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sigma  作者: 鯖サンド
東海道動乱編
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第十話 真っ向勝負 前編

 霧島と真壁は、数歩ほどの間を空けて向かい合った。

 その距離は近かったが、二人の間に流れる空気は噛み合っていない。


 片や、旧友との再会を喜ぶ大男で、片や、その笑顔すら煩わしいと言わんばかりの仏頂面である。


「久しいな、霧島」


 真壁は口角を大きく吊り上げた。

 岩を削って作ったような無骨な顔。その笑みは親しだが、猛獣が牙を剥いたような威圧感があった。


「相変わらず目つきが悪いな。感情ってもんを忘れたのか?一年ぶりだというのに、少しも変わっとらん」

「変わっていないのは、お前もだ」

「何を言う——!」


 真壁は豪快に笑う。


「我は日々進化しているぞ。見ろ、以前よりさらに完全へ近づいた、この究極の肉体美を!」


 そう叫ぶと、大樹の幹のような両腕を高々と掲げた。隆起した筋肉がみしり、と生き物のように脈打つ。

 だが霧島は横目で一瞥しただけだった。


「そうか」


 返事はそれだけで感想も驚きもない。


「……相変わらず張り合いのない男だ。少しくらい褒めても罰は当たらんだろうに」


 そうぼやきながら視線を横へ流し、霧島の後方に立つ姫氏原へ目を留めた。


「ところで、その女は誰だ?」


 ぎろり、と大きな瞳が彼女を捉える。


「さっきから黙ったままこちらを見ているが」

「こいつは——」


 霧島が口を開く。しかし、それより早く姫氏原が前へ出た。


「私は内閣情報調査室所属、調査官の姫氏原です。自衛隊の監督役として霧島2尉に同行しております。本日はよろしくお願いいたします」


 そう言って丁寧に一礼する。


「ほう。自衛隊を監督する、と」


 真壁はの視線がゆっくりと姫氏原の頭から足先までを舐めるように動く。


「つまり、お前は自衛隊より偉いということになるのか?」

「い、いえ、監督権限はありますが……強いとか偉いとか、そういう意味ではありません」

「ふーむ」


 真壁は腕を組む。値踏みするような視線が再び向けられた。

 その圧迫感に姫氏原の背筋に冷気が這い、思わず一歩、足が後ろへ下がってしまう。


「真壁。あまり見てやるな。無作法だ」

「ああ、それもそうか」


 霧島が言うと、真壁は額をぽんと叩く。


「これは失礼した」


 そう言って片手を軽く上げる姿は、先ほどまでのが嘘のように素直だった。


「だ、大丈夫です。私が少し驚いてしまっただけですので」


 その反応を見て、姫氏原はそっと胸を撫で下ろす。


———霧島2尉は『傍若無人』と言ってましたけど……案外、いい人かもしれません


 そんな安堵が胸に浮かんだ、その矢先だった。


 真壁はどっかりとその場へ胡坐をかき、地面を震わせる。


「さて」


 それまでの砕けた空気が消えた様に感じられた。


「世間話はここまでとして、お前が今日ここへ来た理由を聞こう。一体俺に何のようだ」

「そうだな。俺もこれ以上時間を無駄に使うのもどうかと思っていたところだ」


 霧島は頷いて視線を返す。


「俺は命令を伝えに来た。次の作戦にお前を投入する」


 その言葉を聞いた途端、真壁の眉間に深い皺が刻まれる。


「……やはり、その話か」


 低く漏らした声には露骨な不快感が滲んでいた。


「悪いが断る。我は自分より弱い者の命令を聞く趣味はない」


 黄金色の瞳が細まる。


「それに、霧島。俺を作戦から外してこの山へ押し込めたのは、あの連中だ」

「だが、その処分はお前自身が招いた結果だろ」

「……自業自得と言いたいわけか」


 さっきまでの軽口は消え失せ、空気がじりじりと張り詰めていく。


「あ、あの……」


 その重苦しい沈黙を察しながらも、姫氏原がおずおずと口を開いた。


「『山に閉じ込めた』というのは、どういう意味なんでしょうか?」


 その言葉に二人の視線が彼女へ向く。

 霧島は少しの間、口を閉ざし、やがて小さく息を吐きながら呟いた。


「過去の作戦で真壁は重大な規律違反を犯した。その結果、自衛隊は戦力としての運用を停止し、この山へ隔離していたというわけだ」

「では、あの入口のフェンスもそのためのもの、ですか……」


 姫氏原は後ろで手を組んだ。


———嘘を言っているようには見えませんが、あとで確認しておきますか……


 そしてそのまま後ろポケットの中でスマートフォンの録画機能を起動する。


「で、話を戻すと、お前は何が言いたいんだ」


 霧島は真壁へ向き直った。


「言った通りだ。我は自衛隊などという弱きものには従わん」

「つまり、自分の方が強いから命令を受ける理由はない、と」


 その右手が刀の柄へ添えられ、その場の空気が冷えた。


「……勘違いするな。前に従ったは面白そうだったからだ。我はお前ほど、奴らに飼いならされちゃいない」


 ぴくり、と霧島の眉が動く。


「なんだその言い方は」


 声が一段低くなる。柄を握る指先に自然と力がこもった。


「そう凄むな。我はお前を馬鹿にしたいわけじゃない」


 言うと真壁は頭を掻きながら、大きく息を吐く。


「そうだな。ならば一つ、条件を出そう。その条件を呑むのなら従ってやっても構わん」

「……言ってみろ。その内容次第だ」


 霧島が聞くと、真壁はゆっくりと顔を上げる。


「お前と我が戦い、お前が勝ったなら、命令に従ってやろう」


 その提案に姫氏原は思わず目を見張った。

 だが当の霧島は相変わらずの無表情だった。


「なるほど。俺がお前より強いと証明すれば、お前は俺に従う。そして、俺の命令に従うという体で自衛隊の命令も受け入れる……そういう理屈か」

「その通りだ。弱きは強きに従う。それが世の道理だろ?」

「……全く、その道理に何の意味があるのか」


 霧島は静かに目を伏せた。


「いいだろう。その条件を受ける」


 短い返しだったが、真壁にはその一言だけで十分だった。

 獣のような口角が一気に吊り上がる。


「では交渉成立——だなッ」


 刹那、真壁の巨腕が、突如として風を裂く。同時、霧島の刀もすでに鞘を離れた。

 鋼と拳、二つが真正面から激突し、鈍い衝撃音が山中に響き渡る。空気が爆ぜ、二人の足元から土煙が輪のように広がった。


「急に仕掛けてくるとは。相変わらず手癖の悪い男だな」


 霧島は拳を受け流すと、その反動を利用し飛び退いた。


「逃がすかッ!」


 真壁の踏み込んだ大地が陥没し、その巨体は思えぬ速度で霧島との間合いを詰める。


「フンッ——!」


 岩塊を射出するような拳が、暴風を伴って次々と襲い掛かった。

 霧島は刀を翻してその猛打をいなし、その度に火花が散る。


「手加減は、しないからな」


 一瞬だけ生まれた死角に、霧島が踏み込み、空いた左拳を迷いなく真壁の顔面へ叩き込む。

 しかし、


「……っ」


 砕けたのは真壁ではなく、霧島の拳だった。皮膚が裂け、拳骨から鮮血が滴り落ちる。

 対する真壁は首をほんの僅かに傾けただけだった。


「終わりか?」


 まるで小枝でも当たったかのような声音。

 霧島は血の滲む拳を見下ろし、歯を食いしばった。


「……あらゆる身体的能力の強化、それがお前の能力だったか」


 痛みを無視して手を握り、再度距離を取る。


「覚えていてくれたか。嬉しいものだ」


 真壁は拳を打ち鳴らす。


「さて、こちらの能力は見せた。今度はお前の番ではないか?久しぶりに見せてみろ。お前の能力を」


 挑発するように顎をしゃくった。


「……ただ斬るだけの技だ。期待するほどのものじゃない」


 霧島はそう口では言いながらも、その目から感情が消える。

 その刃先はゆっくりと真壁へ向けられた。


 刀身に橙色の光が細い筋となって走る。淡い輝きは次第に濃さを増し、やがて刃を包み込んだ。

 空気が張り詰める。


 霧島は静かに腰を落とした。


「一閃」


 振り上げられた刃から、閃光が解き放たれる。

 雷鳴にも似た地鳴りが走り、斬撃が一直線に大地を裂いた。


 真壁は咄嗟に身を反らし、紙一重でかわす。直後、その背後に立ち並んでいた巨木がまとめて断ち切られ、ゆっくりと崩れ落ちた。


 続けて、霧島は返す刃を横に払い、真壁も拳に能力を集中させて迎え撃つ。


 地面は砕け、岩は宙へ舞い、木々は根元から吹き飛ばされる。鬱蒼としていた森は、わずか数秒で戦場へと姿を変えていた。


 その光景を前に、姫氏原は息をすることさえ忘れていた。

 目の前で交わされているのは、人間同士の戦いではない。自然災害が意思を持ってぶつかり合っているかのようだった。


「これが……超能力……」


 喉から漏れた声は、自身でも驚くほど震えていた。


 一本の刀と、ただの拳。その衝突だけで木々は裂け、大地は砕け、山が悲鳴を上げる。

 風圧が頬を叩き、舞い上がった土砂が視界を曇らせた。姫氏原は一歩後ずさる。


 恐ろしい——その感情は確かにあった。だがそれ以上に胸を締めつけたのは、言葉にできないジレンマだった。


「でも……だからといって……」


 小さく溢し、彼女は砂煙の向こうへ視線を向ける。

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