第97話「壁に、映る言葉」
議会に若い世代が台頭してから、四ヶ月ほどが過ぎていた。湊は、四十四歳になっていた。
この間、村には、また、七人が加わっていた。うち、五人が、この村で生まれた赤ん坊だった。人口は、三百六十八人になっていた。
ある朝の会議で、イワが、久しぶりに、自ら、課題を、提起した。
「湊さん、一つ、気になっていることが、あります」
「聞かせてくれ」
「放送のことです」
イワは、そう、切り出した。
「今、村の知らせは、ほとんど、放送で、伝えています。でも――」
「でも?」
「聞き逃した人には、届きません」
湊は、この指摘に、深く、頷いた。
確かに、そうだった。放送は、一度、流れてしまえば、それで、終わりだ。その時、作業に、集中していた者。眠っていた者。あるいは、村の外にいた者には、その知らせは、届かない。
「それに――大事な知らせほど、繰り返し、確かめたいものです」
イワは、そう、続けた。
「なるほど。確かに、その通りだ」
湊は、しばらく、考えを、巡らせた。
「文字で、掲げるという方法は、どうだ」
「今も、議事堂の壁に、貼り出しています。ですが……そこまで、見に行かなければ、なりません」
「そうか」
湊は、しばらく、沈黙した。それから、ふと、あることを、思い出した。
「イワ、以前、光石を並べて、絵を、映す装置を、作っただろう」
イワの表情が、明るくなった。
「あれを、使うのですね」
「そうだ。文字を、映せば――誰でも、いつでも、確かめられる」
この構想は、その場で、承認された。
だが、この実現には、いくつかの、大きな課題が、あった。
最初の課題は、装置の数だった。
「湊さん、あの装置は、一つ作るのに、随分と、手間が、かかります」
レンが、そう、指摘した。
「光石を、何千個も、並べなければ、なりません」
湊は、この指摘に、深く、頷いた。
「なら――もっと、小さくしよう」
「小さく?」
「そうだ。集会所の壁一面ほどの大きさは、必要ない。文字が、読める程度の、大きさでいい」
この方針のもと、レンとイワは、より小型の、表示装置の開発に、着手することになった。
この装置は、光石の数を、大幅に、減らす代わりに、文字だけを、表示することに、特化していた。
だが、ここで、新たな課題が、生じた。
「湊さん、困ったことが、あります」
ある日、イワが、そう、報告した。
「なんだ?」
「小さくすると――一度に、表示できる文字が、少なくなります。長い文章は、載りません」
湊は、この課題について、しばらく、考えを、巡らせた。
そして、ふと、あることを、思いついた。
「文字を、流せないだろうか」
「流す、ですか」
「そうだ。右から、左へ。ゆっくり、動かしていく。そうすれば――どんなに長い文章でも、順番に、読める」
イワは、この発想に、目を、輝かせた。
「なるほど! それなら、確かに」
この、文字を流す仕組みの実現には、あの、集積された三線石の技術が、大きく、力を、発揮した。
どの光石を、いつ、点けるか。その順番を、正確に、制御する。この、極めて、複雑な処理を、小さな石の集まりが、確実に、こなしていく。
この開発には、五ヶ月ほどの月日が、費やされることになった。
完成した装置は、大人の腕を、広げたほどの、横長のものだった。そこに、赤い光石が、格子状に、並んでいる。
最初の試験の日。
イワが、装置を、起動させると――そこに、確かに、文字が、浮かび上がった。
そして、その文字は、ゆっくりと、右から、左へと、流れていった。
『本日の議会にて、司法の区画代表を、選出しました』
集まった人々から、感嘆の声が、上がった。
「これは、便利ですね」
ケイが、そう、感心した様子で、言った。
「いつでも、見に来れば、確かめられます」
この装置は、その後、村の主要な場所――議事堂の前、学び舎の入り口、駅、そして、市場に、順次、設置されていくことになった。
この、電光の掲示板は、村の情報伝達に、これまでにない、確かさを、もたらすことになった。
議会の決定。天候の見通し。鉄道の運行の状況。そして――緊急の警報。
これらが、常に、村の各所で、確かめられるようになったのだ。
特に、大きかったのは、鉄道の運行における、効果だった。
「湊さん、驚きました」
ある日、ドウが、そう、報告した。
「どうした?」
「駅の掲示板を、置いてから――待ち時間の苦情が、ほとんど、なくなりました」
湊は、この報告に、思わず、笑った。
「なぜだと思う?」
「いつ、来るかが、わかるからだと思います。以前は、いつまで、待てばいいのか、わかりませんでした」
湊は、この報告を、深く、噛み締めていた。
人が、苛立つのは、待つことそのものではない。いつまで、待てばいいのか、わからないことなのだ。
この、電光掲示板の普及と並行して、村では、あの、大型の表示装置についても、新たな展開が、あった。
「湊さん、あの、集会所の装置ですが」
ある日、アカリが、そう、切り出した。
アカリは、この頃、二十歳になっていた。彼女は、幼い頃から続けてきた、絵物語の創作を、今や、確かな仕事へと、育て上げていた。
「どうした?」
「あれで――物語を、映せないでしょうか」
湊は、この提案に、深く、興味を、示した。
「物語を、というと?」
「はい。動く絵で、物語を、語るのです」
アカリは、そう、続けた。
「これまで、私は、紙に、絵を、描いてきました。でも――あの装置なら、絵が、動きます」
湊は、この構想に、深く、頷いた。
「面白い。やってみるといい」
この試みは、アカリと、イワ、そして、探究の舎の若者たちによって、進められることになった。
だが、この作業は、想像を絶する、手間を、要するものだった。
動く絵を、作るには――一つの動きにつき、何十枚もの、少しずつ異なる絵を、用意しなければならない。そして、それを、順番に、極めて、速く、切り替えていく。
「アカリ、これは……大変な作業だな」
湊が、そう、声をかけると、アカリは、笑って、答えた。
「はい。でも――楽しいんです」
この、最初の作品の制作には、実に、八ヶ月ほどの月日が、費やされることになった。
完成したのは、わずか、数分ほどの、短い物語だった。
だが、その上映の日。集会所には、村中の人々が、集まった。
装置が、起動する。壁一面に、絵が、浮かび上がる。
そして――その絵が、動き始めた。
物語は、極めて、単純なものだった。一人の少年が、川で、魚を、釣ろうとする。だが、うまく、いかない。そこに、犬が、やってきて――
村の人々は、その光景に、しばらくの間、言葉を、失っていた。
やがて、物語の中で、少年が、転んだ場面で――集会所に、大きな笑い声が、湧き起こった。
湊は、その光景を、静かに、見つめていた。
かつて、湊自身が、紙の余白に、描いていた、他愛のない落書き。それが、今、こうして、壁一面に、映し出され、多くの人々を、笑わせている。
「アカリ」
上映の後、湊は、娘に、そう、声をかけた。
「はい」
「よく、やったな」
アカリは、この言葉に、少し、照れくさそうに、笑った。
「父上が、最初に、描いてくださったから、です」
湊は、この言葉に、しばらくの間、言葉を、失っていた。
「そうか」
湊は、そう、静かに、答えた。
この、動く物語は、その後、村の人々にとって、確かな、娯楽として、根付いていくことになった。
アカリの工房では、次々と、新しい作品が、作られていった。笑える話。冒険の話。そして――村の歴史を、伝える話。
特に、この最後のものは、教育の場でも、大きな力を、発揮することになった。
「言葉で、聞くより、ずっと、わかりやすいです」
子供たちからは、そうした声が、多く、聞かれるようになっていた。
湊は、記録帳に、この一連の発展を、丁寧に、書き記した。
『文字を流す形式の、電光掲示板を開発。五ヶ月を要した。村の主要な場所に、順次、設置』
『鉄道の運行表示により、待ち時間の苦情が、ほぼ、なくなった』
『アカリが、大型表示装置を用いた、動く物語を制作。八ヶ月を要した』
『上映会には、村中の人々が集まり、大きな笑いに包まれた』
『かつて、私が、紙の余白に描いた落書きが……こうして、形を変えて、受け継がれている』
夕暮れ、湊は、駅の前を、通りかかった。掲示板には、次の便の時刻が、静かに、流れていた。
湊は、四十五歳になろうとしていた。この世界に来てから、三十年八ヶ月ほどが、過ぎていた。
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【第97話 時点 文明発展状況】
湊44歳(まもなく45歳)/漂着後 30年8ヶ月
人口:368人(うち、この期の新生児5名)
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01 生存・サバイバル ★★★★★ 継続中
02 食料・農業 ★★★★★ 継続中
03 畜産・動物 ★★★★★ 継続中
04 漁業・水産 ★★★★★ 継続中
05 狩猟・採集 ★★★★★ 継続中
06 水・衛生 ★★★★★ 継続中
07 医療・薬学 ★★★★★ 継続中
08 住居・建築 ★★★★★ 継続中
09 土木・インフラ ★★★★★ 駅の運行表示により、鉄道の利便性が大幅向上
10 火・エネルギー ★★★★★ 継続中
11 鉱業・金属 ★★★★★ 継続中
12 製造・工業 ★★★★★ 電光掲示板を開発・量産
13 科学・技術 ★★★★★ 複雑な表示制御を、集積回路で実現
14 言語・文字・出版 ★★★★★ 文字の動的表示という、新たな伝達手段が誕生
15 教育・研究 ★★★★★ 動画教材が、教育に大きな効果を発揮
16 経済・商業 ★★★★★ 継続中
17 政治・法律・行政 ★★★★★ 議会決定の周知が、常時確認可能に
18 外交・交通・情報 ★★★★★ 情報伝達の確実性が、飛躍的に向上
19 軍事・防災・治安 ★★★★★ 緊急警報の掲示が可能に
20 文化・娯楽・思想 ★★★★★ アカリによる動く物語が誕生。映像文化の始まり
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