第73話「仕組みを、仕組みで支える」
外部からの人員受け入れが、軌道に乗り始めてから、三ヶ月ほどが過ぎていた。湊は、三十二歳になろうとしていた。
この間、村には、また、五人の新しい住人が加わっていた。人口は、二百二十六人になっていた。
ある朝、ケイが、深刻な表情で、湊のもとを、訪ねてきた。
「湊さん、少し、困ったことに、なっています」
「どうした?」
「輪のことです」
ケイは、そう言って、机の上に、記録の束を、広げた。
「今、村に出回っている輪は、およそ、五百枚ほどです。ですが、人が増えて、取引も、増えました。どうも、輪が、足りていないようなのです」
湊は、この報告に、深く、考え込んだ。
「増やせば、いいというものでも、ないだろう」
「その通りです。増やしすぎれば、輪そのものの、値打ちが、下がってしまいます」
湊は、しばらく、思案していた。それから、もう一つの問題に、気づいた。
「それに……もう一つ、気になることがある」
「なんでしょう」
「今、輪を、たくさん持っている者と、ほとんど持っていない者の差が、少しずつ、広がってきていないか?」
ケイは、この指摘に、深く、頷いた。
「実は、それも、気になっていました。特に、新しく来た人たちは、まだ、ほとんど、輪を、持っていません」
湊は、この二つの問題を、同時に、解決する方法は、ないかと、考えを、巡らせた。
その夜、湊は、記憶の奥底から、ある仕組みを、たぐり寄せていた。
翌朝、湊は、ケイを、再び、呼び出した。
「ケイ、一つ、考えたことがある」
「聞かせてください」
「輪を、預かる場所を、作れないだろうか」
ケイは、この言葉の意味を、掴みかねた様子だった。
「預かる、というと?」
「輪を、たくさん持っている者から、それを、預かる。そして、輪が必要な者に、それを、貸し出す」
ケイは、しばらく、考え込んでいた。
「貸し出す……返してもらえるのですか」
「そこが、大事なところだ。返してもらう時に、少しだけ、多めに、返してもらう。その分が、預けてくれた人への、お礼になる」
湊は、紙に、この仕組みを、図として、描いていった。
「例えば、新しく来た者が、道具を買いたいとする。でも、輪が、足りない。だったら、この場所から、借りればいい。そして、働いて、稼いだ輪で、少しずつ、返していく」
ケイは、この構想を、じっと、見つめていた。
「なるほど……これなら、輪が、必要なところに、確かに、回りますね」
「そうだ。それに、輪の総数を、増やさなくても、実際に、動く輪の量は、増える」
湊は、この仕組みを、長老会議に、提案した。議論は、慎重に、進められた。
「返せなかったら、どうするんだ?」
ガルが、率直に、そう、尋ねた。
「それは、確かに、難しい問題だ」
湊は、正直に、答えた。
「だから、最初は、少額から、始めよう。それに、貸す相手は、長老会議で、慎重に、判断する」
この方針のもと、村には、初めての「預かり所」――後に、村の人々が「輪蔵」と呼ぶようになる、銀行の原型が、設立されることになった。
輪蔵の運営には、ケイと、その弟子である、数名の若者が、当たることになった。彼らは、預かった輪の量と、貸し出した輪の量を、一枚一枚、丁寧に、記録していった。
この仕組みは、最初、村の人々に、なかなか、理解されなかった。
「輪を、預けて、何になるんだ?」
「借りるなんて、恐ろしい」
そうした声が、あちこちから、聞こえてきた。
湊は、この不信を、解消するために、自ら、率先して、自分の持つ輪を、輪蔵に、預けてみせた。そして、数ヶ月後、確かに、少しだけ、増えた輪を、受け取ってみせた。
「見ての通りだ。預ければ、確かに、少しだけ、増える」
この実演が、少しずつ、村の人々の、信頼を、生んでいった。
輪蔵の設立と、時を同じくして、村では、もう一つの、新しい仕組みが、生まれつつあった。
きっかけは、レンからの、相談だった。
「湊さん、工房を、もっと、大きくしたいんです」
「どういうことだ?」
「自走車の注文が、増えています。でも、今の設備では、追いつきません。もっと、大きな工房と、多くの人手が、必要です」
湊は、この相談を、じっくりと、聞いた。
「それには、相当な、輪が、必要だな」
「はい。私一人では、とても」
湊は、しばらく、考えを、巡らせた。そして、記憶の中の、もう一つの仕組みを、思い出した。
「レン、一人で、抱え込む必要は、ないかもしれない」
「といいますと?」
「複数の人から、輪を、集めるんだ。その代わり、工房が、儲かったら、その利益を、出した輪の量に応じて、分ける」
レンは、この提案に、目を、丸くした。
「そんなことが、できるのですか」
「できるはずだ。出資した者は、工房の、一部の持ち主になる。そう考えればいい」
この仕組み――株式会社の原型は、まず、レンの工房で、試みられることになった。
レンは、村の中で、輪に余裕のある者たちに、この構想を、説明して回った。最初は、懐疑的な反応も、多かった。だが、これまでのレンの仕事ぶりを、知る者たちが、次第に、出資を、申し出るようになっていった。
こうして集められた輪で、レンの工房は、大幅に、拡張されることになった。新しい設備が、導入され、雇われる職人の数も、増えた。
そして、半年後。拡張された工房は、これまでの数倍の、自走車を、生産できるようになっていた。その利益は、約束通り、出資者たちに、分配された。
「湊さん、驚きました」
ある日、出資者の一人が、湊に、そう、語った。
「自分で、何もしていないのに、輪が、増えました」
「何もしていない、わけじゃない。あなたが、輪を出したから、レンは、工房を、大きくできた。それは、確かな、貢献だ」
この成功例は、村の中で、急速に、広まっていった。以降、複数の工房や、事業が、同じような仕組みで、拡大していくことになった。
こうした、経済の仕組みの発展と並行して、湊は、村の統治そのものについても、大きな見直しを、進めていた。
人口が二百人を超え、扱う課題が、複雑になる中で、これまでの、長老会議による、緩やかな運営には、限界が、見え始めていた。
「一つ一つの分野が、大きくなりすぎた」
ある日の長老会議で、湊は、そう、切り出した。
「今までは、俺たちが、集まって、何でも、その場で、決めてきた。でも、もう、それでは、追いつかない」
ドウが、頷いた。
「確かに。土木のことだけでも、決めることが、山ほどあります」
「だから、それぞれの分野を、正式な、役所のような形に、してはどうかと思う」
湊は、机の上に、紙を広げ、書き始めた。
「農政。医療。土木。工業。教育。記録。経済。外交。防衛」
湊は、九つの分野を、書き出した。
「それぞれに、責任者を、置く。日々のことは、その責任者が、決めていい。大きなことだけ、長老会議で、話し合う」
この提案に、しばらく、沈黙が、続いた。それから、シラが、口を開いた。
「それは……私たちが、それぞれの分野の、長になる、ということですか」
「そういうことになる。もっとも、これは、偉くなるという話じゃない。責任が、重くなるという話だ」
湊は、そう、明確に、付け加えた。
議論の末、この提案は、承認された。こうして、村には、初めて、分野ごとの、正式な行政機構が、生まれることになった。
農政の長には、ミオ。医療の長には、シラ。土木の長には、ドウ。工業の長には、レン。教育の長には、ケイ。記録の長も、ケイが兼務。経済の長には、輪蔵の運営を担ってきた、ケイの弟子の一人。外交の長には、ナギ。そして、防衛の長には、ガル。
それぞれが、任命された時、集会所には、静かな、しかし、確かな緊張感が、漂っていた。
「これは、村が、また一つ、大きくなったということですね」
ケイが、そう、つぶやいた。湊は、深く、頷いた。
「そうだな。でも、忘れないでほしい。俺たちは、偉くなったんじゃない。みんなの暮らしを、支える役目を、預かっただけだ」
湊は、記録帳に、この一連の発展を、丁寧に、書き記した。
『輪蔵(預かり所)を設立。輪の預かりと貸し出しにより、資金が、必要な場所に、回る仕組みを構築』
『複数人からの出資により、事業を拡大する仕組みを導入。レンの工房で、最初の成功例』
『九つの分野ごとに、正式な行政の責任者を任命。これまでの長老会議による運営から、体系的な統治機構へと移行』
夕暮れ、湊は、議事堂の窓から、村を、見渡していた。かつて、たった三十一人だった集落が、今、二百人を超える人々が暮らす、確かな共同体へと、育っている。
湊は、三十二歳になった。この世界に来てから、十七年ほどが、過ぎていた。
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【第73話 時点 文明発展状況】
湊32歳/漂着後 17年
人口:226人
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01 生存・サバイバル ★★★★☆ 継続中
02 食料・農業 ★★★★★ 農政の長にミオを任命
03 畜産・動物 ★★★★★ 継続中
04 漁業・水産 ★★★★★ 継続中
05 狩猟・採集 ★★★★☆ 継続中
06 水・衛生 ★★★★★ 継続中
07 医療・薬学 ★★★★★ 医療の長にシラを任命
08 住居・建築 ★★★★★ 継続中
09 土木・インフラ ★★★★★ 土木の長にドウを任命
10 火・エネルギー ★★★★★ 継続中
11 鉱業・金属 ★★★★★ 継続中
12 製造・工業 ★★★★★ 出資による工房拡大で、生産能力が数倍に
13 科学・技術 ★★★★★ 継続中
14 言語・文字・出版 ★★★★★ 継続中
15 教育・研究 ★★★★★ 教育の長にケイを任命
16 経済・商業 ★★★★★ 輪蔵(銀行)と、出資による事業拡大(株式会社)の仕組みを確立
17 政治・法律・行政 ★★★★★ 九分野の行政機構を設立、統治の体系化が大きく前進
18 外交・交通・情報 ★★★★★ 外交の長にナギを任命
19 軍事・防災・治安 ★★★★☆ 防衛の長にガルを任命
20 文化・娯楽・思想 ★★★★★ 継続中
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