第7話「疫病の影」
集落での生活が始まって五日が過ぎた頃、異変が起きた。
最初に気づいたのは、湊がガルの家族の小屋の近くを歩いていたときだった。小さな子供の泣き声が、いつもより弱々しく、苦しげに聞こえたのだ。
湊が様子をうかがうと、母親らしき女性が、ぐったりとした幼児を抱きかかえていた。子供の顔は青白く、荒い呼吸を繰り返している。額に触れると、燃えるように熱かった。
湊の中で、警鐘が鳴った。
この十日間で、湊は集落の子供たちの何人かと、少しずつ交流を持つようになっていた。名前もいくつか覚えた。彼らが苦しんでいる姿は、単なる「よその子供の病気」では済まされない感覚を湊にもたらした。
湊は集落を見回した。他にも数人、同じように体調を崩している者がいることに気づく。特に子供と高齢者に多かった。
――これは、まずい。
湊の頭の中で、理科の授業や、家庭科の授業で聞いた断片的な知識が繋がり始めた。集団生活の場で、こうした症状が同時多発的に広がる場合、多くは水や食べ物を介した感染症だ。
湊は集落の水源を確認しに向かった。集落の人々が飲み水を汲んでいる場所は、湊が最初に見つけた上流の澄んだ川ではなく、集落のすぐそばにある小さな水たまりのような場所だった。よどんだ水面には、藻や不純物が浮いている。
湊は水を手に取り、匂いを嗅いだ。かすかに、腐敗臭に似た匂いがする。
――これだ。
湊はすぐに、身振りでガルに「この水を飲むのは危険だ」と伝えようとした。だが、言葉の壁は、こういう緊急時にこそ厳しく立ちはだかった。単語をいくら並べても、「なぜ」という理由まで伝える手段がない。
湊は焦りながらも、できることを考えた。まず、自分にできる最も確実な行動――水を沸かすことを、実演して見せることにした。
湊は貝殻の容器を持ち出し、集落の中央の焚き火のそばで、水たまりから汲んだ水を煮沸し始めた。周囲の人々が、何をしているのかと集まってくる。
湊は身振りで説明を試みた。水を指さし、それから自分の腹を押さえて苦しむ真似をする。次に、沸かした水を指さし、元気な様子を演じて見せる。単純だが、視覚的にわかりやすい寸劇だった。
集落の人々の反応は分かれた。興味深そうに見る者もいれば、理解できず首をかしげる者もいる。そして、あの老女――呪術師的立場にある女性が、鋭い声を上げて割り込んできた。
彼女は湊の行動を指さし、明らかに非難する口調で何かをまくし立てた。周囲の何人かが、その言葉に頷き始める。湊にはわからなかったが、おそらく「よそ者が余計なことをするな」「病は精霊の怒りだ」といった内容を語っているのだろうと想像がついた。
空気が再び張り詰め始めた。湊は追い詰められた気分になったが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。子供たちの命がかかっている。
湊はガルに視線を送った。この状況を打開できるとすれば、集落内である程度の信頼を得ているガルしかいない。
ガルは少しの間、老女と湊の両方を見比べていたが、やがて意を決したように前に出た。ガルは湊が沸かした水を手に取り、躊躇なく口にした。
周囲がざわめいた。老女が何かを叫んだが、ガルは動じず、湊を見て小さく頷いた。
その日の午後、湊は熱を出していた幼児のもとを訪れることを許された。母親は不安そうな表情を浮かべていたが、拒絶はしなかった。
湊にできることは限られていた。解熱剤も抗生物質もない。だが、湊は防災イベントで聞いた「発熱時の対応」を思い出していた。体を冷やし、水分を絶やさないこと。
湊は沸かして冷ました水を、少しずつ幼児に飲ませるよう身振りで母親に伝えた。同時に、濡らした布――手持ちのハンカチを使って、幼児の額と首筋を冷やす方法も実演して見せた。
その夜、湊は集落に留まり、幼児の容態を見守り続けた。母親も、他の女性たちも、湊の行動を注意深く観察していた。
夜半、幼児の呼吸が、わずかに落ち着き始めた。熱も、完全に下がったわけではないが、朝方よりは幾分和らいでいるようだった。
母親が、湊の手を握りしめた。言葉はなかったが、その目に浮かんだ感情は、湊にも十分に伝わった。
翌日、集落の水汲み場に、変化が起きていた。何人かの女性たちが、湊のやり方を真似て、水を沸かしてから飲むようになっていたのだ。すべての人が受け入れたわけではない。老女を中心とした一派は、依然として湊のやり方に懐疑的だった。
それでも、確かに一つの流れが生まれつつあった。
湊はその夜、レポート用紙に今日の出来事を書き記した。
『集落で疫病発生。原因は不衛生な水源と推測。煮沸消毒を実演し、一部の住民に受け入れられる』
『呪術師的立場の老女は強く反発。信頼と対立が同時に進行している』
書きながら、湊は改めて実感していた。知識だけでは足りない。それを伝え、信じてもらい、実践してもらうまでの過程こそが、本当の意味で困難なのだと。
だが同時に、今日、確かに一人の子供の命を救う手助けができた。その事実は、湊にとって何よりの確信となった。
自分にできることは、戦うことでも、狩ることでもない。だが、知っていることを、正しく伝えることならできる。
湊は火を見つめながら、ガルが差し出した焼いた木の実を口にした。今日一日の疲労が、体の芯からじんわりと滲み出てくるようだった。それでも、心のどこかに、確かな手応えが残っていた。
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【第7話 時点 文明発展状況】
人口:31人(集落含む)/漂着後 14日
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01 生存・サバイバル ★★☆☆☆ 集落内での生存基盤への関与が始まる
02 食料・農業 ☆☆☆☆☆ 未着手
03 畜産・動物 ☆☆☆☆☆ 未着手
04 漁業・水産 ★☆☆☆☆ 継続中
05 狩猟・採集 ★☆☆☆☆ 継続中
06 水・衛生 ★★☆☆☆ 煮沸消毒を一部住民に実演・普及開始
07 医療・薬学 ★☆☆☆☆ 発熱時の応急処置(水分補給・冷却)を実施
08 住居・建築 ★☆☆☆☆ 集落内に居場所を確保
09 土木・インフラ ☆☆☆☆☆ 未着手
10 火・エネルギー ★★☆☆☆ 煮沸のための火の活用が定着しつつある
11 鉱業・金属 ☆☆☆☆☆ 未着手
12 製造・工業 ★☆☆☆☆ 継続中
13 科学・技術 ☆☆☆☆☆ 未着手
14 言語・文字・出版 ★★☆☆☆ 継続中
15 教育・研究 ☆☆☆☆☆ 未着手
16 経済・商業 ☆☆☆☆☆ 未着手
17 政治・法律・行政 ☆☆☆☆☆ 未着手(呪術師との対立が政治的火種に)
18 外交・交通・情報 ★★☆☆☆ 集落内での信頼構築が進行中
19 軍事・防災・治安 ☆☆☆☆☆ 未着手
20 文化・娯楽・思想 ☆☆☆☆☆ 未着手(精霊信仰と現代知識の対立が表面化)
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【新規記述書物】なし(実演による伝達が中心)
【次なる課題】呪術師オルガとの関係、集落内での正式な立場の確立
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