第三話 逃げ出したくて
「な、何言ってるんですか……超能力者って」
釈然としない表情で新は首を傾げた。
まるで数時間ほど聞き流したのかと思うほど支離滅裂な話だった。
「……征月、話を省略しすぎだ。一旦口を噤んでろ」
会話を聞いていた佐倉は溜息をつき、東雲の頭を軽く叩く。そして東雲に代わって前に立った。
「超自然的な能力を持った者、言葉のままの意味です。そして先程このバカが言った通り、新さんはそう呼ばれる者なんです」
「司ちゃん。今僕のことバカって言った?」
すかさず東雲が聞き返す。しかしそれは完全に無視されるのであった。
佐倉はそのまま傍らの机に手を伸ばし、置かれていたノートパソコンを開く。キーボードを数度叩き、画面を新の方へ向けた。
映し出されたのは、ひしゃげたガードレールや横転したトラック、そして異様なほど分厚く無骨な氷の壁。
「こ、これって……」
新の記憶にも同じ景色があった。それはトラックに轢かれかけたすぐ後、急に氷が現れた時のものだ。
その時、新の忘れかけていた背筋の寒気が蘇る。
「この映像にある氷は、貴方とトラックとの衝突を防ぐように発生しました。つまりこの場合、貴方がこれを出したと考えるのが普通です」
「いや……」
新は思わず首を振った。
「俺が出したなんて、俺はその時何も動けなかったんですよ……?そもそも氷がいきなり出るとかなんてある訳ないじゃないですか」
激しい悪寒を止めるように否定に走る。
「超能力の発動は無意識中に起こる時があります。今回の貴方も同様、突然訪れた危険時に対応するため、無意識に、潜在していた能力を覚醒という形で発動させたんです」
佐倉の瞳は冷静で揺らぎがない。
こちらの混乱や拒絶など、すでに織り込み済みだと言わんばかりだった。
「ここまでは理解して下さい。重要なのはここからですので」
佐倉はパソコンを閉じ、静かに言う。
「超能力者は今まで日本にしか観測されておらずその存在が公になれば、日本政府は厄介な立場に置かれます」
淡々と事実を並べるように続ける。
「超能力者という制御不能の存在を国内で野放しにする事態、その所為で政府の人体実験が疑われ、各国がその原因追求及び手当たり次第の捜査を行う事態、そんな火種を国は抱えたくなかった……」
新は息を詰めたまま、黙って聞いていた。
「だから政府はこう決めました。超能力者という事実そのものを、最初から存在しなかったことにする」
* * * * *
長い廊下を、男は一人歩いていた。無機質な床に靴音が反響し、腰に提げた刀が微かな金属音を返す。
感情の浮かばない横顔。あの時の静かな殺意と同じ表情だった。
男は突き当たりの重厚な扉の前で立ち止まり、間を開けずに三度ノックする。
「構わん。入れ」
その室内から男の入室を促す声が返った。
扉の開閉音が、静かに室内へ落ちる。
部屋は簡素だった。広いが装飾はなく、無機質な机と椅子、壁に掛けられた数枚の資料だけが並んでいる。
その奥、椅子に深く腰掛けている壮年の男——沢渡が、この部屋の主だった。
「ようやく来たか、霧島2尉。お前には言いたいことが山ほどある」
沢渡は手元の資料を机におくと両肘を立てる。
その眼の前で刀の男は鋭い視線のまま敬礼した。
男の名は霧島 冬悟。その若い容姿とは対照的なスーツを羽織り、尖った視線を隠すように軍帽を被っている。
「なぜ池ヶ谷 新を殺さなかった?任務を忘れたか?」
挨拶も前置きもなく沢渡は最初から核心を突いた。
「超能力者が増えれば増えるほどこの国に与える危険は増すのだ。しかもあんな警察の非政府組織にまで遅れをとって、これ以上失態を犯すというならこの部隊の存続危機に関わるぞ」
沢渡の相手を脅すかのような声は、低く重く部屋に響き渡る。
一方、霧島は視線を逸らさず粛々と答えた。
「今回の目的は、対象が超能力者であるかの確認だった。他のことは言われいない」
沢渡は書類に目を落としたまま反応を示さない。
霧島は一歩も動かずに言葉を続ける。
「そもそも対超能力者案件での自衛隊の方針は“隠蔽と制御”だ。無差別な処理じゃない。最初から殺す前提で動く理由はない」
その言葉に沢渡の口元がわずかに歪んだ。
椅子にもたれかかり、ゆっくりと顔を上げる。
「“隠蔽と制御”か。便利な言い回しだな」
鼻で笑い、乾いた声で言い切る。
「説明が面倒な時に使う方便だ。中身を正確に言えば虐殺に過ぎない。国も承知の上で我々に任せている」
霧島の眉がわずかに動く。一瞬、言葉を選ぶ間があった。
「……警察の奴らのように、保護、という選択肢があるはずだ」
「あるわけがない。そんな綺麗事が国防に通用すると思うか?多くを守るためには犠牲になるべき者がいる。それが現実だ。しかも今回はそれが超能力者、人間じゃない」
沢渡は指を組み机に両肘を立てる。
「警察がしている超能力者を保護するという行為は国に認められていない。一部の聞き分けのない連中が無理矢理立ち上げた非合法な組織が、独り歩きしているだけだ」
言いながら沢渡は数秒、霧島を見た。まるで霧島の先程の言動に何か違和感を覚えたかのようだった。
そして、
「……霧島2尉、まさかとは思うが、超能力者を殺せないとでも言いたいのか?」
唐突に投げかけられた言葉に、霧島の肩が僅かに揺れた。
「もしそうであったら、こちらはお前と交わした契約を破らざるおえなくなるが」
「殺せないとは一言も言っていない。命令があれば殺してやる」
霧島の瞳がより一層鋭く細まる。
「……お前がしっかり仕事をやり遂げるのならこちらは何もしない。だが今のお前の態度にはそれが見られん。もしその態度をこれからも続けるようなら、あの女、霧島 冬華を——」
「——ッ!」
次の瞬間、霧島は机を挟んで沢渡の胸倉を掴み上げていた。
「その名をお前が言うな。穢れる」
押し殺しきれない怒りが声に滲む。
だが沢渡は怯まない。むしろ楽しげに口角を上げてみせた。
「いい反応だ。そうやって感情を見せてくれると、彼女の価値が分かりやすい」
その不穏な笑みと言葉に、霧島の歯は軋ませる。
「さぁ、早く手を離せ。上官に無礼を働いているのが分からんのか?」
沢渡がそう囁くと、霧島の手が震えやがて離れた。
代わりに振り下ろされた拳が、机を激しく叩く。鈍い音が室内に響き、書類が散乱した。霧島は俯き、拳を机に押し付けたまま呼吸を整える。
その時だった。机の上に置かれていた通信機が短く鳴る。
「——報告します。対象の池ヶ谷 新の逃走経路を特定しました。現在は千葉駅周辺の商業ビル街にいると考えられます」
スピーカー越しの声が淡々と告げる。
沢渡は椅子に深く腰掛けたまま命じた。
「今度こそ池ヶ谷 新を殺せ。何のために超能力者であるお前らを我々の監視下で生かしてやってるのか、分かっているだろう?」
放たれた疑問系の命令は霧島の瞳孔を微妙に揺らす。
「……お前に言われなくても分かっている」
* * * * *
「超能力者を抹殺するって……」
全ての説明が一通り終わり、部屋に重たい沈黙が落ちた。
「何がなんだかわからないですよ。自衛隊って、国民を守るための組織じゃないんですか……?」
その隙間を縫うように新の声が零れる。
そんな中、東雲が返した。
「超能力者が国民となんて国や自衛隊は認識してないさ。彼らにとっては超能力者は理解の範疇を超えた化け物だよ。駆除対象に値してるだろうね」
東雲の声はやけに穏やかである。
「でも大丈夫。僕ら警察は例え超能力者だろうと敵が国であろうと見捨てないから」
そう告げた顔立ちはどこか自信げで、新の瞳に綺麗で凛々しく映った。
———俺は、この人に迷惑をかけてしまっている
その認識、言い換えれば心苦しさが新の胸を締め付ける。
「俺のせいで、東雲さん達に……迷惑、を……」
話の途中、言葉が途切れた。
新の頭の奥で鈍い痛みが脈打ち始める。最初は違和感程度だったそれが、次第に針を打ち込まれるような感覚へと変わっていった。
「新君?」
佐倉が異変に気づき一歩前に出る。
「少し顔色が……」
佐倉が言おうとした瞬間、新の視界が揺れた。床が傾き、部屋全体が遠ざかっていく。不意に膝が崩れ落ち、地面に倒れた。
———何だ、これ……頭が痛ぇ……
激しい眠気が思考を塗り潰す。そして意識が闇へと沈んでいった。
次に新が感じたのは、冷たい空気だった。
目を開けるとそこは新にとって見覚えのある、そして見たくなかった光景だった。夜の街。赤く濡れた地面。倒れ伏す一人の女性。
新はその場に立ち尽くしている。動けない。声も出ない。
周囲に人がいる。輪郭の曖昧な群衆が、新を取り囲む。
「お前を守ったから彼女は」
「何であんなゴミを守って……」
「お前が殺したんだ」
「お前があの時いなくなっていれば、こんな事にはならなかったのに」
言葉が刃のように突き刺さる。逃げ場はない。
血だらけの女性がゆっくりと顔を上げる。その首が不自然な角度で回り、新の方を向く。その唇が動いた。
「この、人殺し」
そこで新は跳ね起きた。
荒い息が喉を焼く。額に滲んだ冷や汗が、こめかみを伝って落ちる。視界に映るのは、事務所の一室。簡易ベッド。白い天井。
「……倒れた、のか」
思い返すと記憶が途中で途切れている。佐倉の話を聞いていて、自分は要らない人間なんじゃないかと口にして、その直後――急に気が遠くなった。
それからは何も覚えていない。
新はゆっくりと上半身を起こした。誰かがきちんと寝かせてくれたらしい。毛布が丁寧に胸元までかけられていた。
新は立ち上がり、部屋の隅に置かれた洗面台へと歩いた。蛇口をひねり水を出す。両手ですくって顔を洗うと、冷水が頬を打ち少しだけ頭が冴えた。
そして顔を上げた、その時だった。
洗面台の横、簡易的な棚に無造作に掛けられたコートが目に入る。濃い色の布地。その肩口に乾きかけた暗赤色の染みが残っていた。
理解した途端、吐き気が込み上げる。
新は洗面台に手をつき、そのまま前屈みになる。
また自分を守ったせいで誰かが傷ついた。またいつか説明のつかない理由で、誰かが死ぬかもしれない。
自分が関わらなければ。自分さえいなければ。
ふらつく足取りで廊下に出ると隣の事務所に灯りが見えた。恐らくまだ東雲たちが話しているのだろう。
「もう誰も、俺のせいで……」
その時、新は踵を返した。
視線を落とすと、廊下の先に非常灯の緑色が淡く灯っている。裏口へと続く表示だった。
——自分がここにいなければ、少なくとも誰かが自分のせいで傷つくことはない
そして新は一人、事務所を後にした。
「……あれ?」
東雲が何気なく視線を巡らせ、隣室へと続く半開きのドアに目を留める。
その奥の部屋には簡易ベッドが置かれていて、先程まで新が横になっていたはずだった。気を失ったあと、疲労も重なって深く眠っているものだと、誰も疑っていなかった。
「新君?」
軽く呼びかけてみる。返事はない。
東雲は嫌な予感を覚え、隣の部屋へ足を踏み入れた。ベッドの上には乱れた毛布だけが残っている。人の温もりはもう感じられなかった。
「……いない」
洗面所を覗いてもトイレを確認しても気配はなかった。その短い一言で室内の空気が一変する。
「どういうことだ」
佐倉がすぐに立ち上がり、鋭い目で状況を見渡す。
御堂も黙ったまま壁際から一歩前へ出た。
「いつからだ」
「正確には分からない。けど目を離してたのはほんの少しだ」
東雲は唇を噛んだ。
さっきまで交わしていた会話、新の表情、あの自嘲めいた言葉。今になってそれらが一つにつながっていく。
「……新君は過去に色々あったからね。多分、そのせいだ」
声は静かだったが、確信が滲んでいた。
「新君は誰かと関わることを怖がってた。嫌ってたと言ってもいい。もしかしたらそれが原因で……」
「なるほどな。俺等から逃げたってわけだ」
御堂が顎に手を当て、低く唸る。
「そういう奴は追い詰められたとき理屈じゃ動けねぇ。無意識に戻れる場所を選ぶ」
二人の視線が御堂に集まる。
「家か……少なくとも心理的安全性の高い場所に向かっているはずだ」
「……家、ですか」
佐倉は即座に頷いた。
「可能性は高い。時間もそこまで経っていないし……よし、手分けして探そう。私と御堂警部は徒歩と車で周辺を当たる。東雲、お前はバイクで」
「OK、任せて」
東雲はもうヘルメットを手に取っていた。
「できるだけ広範囲で探してくれ。それと……こんなこと言っといてなんだが、無茶はするな。もう自衛隊が動き始めている頃合いだ」
「分かってる。心配ありがとう、司ちゃん」
そう言いながらも東雲の動きに迷いはなかった。階段を駆け下り、夜気の残る路地へ飛び出す。バイクに跨って、エンジンを始動させると、低い振動が体を震わせた。
「……持ってろよ、新君」
ヘルメットの内側で小さく呟く。
「必ず、僕が———」
アクセルを吹かすとバイクは一気に前進する。
少し投稿のペースを早めようと思います




