第93話「空から、見る」
アガルとの恒常的な外交関係が、確立してから、五ヶ月ほどが過ぎていた。湊は、四十二歳になっていた。
この間、村には、また、四人の新しい住人が加わっていた。人口は、三百三十四人になっていた。
ある朝、湊は、探究の舎を、訪ねていた。この頃、この施設では、様々な、風変わりな研究が、行われるようになっていた。
その一つの部屋で、湊は、宗と、数名の若者たちが、何かを、熱心に、組み立てているのを、見かけた。
「何を、作っているんだ?」
湊の問いに、宗は、顔を上げて、答えた。
「父上。これは……空を、飛ぶものです」
湊は、この言葉に、深く、興味を、示した。
「飛ぶもの、か」
「はい。鳥の翼の形を、真似てみました」
宗が、そう言って、見せたのは、細い木の骨組みに、薄い布を、張った、翼のような形の、装置だった。
「面白い。飛ぶのか?」
「まだ、うまく、いきません」
宗は、そう、正直に、答えた。
「投げると、少しは、滑るように、進みます。でも、すぐに、落ちてしまいます」
湊は、この試みに、深く、感心していた。
湊自身、飛行機の仕組みについて、詳しい知識は、持っていなかった。だが、いくつかの、断片的な記憶は、残っていた。
「一つ、思いつくことが、ある」
湊は、そう、切り出した。
「翼の形だ」
「形、ですか」
「ああ。翼の上と下で、空気の流れる速さが、違うと……上に、持ち上げる力が、生まれるらしい」
湊は、そう、説明しながら、地面に、簡単な図を、描いた。
「上側を、ふくらませて、下側を、平らにする。そうすると、上を流れる空気のほうが、速くなる」
宗は、この説明を、真剣な表情で、聞いていた。
「なぜ、速くなると、持ち上がるのですか」
湊は、この問いに、しばらく、沈黙した。
「わからない」
湊は、そう、正直に、答えた。
「そうなる、ということは、覚えている。でも、なぜかは……俺にも、わからない」
宗は、この答えに、少し、意外そうな表情を、見せた。だが、すぐに、真剣な顔に、戻った。
「では、それを、探るのが……私たちの仕事ですね」
湊は、この言葉に、深く、頷いた。
「その通りだ」
この日から、宗と、探究の舎の若者たちによる、飛行の研究が、本格的に、始まることになった。
彼らは、まず、様々な形の翼を、作り、実際に、投げて、その飛び方を、比較していった。この、地道な観察の記録が、少しずつ、積み重なっていった。
三ヶ月ほどが過ぎた頃、宗は、確かに、これまでより、はるかに、長く、滑空する翼の形に、たどり着いていた。
「父上、見てください」
宗が、その装置を、丘の上から、投げると――それは、確かに、しばらくの間、空を、滑るように、進み続けた。
「随分と、進むようになったな」
「はい。ですが……これでは、投げた勢いが、なくなれば、落ちてしまいます」
宗は、そう、続けた。
「自分の力で、進み続けるには……何か、押す力が、必要です」
湊は、この指摘に、深く、頷いた。
「モーターと、あの、螺旋の羽根を、使えないだろうか」
「船に、使っているものですね」
「そうだ。あれを、空気の中で、回すんだ」
この構想の実現には、大きな課題が、あった。
重さだった。
「湊さん、モーターも、電池も、重すぎます」
この課題に、レンが、協力することになった。
「もっと、軽い電池を、作れないでしょうか」
この、軽量化への挑戦は、村の技術に、新たな課題を、突きつけることになった。だが、これまで蓄積されてきた、様々な技術――特に、あの、集積された三線石の技術が、大きく、力を、発揮した。
この開発には、五ヶ月ほどの月日が、費やされることになった。
そして、ある日。
「父上、飛びました!」
宗の、興奮した声が、村に、響き渡った。
湊が、駆けつけると――そこには、確かに、自らの力で、空を、飛び続ける、小さな装置が、あった。
湊は、しばらくの間、その光景を、じっと、見つめていた。
自分の記憶に頼らず。自分たちの力で。この村の若者たちが、空を、飛ばせた。
「よくやった、宗」
湊は、そう言うのが、精一杯だった。
この、空を飛ぶ装置は、当初、離れた場所から、無線で、操られていた。だが、宗は、この装置に、さらなる可能性を、見出していた。
「父上、これに、写真の装置を、載せられないでしょうか」
「空から、写すということか」
「はい。そうすれば――村の全体を、一度に、見られるはずです」
湊は、この構想に、深く、感心した。
「面白い。やってみてくれ」
この試みには、さらに、三ヶ月ほどが、費やされた。だが、その成果は、村の人々に、これまでにない、驚きを、もたらすことになった。
空から、写された、村の姿。
これまで、誰も、見たことのない、その光景に、村の人々は、しばらくの間、言葉を、失っていた。
「これが……私たちの、村ですか」
ドウが、そう、つぶやいた。
「はい。上から、見ると、こうなります」
湊も、この写真を、深い感慨と共に、見つめていた。
かつて、たった一つの焚き火だけが、灯っていた場所。それが、今、こうして、確かな、街の姿を、見せている。
この空からの写真は、その後、村の様々な計画に、大きく、役立つことになった。
特に、都市計画において、その効果は、絶大だった。これまで、地図として、描かれていたものが、実際の姿として、確認できる。どこが、混雑しているか。どこに、余裕があるか。それが、一目で、わかるようになったのだ。
こうした技術の発展の中で、村には、もう一つの、大きな喜びが、訪れていた。
ある朝、宗が、少し、緊張した様子で、湊のもとを、訪ねてきた。
「父上、ご報告が、あります」
「どうした?」
宗は、しばらく、言葉を、探しているようだった。
「ユナに……子が、できました」
湊は、この言葉に、しばらくの間、動きを、止めていた。
宗と、ユナは、この一年ほど前に、正式に、夫婦と、なっていた。
「そうか」
湊は、そう、静かに、答えた。
その言葉の後、湊は、しばらく、何も、言えなかった。
「父上?」
宗が、心配そうに、そう、尋ねた。
「いや」
湊は、そう答えてから、静かに、続けた。
「俺も、じいさんに、なるのか」
宗は、この言葉に、思わず、笑った。
それから、数ヶ月後。宗と、ユナの間に、男の子が、生まれた。
宗は、この子に、「湊」という名を、与えた。
「なぜ、その名を?」
湊が、そう、尋ねると、宗は、静かに、答えた。
「父上の名を、この村に、残したいと思いました」
湊は、この言葉に、しばらくの間、言葉を、失っていた。
「そうか」
湊は、そう、答えてから、生まれたばかりの孫を、腕に、抱いた。
小さな、確かな重み。
かつて、宗を、初めて抱いた日のことを、湊は、鮮明に、思い出していた。
「お前が、大人になる頃……この村は、どうなっているんだろうな」
湊は、そう、静かに、語りかけた。
こうした、家族の喜びと並行して、村では、外交においても、大きな進展が、あった。
アガルとの恒常的な関係が、確立されたことを受けて、他の集落からも、同様の関係を、望む声が、次々と、寄せられるようになっていたのだ。
「湊さん、ヤズの集落から、正式な申し出が、ありました」
ある日、ナギが、そう、報告した。
「常駐の使者を、置きたいと」
湊は、この報告に、深く、頷いた。
「受けよう」
同様の申し出は、その後、さらに、いくつかの集落からも、寄せられることになった。
こうして、村は、周辺の複数の勢力と、恒常的な関係を、結ぶことになった。
だが、湊は、この状況に、一つの、懸念も、抱いていた。
「これだけの相手と、個別に、やり取りするのは……いずれ、難しくなる」
湊は、そう、議会に、提起した。
「では、どうすれば」
「集まる場所を、作れないだろうか」
湊は、そう、切り出した。
「それぞれの集落の使者が、定期的に、一堂に会する。そこで、共通の課題を、話し合う」
この構想は、極めて、野心的なものだった。
これまで、この地域の集落は、互いに、二者間の関係しか、持ってこなかった。それを、多数の集落による、共通の場へと、発展させる。
この構想の実現には、二年近い、粘り強い交渉が、必要とされることになる。だが、その第一歩は、確かに、この時、踏み出されたのだった。
湊は、記録帳に、この一連の発展を、丁寧に、書き記した。
『宗と探究の舎の若者たちが、空を飛ぶ装置を開発。八ヶ月を要した。私の記憶ではなく、彼ら自身の観察と工夫による成果』
『空からの写真撮影に成功。都市計画に、大きく貢献』
『長男・宗に、男児が誕生。名は、湊。私の名を、受け継いだ』
『ヤズをはじめ、複数の集落と、恒常的な外交関係を確立』
『複数の集落による、共通の話し合いの場を、構想。実現には、長い交渉が必要になる』
夕暮れ、湊は、あの、空からの写真を、じっと、見つめていた。
湊は、四十三歳になろうとしていた。この世界に来てから、二十九年ほどが、過ぎていた。
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【第93話 時点 文明発展状況】
湊42歳(まもなく43歳)/漂着後 29年
人口:334人(孫・湊の誕生を含む)
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01 生存・サバイバル ★★★★★ 継続中
02 食料・農業 ★★★★★ 継続中
03 畜産・動物 ★★★★★ 継続中
04 漁業・水産 ★★★★★ 継続中
05 狩猟・採集 ★★★★★ 継続中
06 水・衛生 ★★★★★ 継続中
07 医療・薬学 ★★★★★ 継続中
08 住居・建築 ★★★★★ 継続中
09 土木・インフラ ★★★★★ 空撮により、都市計画の精度が飛躍的に向上
10 火・エネルギー ★★★★★ 軽量電池の開発に成功
11 鉱業・金属 ★★★★★ 継続中
12 製造・工業 ★★★★★ 飛行装置と空撮装置を開発
13 科学・技術 ★★★★★ 揚力の原理を、村独自の観察により解明中
14 言語・文字・出版 ★★★★★ 空撮写真という、新たな記録手段が誕生
15 教育・研究 ★★★★★ 探究の舎から、村独自の技術が生まれ始める
16 経済・商業 ★★★★★ 継続中
17 政治・法律・行政 ★★★★★ 継続中
18 外交・交通・情報 ★★★★★ 複数集落との恒常的関係を確立。多国間の場を構想中
19 軍事・防災・治安 ★★★★★ 継続中
20 文化・娯楽・思想 ★★★★★ 孫・湊の誕生。三世代が、この村に生きる時代へ
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