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sigma  作者: 鯖サンド
東海道動乱編
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13/13

第十二話 東海道動乱①

———愛知県名古屋市


 市内のホテルにある宴会場。


 天井の照明は全て落とされ、光はステージ中央へ降り注ぐ一本のスポットライトだけだった。その光の中で、成瀬 美鈴(なるせ みすず)はマイクを握り、軽やかなステップを刻む。


 透き通るような歌声が、観客のいない会場へ響き渡った。


 やがて最後のフレーズを歌い切ると、人差し指を正面へ突き出し、マイクを高く放る。そしてそれを受け止めようと手を伸ばす。だが、


———カランッ


 あと少しのところで取り損ね、床へ乾いた音がこだました。


「……」


 成瀬はしばらく転がるマイクを見つめていた。

 その時、


「なーちゃん、もうすぐ清掃入るよー」


 間延びした声が宴会場に届く。

 振り返ると、入り口にマネージャーの根津 舞(ねづ まい)が立っていた。


「……舞さん」


 成瀬はため息をつく。


「なーちゃん呼びはやめてって、この前言わなかった?」

「えー、このほうが可愛いじゃん」

「可愛いとかじゃない。その呼ばれ方すると気が抜ける」

「いいじゃない。張り詰めっぱなしだと疲れるでしょ?少し肩の力を抜いたほうが上手くいくって」


 根津は柔らかく笑う。

 その笑顔を見ていると不思議と怒る気も失せてしまう。


「……もういい。舞さん相手に口で勝てる気がしない」


 そう言ってスポットライトのスイッチを切る。

 光が消え、宴会場は薄暗さを取り戻した。床に転がったマイクを拾い上げ、丁寧にスタンドへ戻す。


「あとは部屋で練習するから」

「……大丈夫?」

「宴会場ほど広くはないけど、マイクなしなら歌えるし、机を端に寄せればダンスもできるはず」

「あー、そういう意味じゃなくて」


 根津は困ったように眉を下げた。


「休まなくて大丈夫?ってこと。今朝も体調悪かったんだし」


 その一言に、成瀬の足が止まる。静かな沈黙が流れた。


「……休んでる暇なんてないの。これが最後なんだから」

「最後って……誰が決めたの?」

「私が決めた」


 短く言い切り、再び歩き出す。

 すると、


「あっ、そうだ!」


 根津が何かを思い出したように声を上げた。


「今度は何?」


 呆れ半分で振り返ると、根津は慌ててポケットを探り、小さな封筒を取り出した。


「これ、なーちゃんに渡してって頼まれてたの」

「私に?誰から?」

「名前は聞いてないんだけど、さっき廊下歩いてたら、背の高い人が急に来てさ」


 根津は当時の様子を思い返しながら続ける。


「『一生のお願いだから成瀬さんに渡してくれ。今すぐ見てもらわないと困るんだ』って、必死で」

「……そんなのなんで受け取ったの」

「だって本当に切羽詰まってたんだもん」


 悪びれもせず封筒を差し出す。


「ほら、早く開けないと」

「……」


 言われるがまま成瀬は封を切り、中の厚紙を取り出す。

 そして裏返した瞬間、その瞳が見開かれた。


 厚紙には新聞や雑誌から切り抜いた文字が、不揃いに貼り付けられている。


  『ツギ ノ ライブ ニ 爆弾 ヲ シカケ ル

   止メタケレバ 成瀬美鈴 オ前 ガ ライブ ニ 出ルナ

   警察 ニ 伝エレバ 命 ハ ナイ』


「——ッ」


 成瀬の喉が小さく鳴る。

 その表情を見た根津も紙を覗き込んだ。


「えっ、爆弾って……」


 顔色を変えた根津が叫びかけた。しかし、


「——しっ」


 成瀬は咄嗟に彼女の口を手で塞いだ。


「ん、んぐっ……!」

「大丈夫こんなの、ただの悪質ないたずらよ」


 冷静で言い聞かせる声だった。


「でも、本当だったら——」

「本当にそんなことあると思う?」


 即座に言葉を被せる。


「こんな事で大騒ぎになれば公演に影響が出る。スタッフもお客さんも不安になるだけ……今のは見なかったことにして。どうせ何も起きない」


 そう言い切った成瀬だったが、その横顔は僅かに青ざめていた。






 翌日、成瀬はホテルの一室で朝食をとっていた。


 箸を進めていると、勢いよく部屋の扉が開く。


「なーちゃん、大変大変!聞いて聞いて!」


 飛び込んできた根津が、息を弾ませながら駆け寄ってきた。


「……何?」


 成瀬は顔も上げず、淡々と食事を続ける。


「昨日のあの手紙のことなんだけどね。ツアーの運営に、『怪しい動きをしてる人を見た』っていう人がいたの」

「……そう、それで?」

「その人、一度は警察にも相談したらしいんだけど、『証拠がない』って取り合ってもらえなかったんだって」


 根津はソファへ腰を下ろしながら続ける。


「だから運営が念のために身辺警護専門の警備会社へ依頼したの。今日からツアーが終わるまで、なーちゃんにも警護の人が付くらしいよ」

「……別に必要ない」


 そう言って成瀬は再び箸を動かす。


「でももし本当に何かあってからじゃ遅いんだよ?」

「……言ったでしょ。そんな大げさな話じゃないって」


 冷めた口調で返すが、根津は首を横に振る。


「でもね、運営さんも、万が一を考えて動いてるの。何もなければそれで終わりだから」

「……」


 成瀬は視線を落としたまま考え込む。


 もし本当に何かあったら。その被害を受けるのは自分だけではない。ステージを支えるスタッフも、何万人もの観客も巻き込まれる——そこまで考えたところで、成瀬は諦めたように肩を落とした。


「……分かった」


 根津の表情がぱっと明るくなる。


「じゃあ、ご飯食べ終わったら準備ね。警護の人とは名古屋駅で待ち合わせだから」

「ということは、そのまま新幹線に乗るの?」

「そうそう。他のメンバーの子はもう東京に戻っちゃったから早めに私達もいかないとね」




 * * * * *




 正午過ぎ。名古屋駅、新幹線改札前の待ち合わせ場所——銀時計の下に、二人の男女が立っていた。


 黒いスーツにサングラス、そしてインカム。まるで昭和の刑事のような格好で、新は絶え間なく行き交う人波を眺めている。


「……東雲さんに言われて来たけど、どうして名古屋なんだ」

「しかも、この格好っスよ」


 隣ではシアがワイシャツの襟をつまみ、ぱたぱたと風を送り込んでいた。


「外に五分も立ってたら倒れる自信あります」

「そうだな。東雲さんに渡されたから着てみたけど、一体何の意味が……それに台本?みたいのも渡されたし」


 新はジャケットの内ポケットへ手を入れ、四つ折りの紙を広げる。


「『今回、君たちは要人警護の専門チームという設定だ。警護するという体で保護対象と接触してくれ。ちなみに今回の新君の偽名は池本、シアちゃんは八重谷ね。以上』……か」


 読み上げると折り畳んで懐へ戻した。


「一応聞くけど、保護任務って毎回こんな感じなのか?」

「いえ。大抵、東雲さんが変なことしてるだけっス」

「……やっぱり、か」


 新は額に手を当て、小さくため息をつく。

 しばらく改札を眺めていたが、不意に思い出したように口を開いた。


「そういえば俺たち、保護対象が誰なのか聞いてないよな」

「そうなんスよ。名前すら教えてもらってないんス」


 二人は顔を見合わせ、揃って首をかしげた。


 その頃、成瀬と根津もまた、名古屋駅へ到着していた。


「舞さん、今日って何度あるんだっけ……」


 正体を悟られないよう、キャップを深くかぶり、その上からパーカーのフードまで被った成瀬は、暑さにうんざりした様子で歩く。


「たしか三十八度だったかなぁ。四十度近いってニュースでも言ってたし、今日は危険な暑さらしいよ」


 キャリーバッグを転がしながら、根津は苦笑した。


 やがて二人は新幹線改札前へと辿り着く。

 その時、成瀬の視線が銀時計の下に立つ二人組で止まった。


「……ねぇ、舞さん」

「ん?」

「まさか警護の人ってあの二人?」


 根津もそちらへ目を向ける。


「たぶん、そうじゃないかな?」


 二人はそのまま新たちのもとへ歩み寄った。


「あ、あの……お二人が、今回警護を担当してくださる方ですか?」

「えっ、あ、はい!そうです!」


 突然話しかけられた新は慌てて姿勢を正す。


「やっぱりそうでしたか。今日から数日間、警護をお願いします」

「こちらこそよろしくお願いし……」


 そこまで口にした時だった。

 新の視線が、成瀬の顔で止まる。


 深くかぶったキャップの影から覗く瞳を見た瞬間、記憶の奥で何かが引っ掛かった。


———この人、まさか……


 脳裏に浮かんだのは、数日前。シアと昼食を取っていたレストランで、テレビ越しに見た人気アイドルの姿だった。

 新は隣へそっと顔を向ける。


「なあ、シア」

「はい?」

「今回の保護対象って……今ドームツアー中っていうアイドルグループのリーダーじゃないか?」

「そんなまさ、か——」


 シアは成瀬を見つめたまま、小さく息を呑む。


「……成瀬美鈴っス」


 かすかに震えた声だった。


「私も今、気付きました」


 二人はしばらく言葉を失う。

 しかし、自分たちへ向けられる成瀬の怪訝そうな視線に気付くと、慌てて咳払いをした。


「——コホン」


 新は気持ちを切り替え、改めて成瀬へ向き直る。


「それでは、本日より警護を担当させていただきます。私たちは後方から同行いたします」

「えぇ。よろしく」


 成瀬は短く頷いた。


 四人はそのまま改札を抜け、新幹線ホームへ向かう。

 ほどなくして入線した車両へ乗り込み、指定された個室へ入った。


「へぇ、個室なんスね」


 シアが物珍しそうに辺りを見回す。

 室内には向かい合う二人掛けのソファが設えられ、中央には小さなテーブルが置かれていた。


 成瀬は窓側へ腰を下ろし、その隣に根津が座る。向かいには新とシアが並んで席についた。


 発車を告げるアナウンスが流れ、やがて車体は静かに動き始める。窓の外では名古屋駅のホームがゆっくりと後方へ流れていった。


「改めまして」


 新は軽く頭を下げる。


「池本と申します」

「八重谷です。よろしくお願いします」


 二人は東雲から指定された偽名を名乗った。

 それを受けて成瀬もキャップのつばへ手を添える。


「私は成瀬 美鈴」

「マネージャーの根津です。よろしくお願いします」


 一通り自己紹介を終えると、根津が柔らかく微笑んだ。


「それにしても、お二人とも本当に若いですね。警護会社って、もっと年上の方が来るものだと思ってました」

「というか、二十歳もいってないんじゃない?」


 成瀬は腕を組み、サングラス越しに二人を見つめる。


「あ、安全第一で務めさせてもらいます」


 新は一瞬だけ顔をそらして答えた。


「ん?そういえば……」


 ふとシアが顔を上げる。


「他のメンバーの方々はどうしたんスか?」

「ああ、本当は昨日帰る予定だったんだけどね。今朝なーちゃんが少し体調を崩しちゃって、私たちだけ一泊延ばしたの」


 根津がそう教えると、隣の成瀬の表情が僅かに曇った。

 ふとした拍子にその変化を見かけ、新は徐ろに目を細める。


———ザザッ


 するとちょうどその時、新のインカムからノイズが走った。


「……」


 新は軽く耳元を押さえて、席を立つ。


「少し電話をしてくる」

「ん、了解っス」


 そのシアの返事を確認すると、新は静かに個室から出た。


「もしもし」

『はーい、もしもし。どうだい、驚いた?警護の対象が今話題のアイドルなんて』


 聞き慣れた軽い口調。相手は東雲だった。


「驚いたどころの話じゃありません。一体どういうことなんですか?」


 新は声を潜めながら問い返す。


『ふむ、やっぱり気になるよね。じゃあ始めから説明しよう』


 東雲は楽しげな調子のまま続けた。


『昨日、これはまだマスコミにも出ていない情報なんだけど、成瀬 美鈴宛てに爆破予告が送られた。そして、その予告を送ったのが僕だ』

「——はいっ!?」


 あまりにも予想外の言葉に、新の声が裏返る。

 東雲は気にした様子もなく続けた。


『事の発端はその前日。僕たちは成瀬 美鈴が自衛隊の標的になっているという情報を掴んだ。保護対象がアイドルになるなんて、正直こちらも想定外だったよ。そこで僕は名古屋へ向かい、そのマネージャーに偽の爆破予告を渡した』


 もはや嘘にまで聞こえる話に、新は対応できず黙ったまま聞いていた。


『そして、そのあと司ちゃんたちが、“ライブ運営側に不審者を見た人がいて、事前に警備会社を手配していた”という、これまた架空の情報を流した』

「……つまり、その警備会社の正体が俺たち」

『その通り!』


 東雲は満足そうに言う。


『これで表向きは「爆弾犯からアイドルを守る警備会社」という形になる。実際には、自衛隊から保護対象を隠しているわけだ』


 話を聞き終えた新は、深く息を吐いた。


「……こういうことは事前に教えてください。それと、今どこにいるんですか?俺たちだけで警護するのはまだ荷が重いです」

『ああ、それなら心配いらないよ。一応、僕も乗ってるから」

「え?」


 不意にその声がインカムではなく背後から聞こえた。

 新が振り返ると、そこには車掌の制服に身を包んだ東雲が立っていた。


「……いたんですか」

「いたよ」


 にやりと笑う。


「その格好は?」

「変装みたいなものさ。この制服なら車内を見回っていても怪しまれないだろ?それと、司ちゃんと御堂さんも乗ってる。君たちの一つ前の車両だ」


 そう言って制帽を指先でくるりと回し、軽く放り上げる。帽子は弧を描き、再び頭の上へと収まった。


「それで、本題なんだけど」


 東雲は少しだけ表情を引き締める。


「新くんには通常の護衛に加えて、もう一つ頼みたいことがある」

「何ですか?」

「成瀬美鈴を、精神的に支えてあげてほしい」

「……どういう意味ですか?」


 新の眉がゆっくりと寄る。


「これは僕個人の考えなんだけどね。保護対象は半ばこっちの事情に巻き込まれたようなものだろ?だからこそ、せめて不安や戸惑いくらいは軽くしてあげたい。保護っていうのは、命を守るだけじゃないと思うんだ」

「……そうだったんですか」


 その言葉に、新は東雲との学校での日々を思い出す。

 不安ばかりが募っていた自分を、東雲はただ守るだけではなく、ある時は教師として温和に接してくれていたのだ。


 東雲は新の肩に手を置く。


「じゃあ頼んだよ」


 そう言い残し、制服の裾を翻して去っていった。

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