第84話「輪が、輪を呼ぶ」
無線機と、集積された三線石が完成してから、四ヶ月ほどが過ぎていた。湊は、三十八歳になろうとしていた。
この間、村には、また、五人の新しい住人が加わっていた。人口は、二百九十四人になっていた。
ある朝、経済の長を務める、ケイの弟子――トウという、若い男が、深刻な表情で、湊のもとを、訪ねてきた。
「湊さん、少し、困ったことに、なっています」
「どうした?」
「鉄道の建設です。河口までの工事が、資金の面で、行き詰まりつつあります」
湊は、この報告に、深く、考え込んだ。
「輪蔵からの、貸し出しでは、足りないのか」
「はい。輪蔵に預けられている輪の、ほとんどを、注ぎ込んでも……まだ、半分ほどしか、進んでいません」
湊は、しばらく、沈黙した。
確かに、鉄道は、これまでの、どの事業とも、規模が、違いすぎた。何万本もの、鉄の棒。何千本もの、枕木。そして、路盤の工事。それらを、すべて、賄うには、村全体の蓄えを、超える資金が、必要だった。
「どうすれば、いいと思う?」
湊の問いに、トウは、少し、躊躇してから、答えた。
「以前、レンさんの工房で、うまくいった方法が、あります」
「複数の人から、輪を集めて、事業を、大きくする、あれか」
「はい。ただ……あれは、一つの工房の話です。鉄道となると、規模が、まるで、違います」
湊は、この指摘に、深く、頷いた。
「確かに、そうだな。でも――だからこそ、その方法しか、ないのかもしれない」
湊は、この課題を、議会に、諮ることにした。
議論は、これまでにない、複雑なものになった。
「鉄道を、誰かの、持ち物にするのか」
代表の一人が、そう、懸念を、示した。
「村の、道だろう。それを、一部の者の、持ち物にしていいのか」
湊は、この懸念を、深く、受け止めていた。
「その心配は、もっともだ」
湊は、そう、答えてから、続けた。
「だから、条件を、つけよう」
湊は、机の上に、紙を広げ、書き始めた。
「一つ。鉄道の使い方――誰が、いくらで、乗れるかは、議会が、決める」
「二つ。利益の一部は、必ず、村全体のために、拠出する」
「三つ。出資した者は、利益を受け取る権利は、持つ。だが、鉄道そのものを、勝手に、止めたり、売ったりすることは、できない」
この提案に、議会は、しばらく、沈黙した。
「なるほど……そういう仕組みなら」
ドウが、そう、つぶやいた。
議論の末、この構想は、承認された。こうして、村には、初めて、鉄道の建設と運営を、専門に、担う組織――「鉄道会社」が、設立されることになった。
この会社への出資は、村の中で、広く、募られた。
だが、当初、反応は、鈍かった。
「返ってくるのか、わからないものに、輪を、出すのは……」
多くの者が、そう、躊躇していた。
この状況を、変えたのは、湊自身の、行動だった。
湊は、自分が持つ輪の、大半を、この鉄道会社に、出資したのだ。
「湊さん、そんなに、大丈夫なのですか」
ミオが、心配そうに、そう、尋ねた。
「大丈夫だ」
湊は、静かに、答えた。
「それに――俺が、出さなければ、誰も、出さない」
この、湊の行動が、村の人々の、心を、動かした。次第に、出資を、申し出る者が、増えていった。
特に、大きかったのは、レンの工房が、これまでの利益から、まとまった額を、出資したことだった。
「鉄道ができれば、うちの製品も、もっと、遠くまで、運べます」
レンは、そう、説明した。
「これは、うちにとっても、必要な投資です」
こうして集められた資金により、鉄道の建設は、再び、動き始めることになった。
この鉄道会社の設立を皮切りに、村では、次々と、同じような仕組みの組織が、生まれることになった。
レンの工房は、正式に、「製造会社」として、組織化された。これまでの、レン個人の工房から、多くの出資者と、多くの職人を、抱える、確かな組織へと、変わっていった。
同様に、製鉄の鉄場も、船の運航も、そして、印刷と出版も、それぞれ、独立した会社として、組織されていった。
だが、この発展は、新たな課題も、生むことになった。
「湊さん、また、困ったことが」
ある日、トウが、そう、報告した。
「今度は、なんだ?」
「出資した権利を、他の人に、譲りたいという者が、出てきています」
湊は、この報告に、しばらく、考え込んだ。
「譲る、というと?」
「例えば、鉄道会社に、出資した者が……急に、輪が必要になったとします。でも、出資した輪は、すぐには、返ってきません」
「なるほど。その権利を、別の誰かに、買ってもらうということか」
「はい。ですが……いくらで、譲るべきなのか。誰に、譲るべきなのか。それが、まったく、決まっていません」
湊は、この課題について、深く、考えを、巡らせた。
そして、記憶の中の、ある仕組みを、たぐり寄せた。
「一つの場所を、作れないだろうか」
湊は、そう、切り出した。
「場所、ですか」
「そうだ。出資の権利を、売りたい者と、買いたい者が、集まる場所だ」
湊は、紙に、この構想を、描いていった。
「そこで、売りたい者は、いくらで売りたいかを、示す。買いたい者は、いくらで買いたいかを、示す。両方の値が、合えば、取引が、成立する」
トウは、この構想を、じっと、見つめていた。
「なるほど……市場のようなものですね。ただし、売るのは、品物ではなく、権利」
「その通りだ」
この構想のもと、村には、新たな仕組み――後に「権利市」と呼ばれることになる、証券取引の場が、設けられることになった。
この場所の運営には、極めて、慎重な配慮が、必要とされた。
「湊さん、一つ、心配なことが、あります」
トウが、そう、指摘した。
「なんだ?」
「もし、値段が、実際の価値と、かけ離れて、上がったり、下がったりしたら……どうなるでしょう」
湊は、この指摘に、深く、頷いた。
湊自身、記憶の中に、そうした混乱の危険性について、朧げな知識が、あった。人々の思惑だけで、価格が、極端に、上下する。そして、その果てに、多くの人が、損失を、被る。
「その心配は、正しい」
湊は、そう、答えてから、続けた。
「だから、いくつか、決まりを、作ろう」
湊は、再び、紙に、書き始めた。
「一つ。それぞれの会社は、定期的に、自分たちの事業の状況を、正直に、公開する」
「二つ。値段が、あまりに、急に変動した時は、いったん、取引を、止める」
「三つ。一人の者が、一つの会社の権利を、あまりに多く、持ちすぎないよう、上限を、設ける」
トウは、この提案に、深く、頷いた。
「特に、三つ目は、大事ですね」
「そうだ。一人の者が、会社を、完全に、支配してしまえば……議会が決めたことも、無視されかねない」
こうして、村の権利市は、極めて、厳格な規則のもとで、開かれることになった。
最初の取引の日、権利市には、多くの人々が、集まった。だが、実際の取引は、ごく、限られたものだった。多くの人は、この、新しい仕組みを、遠巻きに、見ているだけだった。
それでも、日を重ねるにつれ、取引は、少しずつ、増えていった。
そして、この仕組みは、思いがけない効果を、村に、もたらすことになった。
権利を、いつでも、売れるという安心感が、新たな出資を、呼び込んだのだ。これまで、躊躇していた者たちが、次々と、出資を、申し出るようになっていった。
「湊さん、驚きました」
半年ほどが過ぎた頃、トウが、そう、報告した。
「鉄道会社への出資が、必要な額を、超えました」
湊は、この報告に、深い感慨を、覚えていた。
「そうか。これで、河口まで、繋がるな」
この資金により、鉄道の建設は、大きく、加速することになった。当初、二年近くかかると、見込まれていた工事は、大幅に、短縮される見通しと、なった。
湊は、記録帳に、この一連の発展を、丁寧に、書き記した。
『鉄道の建設資金を、多数の出資者から募る「鉄道会社」を設立。議会による監督を条件とした』
『レンの工房をはじめ、村の主要な事業が、次々と会社として組織化される』
『出資の権利を売買する場「権利市」を開設。情報公開、急変時の停止、保有上限という、三つの規則を設けた』
『権利の売買が可能になったことで、新たな出資が、大きく増加。鉄道建設が加速』
夕暮れ、湊は、権利市の建物の前を、通りかかった。中からは、取引を交わす人々の、活発な声が、聞こえてくる。
湊は、三十八歳になった。この世界に来てから、二十三年五ヶ月ほどが、過ぎていた。
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【第84話 時点 文明発展状況】
湊38歳/漂着後 23年5ヶ月
人口:294人
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01 生存・サバイバル ★★★★★ 継続中
02 食料・農業 ★★★★★ 継続中
03 畜産・動物 ★★★★★ 継続中
04 漁業・水産 ★★★★★ 継続中
05 狩猟・採集 ★★★★★ 継続中
06 水・衛生 ★★★★★ 継続中
07 医療・薬学 ★★★★★ 継続中
08 住居・建築 ★★★★★ 継続中
09 土木・インフラ ★★★★★ 資金確保により、鉄道建設が大きく加速
10 火・エネルギー ★★★★★ 継続中
11 鉱業・金属 ★★★★★ 鉄場が会社として組織化
12 製造・工業 ★★★★★ レンの工房が製造会社として組織化
13 科学・技術 ★★★★★ 継続中
14 言語・文字・出版 ★★★★★ 出版も会社として組織化
15 教育・研究 ★★★★★ 継続中
16 経済・商業 ★★★★★ 会社制度と証券取引の仕組みが確立、資本の循環が本格化
17 政治・法律・行政 ★★★★★ 会社への議会監督と、保有上限規制を確立
18 外交・交通・情報 ★★★★★ 継続中
19 軍事・防災・治安 ★★★★★ 継続中
20 文化・娯楽・思想 ★★★★★ 継続中
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