第一話 暁に染まる
怒涛の展開は二話から!
「なぜ俺がこっち側なんだ!なぜお前がそこにいれる!?」
「僕は君に託したいと思ってる」
「あなたのお陰よ。ありがとう、池ヶ谷くん」
「お前にはその覚悟があるのか?」
「彼女たちをよろしく頼む」
「貴方様には皆、生きてもらいたいのに、何故死のうとするのですか?」
「新さん、私ずっとその言葉を探してた気がします」
「”支えられようとする”というのも案外大事なんだぞ」
「くだらなくても、意味がなくても、それに賭けてやるしかねぇんだ」
「必ず全員を助けろ。それがお前の使命だ」
知らないはずの声が次々と意識の内側へ流れ込んでくる。
どれも初めて耳にする言葉のはずなのに、不思議と拒絶感はなかった。それどころか心の奥に沈めていた何かを、無理やり引き剥がされているような錯覚さえ覚える。
「愛してる。ずっと愛してる。離れたくない。貴方のいる場所にずっといたい」
最後の声を聞いた途端、胸が強く締めつけられた。
知っている。確かに聞いたことがある声だ。見覚えのない長い赤髪の女が、瞳の奥にちらつく。儚くてそれでも必死に真っ直ぐで、どこか懐かしい響き。
その瞬間、世界が光に飲み込まれた。
真っ白な閃光が視界を埋め尽くし、思わず瞼を閉じる。
耳鳴りが遠くで響き、音も匂いも色も消えていく。
ピンポーン。
インターホンの音が眠りを引き裂いた。
耳に刺さる電子音に意識が浮上する。
しばらく天井を見つめたまま動けずにいた。目覚めた直後特有のぼんやりした感覚ではない。身体の芯が重く、思考が一拍遅れてついてくるような感覚だった。
その男、池ヶ谷 新は半身を起こして頭を掻く。
再びインターホンが鳴る。
新はため息をつき、玄関へ向かった。
のぞき穴から外を確認し、その人物を見ると、思わず肩の力が抜けた。
有田だった。
有田 蒼也、つい三週間ほど前に新の通う高校に赴任した臨時の養護教諭。
高身長かつ端正という完璧な外見、仕事熱心で来た頃から学校で孤立していた新を気にかけている。
「あ、有田先生。何でここに……?」
ドアを開け、寝起きのままの率直な疑問を放った。
「おはよう、新君。元気そうで何よりだよ」
有田は安心したようにホッと息をついていた。
「君、昨日学校に来なかったんだろ?それで今日も音沙汰なしで。君の担任にその話を聞いて、保健教諭として安否を確認しに来たってわけ」
「……?」
話の前提が噛み合わない。新は無意識に首を傾ける。
「待って下さい。昨日って、日曜日ですよね」
その言葉を聞くと、有田の表情がわずかに崩れた。
「寝ぼけてるなあ。昨日は月曜日だよ?」
「……え?」
「一昨日が日曜日、だから今日は火曜日だよ。ほら、これ」
有田はポケットから携帯を取り出し、気楽な仕草で画面を差し出す。
「か、火曜日って……?」
表示された日付を視界が捉え、新の時間が止まった。頭の中で何かが軋み、数秒の沈黙が落ちる。
そしてそれを合図にしたかのように、有田は声を上げて笑い出した。
「あははっ、まさかそういう事かい?」
「そういうってどういう……」
「いや〜だって君は月曜日、学校に来なかっただろ?」
一本、指が立つ。
「その上、連絡もつかないしどうやら寝ていたよう」
さらにもう一本。
「で、君は今日が火曜日なのに月曜日だと思っている。つまり……君、月曜日を丸々寝てたってことなんじゃないの?」
三本の指が立つと同時に、信じられない言葉が新の脳内で響いた。
「……いや、そんな事あるんですか……?」
「ないとは言えない。普通じゃあり得ない事だけどね。まぁ、丸一日寝ちゃうっていう前例は聞いたことがある。睡眠不足の蓄積というやつだよ」
有田は大げさに肩をすくめ、深刻さを和らげるように続ける。
「その場合なら結構な脳の疲労があったことになる。一日でそれが解消されたとは考えにくいけど、どうなんだい?今の調子は」
「別にこれといったことはありません。って……あ、あの、今から学校って間に合いますかね?」
新は額に手を当て、まだ整理しきれない現実を押さえ込むように呟いた。
「まあ、三限の開始には間に合うんじゃないかな。それに学校へ行くなら僕が送ってあげるよ。ここまで車で来たし」
有田はそう言いながら、人差し指で自分の来た方向、駐車場を示した。
「いいんですか?」
「もちろん」
新は一拍遅れて問い返すと有田は即答する。
「ここまで来た僕が先に行くってのも何か変だからね」
「……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
その答えに有田は満足そうに頷いた。
「OK。じゃあ僕は外で待ってるから、準備ができたら言ってよ」
そう軽く手を振り踵を返す。その背中を見送ってから、新は玄関の扉を閉めた。
新は無言でクローゼットへ向かい、制服を取り出す。
慣れた動作で袖を通し、シャツのボタンを留め、感覚でネクタイを整える。動きは機械的で思考はまださっきの夢の余韻を引きずっていた。
身支度を終えたところで、ふと視線が部屋の棚に向く。
そこには一枚の写真立てが置かれていた。
写っているのは、茶目っ気満載にVサインを掲げる大人の女性、そしてその隣には卒業証書を片手に持ち呆れたように笑う何年か前の新自身がいた。
新はその前に立ち、ほんの一瞬だけ言葉を探すように口を閉じる。
「……いってきます」
返事がないことは分かっている。それでもその一言は欠かせなかった。
玄関で靴を履き、家を出る。外にはエンジンをかけて待っている車があった。恐る恐る助手席のドアを開けると、有田が横目でこちらを見る。
「準備できたようだね」
「はい。待たせてしまってすみません」
短く答えてシートに身を沈める。
車は静かに動き出し、住宅街を抜けて学校へ向かって走り出した。
校舎に足を踏み入れた新は、廊下の端で深く息を吸い込んだ。
休み時間の喧騒に紛れて教室へ滑り込む算段だったが、完全に視線を避けるのは無理だろう。それでもここまで来て引き返す理由は見当たらない。
引き戸を引き、気配を殺したまま中へ入る。
誰かの目が一瞬だけこちらに向いた気がしたものの、関心はすぐ別の会話へ移っていく。新は余計な存在感を残さぬよう足早に進み、窓際にある自分の席へ腰を落とした。
やがてチャイムが鳴り、授業が始まった。
教師の声は確かに耳に届いている。
しかしその内容は思考に留まることなく流れ過ぎていく。ノートを広げ、ペン先を走らせてはいるものの、書き留めているのは内容ではなく形だけだった。
気づけば新の視線は窓の外へと引き寄せられていた。
『愛してる。ずっと愛してる。離れたくない。貴方のいる場所にずっといたい』
夢の底で聞いた声が蘇る。
理由は分からない。ただその言葉だけが輪郭を保ったまま胸に残っていた。
昼休みになると、新は体育館脇の通路を抜け、自販機が並ぶ一角へ向かった。
近くのコンクリート壁に沿って置かれたベンチには、有田が腰掛けている。片手には紅茶のペットボトルを受け、差し込む陽光を受け、眩しそうに目を細めていた。
「……奇遇ですね。有田先生」
新が声をかけると有田は少し驚いた様子で振り向く。
「新君じゃないか。どうしたんだい?今日はよく会うね」
「はい。その、少し聞いてもらいたいことがありまして……」
新は自販機で飲み物を買い、隣のベンチへ腰を下ろした。
「今日の朝、いや昨日を含めてずっとかもしれませんが、変な夢を見たんです。まるで知らない人の記憶を覗いているような。フィクションみたいな感じです。断片的なのに見ていると感化されてる自分がいる」
話していくうちに視線は、足元に落ちる長い影へ向けられる。
「やっぱり、どっかで見た映画のうろ覚え何ですかね?でもそんな映画見た覚えが……」
「ふむ。つまりその映画が気になっていると言う事だね?映画なら沢山見てるから自信があるよ」
有田は口元を緩め、胸を張って親指を立てる。
「いえ、そういう訳じゃ……」
新の言葉が途切れた瞬間、有田の胸ポケットから甲高い着信音が鳴り響いた。
「おっと。誰からかな?」
即座に端末を取り出して画面を確認する。
次の刹那、有田は目を見開き、反射的に立ち上がった。
「新君、ごめんよ。急用ができてしまったみたいだ。この話はまた今度にしよう」
そう告げると、空になったペットボトルを回収箱へ放り込む。
「そうですか。じゃあ、また……」
新は頷いたものの、視線は地面の一点から離れない。口元には影が落ち、肩に力がこもっていた。
保健室へ向かおうと歩き出した有田だったが、横目に見た新の表情にふと足を止める。そして何かを思い出したようにゆっくりと振り返った。
「新君」
名を呼ばれた新は顔を上げる。有田は一歩戻り、穏やかな声で言葉を紡ぐ。
「何事も悲観的に考えない事だよ」
そして安心させるよう微笑んだ。
「楽観的にいこうよ。何も全部が全部、良くない事っていうわけじゃないよ」
そう言い残して歩き出す。
新はしばらく遠ざかる背中を見送っていたが、やがて胸の内に溜まったものを吐き出すように、静かに息をついた。
「楽観的に、か」
目を開いたまま、思いを巡らせる。
「……んな事、できるわけないですよ。俺が」
余談ですが、元々は「LINK」というタイトルで書いていた物語です。今回の「Sigma」はその物語を再編集したものになっています。




