第3話 赤い印のその先へ
そして数日後。
「……ここか」
山道の途中で、蘭丸は巻物を広げた。
学校の制服ではなく、動きやすい服装。
背中にはリュック。
リュックの中には、日没に備えたヘッドライトや水、非常食も入っている。
腰には護身用の木刀。
そう蘭丸の欠点は、準備は万全だが判断は無謀なところだ。
そして手には、祖父の巻物。
目の前には、鬱蒼とした森が広がっている。
「間違いない」
地図に描かれた山の形。
川の位置。
古い道。
すべてが一致している。
少なくとも、周辺地形を熟知している蘭丸にはそう見えた。
「待ってろよ……埋蔵金!」
誰もいない山中で、蘭丸は拳を握りしめた。
――このときの彼は、まだ知らなかった。
自分が探しに来たもの、運命を変える本当の宝は黄金でも小判でもないことを。
そして。
この山の奥で待っているものが――
平蘭丸という少年の運命そのものを変えてしまうほど、とんでもない代物であることを。
「よし、行くか!」
蘭丸は森の中へ足を踏み入れた。
「……ここ、だよな?」
蘭丸は、何度目かになる確認をしていた。
手にした巻物と、目の前の景色を見比べる。
山。
岩。
一本の古い沢。
そして――地図に記された赤い印。
どうやら、祖父から相続した山の一角らしい。
蘭丸自身、何度もこの山には入っている。
薪を拾ったり、道場の修繕に使う木材を探したり、子供の頃には秘密基地を作ったことだってある。
それなのに――
「こんなところ、あったか?」
目の前には、土で覆われた斜面があった。
ただの土壁にしか見えない。
しかし何かの矢印の様に露出した岩が、不自然に突き出ている。
巻物に描かれた地形と照らし合わせると、どうにもこの場所しか考えられなかった。
「……まさか」
蘭丸は近づき、斜面を手で軽く叩いた。
コン、という妙な音。
「……?」
もう一度叩く。
コン、コン。
明らかにおかしい。
「これ……中が空洞じゃないか?」
蘭丸は周囲の土を手で払った。
すると、わずかに黒い隙間が現れた。
「!」
さらに土をかき出す。
ボロボロと土が崩れ落ち、その奥から――
暗闇。
「……洞窟?」
蘭丸は呆然とした。
長年、土で完全にカムフラージュされていたのだろう。
自然にできたものなのか、それとも誰かが意図的に隠したのか。
入口は人一人がかがめば入れる程度。
中から、冷たい風が流れてくる。
「…………」
普通なら、ここで引き返す。
高校生が一人で、正体不明の洞窟に入るなど危険極まりない。
ましてや、何が潜んでいるか分からない。
しかし――
「……埋蔵金」
その二文字が、蘭丸の脳裏をよぎった。
そして続けて、
「極貧生活からの脱出」
という、さらに切実な願望が浮かんだ。
「…………行くしかない」
蘭丸は真顔で頷いた。
危機管理能力より、貧乏から抜け出したいという欲望が勝った瞬間である。
「もし金が見つかったら……」
屋根を直せる。
道場の畳も新しくできる。
冷暖房も入れられる。
食費にも困らない。
もしかすると、学校帰りにコンビニで毎日ジュースを買える生活だって――!
「……最高じゃないか」
蘭丸はニヤリと笑った。
こうして彼は、誰にも相談することなく洞窟へ、ヘッドライトを付け足を踏み入れた。
「うわ……」
洞窟の中は想像以上に深かった。
入口からしばらく進んでも、出口どころか先の明かりすら見えない。
湿った空気。
岩肌から滴り落ちる水。
足元に転がる小石。
そして、自分の足音だけが不気味なほど大きく響いている。
普通なら、恐怖で足がすくむところだ。
だが――
「金、金、金……」
蘭丸は鼻歌交じりに歩いていた。
むしろ足取りは軽い。
洞窟が深ければ深いほど、
「それだけ誰にも見つかっていない財宝がある」
と勝手に解釈しているからだ。
「小判だったらどうする?」
誰もいない洞窟で、蘭丸は一人で呟く。
「いや、金塊か?」
さらに想像する。
「もしかして、武田信玄の埋蔵金とか……?」
歴史上の根拠など、一切ない。
「いやいや、まさか徳川埋蔵金……」
そこまで言ったところで、
「……いや、それはさすがにないか」
自分で否定した。
それでも蘭丸の顔から笑みは消えなかった。
そして――
どれほど歩いただろうか。
やがて洞窟の先に、わずかな空間が現れた。
「……広い」
そこは、自然にできた洞窟とは思えないほど広い空洞だった。
蘭丸は周囲を見回す。
「ここが……一番奥か?」
そのときだった。
「…………え?」
蘭丸の足が止まった。
暗闇の中。
ヘッドライトの光が照らす。
何かが見える。
岩壁に寄りかかるようにして――
人が座っていた。
「…………」
蘭丸は息を呑んだ。
よく見る。
白い。
衣服らしきものが残っている。
柄や帯から女性物と思われる古い着物。
だが、その顔には――
肉がない。
「…………骨?」
白骨だった。
しかも一体ではない。
その周囲には、何体もの白骨が座り込んでいる。
こちらは鎧を身につけている。
錆びついた甲冑。
朽ちた刀。
折れた槍。
まるで、その女性を守るように取り囲んでいる。
「…………」
蘭丸は言葉を失った。
先ほどまで、
「金だ!」
「小判だ!」
などと浮かれていた少年の表情から、完全に笑みが消えていた。
「……何なんだ、これ」
恐る恐る近づく。
女性の白骨は、洞窟の壁に背を預けるようにして座っている。
そして、その周囲を鎧武者たちが取り囲む。
蘭丸には、何となく状況が想像できた。
「……集団自決、か?」
あくまで蘭丸の想像の域を出ないが。
戦に敗れた一団。
逃げ場を失い、この洞窟へ身を隠した。
そして最後には――
ここで命を絶った。
長い年月が流れ、肉体は朽ち果て、骨だけが残った。
「…………」
蘭丸は静かに手を合わせた。
「……そんなところに土足で踏み込んで、ごめんな」
何者なのかは分からない。
いつの時代の人間なのかも分からない。
けれど、ここで死んだことだけは確かだ。
「せめて、安らかに眠ってくれ」
しばらく黙祷したあと――
蘭丸は立ち上がった。
「……で」
恐る恐る、洞窟の奥を見る。
「埋蔵金は?」
人間、どんな状況でも貧乏には勝てない。
蘭丸は再び歩き出した。
しかし――
彼はまだ知らなかった。
この白骨たちが、単なる古い遺骨ではないことを。
そして、その中心に眠る女性こそが――
この土地に伝わる、誰も知らない悲劇の当事者であることを。




