第67話「一枚の表」
円盤レコードが学び舎に定着してから、ふた月ほどが過ぎていた。湊は、二十八歳になっていた。
この間、村には、また、四人の新しい住人が加わっていた。人口は、百五十五人になっていた。
ある夜、湊は、書庫で、これまでの記録を、一つ一つ、見返していた。骨の針から始まり、今や、電気や、音の記録にまで至った、この村の歩み。
だが、湊の心には、ある、漠然とした不安が、広がり始めていた。
――俺は、本当に、全部を、把握できているんだろうか。
これまで、湊は、その時々で、目の前にある課題に、順番に、取り組んできた。だが、村がここまで大きくなり、分野が複雑に絡み合うようになった今、どこに、何が、残されているのか。湊自身、正確には、答えられなくなっていた。
湊は、ケイを、書庫に呼んだ。
「ケイ、頼みたいことが、ある」
「なんでしょう」
「この村の、すべての分野について……今、何が、できていて、何が、できていないのか。全部、一枚に、まとめられないだろうか」
ケイは、しばらく、考え込んだ後、頷いた。
「大変な作業になりますが……やってみましょう」
湊とケイは、その日から、三日三晩をかけて、村のあらゆる分野を、洗い出す作業に、取り組んだ。二十の分野。それぞれの、到達水準。達成したこと。そして、まだ、解決できていないこと。
三日後の朝、湊の手元には、一枚の、大きな和紙が、広げられていた。そこには、村の現状が、余すところなく、書き記されていた。
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【村政総覧・第一号】
湊28歳/漂着後13年4ヶ月/人口155人
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| No. | 分野 | 水準 | 達成事項 | 未解決の課題 |
|---|---|---|---|---|
| 01 | 生存・サバイバル | ★★★★☆ | 火・水・食料・住居の安定化、堤防 | 大型恐竜襲来への根本対策 |
| 02 | 食料・農業 | ★★★★☆ | 輪作、灌漑、鉄製農具 | 新種作物の探索が停滞 |
| 03 | 畜産・動物 | ★★★★☆ | 家畜化、タズの調教、選抜交配 | 大規模繁殖管理が未整備 |
| 04 | 漁業・水産 | ★★★★☆ | 網目規格化、塩漬け保存 | 養殖技術が未着手 |
| 05 | 狩猟・採集 | ★★★☆☆ | 輪番制による資源保護 | 獲物の減少が続く |
| 06 | 水・衛生 | ★★★★★ | 堰、井戸+ポンプ、上下水分離、石鹸 | 全戸への上水配管が未実現 |
| 07 | 医療・薬学 | ★★★★☆ | 薬草体系化、外傷処置、弟子育成 | 慢性疾患・外科への対応不足 |
| 08 | 住居・建築 | ★★★★☆ | 継手、レンガ、ガラス窓、浴場 | レンガ生産が需要に不足 |
| 09 | 土木・インフラ | ★★★★☆ | 石畳、橋、堤防、堰、標識 | 河口連絡路が雨季に寸断 |
| 10 | 火・エネルギー | ★★★☆☆ | 水力・人力発電、太陽熱給湯 | 発電技術の継承が遅い |
| 11 | 鉱業・金属 | ★★★★★ | 鉄・鋼・鋳造・溶接・磁石・銅線 | 鉄鉱床の埋蔵量に限界 |
| 12 | 製造・工業 | ★★★★★ | 紙、陶器、ガラス、ポンプ、印刷 | 真空管・電球が実験段階 |
| 13 | 科学・技術 | ★★★★★ | 電気、真空、潤滑、三角比、音響 | 原理解明が経験則に留まる |
| 14 | 言語・文字・出版 | ★★★★★ | 表音文字、書物、印刷、音声記録 | 高度技術書の記述精度 |
| 15 | 教育・研究 | ★★★★★ | 学び舎、段階別教育、音声教材 | 専門学校・研究機関が未設立 |
| 16 | 経済・商業 | ★★★★★ | 貨幣「輪」の流通、専門特化 | 対外交易の規模が小さい |
| 17 | 政治・法律・行政 | ★★★★★ | 長老会議、掟、権限分散 | 成文法典が不完全 |
| 18 | 外交・交通・情報 | ★★★★★ | アガル同盟、太鼓網、村内電話 | 拠点間電話網が未接続 |
| 19 | 軍事・防災・治安 | ★★★★☆ | 堀・柵、火薬の限定運用 | 実戦的防衛体制が未整備 |
| 20 | 文化・娯楽・思想 | ★★★★★ | 花火、浴場、書物、音声物語 | 娯楽出版が未発達 |
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翌朝、湊は、この一枚の紙を持って、長老会議を、招集した。
集会所に、ガル、シラ、ドウ、タギ、ミオ、ナギ、ケイ、イワが、集まった。
「みんなに、見てほしいものが、ある」
湊は、そう言って、大きな和紙を、机の上に、広げた。
一同は、しばらくの間、無言で、その表を、見つめていた。
「これは……」
ドウが、最初に、口を開いた。
「この村の、すべてだ」
湊は、静かに、答えた。
「今、何が、できていて、何が、まだ、できていないのか。全部、書き出した」
ガルが、表の一点を、指さした。
「ここ。狩猟のところに、『獲物の減少が続く』と、書いてあるな」
「ああ。輪番制は、確かに、効果があった。でも、根本的な解決には、まだ、なっていない」
ガルは、しばらく、腕を組んで、その項目を、見つめていた。
「……なるほど。こうして、書き出されると、はっきりする」
シラも、自分の分野の欄を、じっと、見つめていた。
「慢性の病への対応が、不足している。確かに、その通りです」
この日から、湊の、新しい日課が、始まることになった。
毎朝、湊は、この表を、議事堂の壁に掲げ、その日の朝、集まってきた協力者たちに、一つずつ、課題について、説明していった。
初日、湊は、まず、狩猟の課題から、始めた。
「ガル、獲物が減っている問題だが……輪番制の他に、もう一つ、考えられることがある」
「なんだ?」
「増やすんだ」
ガルは、少し、怪訝な表情を、見せた。
「増やす?」
「そうだ。捕まえた獲物を、全部、その場で、殺すんじゃなく、若い個体を、村の近くに、囲って、育てる。そうすれば、獲物の数そのものを、増やせるはずだ」
湊は、表の余白に、この方法を、書き足していった。
「豚や、鶏で、やっていることを、他の獣にも、応用するということですね」
ミオが、そう、口を挟んだ。
「その通りだ。ミオ、お前が持っている、選抜交配の知識を、ガルに、教えてやってくれないか」
「わかりました」
二日目、湊は、医療の課題を、取り上げた。
「シラ、慢性の病への対応が、足りないという課題だが……」
「はい。特に、年配の方の、関節の痛みなどには、今の薬草では、あまり、効きません」
「一つ、考えられるのは、温めることだ」
湊は、そう言って、表の余白に、書き足していった。
「公衆浴場が、あるだろう。あれを、治療にも、使えないだろうか。温めることで、痛みが、和らぐことがあるはずだ」
シラは、この提案に、目を、輝かせた。
「試してみます。それに――もう一つ、体を、少しずつ動かすことも、いいかもしれません」
「そうだな。あの、自転車を漕ぐ仕組みも、使えるかもしれない」
三日目は、レンガの生産量の課題だった。
「ドウ、タギ、レンガが、足りていない」
タギが、頷いた。
「窯の数が、足りないんです」
「なら、増やそう。それに――」
湊は、表の余白に、書き足しながら、続けた。
「今、レンガを焼く時、一つの窯で、一度に焼ける量が、決まっているだろう。窯そのものを、もっと、大きくできないか」
「以前、大きな窯を作ろうとして……レイのことが、ありました」
タギの声が、少し、沈んだ。湊は、静かに、頷いた。
「わかっている。だから、今度は、安全な手順を、最初から、しっかり決めた上で、進めよう。区画式の窯なら、以前の経験が、活かせるはずだ」
こうした日々が、続いていった。
四日目は、河口連絡路の雨季の寸断について。ドウが、高い位置を通る迂回路の建設を、引き受けた。
五日目は、専門学校の設立について。ケイとシラが、中心となって、構想を練ることになった。
六日目は、成文法典について。湊は、これまでの「村の掟」を、より詳細に、体系立てて、書き直す作業を、ケイと共に、始めることにした。
七日目は、拠点間電話網について。タギとイワが、電線を、河口まで、延ばす計画に、着手した。
湊は、毎日、この表を、見ながら、一つ一つの課題について、自分の知る限りの、解決の方向性を、書き足していった。そして、それを、実際に、担うべき人物に、託していった。
湊自身は、直接、手を動かすことは、ほとんど、なかった。ただ、書き、説明し、託す。それだけを、繰り返した。
「湊さん、これ、随分と、書き込みが、増えましたね」
ある日、ケイが、表を見ながら、そう、言った。確かに、当初の表は、余白に、無数の書き込みが、加えられ、もはや、原型を留めないほどに、なっていた。
「そうだな。そろそろ、書き直したほうが、いいかもしれない」
こうして、二週間が、過ぎた頃。村の様子に、目に見える変化が、現れ始めていた。
ガルは、若い獲物を囲う、新しい囲いを、村の外れに、完成させていた。ミオの助言を受けながら、繁殖しやすい個体を、選び始めていた。
シラは、公衆浴場の一角に、治療のための時間を、設けていた。年配の村人たちが、そこで、温まりながら、少しずつ、体を動かす。この試みは、早くも、確かな効果を、見せ始めていた。
タギとドウは、新しい区画式の窯を、二基、完成させていた。安全な手順を、徹底した上で、これまでの倍近い、レンガが、生産できるようになっていた。
ドウは、河口へ向かう、新しい迂回路の工事を、順調に、進めていた。
ケイとシラは、専門学校の構想を、具体的な形にまとめ、長老会議に、提出していた。
そして、一ヶ月が、過ぎた。
その日の朝、湊は、いつものように、議事堂の壁に掲げられた表の前に、立っていた。だが、湊は、しばらくの間、その表を、じっと見つめたまま、動かなかった。
「湊さん?」
ケイが、心配そうに、声をかけた。
湊は、ゆっくりと、振り返った。その顔には、深い、驚きの表情が、浮かんでいた。
「ケイ……見てくれ」
湊が、指し示した表には、無数の書き込みと共に、いくつもの、印が、付けられていた。それは、課題が、解決されたことを示す、印だった。
狩猟の課題。医療の課題。レンガの生産量。河口の連絡路。専門学校の構想。法典の整備。そして、拠点間の電話網――試験的な接続に、成功していた。
「ほとんど……解決している」
湊は、震える声で、そう、つぶやいた。
ケイも、その表を、じっと、見つめていた。
「一ヶ月で、これだけのことが、動いたんですね」
湊は、しばらく、言葉を、失っていた。
これまで、湊は、いつも、目の前の課題に、一つずつ、取り組んできた。だが、今回は、違った。すべての課題を、一枚の紙に、並べ、それを、毎日、皆に見せ、説明し、託した。
それだけで――たった、それだけで、この村の人々は、自らの力で、これほど多くのことを、成し遂げてしまったのだ。
「みんなが……すごいんだな」
湊は、そう、つぶやいた。ケイは、静かに、首を振った。
「いえ。湊さんが、全部を、見えるようにしてくれたからです。何が、足りないのか、はっきり、わかったから、みんな、動けたんです」
湊は、その言葉を、深く、噛み締めていた。
その夜、湊は、記録帳に、この一ヶ月の出来事を、書き記した。
『村の全分野の現状と課題を、一枚の表にまとめた。これを毎日、協力者たちに示し、解決の方向性を書き足しながら、託していった』
『一ヶ月後、ほとんどの課題が、解決、あるいは、解決に向けて、大きく前進していた』
『自分がしたことは、ただ、書いて、見せて、託しただけだ。実際に動いたのは、この村に生きる、一人一人だった』
『これこそが、俺の役目なのかもしれない』
湊は、二十八歳のまま、この日を終えた。この世界に来てから、十三年五ヶ月ほどが、過ぎていた。
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【第67話 時点 文明発展状況】
湊28歳/漂着後 13年5ヶ月
人口:155人
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01 生存・サバイバル ★★★★☆ 継続中
02 食料・農業 ★★★★☆ 継続中
03 畜産・動物 ★★★★★ 野生動物の飼育化に着手、獲物の増産へ
04 漁業・水産 ★★★★☆ 継続中
05 狩猟・採集 ★★★★☆ 飼育との併用により、資源問題が改善へ
06 水・衛生 ★★★★★ 継続中
07 医療・薬学 ★★★★★ 温熱療法・運動療法を導入、慢性疾患への対応が前進
08 住居・建築 ★★★★★ 区画式窯を増設、レンガ生産量が倍増
09 土木・インフラ ★★★★★ 河口への迂回路が完成間近
10 火・エネルギー ★★★★☆ 継続中
11 鉱業・金属 ★★★★★ 継続中
12 製造・工業 ★★★★★ 継続中
13 科学・技術 ★★★★★ 継続中
14 言語・文字・出版 ★★★★★ 継続中
15 教育・研究 ★★★★★ 専門学校の構想が、長老会議に提出される
16 経済・商業 ★★★★★ 継続中
17 政治・法律・行政 ★★★★★ 成文法典の整備が進行中
18 外交・交通・情報 ★★★★★ 拠点間電話網の試験接続に成功
19 軍事・防災・治安 ★★★★☆ 継続中
20 文化・娯楽・思想 ★★★★★ 継続中
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【新規記述書物】『村政総覧・第一号』(全分野の現状と課題を一覧化した、村初の総合管理表)
【次なる課題】専門学校の正式開講、法典の完成、そして次なる総覧の作成へ
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