーん!!」


 唐突に背後から大きな声が飛んできた。

 振り返ると、遠くからこちらへ一直線に走ってくる小さな影が見える。


「探しましたよ、もうっ!先に行かないでくださーい」


 桃色のショートヘアに瞳の大きな童顔、極め付けはその小柄な体格で、ぱっと見た印象は中学生であった。


「……君は、誰?」

「おっと、まずは自己紹介からっスね」


 少女は一歩引き、ピシッとこちらに敬礼してみせた。


「私の名前は八朝 シア(やとも しあ)っス。どうぞよろしくお願いします!」

「……こちらも、よろしく……?」


———よろしくってことは一応は初対面ってことなんだよな


 新は視線を交わしつつ彼女から少し距離を取る。


「えーっと、それで俺にどんな要件で?もしかして病院で会ったとか?」

「ん?何を言ってるんスか新さん。私は東雲さんたちから、新さんを新居まで案内するようにって頼まれて来たんスよ」


 シアは後ずさる新に合わせて身体を前にのめらせ、爪先立ちで新と視線を合わせた。


「東雲さんってことは、まさか君はそ(・)っ(・)ち(・)側の人ってことか?」


 その名を耳にし新は目を見張る。


「うーん。新さんの言うそっちがどっちなのかは分かりませんが、超能力者の(あの)事を知ってる側という意味ならそうっス」

「……じゃあ、君もあの保護、いや戦いに参加してるのか」


———とてもそうには見えないが


 今新の目の前にいるのは、見るからに華奢で非力そうな女の子であり、東雲や佐倉、御堂に共通してある精悍さがなかったのだ。


 新は彼女を改めて見た。

 しかし見るからに華奢で非力そうであり、東雲や佐倉、御堂のような鋭い空気は感じられない。


「心配ご無用っスよ。新さん」


 シアは胸を突き出し手を当てる。


「これでも私、17っス。周りの人よりは少しだけ背が低いだけ。腕っ節があるとは言えませんが、それ以外ならお任せです!」

「お、おう。そうか」

「それに私は国家防衛対策室の刑事じゃないで。その協力者って感じっス」


 そう言うとシアは新の腕を引いて歩き出した。


「ほら、行きますしょ」


 新は戸惑いながらもその動きに従う。二人は駐車場を抜けて大通りに出た。


「協力者っていうのは一体?」

「協力者っていうのは、保護された超能力者が警察の仕事を手伝う時に与えられる肩書き?……みたいなものっス」

「ってことは君も超能力者なのか」

「そうっスよ。あ、私の能力見ます?分かりにくいと思いますけど」


 振り向きざまに言う。


「いや、いいよ。超能力ってそんな見せるもんじゃないだろ?」

「おっ、分かってるじゃないスか。新さん」


 シアは満足そうに頷いた。


 やがて二人は住宅地に入る。そして数分歩き、シアはあるアパートに到着した。

 ところどころ表面の剥がれた石膏で覆われ、外付けの階段は錆びついており、年季のある建物であった。


「ここが今日からの新さんの家になります。病院から近いんでいつ怪我しても安心っス」

「……極力そうならないように努力するよ」


 二人は階段を上がり、一番奥の部屋の前で足を止める。


「はい、鍵っス」


 シアはポケットから鍵を出して新に放った。

 新は受け取ると、鍵が二本あるのを見てから一本を選んでドアノブに突き刺す。


 扉を開けて中へ入ると、室内は思いのほか整っていた。簡素だが清潔感のある空間だ。奥へ進んだところで、新は棚の上に置かれた写真立てを見つける。そこには卒業式の時の一枚が収められていた。


「その写真、本当は処分するはずだったんス」


 後ろからシアが言う。


「新さんが生きてるってのを隠すために。でも東雲さんが『どうしてもそれだけは残してくれないか』って事で残しとくことにしたんスよ」

「……そうか、ありがとう」


 新はその写真に触れようとしたがすぐに手を下げた。


「それじゃ私はこれで。なにか困ったことがあったらこの番号に連絡してください。多分誰かしら出ると思うんで」


 シアは紙切れを差し出す。

 紙には三つの電話番号が書かれており、その隣にはそれぞれ東雲、佐倉、八朝と名前が書かれていた。


「じゃあ、またいつか会いましょ」


 そう言ってシアは外へ向かう


「あ、ちょっと待ってくれ」


 新が呼び止めた。


「……その、本当にありがとう。助かった」


 理由はそれだけだった。

 シアはきょとんと目を丸くし、徐々に笑みを浮かべる。


「新さんって面白いっスね」

「……そうかな」

「はい。どういたしまして」


 微笑みながら手を振ってシアは去っていった。


 部屋に静けさが戻り、新はふと紙切れを見る。

 その時、思い出した。


———「”僕らと一緒に超能力者を保護する為に生きる”っていう選択肢だ」


 東雲の言葉である。


 新はベッドの上に腰を下ろす。


———このまま普通に戻る手もある。でもそれは超能力を知った者として正しい行為なのか


 頭に霧島の姿と東雲らの姿が交互に浮かんだ。


「……」


 新は拳を握りしめる。そして、






 約三十分後。


 携帯電話に番号を打ち込み、着信ボタンを押した。

 長い間応答待ちの音声が流れたが、やっと聞き慣れた声が携帯から響いた。


「はいはい、もしもし。誰ですかー?」


 その声の後、新は深呼吸して口にする。


「東雲さん。言うのが遅れてすみません。その……」


 一瞬の沈黙だった。決意を行動に移すまでの少しの間、新は一度目を閉じる。


「俺も助けたいです、超能力者として、同じ超能力者を」


 電話の向こうで東雲が黙った。呆気にとられていたのか声が全く聞こえない。


「……そうか」


 しかし気を取り直し、


「君ならいづれ来ると思ってたよ」


 数秒後、いつもの軽い口調で返す。

 新はそれを窓の外を真っ直ぐ見ながら聞いていた。


「ではようこそ、新くん。国家防衛対策室へ」




 それが池ヶ谷 新のもう一つの人生の始まりであった。




 * * * * *




 その日の夜、ある工事中のビルの屋上で一人の女が不気味に街を見下ろしていた。


「全然いないじゃない」

「そのようですね」


 女がそう呟くと、隣に立っていたメイドが返す。


「もうこの街にはいらっしゃらないのではないですか?彼の家に行っても間抜けの殻のようでしたし」

「えー、また振り出しってこと?」


 女は腰までに伸びた赤い髪を風になびかせ、フッと息を吐いた。


「もお、本当に何処にいるの。新は」

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