第十話 真っ向勝負 後編
轟音が山に木霊し、立ち込めた土煙は晴れる暇すらない。
「……この勝負、分が悪いな」
木々の合間を縫うように駆けながら、霧島は吐き捨てた。
真壁の豪腕がすぐ脇をかすめ、それだけで木肌が裂ける。霧島は最小限の動きでそれをかわしながら、状況を分析していた。
———俺の能力にはクールタイムがある。一度使えば最低五秒。連続で使えば、その間隔は分単位まで延びる
拳を受け流し、斬撃で牽制しながら思考を巡らせる。
———だが真壁は違う。あいつの能力は持続型の肉体強化。長引けば長引くほど、こちらが不利になる。どう切り崩せば……
霧島は足を止め、霧のように漂う土煙の中を見回す。
気配、いや殺気、それが真上から降ってきた。
「——ッ!」
反射的に顔を上げると、視界いっぱいに真壁の巨体が映る。それが隕石のような勢いで、一直線に降下してきていた。
着地と共に大地が揺れる。
霧島は寸前で避けたものの、反動で地盤が跳ね上がり、体勢を大きく崩す。
「隙ありだァ!」
次の瞬間、横薙ぎに放たれた真壁の蹴りが脇腹へめり込んだ。
「——がっ!」
内臓を揺さぶる衝撃。
身体が宙に浮き、そのまま何本もの木々をへし折りながら吹き飛ばされる。幹に叩きつけられると刀を落とし、頭から地面へ転げ落ちた。
頭部から流れ落ちた血が頬を濡らし、視界が白く弾ける。
———しまった……
意識が遠のいていく。音が消え、景色がゆっくり暗く染まる。
しかし、
「霧島2尉ッ!!」
その闇を切り裂くように、一人の声が飛び込んできた。
重く閉じかけていた瞼が持ち上がる。
霞む視界の向こうに、息を切らした姫氏原の姿があった。彼女は膝をつくなり霧島の頭を支え、ハンカチを取り出す。
「大丈夫ですか……!」
白い布を傷口へ押し当てる。赤色の滲みが布全体へ広がっていった。
「お前は……」
霧島は焦点の合わない目で彼女を見る。
頭を伝う激痛と額へ触れる手の温もり、その感覚が薄れた意識を現実へ引き戻していく。
霧島は震える腕をゆっくり持ち上げ、その細い手首を掴んだ。
「……もういい」
短い一言だった。
姫氏原は首を横に振る。
「駄目です。このままでは本当に命に……」
「それは、普通の人間の話だ」
霧島は無理やり身体を起こした。ふらつく足で立ち上がり、刀を拾い上げる。
「悪いが、俺はその基準では測れない」
そう言って歩き出す。
だが数歩進んだところで不意に足を止めた。背中を向けたまま小さく息を吐く。
「……助かった。恩に着る」
明らかにその言葉は姫氏原に向けられていた。
姫氏原は目を見開いた。
「ま、待って——!」
そう言葉を返そうとした。
しかしその頃にはその背中は土煙の中へと消えていた。
霧島は荒い息を押し殺し、山林を一直線に抜ける。
しばらくすると木々が途切れ、視界が一気に開けた。そこはほんの数分前まで三人が言葉を交わしていた空き地だった。
中央には、山肌を抉り取ったような巨大な穴。人間の手で造られたとは思えない異様な窪地が、大口を開けて待ち構えている。
その縁ぎりぎりで、霧島は足を止めた。
背後から、地面を踏み砕くような重い足音が近づいてくる。
「やっと見つけたぞ、霧島」
振り返れば、真壁が悠然と歩いてきていた。
首を鳴らしながら笑みを浮かべる姿には、まだ余力しか感じられない。
「全く見つからんから、逃げたのかと思ったわ」
「……お前が遠くまで吹き飛ばしたせいだ」
霧島は刀を下段へ構える。
額から伝う血が頬を濡らし、視界の端を赤く染めていた。
———このまま正面からぶつかれば、勝率は一割もない
胸の内で冷静に結論を下す。
近接戦では真壁が圧倒的に有利、まともにやれば押し潰されるのを分かっていた。
「お前、その位置で構えていていいのか?」
真壁は穴の縁へ視線を向ける。
「あと一歩でも下がれば、そのまま真っ逆さまだぞ。」
確かに霧島の踵は崖の縁にかかっており、退路はない。
だがその言葉を聞いた霧島は小さく目を細めた。
「……そうか」
短く呟く。
「その手があったか」
静かな声。
纏う空気が変わる。研ぎ澄まされた霧島の気配が周囲へ広がった。
「……」
真壁の笑みが消える。彼の中で野生の本能が警鐘を鳴らした。
「何だ、霧島。気配が変わったな」
「……この一撃で終わらせるぞ、真壁」
霧島は刀を構え直した。
その言葉を合図にしたかのように、真壁が大地を踏み込む。爆ぜる轟音、そして巨大な拳が一直線に迫る。
その時、霧島は真壁ではなく、自分の足元へ刀を向けた。
「——一閃」
刃が地面へ突き立つ。
橙色の光が地中へ走った。地表に蜘蛛の巣のような亀裂が入り地盤が崩れる。
そして土砂となって巨大な穴へ向かって滑落する。
「なっ――!?」
真壁は拳を振り抜いた勢いで空中へ投げ出された。着地の足場は既になく、巨体は為す術もなく奈落へ吸い込まれていく。
もちろん霧島も同じだった。
二人の身体が大量の土石とともに穴の底へ落下する。
土煙が視界を埋め尽くした。
「ぬぅッ!」
真壁は両腕を交差し、全身を丸める。
次の瞬間、巨体が地面へ激突した。凄まじい衝撃が全身を貫き、その意識を白く飛ばす。
一方、霧島は落下の途中で身体を捻り、崩れ落ちる斜面へ背中を滑らせた。
勢いを逃がしながら降下し、着地の時に刀を振るう。
しかし能力は発動せず、攻撃はとどかない。
———まだか……!
そんな中、
「ガァァァァッ!!」
気絶していた真壁が咆哮を上げる。まだ完全に意識は戻っていないが、本能だけで拳を振るった。
豪腕が霧島の頬を捉える。
鈍い衝撃に身体が揺れた。霧島は歯を食いしばり、足を踏み締める。
そしてもう一度刀を振るった。
今度は刀身が橙色の輝きを取り戻す。
霧島の口元が緩んだ。
「終わりだ」
刀が一直線に走る。
真壁の瞳が大きく見開かれた。避けられないと悟り、死が脳裏をかすめる。
だが、刃は首筋の寸前でぴたりと止まった。鋭い風圧だけが肌を裂き、一筋の髪が宙へ舞う。
「……」
山全体の音が止む。その無音が決闘の最後を告げていた。
「俺の勝ちだ、真壁」
真壁は呆然と刃先を見つめていた。
「ははっ……なるほど」
しばらくして両手をゆっくりと上げる。
「完全に一本取られたな」
敗北を認める声には悔しさよりも、喜びが混じっていた。
「降参だ、霧島」
真壁は豪快に笑いながら頷く。
「約束通り、お前の要求を聞こう」
* * * * *
真壁を伴った霧島たちは、そのまま駐屯地へ帰投した。
沢渡へ作戦結果を報告するため、二人は庁舎の奥へと姿を消していく。
その頃、姫氏原は一人だけ外へ出ていた。
人気のない場所まで歩くと、携帯電話を取り出し、慣れた手つきで番号を呼び出した。
「——はい。調査結果をご報告します」
数秒の間を置き、姫氏原は今日見た全てのことを話した。
「現地で確認した内容は以上です。なお、戦闘中に記録した音声データについては、後ほど暗号化した上で送信します」
簡潔に報告を終えると電話を切った。
ふっと息をつき、携帯を胸ポケットへしまう。
そのまま踵を返し、建物へ戻ろうとした。すると、
「……わざわざ基地の外まで出るとは。内調への報告か」
低く抑えた声。
姫氏原が顔を上げると、玄関脇の柱にもたれるようにして霧島が立っていた。
「……はい、そうですが」
少し肩を震わせた姫氏原だったが、すぐに平静を装う。
「何かご用ですか?」
「いや、」
霧島は短く首を振った。
「大したことじゃない。呼び止めて悪かったな」
それだけ言い残すと、姫氏原の脇を静かに通り過ぎていく。
足音は静かな敷地内に響いた。
「……」
姫氏原は振り返り、その背中を見つめる。
———真壁さんは、「面白そうだから」という理由で自衛隊に協力していた。ならば霧島2尉も……
そう考えた瞬間、沢渡に向ける霧島の冷え切った視線が脳裏によみがえる。
あれは忠誠を誓う者の目ではない。むしろ、憎悪にも似た感情を押し殺しているようにさえ見えた。
———あの人が自衛隊にいる理由は、真壁さんとは別にある
そう確信できるだけの何かがあった。
霧島は何を抱え、何を目的に自衛隊へ身を置いているのか。
答えはまだ深い霧の向こう側に隠れたままだった。
姫氏原は去っていくその背中を静かに見送る。
「一体、何のために……」




