14-11:「剱危機」
剱は暗闇を駆ける。
常に周囲に意識を向けて索敵を行いながら、鉱石柱を始めとする遮蔽物を利用して身を隠しつつ、敵の逃げ去った東方向を目指す。
「ッ……どこにいったんだ……」
一つの鉱石柱の影に駆け込んで背を預け、夜空を一度見渡す剱。その口から焦りの声が漏れる。
敵を見失ってから少しの時間が経過していた。おかげで体力こそ申し訳程度には回復したが、反して敵の再襲撃がいつ来てもおかしくない状況に、彼女の不安と緊張は煽られ、募っていった。それを少しでも紛らわせようと、剱は目を落とし、先の戦いでの痺れがわずかに残る、シャムシール似の剣を握るその腕をさする。
「――ッ!」
彼女が視界の端に何かを捉えたのは、その時だった。
剱が顔をそちらに向けると、闇一色の夜空の中で、異様なまでの閃光を放つ発光体がその目に映る。発光体の中には人影らしき物が見え、それが先ほどの二人であることは考えずとも理解できた。敵の姿を包む発光体は、次の瞬間には波紋のように広がり、周辺をコーティングするように全方位に光が走る。光が走り抜けると同時に、何か妙なエネルギーが周囲に満ちるのを感じ取った。
「ッ……!今のは……?」
発声した現象に一瞬戸惑った剱だが、すぐさま光の正体と敵の意図を探ろうとする。しかし考察する暇すらなく、剱の目は上空に別種の光が続けて瞬き、小さく広がるのを見る。
「―――ッ!?」
彼女の全身を、先のとはまったく別物の名状し難い奇妙な不快感が駆け巡ったのは、その瞬間だった。
背筋を悪寒が襲い、異様なまでの脱力感が全身を支配して行く。手足から力が抜けてゆき、握っていたシャムシール似の剣が力の抜けた指からすり抜け、地面に落ちる。立っている事すら叶わなくなり、剱はガクリと膝を、次いで両手を地面に着いてその場に伏した。
「うぁ……かッ、ぁ……」
異常は体だけではない、意識は高熱を出した時のように霞みだし、これまで保っていた緊張と敵愾心が、倦怠感に塗りつぶされてゆく。
戦う意思が掻き消えてゆく。
「な……これ……」
まるで何かに己の精神をのっとられるような感覚。しかし剱はかろうじて踏みとどまり、意識を保つ。
「魔、法……?まずぃ……」
自身の身に起こる現象の正体は想像するより無かったが、それが脅威存在が起こした物である事は、考えずとも理解できた。微かに残る意識が危機を訴える。気を失いそうな所を気力で踏みとどまり、剱は全身を蝕む倦怠感に抗う。ほとんど力の入らない腕を緩慢に動かし、その場から離脱しようと地面を這いずる。
「――!ぁッ!」
しかしその時、そんな剱のすぐ側から一本の鉱石柱が突き出す貫かれる事こそなかったが、突出の勢いで剱の体は中空に放り投げられる。
「ヅッ!」
数メートル程宙を舞った後に、地面に体を打ち、鈍い悲鳴を上げた。
「くっ、ぅぅ……!」
鈍い痛みが全身に走り、苦悶の声を漏らす剱。痛みは朦朧とする意識を申し訳程度に覚醒させたが、しかし彼女を襲う倦怠感は晴れることなく、しつこく纏わり続ける。
「そこか」
鈍い動きで悶える剱の近くに、人影が声と共に降り立った。
敵の姿を見つけ、降り立ったクラレティエとレンリ。クラレティエは抱きかかえていたレンリを離して降ろすと、倒れた女の前まで歩み近寄る。
「づぅ……ッ」
女は痛みと、言う事を聞かない体に苛まれながらも、顔を起こしてクラレティエの姿を睨む。剱のその姿に、クラレティエはわずかにだが目を見開いた。
「ほぅ……まだ我を保っているのか? 」
今しがた周囲に発動されたプリゾレイブ・ガーデは、発動範囲内にいる発動者に、敵対心を持つ人間の意思を奪い、意志の無い人形のようにしてしまう効果を持つ術だ。しかしその発動下で、女は体の自由こそほとんど奪われながらも、自我を保ち、抵抗の意思をその目に宿していた。
「剣の腕だけではなく、半端ではない強い意志を持つようだな。……しかし、それでも最早虫の息か」
クラレティエは剱の姿に目を落としながら、感心した様子で彼女を再度評し、そして最後につまらなそうに呟いた。
「これ、クリスの……」
クラレティエの背後で、レンリが足元に落ちていたシャムシール似の剣を拾う。剱が投げ出された際に、彼女の手から落ちたものだ。レンリはそれが仲間の一人が持っていた物だと気が付き、声を漏らした。
「じゃあ、この人が……?」
「そうだレンリ。わが猟犬達を手にかけた、許されざる害虫だ」
「こんな強くてきれいな人が……」
(レンリ……?)
レンリのその言葉を気に留め、クラレティエは足元の敵に降ろしていた視線を、少年の方へと向ける。レンリは仲間を殺された悔しさや、それを成した敵に対する恐怖等を顔に表しながら、地面に倒れる女の姿に視線を向けている。しかしクラレティエは、少年の感情がそれだけでは無い事に気付く。倒れる女を見る少年の目には、強く可憐な女に対する敬愛の念が、わずかにだが含まれていた。
(レンリ……この女に魅了されているのか?)
クラレティエはもう一度足元の女に目を落とし、その姿を観察。そして同時に女の体に流れる魔力を感じ取り、分析する。
(なるほど……この女、身体に有している魔力そのものは微量だが、それを通して、体に大きな魔力を宿す素質が携わっているのが分かる。未完の大器という訳か……。容姿や強さだけではない。レンリはこれを感じ取り、この女に無意識的に惹かれているのか……)
クラレティエは愛弟子の感情の変化の原因がわかり、フンと小さく息を吐く。
(……面白いものではないな)
そして脳裏にそんな一言を浮かべ、表情を少しだけ険しくした。
「づぅ……ッ」
剱は朦朧と意識する中で、近づいてきた人影を見上げる。違う物が目に映る事を微かに願ったが、そこにいたのは紛れもなく。ここまで刃を交わしてきた脅威存在の姿だった。その脅威存在は、碌に動くこともままならない剱を最早警戒すべき対象と見ていないのか、時折言葉を発しながら、剱の事をただ見下ろしている。
(くぁッ……まずい……)
だが、脅威存在の手にする得物が、いつ剱の身体に向けられてもおかしくはなかった。加速する焦燥の中で、考えを巡らせて打開策を探す剱。そこで彼女は、脅威存在の後ろに立つ少年の姿を目に留めた。
(何か……不思議な力が……この現象、原因は、後ろの彼か……?)
剱は、自身を襲った異様な倦怠感の発生要因が、後ろの少年ではないかと当たりを付ける。
先の脅威存在との一騎打ちの際には今の現象の兆候はなく、少年が脅威存在と合流した後に現象が発生した事から考えての推察だった。そして何より、先ほど周辺に充満したエネルギーが、少年から発せられている事を、彼女の第六感が微かに感じ取っていた。どちらも根拠としては漠然としていたが、今はとにかく何らかの行動を起こすべきだと、剱は倦怠感の纏わりつく体に気力を込める。
少年の目線は手元の剣に落ち、脅威存在の女の目はその少年に向いている。剱は、両者の視線が反れている隙を突き、銃剣に手を伸ばした。右肩甲骨付近に、サスペンダーを利用して逆さに取りつけていた銃剣の柄を掴み、固定釦を押して下へ引き抜く。一度持ち直して視線の先の少年に狙いをつけると、残った力で手首にスナップを効かせ、投擲。銃剣は回転運動を行いながら少年目がけて飛ぶ。
しかし――銃剣が目標の少年に届く前に、カキン、という金属同士がぶつかる音が響いた。
「!」
銃剣の軌道上にはクラレティエの持つ剣が突き出されており、投擲された銃剣はあっさりと叩き落された。
「ひぁッ!」
遅れて自分が狙われていたことに気付いたレンリが、小さな悲鳴を上げる。
「将来の我が主に刃を向けるとは、実に不快な事をする」
クラレティエは不快感を静かに口にしながら、少年を己の身体で庇い、剣先を剱へと向ける。
「鋼よ、茨を成し、獲物を絡み捕らえよ」
そしてクラレティエは短く詠唱。その直後、剱の周囲から複数の鉱石でできた茨が突き出し現れた。
「ッ!?うぁッ!?」
鉱石の茨は瞬く間に剱の身体へ絡みつくと、そのまま彼女の体を持ち上げ、一番近くにあった鉱石柱に叩き付け、磔にした。
「ヅッ、ぐぅッ……!?」
剱の身体に絡んだ茨は彼女の体を締め上げ、そして無数の棘が彼女の体を傷つける。苦悶の声を上げる剱を、その元凶であるクラレティエは冷たい目で眺めていた。
「ご、ごめんなさい隊長……」
「見たろうレンリ、これが彼奴等の戦い方だ。小賢しく、醜い……情を恵むには値しない存在だ」
クラレティエは、自身の不覚を謝罪する少年の体を抱き寄せ、言い聞かせるように発する。
「愚かな存在には、罰が必要だ」
「!」
そして少年の手を取ると、自身の剣の柄を握らせ、その上から自らの手を添えた。
「分かるな。仲間のためにも、こいつは断罪せねばならない」
「あ……う……」
レンリは持たされた剣の切っ先を、そしてその先に居る貼り付けになった女の姿を見る。
「お前も猟犬であるならば、避けては通れぬ道だ」
冷たい声色で、目の前の女への断罪を促すクラレティエ。レンリも、目の前の女が仲間を殺めた憎き敵なのは分かっていた。しかし生殺与奪をゆだねられた少年の手は震え、握っている剣を今にも落としそうだ。
「ぼ、僕……駄目です……!敵だって分かってても、女の人に酷い事なんてできない……!」
そして少しの沈黙の後、少年は泣き叫ぶように訴えた。実際、その顔は今にも泣き出しそうだった。
「――ふふ、わかっていたさ、お前は優しい奴だ」
クラレティエは一転して優しい笑みを浮かべると、レンリの手から剣を優しく取り上げる。
「た、隊長……ごめんなさい……皆の、仇なのに……」
「いや、いいさ。お前の視線を奪われたのが心苦しくて、少しいじわるをしてしまった」
「え――んむ!?」
クラレティエの言葉の意図を理解しかね、言葉を発しようとしたが、その前に、少年の口は柔らかい感触の何かに塞がれる。レンリの顔から指一つ分も無い距離にクラレティエの顔があり、少年の唇にはクラレティエの唇が重ねられていた。困惑するレンリをよそに、クラレティエは唯一残った配下の少年に片手を這わせて抱き寄せ、より口づけを濃厚にする。まるで、そこで磔になっている女に見せつけるように。
「……な、な……」
目の前で繰り広げられる異様な光景に、剱は危機的状況にあるにも関わらず、目を丸くし、その頬を赤く染めていた。クラレティエは口づけを続けながら、剱の方を一瞥。そして勝ち誇るように目で笑って見せる。彼女は寵愛する少年の目を一時でも奪われたことで、嫉妬心を抱いていたのだ。今まで誰からも敬愛されてきた彼女にとって、初めての感情であった。そして自分と少年との口づけを、目の前の女へ見せつけることで、心に湧き出たモヤをかき消し、独占欲を満たしていた。
「んぅ……」
クラレティエは少年へと視線を戻すと、空いていたもう片方の手で彼の手を掴み、自身の身体へと導く。レンリは導かれるままに、クラレティエの体に手を回す。そして導いた片手で今度は、少年の空いた片手を取り、指を艶めかしく絡め合う。互いの体を強く抱き寄せ合い、レンリは、鍛え上げられながらも、しかし豊かな女の肢体を。クラレティエは、角の少なく抱き留めやすい少年の肢体を。体のラインが浮かび上がるレザーの服越しに、互いに感じ合った。
「ん……」
「ぷぁ……」
長く続いた口づけが終わり、クラレティエはレンリの唇を解放する。
「ふぁ……隊長ぉ……?」
濃厚な愛し合いの余韻に囚われたままのレンリは、まだ夢の中にいるような表情でクラレティエを見上げる。
「レンリ。私はお前のその、意固地なまでの優しさに何より惹かれたんだ」
腕の中の愛しい少年に向けて、クラレティエは改めて告白の言葉を囁く。
「確かに、未来の我が主人となってもらうには、この先厳しい場を乗り越えてもらわねばならないが……。しかし、まだしばらくは、私の優しくて愛らしい忠犬でいてくれ」
言いながらクラレティエは、本当の犬でも可愛がるようにレンリの頭を撫で、指先で喉元を弄ぶ。
「ぁぅぅ……くぅ……わ、わん……!」
その甘美な快楽に、レンリは胸がキュンと締め付けられるような感覚に囚われ、その表情をだらしなく蕩けさせる。そして主の言葉に対する肯定の意思として、レンリはクラレティエに向けてそう鳴いた。
「ふふ、いい子だ。――さて」
主従の愛情を再確認させると、クラレティエは少年の体を解放し、磔になった女の方へと向き直る。そして表情を艶の浮かぶ女のそれから、処刑人のものへと豹変させた。
「ッ!」
「私はレンリほど慈悲深くはない――さぁ、断罪の時だ」
目の前で繰り広げられた異様な事態に、気を持っていかれていた剱だったが、刺さるようなクラレティエの視線と言葉が、彼女に危機的状況を再認識させる。
(何を見惚れて、アホか私は……!ッ……!)
茨からの脱出を試みようと体を捩る剱。しかし戦闘服越しに棘が食い込んで体に傷を増やすだけで、彼女を拘束している茨はビクともしなかった。
「私はあまり血生臭いやり方は好まないのだが……散って言った猟犬達に報いるためにも、貴様らには惨たらしい最期を迎えてもらう」
懸命にもがく剱に向けて、クラレティエ一方的に言い放つと、彼女は一節の詠唱呪文を唱えた。
「従属を覚えぬ哀れな犬に漆黒の枷を。恐怖、痛み、死、これらによる躾を与えん」
対する剱は倦怠感や痛みの多重苦に苛まれながらも、脱出のためがむしゃらに足掻いていた。しかし、視界に入った妙な物に、剱はその動きを止める。
「……ッ!?」
自分の体に視線を落とす。そこで目に映ったのは、剱の両腕や両足の付け根付近で輪を形作る、濃灰色のモヤ。
(こ、これ……まさか!?)
そこで剱は、脅威存在と接触したばかりの時に入った無線連絡で、首を落とす能力者がいるという報があった事を思い出す。
(報告では別の脅威個体のはず……いや、彼女も使えてもおかしくはない……じゃあ……ッ!?)
剱の推測は正しかった。今彼女の体に纏わりつくモヤは、観測壕での戦闘で祝詞士長を死に追いやったそれと同種の物だった。そして、それが自身の四肢に纏わりついているという状況。脳裏に浮かんだ未来予想図に、剱の顔はみるみる青ざめた。
「ミルペィル・ミリィ――ロイミから手ほどきを受けたカラウ・ミリィの応用だ。いささか趣味の悪い代物のため、使う事は無いと思っていた。しかし――貴様らのような害虫を罰するのに、これ程うってつけの手段もないだろう。まずは害虫に相応しい姿となり、己の犯した罪の重さを知るがいい」
剱の心中を察し、それを肯定するかのようにクラレティエは発した。
「今、周囲一帯はレンリの広げた魔力の庭だ。その効果でこの術も、周囲にいる全ての敵意ある者に発言する。そう――あの醜い者も、貴様同様に無惨な最期を迎える事となるだろう。今や周囲の地形は迷宮の同然だ、抜け出すことは容易ではない。そしてプリゾレイブ・ガーデの餌食となり、今頃は地を這っている事だろう。もしくは、生き埋めとなっているやもしれんな」
変貌した周囲を見渡しながら、言葉を続けるクラレティエ。自身をおちょくり倒した相手の最期の姿を脳裏に浮かべたのか、クラレティエは言葉の切れ目で少しだけ口角を上げ、小さく笑いを零した。
「あの醜く無礼な輩に直接手を下せないのは残念だが……地の底で息耐えてゆく、ヤツの姿を想い浮かべるのもまた一興だ。貴様の最期の姿を肴に、そのひと時を愉しむとしよう」
クラレティエが言葉を終えるのを待っていたかのように、モヤはその回転速度を上げ、明確なリングを形作りだす。剱の四肢に枷のように出現したそれは、彼女の付け根を切り裂くべく、収束を始めた。
「うぁ……ぁ……!や、やめろ……ッ!」
目前に迫る恐怖に、剱は顔を強張らせ、震える唇から声を漏らす。形作られたリングの内径は鋭利な刃となり、チリチリと剱の纏う衣服を切りつけ始める。
「や……やだッ!嫌だッ!やめてくれェッ!」
剱は目尻に涙を浮かべて喚き出す。しかしいくら悲鳴を上げようとも、リングの収束と回転は止まることなく、ついには剱の地肌を傷つけ出す。
「……ふふっ」
その姿がクラレティエの加虐心を擽ったのか、サディスティックな笑みを浮かべていた彼女は、その口から再び小さく笑いを零す。
「やめて、やだ……やだぁッ!!」
ついに剱の口から、子供の駄々のような泣き声が上がる。死の枷はそれを最後の言葉と聞き届けた。そして剱の四肢を、無慈悲な刃が切断する――。
突然の衝撃音が割り込んだのは、その直前だった。




