第四話 会心の一撃
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空が僅かに明るくなり始めていた。それでも冷気は尖って冷たく自然と身が屈んだ。
———誰も巻き込むわけにはいかない。俺のことは俺一人で片を付ける
吐き出した白い息が横へ流れ、新は高架下を潜る。
その時、前方から聞き覚えのある足音が響いた。
乾いた音で無駄がなく距離を詰めてくる歩調。
「報告のあった場所にいないと思ったら、まさかこんなところに一人でいるとはな」
そんな冷淡な声と共に、物陰から霧島が姿を現す。
新は思わず立ち止まり、即座に一歩退いて距離を取った。
「お前はあの時の……そうか、お前が東雲さん達が言ってた自衛隊……」
首筋を冷たい汗が伝った。霧島の異様な殺気を浴び、新は息を落ち着かせようと歯を食いしばる。
そして霧島が腰にかけた刀に目を向けた隙に、間髪入れず逃げ出した。道を来る時の倍の速さで駆け戻る。
だが、
「……愚か者め」
それを見た霧島は静かに抜刀して大きく縦に振り下ろす。風を裂く音が背後に迫り、直後、新の背中に焼けつくような激痛が走った。
視界が揺れ、身体は前のめりに地面へ叩きつけられる。その背中には太く伸びた傷が刻まれ、溢れた血が服を濡らしていった。
「——ぁ、あ゛……ッ!」
痛みを自覚した途端、叫び声が漏れ背中を押さえながら身を捩った。
その様子に霧島は刀を納めてゆっくりと歩み寄る。
「敵前逃亡は、自らの死を表す……それが分からないとはな」
そしてもがき苦しむ新の前に立つと、その胸ぐらを掴んで容易く持ち上げた。新は必死に抵抗するが霧島は微動だにしない。
「警察の奴らはどうした。何故お前一人だ」
「……お、俺はあの人達には迷惑をかけない。もう誰も、俺のせいで……傷つけさせない」
新は掴まれた手に爪を立て、必死に食らいつく。
「まさかお前、そんな理由で警察の保護から抜け出してきたのか?」
霧島の瞳が大きく見開かれ、その表情に一瞬、困惑の色が差した。
「……どこまで愚かなんだお前は」
そう言って霧島は手の力を抜く。
すると新は膝を地面について倒れ込んだ。
「人の善意を踏み躙っておきながら、その行為は相手の為だと言うのか」
抑えきれない怒りが滲んだ言葉だった。
霧島は呟くように言いながら、もう一度、刀へと手を伸ばす。
「慢心と偽善、それがお前の失態だ」
刀を抜き、高く上に構え、瞬く間に新の首を目掛けて振り翳す。
だが新の瞳がその刃先を捉えたと同時に、恐怖が感覚を研ぎ澄ませ、次の瞬間、新を覆うように地面から巨大な氷柱が何本もせり上がり、その無数の先端が霧島に襲いかかる。
「——ッ!?」
素早く霧島は後ろへ飛び、空中で刀の持ち方を変えると、着地に併せて振る。空中にオレンジ色の亀裂が入ったかと思うと、飛び出した氷柱が真っ二つに砕け散る。
一方、新は背中を流れていた血が凍りつく感覚に息を呑み、それでも懸命に立ち上がった。
———反射的に出た。これが、超能力……
新は必死に地面を蹴って前へ走る。
しかし、そんな新の行く先に複数の影が現れ、その足を静止させた。
黒い戦闘服を着た男たちが物陰に潜み、新を囲むように配置されていた。構えられた小銃の照準は全て彼に向けられている。
「な、なんだ……これ……」
逃げ場は完全に塞がれていた。
その間に霧島は再びあの足音を鳴らして背後に迫る。
「逃げられるわけ無いだろう。相手は国なのだからな。それにここら一帯は今、立入禁止区間として自衛隊が封鎖している。今更助けを求めようが誰も来ない」
感情の感じられない鋭利な視線が新を見下ろした。
「……俺は、助けなんて……いらない」
「まだそんな大口を叩く余裕があるとは、やはり慢心と偽善は間違ってないようだな」
反抗的な眼差しを見て、霧島は半歩踏み込み刀を構え直す。
——もう無理なのか……俺はここでもう……
新は胸の奥が熱を帯び、強く脈打つのを感じた。
そして不意に足元の感覚が曖昧になった気がした。恐怖心で感覚がおかしくなったからか、死を理解した所為でこれまでの疲労がここぞと言う時に伸し掛ってきたからか、理由は分からない。
しかしそれは思い込みではなかった。
違和感にふと新が視線を下ろした時、その光景に目がくらむ。
「ん?は……」
本当に新の身体はふわりと地面から離れていた。
まるで重力そのものが裏切ったかのように、次第に足先が宙へ浮いていき、どんどんとその勢いを増して上昇する。視界が急速に引き延ばされ、新の足元から地面が遠ざかっていった。
「何だ……!?」
霧島の動きが止まった。周囲を囲んでいた自衛隊の男たちにも明確な動揺が走る。照準が一斉にぶれ、誰もが「理解不能」という言葉を顔に貼りつけたまま、新を見上げた。
突如、轟音が頭上から叩き落とされた。
上方の高架橋の縁に並んだガードレールが、あり得ない角度で歪み、引きちぎられる。金属の経編を突き破るように、一台のバイクが空を割って飛び出してきた。
「新君!」
乗っていたのは、東雲だった。
減速など微塵もない。東雲はハンドルから身を投げ出すように跳び、空中でバイクを思い切り蹴り上げる。反動で身体が前へと放り出され、その腕が新を抱え込む。
「東雲さん——ッ!?」
突然の出来事に新は瞳を大きく開ける。
二人の身体は弧を描いて落下し、数十メートル先の路上へと叩きつけられるように着地した。アスファルトに膝と肩を打ちつけ、東雲は微かに呻き声を漏らす。
そして蹴り飛ばされたバイクは制御を失い、回転しながら地面に激突した。鈍い破壊音とともに火花が散り、車体は無惨にひしゃげて沈黙する。
東雲は立ち上がり、新を背後へ庇うように前に出た。その足元で空気が微かに震えている。
「う、撃て!」
誰かの怒声が響いた。
銃を構えていた男たちが一斉に引き金を引く。乾いた銃声が連なり、無数の弾丸が一直線に東雲と新へ殺到した。
そんな中、東雲は一歩も退かない。代わりにゆっくりと片手を前へ差し出した。
空気が歪んだ。
弾丸は彼の手の届く少し手前で減速し、次々と失速していく。回転が乱れ、進行方向を見失ったそれらは、まるで見えない壁にぶつかったかのように宙で硬直した。
金属同士が擦れる、耳障りな微音が重なり合う。
止まった弾は震えながら、やがて重さを思い出したように落下した。東雲の足元では靴底に沿って淡い火花が散り、青い静電気が逆立つ。
男たちは息を呑み、誰一人として次の引き金を引けずにいた。
そしてそれは彼も同様だった。
———な、何で、ここに東雲さんが……!?
新は動けずに唖然とその後ろ姿を見る。
すると東雲が視線を向け、穏やかに笑いかけた。
「間に合って良かったよ。でも僕が来たからには安心したまえ」
話しながら懐から円筒を取り出し、高く霧島らの方へ投げる。
「さぁ新君。早く振り返って走れ!」
「えっ……」
「走れ!!」
そう東雲が言い切った時、投げられた円筒に小さなひびが入った。
「あれは……まさか——」
霧島はそれを見て不意に目を凝らす。次の刹那、空中に白い閃光が炸裂した。視界奪われ、周囲の自衛隊が体勢を崩す。
一方、東雲に言われたとおりに駆け出した新は、爆風が追い風になって吹く程度だった。
「今のって閃光弾……!?」
爆発後、新は後ろを見て思わず言う。
「その通り。さぁ、このままこの街を出るよ。付いてきて!」
その隣に追いついた東雲は、更に速度を早めて新を越した。その後を新は言われるがままに追いかける。
しかしその傍らで、
「し、東雲さん。何で……何で、俺を助けに来たんですか!?」
混乱と迷いが入り混じった感情が、強い言葉となって吐き出された。
対する東雲は未だ晴れた顔で走り続ける。
「何でって、これは僕の仕事だからね〜特に理由はないよ」
「理由が無いならなおさらです!だって俺は……」
新の脳裏で事務所から出ていった時のことが回想された。自分から助けを拒絶して独りを選んだ。謝意はあったが後悔は全く無い、自ずと清々しかったくらいだ。
———なのに何故か、今俺は安心している
「俺は東雲さん達に迷惑をかける。俺なんかより、もっと他に助けを必要としてる人がいるはずですよ」
最後になるに連れ、どんどんと声がか細くなった。
聞いていた東雲の視線が横に滑る。
「新君……何も、僕は死にたい人を無理やり生きさせようなんて事は考えてないさ」
「なら何で……!」
「君が助けを必要としてるじゃないか。今も僕について来てるだろ?」
新はハッと息を吐いた。足を止めようとも思ったが、もう無理なことを理解していた。
走っている中、前の車道を黒い車体が横切る。開いた車の窓から数人の兵隊が銃を突き出し、引き金に指をかけた。
しかしいきなりその車は後方からのもう一台に跳ね飛ばされ、バランスを崩して通り過ぎる。強引に交代するように現れたのは、真っ白で車高の低いシビック、後部座席のドアを開けたまま停車した。
「乗って!」
ただ一言、運転席の佐倉が叫ぶ。その奥の席には御堂が腰を掛け、タバコを咥えていた。
「ナイスタイミング、司ちゃん!」
「ちゃん付けするな。バカが」
佐倉はつい顔を赤らめて呟く。
その姿を横目に、御堂は開けた窓から身を乗り出し、構えた拳銃で後ろからくる自衛隊の装甲車を狙撃した。装甲車は前輪を貫かれ、制御を失い路肩に突っ込む。
「よし、行くよ。新君」
東雲は迷いなく新の手を引き、シビックの方角へ走り出した。
「……チッ」
霧島は距離を測り、追撃は不利だと判断する。刃先を地面へ落とし、低く構えた瞬間、刀身がかすかに橙色の光を帯びた。次いで、ためらいなく振り上げる。
音を伴わず、アスファルトが切り裂かれた。路面に走った裂け目が二人の進路へ割り込み、衝撃とともに砂塵と破片が噴き上がる。視界が白く染まり、前方が塞がれた。
東雲は即座に踏み止まり、腕を広げて新を制した。
「——ッ!」
急制動に耐えきれず、新は体勢を崩して地面へ倒れ込む。その隙を見逃さず、霧島は間合いを詰めて、一直線に切っ先を突き出した。狙いは新の喉元だった。
「やばっ……!?」
東雲は身体を反らしながら腕を前へ伸ばす。刃は空中で押し止められ、見えない抵抗にぶつかったように震えた。
だが霧島は止まらない。刃を引き、角度を変え、今度は上へ滑らせる。空間の歪みが裂け、その一閃は東雲の脇を掠めて背後へ抜けた。直後、後方の建物が断ち割られ、外壁がずれ落ちる重い音が路上に響く。
霧島が追撃に入ろうとした刹那、東雲は手の甲で刀を持つ腕を弾き、その懐へ踏み込んだ。両腕で動きを封じ、体重をかけて押さえ込む。霧島は振りほどこうとするが、踏ん張りが利かない。
「新君、早く車の方に!」
「……えっ……」
もみ合いながら、東雲は恐怖に縛られた新の方へ視線を投げた。新は起き上がれず、ただその背中を見つめることしかできない。
「早く!」
切迫した声が、時間の猶予が尽きかけていることを突きつける。
———あそこまで、俺一人で行くのか……?
新は歯を食いしばり、シビックとの距離を見据えた。物理的には数歩に過ぎない。だが飛び交う銃弾と、地面に刻まれた深い亀裂が、その距離を途方もなく遠く感じさせる。
「……イテッ」
足に走る痛みで、異変に気づいた。転倒した拍子か、いつの間にか足首を捻っていた。内出血で赤黒く染まった関節は力を受け止めきれず、体重をかけるたびに不安定に揺れる。
———立てない……どうすれば……
周りを見渡しても、何も思い浮かばない。
無理だと察した。
———ここまで人に迷惑をかけて、最後は俺が全部台無しにするのか
胸の奥にどうしようもない無力感が広がる。拒んだはずの助けに縋り、覚悟も責任も曖昧なままここまで生きてきてしまった。都合のいい部分だけを掴み取り、肝心なところからは目を逸らしてきた——そんな自己嫌悪が思考を埋め尽くしていく。
だがその時、
『違うでしょ。貴方のそれは自分に期待しない為の自虐でしょ?』
凛とした声が頭の奥に差し込む。
『もう少しは自分自身のこと信じて、過大評価しなさいよ』
脳裏にいつかの夢で見た赤髪の少女がちらつき、こちらを指さしていた。
震えていた足にわずかな力が戻る。
新の紺碧の瞳に小さな火が宿った。
———確かに……そうかもしれない
新はボロボの足で地面を蹴った。身体を前へ投げ出すように進み、次第に速度を上げる。
「自分でぐらい自分のことを信じてやんないとな……!」
意志が恐怖を押し退けた。霧島が刻んだ裂け目を跳び越え、頭上を弾丸が掠める中を駆け抜けた。
「——クソッ」
霧島の視線が逃げる新へと引き寄せられる。その一瞬を、東雲は逃さない。膝を腹部へ叩き込み、体勢を崩す。
「ゴフッ!?」
衝撃で霧島の手から刀が離れた。間髪入れず、東雲は軸足を踏み替え、無防備になった顔面を横から蹴り上げる。霧島は瓦礫の山へ叩き込まれ、そのまま動きを止めた。
東雲は踵を返し、シビックへ走る。
新は転がり込むように後部座席へ滑り込み、背中をシートに打ちつけた。
遅れて東雲も隣へ乗り込み、息を整える間もなく佐倉がアクセルを踏み抜く。
「どこかに掴まっていていてください」
エンジンが唸りを上げ、シビックは路面を蹴るように跳ねた。車体が大きく弾み、そのまま前方へと押し出される。
「……止ま、れ」
どんどんとシビックが遠ざかっていく中、霧島がゆっくりと身を起こした。
意識は戻ったものの、その足取りは覚束ない。崩れた瓦礫の中から刀を拾い上げ、よろめきながらも柄を握る。
息を整える余裕はない。
霧島は残された力をかき集めるように、両手で刀を真上に掲げた。
「おい、今すぐ寄せろ!」
「はいっ!」
霧島を見た御堂が低い声で言う。
佐倉は即座にハンドルを切る。シビックは進路をずらし、片輪を歩道へ乗り上げた。
「一……閃ッ!」
霧島の叫びと共に暖光を纏った斬撃は放たれ、空気を断ち切りながら一直線に飛ぶ。
それをシビックは側面すれすれで躱した。通り過ぎた斬撃はそのまま向かいのマンションへ叩きつけられ、建物の中央に一直線が刻まられる。
一拍遅れて、崩壊が始まった。
外壁がずれ落ち、鉄骨が軋み、巨大な構造物が自重に耐えきれず沈み込む。
「なっ、何が……」
その一部始終が新の瞳に着実と焼き付いていった。
———あれが、超能力……
それは常識と乖離した未曾有の恐怖だった。
シビックは落ちてくる瓦礫を避け、次の角を曲がるとさらに加速し街から遠ざかっていく。
その様子を目に、霧島は刀を放してその場に膝をつく。もう身体に全く力が入らず、目の焦点も定まっていない。
「俺は……まだ、やれ、る……」
そう言いながらも力は完全に尽きていた。
そして身体を前のめりに倒し、眠るように気絶した。




