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sigma  作者: 鯖サンド
黎明編
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2/13

第二話 駆け抜ける

 孤立していた。馴染めていなかった。

 そんな自分が嫌だった。




 放課後、新は誰とも歩調を合わせず重い足取りで揺れるように帰った。

 運が悪いのか通る信号は全て赤を示す。


 横断歩道の前に余裕をもって立ち止まり、視線を横から横へ滑らせた。

 携帯を触る会社員や隣同士で話し合う同級生、電話をする主婦、皆誰かとの繋がりを持っている。だが新にはその誰もが持つ関係性が無かった。




 俺は自分から独りを選んだ。

 その選択肢は一度決めた瞬間、もう変えることはできない。心変わりで誰かと一緒にいたいと思っても、現実が強制的に孤独の道へと引き摺り戻してくる。

 今持てている関係性だってどうせもう少しで消える。




「ねぇお母さん。今日の夜ご飯って何?」

「え?うーん。どうしようかしらね〜」


 近くを歩いていた親子の声が聞こえる。

 新はその声の方へ視線を逸らした。ふとその母親の姿が部屋にある写真の女性と重なる。


「——ッ!?」


 新の思考が一気に現実に戻された。信号機が鳴らす秒を刻む音が虚しい実感を抱かせる。


 もうすぐで信号が切り替わる。

 新はカバンの肩紐を持ち直して右足を一歩進めた。


 しかし次の瞬間、新の背中に確かな力が叩きつけられた。

 思わず喉が短く鳴る。視界が前へ弾け、体の軸が崩れる。


 気づいた時には足元の白線を越えていた。赤信号の横断歩道へ、制御を失ったまま投げ出される。


 慌てて背後を振り返るとそこには視線の鋭利な一人の男が立っていた。

 感情の揺れを一切感じさせない無表情。人を突き飛ばしたとは思えないほど、落ち着き払った立ち姿だった。


 なぜ、という疑問が形を持つ前に、別の現実が割り込んでくる。


 クラクションが新の耳元で炸裂したのだ。巨大な影が新の全身を覆い、眼前にトラックが迫る。

 運転席の男と一瞬、新は視線が交差した。運転手の歪んだ顔には驚愕と焦りが滲み、直後、ブレーキが悲鳴を上げた。


———死


 新はそれを直感した。

 その途端、音が遠のいて世界が水の底に沈んだように静まる。その代わり視界だけが異様なほど鮮明になる。金属の質感、車体の角度、迫る距離。その全てが逃げ場のなさを突きつけてきた。


 全身が硬直して呼吸が止まる。まるでこの後起こる展開を受け入れるように。



























———最悪な人生だった




























———ドクンッ


 心臓が一度、内側から叩き割られるように跳ね上がった。直後、全身を貫く冷たい衝撃が走る。


 空気が一変した。


 突如、乾いた破裂音と共にアスファルトが白く染まる。

 地面に走る亀裂が光を帯び、その中心から氷がせり上がる。無機質なはずのそれはまるで意思を持つかのような動きを見せた。


 幾本もの氷柱が一直線にトラックの進路へと競り上がり、隆起した氷の壁が車体の側面に激しく食い込んだ。鉄の巨体は進路を失い、氷の上を滑るように横へ流される。金属が軋む悲鳴が空気を震わせ、車体はガードレールへと激突した。


 地面が振動し、けたたましい破裂音が膨れ上がり鳴り響く。

 反動の風圧が押し寄せて新の制服の裾を激しく揺らした。


 そして不穏な沈黙の間が訪れる。


「……っ」


 地面の冷たさが遅れて新の頬を刺す。

 息を吸っているはずなのに呼吸している実感がない。

 喉の奥が焼けるようにひりつき、胸の内側が波打つ。


 ほんの数秒前までここはただの帰り道だった。ただ信号を待っていただけのありふれた交差点。それが今、砕け盛り上がった氷に覆われている。

 この異様な光景が、自分の身に起きた出来事の結果だと理解した瞬間、背筋を冷たいものがなぞった。


 視線を巡らせると耳鳴りの奥から人の声が滲み出してくる。


 小さな悲鳴、押し殺された囁き、無遠慮なシャッター音。それらが絡まり合い、重たいざわめきとなって周囲を満たしていた。


 そこでようやく新は悟る。


 見られている。


 交差点の周囲には人が集まっていた。足を止めた会社員、呆然と立ち尽くす学生、距離を保ったまま息を詰める主婦。

 視線はすべて一点に向けられている。

 好奇心と恐怖、興奮が混じり合った無責任な眼差しがじわじわと皮膚に食い込む。


 それに従って新の呼吸が浅く速くなる。


 吸おうとするほど胸が詰まり、吐こうとするが空気が足りない。

 理由は分からない。ただ、ここに立っていること自体が耐え難くなっていく。


 警察を呼べという声。動画を回す人影。氷を指さし、何かを決めつけようとする囁き。

 その全てが刃のように耳へ突き刺さる。


———ここにいてはいけない


 新は脚へ力を込めた。だが筋肉が痙攣し、膝が崩れかける。身体は命令を拒んで動こうとしない。


 するとそんな中、ざわめきとは異なる音が近づいてきた。

 乾いた靴音。一定の間隔で、確実に距離を詰める歩調。


 反射的に新は顔を上げる。


 人の輪を外れて現れたのは、背中を押したあの男だった。研ぎ澄まされた尖った視線は変わらず、新だけを捉えている。


 男の腰には鈍く光を反射する刀が下げられていた。


 不吉な緊張の汗が新の首筋に垂れる。


「悪いな」


 低く告げると男は鞘から刃を引き抜く。澄んだ金属音が空気を裂き、切っ先が新を向いた。

 咄嗟に新は男の瞳に宿った殺気の存在に気がつく。だがその危険信号が身体に伝わらず、立ち尽くしたまま何も出来ない。


 その間に天高く掲げられた刀は勢いよく振り下ろされた。


 そこへ、


———グオォンッ!!


 爆ぜるような轟音が交差点を貫いた。


 低く唸るエンジンの咆哮が背後から突き上げる。

 反射的に顔を向けるより早く、黒い塊が視界へ雪崩れ込んできた。


 一発の弾丸ような漆黒のバイク。

 その降り注ぐ日光を吸い込むような車体が、目にも止まらぬ速度で突進する。タイヤが悲鳴を上げ、路面を削り、火花が弾けた。

 そして力任せなドリフトで男と新の間に滑り込み、激しく後輪を擦って停車する。


 運転手が顔を上げる。

 ヘルメットのシールドが跳ね上がり、覗いた視線が新を射抜いた。


「新君、掴め!」


 そう切羽詰まった声色で叫び、手を差し伸べてきたのは有田だった。


———もう何が何だが分からない


 だが考える暇がなかった。

 咄嗟に新はその手を握った。そして有田がそれを強く握り返す。


「歯食いしばっといてくれよ」


 そう言って力一杯に引っ張り、強引に後部座席へと新を振り上げた。

 間髪入れずアクセルが踏み抜かれる。マフラーから爆音を更に轟かせ、バイクは再び道路を駆け抜けた。


「新君。今から重要なことを言うから心して聞いてくれよ?」


 有田は胴をバイクにそって前のめりにし、ハンドルを強く持ち直した。


「あの刀を持っていた男は、君を殺そうとしている。理由は君が出したあの氷だ」

「……?こ、氷って……」


 加速するバイクの上で新の思考が置いてけぼりにされる。しかし有田はお構いなしに話し続けた。


「そして、僕の目的は君を護る事だ。だからこうして君を助けに来た」


 バイクは車体を大きく傾け、巨大な十字路を曲がる。

 するとその後ろを二台の黒い車が追いかけた。


「こりゃ、やばいっ」


 有田は後ろを向き、背後に迫り来る二台の車を確認する。


「えっ!?やばいってどういう……」

「とても危険だという事だ!」


 バイクは車体の重心を左右に振り、蛇行して前の数台を抜き去っていく。


 一段ギアを落として加速する。

 だが背後の車は簡単には引き離せない。直線に入るたび、ぴたりと速度を合わせて追従してくる。すると後方の一台の窓が下りた。


「伏せ――」


 東雲が言い切る前、乾いた破裂音が弾けた。

 耳鳴りと同時に、頭上を風が裂くような感覚が走る。弾丸が空気を切り裂き、ガードレールに当たって火花を散らした。


「なっ……!」

「動かないで!」


 有田はハンドルを切り、急カーブへとバイクを叩き込む。タイヤが悲鳴を上げ、身体が外へ放り出されそうになるのを、新は必死で堪えた。

 再び窓が開いて今度は連続した銃声が響いた。舗道に弾丸が跳ね、白い粉塵が舞い上がる。その一発が有田の肩を掠めた。


「っ……!」


 鈍い衝撃と同時に、有田の身体が一瞬揺れた。新の頬に温かいものが飛んでくる。

 だがアクセルを緩める気配はない。片手でハンドルを制御しながら、彼は歯を食いしばり、次の分岐を睨む。


「いけるか……」


 低く言うと有田は急にバイクを左へ振った。工事中の側道を跳ねるように越え、コンクリートの粉を巻き上げながら突き進む。


 車の一台が減速した。もう一台は無理矢理突っ込んできたが、幅の狭さに速度を落とさざるを得ない。


 有田はアクセルを捻った。エンジンが甲高く唸り、バイクは弾丸のように飛び出す。幹線道路へ合流すると、信号を無視して横断し、迫っていた車を振り切った。






 一方、刀の男はバイクの去っていった方向を睨んでいた。


「……まぁ良い」


 男はそう呟くと刃を鞘に納めて歩き出す。

 その背後には氷に閉ざされた交差点が異様な気配を帯びていた。


「明日、必ず殺す」




 * * * * *




 バイクは徐々に速度を落とし、表通りから裏路地へと滑り込んでいった。


 新は後部座席で必死に身体を縮め、有田の背中にしがみついていた。

 風が耳元を切り裂き、心臓の鼓動がやけに大きく響く。


 さっきまでの交差点の光景が何度も脳裏に蘇った。氷、悲鳴、視線、そして刀。

 思考が追いつかないまま、バイクはさらに二度、三度と曲がった。


 やがて有田はスロットルを緩めた。エンジン音が低く落ち、バイクは一棟の商業ビルの裏手で静止する。


「ここまで来ればさすがに追手も来れないはず……」


 キーを捻ってエンジンを止める。


「ここは……?」


 新が見上げた建物はごく普通だった。ガラス張りのエントランス、くすんだ外壁、テナント名が並ぶ案内板。


「ただの商業ビルだよ。一見は」


 有田はヘルメットを外し、軽く息を吐いた。


「こういう場所のほうが、逆に目立たないからね」


 新は頷こうとして、うまく首が動かないことに気づいた。

 全身に残った強張りがまだ解けていない。指先が微かに震えているのも自覚していた。


「新君」


 有田は振り返り、少しだけ声の調子を落とす。


「混乱してるのは分かる。無理もないよ。でも安心してほしい。僕は君を護るためにいる」


 その言葉に新は喉を鳴らし短く息を吸った。


「俺を、護る……?」

「そうだ。君を護る」


 迷いのない返事だった。


「さぁ、中へどうぞ」


 有田はビルの通用口へ向かい、重たいドアを押し開ける。


 通用口を抜けると薄暗い廊下が奥へと伸びていた。

 有田は迷いなく歩き、エレベーターではなく階段を選ぶ。その颯爽と歩く靴音が静かに反響し、新は背中を追った。


 何階かを上った先、ある事務所用の扉の前で有田は足を止めた。新が息を整えるよりも先にドアを開ける。

 その中は事務所だった。

 無機質なデスク、書類棚、壁際のソファ。生活感は薄いが異様さもない。


「……遅かったな」


 低く淡々とした声が室内に落ちる。

 新がそちらを見ると、デスク脇に立つ女性の姿が目に入った。

 白く長い髪を高い位置で束ねたポニーテール。細身の体躯だが、シャツ越しでも分かるほど胸元は意外な存在感を主張している。腕を組み鋭い眼差しをこちらに向けていた。


「征月」


 その名を呼ぶと、有田の表情が少しだけ緩む。


「いや〜、少し手間がかかってね。心配した?」

「……別に心配などはしていない」


 女は目線をそらして言うと、寄っかかっていた壁から背をどけた。


「えっと……じゃあ、まずは紹介からいこう」


 有田は場を切り替えるように新に言い、女性へ手を差し向けた。


「彼女の名前は佐倉《さくら》 司《つかさ》、この課でいうと僕の……」

「それだけでいい。後は自分で言う」


 その言葉を遮り彼女は新へ向き直る。


「佐倉です。新くん……ですね。恐らく、今は不安で仕方がないと思います。ですが安心して下さい。私達が貴方の安全を保証します」


 彼女は半ば肩苦しい敬語で言い、僅かに頭を下げた。


「それからあの隅に座っているのが御堂《みどう》 真一《しんいち》さん」


 続けて有田が部屋の端を指す。

 視線を辿ると窓際のソファに腰掛ける男の姿があった。脚を組み煙草をくゆらせながらこちらの様子を観察している。無精髭に擦り切れたコート。肩は広く、目元には年季が滲んでいる。


「どうも、御堂だ」


 男はそう一言、低く渋い声で言った。


「そして最後に、僕の名前は東雲 征月(しののめ  いつき)だ」

「し、東雲?」


 思わず聞き返す新に、有田は穏やかに頷く。


「これが本名だよ。有田というのは、学校に赴任する際に使っていた偽名だ。役職上、人前では素性を伏せているんだよ」


 言うとともに有田——東雲は胸ポケットへ指を滑らせ、小さな黒い手帳のような物を引き抜いた。

 手帳の二つ折りを開くと、中には東雲の顔写真が収まっている。そして下段には”POLICE”と刻まれたエンブレムがあった。


「それって、警察手帳……って事は皆さんは……」


 その手帳を見た新は頭を上げて、その場にいる三人を見渡す。


「そう。僕たちは刑事だ。もっとも、僕だけは少し特殊な立場だけど」


 東雲は手帳をしまい唖然として立つ新に近づいた。


「さて、本題に入ろうか」


 東雲は表情を引き締めながらも微小に笑う。


「情報が多すぎて、頭が追いついてないでしょ?」

「……え、あ、はい……」

「だよね……よし。じゃあ、結論から言おう」


 そこで一呼吸置いて東雲は静かに告げた。


「新君。君は超能力者なんだよ」

「……はい?」


 それは、新の中で今日という日が完全に現実から逸脱した瞬間だった。

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