第70話「妹たち」
電話交換の仕組みが村に定着してから、ふた月ほどが過ぎていた。湊は、二十九歳から三十歳になろうとしていた。
この間、村には、また、三人の新しい住人が加わっていた。人口は、百六十七人になっていた。
ある朝、湊が、いつものように、議事堂へ向かおうとしていると、ミオが、少し、改まった様子で、声をかけてきた。
「湊さん、少し、お話が」
「どうした?」
ミオは、少し、恥ずかしそうに、俯いた。
「また……子供が、できたようです」
湊は、その言葉に、一瞬、動きを、止めた。それから、ゆっくりと、笑みを、浮かべた。
「そうか」
「はい」
「宗に、弟か妹が、できるんだな」
湊は、そう言いながら、ミオの手を、そっと、握った。
この日から、村の中でも、この知らせは、静かに、広がっていった。シラは、特に、喜んでくれた。
「今度は、私が、しっかり、お世話しますから」
シラは、この頃、村の医療において、出産の介助も、確かな経験を、積み重ねていた。かつて、乳幼児の死亡率を、少しでも下げたいと願っていた彼女は、今や、村の母親たちにとって、最も頼りになる存在に、なっていた。
それから、数ヶ月後。湊とミオの間に、二人目の子が、生まれた。娘だった。湊は、この子に「アカリ」という名を、与えた。
アカリが生まれた日の夜、湊は、宗を、膝の上に、乗せていた。宗は、この頃、四歳に、なろうとしていた。
「宗、妹が、できたぞ」
宗は、まだ、その意味を、完全には、理解していない様子だった。だが、隣で眠る、小さな赤ん坊を、じっと、見つめていた。
「ちいさい」
「そうだな。お前も、昔は、これくらい、小さかったんだ」
宗は、その言葉に、驚いた表情を、見せた。
「ぼくも?」
「ああ。だから、大事に、してやってくれ」
宗は、真剣な表情で、こくりと、頷いた。
アカリの誕生と時を同じくして、村では、また、様々な進展が、続いていた。
留学生の受け入れは、順調に、進んでいた。最初に来た三人に加え、ヤズの集落から、さらに、二人が、送られてきていた。彼らは、村の若者たちと共に、確かに、学びを、深めていた。
ある日、湊は、学び舎で、最初の留学生の一人――農業を学んでいた、ロタという若者に、声をかけた。
「どうだ、ここでの学びは」
ロタは、少し、緊張した様子で、答えた。
「毎日が、驚きです。特に、輪作という考え方は……私たちの集落では、まったく、知られていませんでした」
「役に立ちそうか」
「はい。帰ったら、すぐに、試したいと思っています」
湊は、その答えに、深く、頷いた。
「それが、いちばん、大事だ。ここで学んだことを、自分の場所で、活かしてほしい」
ロタは、この言葉に、深く、頭を下げた。
この頃、湊は、もう一つの、新しい試みにも、着手していた。
これまで、村では、書物と、円盤レコードという、二つの記録手段が、確立されていた。だが、湊は、まだ、村に足りていない、もう一つの表現の形が、あることに、気づいていた。
ある夜、湊は、書庫で、一人、紙に向かっていた。だが、書いているのは、技術書でも、記録でもなかった。
湊が描いていたのは、簡単な、絵物語だった。四つの枠に、区切られた紙。それぞれの枠に、ごく単純な線で描かれた、人の姿。そして、短い、言葉。
「湊さん、何を、なさっているんですか」
ケイが、書庫に入ってきて、そう、尋ねた。湊は、少し、照れくさそうに、その紙を、隠そうとした。
「いや、大したものじゃない」
「見せてください」
ケイに促され、湊は、その紙を、渡した。ケイは、しばらくの間、その絵を、じっと、見つめていた。
そして、ふいに、声を上げて、笑い出した。
「これは……ガルさんですね」
紙には、狩りに失敗して、転んでいる、男の姿が、描かれていた。単純な線ながら、確かに、ガルの特徴を、捉えていた。
「わかるか」
「わかりますとも。この、困った顔が、そっくりです」
湊は、その反応に、思わず、笑った。
「昔、俺が、まだ、この世界に来る前……こういうものを、よく、描いていたんだ」
「そうだったんですか」
「ああ。授業中に、こっそりな」
ケイは、その言葉の意味を、完全には、理解していない様子だったが、それでも、興味深そうに、頷いていた。
「これ、他の人にも、見せてみたら、どうでしょう」
湊は、少し、躊躇した。だが、ケイの、その提案に、心が、動いた。
その夜、湊は、集会所で、火を囲む人々に、この絵物語を、披露してみた。
反応は、湊の予想を、大きく超えるものだった。
最初は、皆、不思議そうに、その紙を、見つめていた。だが、その内容――村の日常を、少しだけ、大げさに描いた、他愛のない出来事――が、理解されるにつれ、あちこちから、笑い声が、上がり始めた。
「これは、ガルだ!」
「本当だ、そっくりだ!」
ガル自身も、その場にいた。彼は、最初、少し、むっとした表情を、見せたが、やがて、大きな声で、笑い出した。
「確かに、こんなことも、あったな」
この夜を境に、村の夜には、新しい楽しみが、加わることになった。
湊は、時折、余暇を使って、こうした絵物語を、描くようになった。村の日常。時には、村の歴史を、少し、面白おかしく、描いたもの。
そして、この絵物語は、子供たちの間にも、急速に、広がっていった。
ある日、湊は、学び舎で、一人の子供が、紙の余白に、絵を描いているのを、見かけた。それは、湊が描いたものを、真似た、たどたどしい絵物語だった。
「上手じゃないか」
湊が、そう声をかけると、その子供は、慌てて、紙を、隠そうとした。
「隠さなくていい。見せてくれ」
子供は、恐る恐る、その紙を、差し出した。湊は、その内容を、じっくりと、見た。
それは、村の犬――かつて、湊が「クロ」と名付けた、あの犬の子孫が、魚を、盗み食いする話だった。単純だが、確かに、笑いを誘う、構成になっていた。
「面白い。これは、いい」
湊が、そう褒めると、その子供は、顔を、真っ赤にしながらも、嬉しそうな表情を、見せた。
湊は、この光景に、深い感慨を、覚えていた。
自分が、何気なく始めたことが、こうして、次の世代に、受け継がれていく。それは、技術の継承とは、また違う、しかし、確かに、大切な何かだった。
湊は、記録帳に、この日々の出来事を、書き記した。
『次女・アカリ、誕生。宗は、四歳になろうとしている』
『留学生の学びは、順調に進行中。彼らが、自分の集落で、技術を活かすことを、期待している』
『余暇に描いた絵物語が、思いがけず、村の人々に、好意的に受け入れられた。子供たちの間にも、広がりつつある』
『技術書や記録とは、また違う。だが、これもまた、確かに、大切な何かなのかもしれない』
夜、湊は、眠るアカリの傍らに、座っていた。小さな寝息が、静かに、聞こえてくる。
湊は、三十歳になっていた。この世界に来てから、十五年ほどが、過ぎていた。
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【第70話 時点 文明発展状況】
湊30歳/漂着後 15年
人口:168人(次女アカリの誕生を含む)
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01 生存・サバイバル ★★★★☆ 継続中
02 食料・農業 ★★★★★ 継続中
03 畜産・動物 ★★★★★ 継続中
04 漁業・水産 ★★★★☆ 継続中
05 狩猟・採集 ★★★★☆ 継続中
06 水・衛生 ★★★★★ 継続中
07 医療・薬学 ★★★★★ シラの出産介助技術が、確かな水準に到達
08 住居・建築 ★★★★★ 継続中
09 土木・インフラ ★★★★★ 継続中
10 火・エネルギー ★★★★☆ 継続中
11 鉱業・金属 ★★★★★ 継続中
12 製造・工業 ★★★★★ 継続中
13 科学・技術 ★★★★★ 継続中
14 言語・文字・出版 ★★★★★ 絵物語という、新たな表現形式が誕生
15 教育・研究 ★★★★★ 留学生の学びが順調に進行
16 経済・商業 ★★★★★ 継続中
17 政治・法律・行政 ★★★★★ 継続中
18 外交・交通・情報 ★★★★★ 継続中
19 軍事・防災・治安 ★★★★☆ 継続中
20 文化・娯楽・思想 ★★★★★ 絵物語が、村の新たな娯楽として広がり始める
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