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sigma  作者: 鯖サンド
東海道動乱編
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12/13

第十一話 伝えなきゃいけない

 初夏の陽射しが公園の遊歩道を白く照らしていた。

 青々と茂った街路樹が風に揺れ、木漏れ日がアスファルトの上で揺れる。その中を、新は荒く息をつきながら走っていた。


「新さーん!あと少しっスよー!」


 ベンチに腰掛けたシアが大きく手を振っている。


「あと、一周……!」


 最後の力を振り絞り、新はゴール地点まで駆け抜けた。

 ようやく立ち止まると、膝に手をついて深呼吸を繰り返す。


「お疲れさまっス!」


 冷えたスポーツドリンクが目の前に差し出された。


「ありがとう」


 受け取ったボトルを一気にあおる。冷たい水分が喉を流れ落ちるだけで、生き返るような心地がした。


 あの日、東雲の訓練を受けてから二か月半。

 新はシアに手伝ってもらいながら体力づくりや格闘訓練を続けてきた。


 最初は数キロ走るだけで息が切れていたのも、今では難なく走り切れる。護身術の動きも滑らかになり、自分でも成長を実感していた。


「いつも俺なんかに付き合わせてごめんな」

「そんな気にしなくていいっスよ。私頼られるの好きなんで」


 シアは首を横に振り、柔らかな笑みを浮かべる。

 屈託のないその表情に、新は都度感心させていた。


「でも、俺ばっかり世話になるのも気が引ける。何かお礼をさせてくれないか?」

「ん〜お礼っスかぁ……」


 シアは腕を組み、「うーん」と唸る。やがて何か閃いたのか、ぱっと顔を上げた。


「あっ、それなら今日のお昼、ご馳走してください!ちょうどお腹ぺこぺこなんス!」


 そう言って自分の腹をぽんぽんと叩く。そんな子どものような仕草に新はつられて笑う。


「分かった。店はシアの好きなところを選んでくれ」

「やった!じゃあ今日は遠慮なく高いもの食べちゃいます!」


 シアは小さくガッツポーズを作った。

 そうして二人は街の方まで歩き、あるレストランで昼食を取ることにした。


「ん〜っ!やっぱり、人にご馳走してもらうご飯は最高っス!」


 嬉しそうに言ってシアはチーズのかかったハンバーグを頬張る。


「お得感ってやつか?」

「いやいや、それだけじゃありません。新さんのからのお礼っていうのも重要っス」


 そんな他愛ない話をしながら食事を進めていると、不意に誰かが壁に掛けられていたテレビの音量を上げる。


『現在、全国ドームツアー中の人気アイドルグループ《PHILIAS》ですが、本日はそのリーダーの成瀬 美鈴さんと中継がつながっています。成瀬さんは現在十九歳の大学生でもあり——』


 新はその画面へ目を向けた。若い女性が笑顔でインタビューに答えている。


「十九歳って、新さんと同い年くらいっスよね?」


 横目で見ていたシアが言う。


「ん?ああ……いや、俺は高一で留年してるから今年で十九歳だな」

「——えっ」


 シアの手が止まる。


「あ、新さん、ダブってるんスか!?何で!?」


 思わず声が大きくなり、慌てて口を押さえる。


「す、すみません!つい……」

「別に隠してるわけじゃない。理由は家庭の事情ってやつだ」


 新は肩をすくめ、それ以上語らなかった。

 その曖昧な笑みを見て、シアは戸惑い身を乗り出す。


「そ、そうだ!最近、新さんすごく強くなりましたよね!この調子なら、東雲さんにも勝てちゃうんじゃないスか?」


 そうなんとか空気を変えようと言ったが、新は小さく笑うだけだった。


「……いや、東雲さんは本当に強し、力だけじゃなくて他のものも持ってる。それに人を救える人なんだ。こんな誰の力にもなれない俺じゃ手が届かないよ」


 自嘲にも似た言葉にシアは返しかけた言葉を飲み込む。


「あの、前から思ってたんスけど……」


 言いにくそうに視線を伏せる。


「新さんって、何でそんなに自分のことを低く見るんスか?」


 新の動きが止まった。


「『こんな俺が』とか、新さんってそういう言い方をよくするじゃないっスか」


 シアは真っ直ぐ新の瞳を見つめていた。


「それって全然謙遜じゃなくて、本当に自分を卑下してるっていうか……新さん、自分を悪く言い過ぎっス」


 その言葉に新はすぐに答えなかった。

 視線をグラスへ落とし、溶けかけた氷をぼんやり眺める。


「……多分、それは癖なんだろうな」


 ぽつりと漏れた声は諦めに似ていた。


「自分じゃ気付かないんだ。でも分かってる。俺は自分を卑下して安心してるんだよな」


 グラスの中で氷が崩れ、からりと澄んだ音を立てる。


「教えてくれてありがとう。気を付けるよ」

「はい……私、また余計なこと言っちゃいましたね。せっかく楽しかったのに……」


 シアは小さく頷いたものの、すぐに肩を落とした。

 重苦しい沈黙が二人の間へ落ちた。


 だが、


———コン、コン、コン


 ノック音が窓ガラスを叩く。

 新は顔を上げ、音のした方へ視線を向けた。

 透明なガラス越しに、一人の少女がこちらを覗き込んでいる。陽光を受けた長い赤髪が艶やかに揺れていた。その隣には、おとぎ話から抜け出してきたようなメイド服姿の女性が控えている。


「結衣……!?」


 そう声を上げると、結衣は満足そうに微笑む。

 そしてそのまま店の入口へ歩いていった。ほどなくして近付いてきた足音が、新たちのテーブルの前で止まる。


「偶然ね、新」


 透き通るような瞳が新を見つめた。


「何でこんなところに?」

「さっきまでそこでシャティミアと買い物してたの」


 結衣は店の外を親指で示す。


「シャティミアって……そのメイドさんのことか」

「ええ、そうよ」


 そう話すと後ろのシャティミアが一歩前へ出る。スカートの裾を摘まみ、優雅に一礼した。


「お初にお目にかかります。結衣様にお仕えしております、シャティミアと申します。以後、お見知りおきいただければ幸いです」

「こ、こちらこそよろしくお願いします」


 つられて新も頭を下げ返した。

 そのやり取りを眺めていたシアはそっと新の袖を引く。


「あの……新さん」


 耳元へ顔を寄せ、小声で囁いた。


「この二人とはどういう関係なんスか?結衣さんとは名前で呼び合ってるみたいですけど」

「えっと……」


 新も声を潜める。


「本人の話じゃ、十年前に一度会ったらしい。メイドの方は正直分からない」

「じゅ、十年前?」


 シアの表情が一変した。


「新さん、それダメっスよ!」

「え?」

「忘れたんスか?保護する時に池ヶ谷 新は死んだことにして、今の新さんは一応別人として生きてるんス!だから新さんが生きてることは誰にも知られちゃいけないんス!」


 その言葉を聞いた瞬間、新の背筋を冷たいものが走った。

 そんな様子を眺めていた結衣がシアへ視線を向ける。


「ねぇあなた、名前は?」

「わ、私っスか?」


 突然話を振られたシアは目を丸くした。


「八朝 シアっていいますけど……」

「シアちゃんかぁ。良い名前ね。私は亜禅 結衣。よろしく」


 そう言って右手を差し出す。


「よ、よろしくお願いします」


 シアも恐る恐るその手を握り返した。


「あっ、私、新さんの隣に移りますね。結衣さんたちは向かいへどうぞ」

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えようかな」


 席を入れ替え、結衣とシャティミアが向かいへ腰を下ろす。


「それでさっき何を話してたの?二人ともすごく落ち込んでたようだけど」

「そう見えたか?」

「ええ。そうよね、シャティミア」


 結衣は隣を見た。


「はい。お二人とも何か思い詰めておられるようにお見受けしました」

「見られてたのか……実はな……」


 新は先ほどシアと話していた内容を説明した。

 話し終えると結衣はくすりと笑う。


「確かに、新ってそういうところあるかも。再会した時も『俺なんかが』って言ってたし」

「やっぱりこれって直した方がいいよな」


 新が言うと、結衣は首を傾げた。


「私は全部が悪いとは思わないけど……ねぇ、シャティミアはどう思う?」


 少し考え込んで隣のシャティミアに話を振る。


「新様は、ご自身をご自分の目だけで見ておられるのでしょう」


 そこで一度言葉を区切った。


「ですが人は他者の目にも映っています。ご自身では気付けない長所も誰かは見ております。その言葉を信じるのも大切ではないでしょうか。ご自分だけを信じるのではなく、ご自分を信じてくださる方々も信じて差し上げてください」

「……自分を信じてくれる人を信じる」


  新はその言葉を小さく繰り返した。

 今まで一度も考えたことのない発想だった。


———そうか。俺は、人を頼ろうとしてこなかったんだ。


 額に手を当て、ゆっくりと息を吐く。

「ようやく分かった。俺はみんなが助けを、ただ受け取ってるだけだった」


 新の中で、固く閉ざされていた何かがほどけていくような感覚があった。


「……ごめん。いや、違うな。気付かせてくれてありがとう」

「どういたしまして」


 結衣は満足そうに微笑む。


「少しでも力になれたなら、嬉しいわ」

「私も同じ気持ちでございます」


 シャティミアも静かに一礼した。


 一方、そのやり取りを横で聞いていたシアは、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。


———えぇ……なんかいいところ全部持ってかれたんスけど。私だって励まそうと思ってたのに


 唇を尖らせ、不服そうに頬を膨らませる。


——— というか、この二人に何者なんスか。怪しいようには見えない?っスけど、新さんのことを知ってる以上、今後新さんと接触させるのは危険……


 そう考えながらグラスに口をつけた。

 すると、


「シアにも、ちゃんとお礼を言ってなかったな」

「んえっ?」


 突然名前を呼ばれ、水を飲みかけていたシアは危うくむせそうになる。


「お礼なら、もう十分してもらってるっスよ」

「いや、いつも付き合ってくれることにお礼を言いたいんだ。俺がここまで来られたのは、シアが支えてくれた部分が大きい」


 そう真っ直ぐに伝えた。


「……」


 シアは言葉を失う。

 いつものように穏やかに笑う新。さっきの陰りはもうほとんど消えていた。


———あ……


 そこでようやく自分が見つめ過ぎていたことに気付き、さっと視線を逸らした。


———まあ。もう少しだけ、この人のことを見守ってあげてもいいっスかね。人付き合いに口を挟むのも違う気がするし


 そう思うと不思議と肩の力が抜けた。


「どういたしましてっス!」


 いつもの調子を取り戻すように笑う。


「では今まで以上のお礼を期待しますね!」

「ああ。遠慮はいらない」

「へぇ〜」


 その会話へ結衣が楽しそうに割って入った。


「それって、私たちにもお礼してくれるってことよね?」

「え?」

「結衣様のおっしゃる通りかと」


 間髪入れずにシャティミアが続ける。


「もし本日、私どもがここへ参りませんでしたら、新様はまだ思い悩んでおられたことでしょう」

「そういうこと!私たちにも功労賞があるはずよ」

「……分かったよ」


 新は観念したように肩を落とした。


「じゃあ、俺の奢りで好きなもの一品頼んでいい」

「よし!シャティミア、一番高いのにするのよ!」

「承知いたしました、結衣様」


 二人は息ぴったりにメニューを開いた。


「……遠慮って言葉、知らないのか」


 新は呆れたように眉を下げる。


 テーブルを覆っていた重苦しい空気は跡形もなく消えていた。初夏の陽射しが窓から差し込み、四人の声を静かに照らしていた。




 * * * * *



 その頃、事務所には船森、御堂、東雲、そして佐倉の四人が集まっていた。

 室内は相変わらず雑然とし、机の上には資料が山積みになり、読み終えた紙束は床にまで散乱していた。


「……こうして直々に招集されたということは、自衛隊側で何か動きがあったんですか」


 佐倉が静かに尋ねる。


「ああ」


 船森は腕を組み、小さく頷いた。


「昨日、自衛隊が再び抹殺作戦を計画しているという情報が入った。今朝、御堂に裏を取らせたところ、どうやら間違いないらしい。御堂、説明を頼む」

「はいはい」


 面倒くさそうに頭を掻いた御堂は、椅子をくるりと回転させて三人へ向き直る。


「今回の作戦で重要なのは三つだ。一つ目は内調。今回は内閣情報調査室が動く可能性が高い。そんで二つ目が真壁 仁の投入だ」

「……真壁ですか」


 佐倉は眉をひそめた。


「そろそろ現場復帰するとは思っていましたが、予定より早いですね」

「僕、あいつ苦手なんだよねぇ」


 東雲は愚痴をこぼしながら紙コップへコーヒーを注ぎ、一人ずつ配り始める。


「とにかく真正面から殴ってくるじゃん」


 そう軽口を叩いたその時、


「おっと……!」


 床へ散らばっていた書類に足を取られ、盛大に前のめりに転ぶ。

 その拍子に机が揺れ、リモコンが床へ落下した。


———カチッ


 偶然押された電源ボタンによって、壁掛けテレビの画面が点灯する。


「イテテテ……」

「征月、大丈夫か!」


 佐倉が慌てて駆け寄る。

 しかし御堂はそんな騒ぎなど意にも介さず、報告書を片手に続きを口にした。


「……三つ目は、今回の保護対象の特異性だ」


 その資料を佐倉へ差し出す。

 受け取った佐倉は首を傾げながらページをめくった。


「特異性……ですか」


 年齢、所属、経歴と、順に目を通していく。


「十九歳……現役大学生……名前は——」


 すると佐倉の視線が止まった。


「成瀬……美鈴……?」


 写真に写る少女を見た、その時だった。


『現在ドームツアーを開催中の人気アイドルグループ《PHILIAS》ですが、本日はリーダーの成瀬 美鈴さんと中継が繋がっています。成瀬さんは現在十九歳の大学生でもあり——』


 テレビから流れたアナウンサーの声に、一同の視線が一斉に画面へ向く。

 そこに映っていたのは、一人の少女だった。


 緑がかった綺麗な髪。十代とは思えない完成された立ち居振る舞い。洗練された容姿と、ステージに立つ者の存在感。

 そしてその顔は、佐倉の手元にある報告書の写真と寸分違わなかった。


「……まさか」


 漏れた呟きに、東雲が不思議そうな顔で近寄る。


「どうしたの、司ちゃん?」


 返事はない。

 東雲は資料を覗き込み、テレビへ視線を移した。


「——えっ」


 信じられないものを見るような声が漏れる。


「今回の保護対象って……このアイドル……!?」

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