第66話「耳で学ぶ」
円盤に音を刻む技術が、初めて形になってから、ふた月ほどが過ぎていた。湊は、二十八歳になろうとしていた。
この間、村には、また、三人の新しい住人が加わっていた。人口は、百五十一人になっていた。
ある日、湊は、学び舎を訪ねた。そこでは、ケイが、子供たちに、共通語の発音を、教えている最中だった。
「もう一度、繰り返してごらん。『みず』」
ケイの声に、子供たちが、口々に、真似をする。だが、その発音は、それぞれ、微妙に、異なっていた。
湊は、この光景を、しばらく、遠くから、見つめていた。かつて、ロウという少年に、言葉を教えたときの、あの苦労を、湊は、今も、鮮明に覚えていた。
授業が終わった後、湊は、ケイに、声をかけた。
「ケイ、発音を教えるのは、やはり、難しいか」
ケイは、ため息をつきながら、頷いた。
「難しいですね。私が、いくら、正しく発音しても、子供たちには、少しずつ、違って、聞こえるようです」
「それに、ケイが、いない時には、誰も、正しい発音を、確かめられない」
「その通りです。私が、病で寝込んだ時など、教えられる者が、いなくなってしまいます」
湊は、この会話をきっかけに、ある構想を、思いつくことになった。
その日の午後、湊は、タギとイワを、工房に呼び出した。
「あの円盤の技術、もっと、実用的なものに、できないだろうか」
タギが、少し、困った表情を、見せた。
「正直、まだ、音が、聞き取りにくいです。それに、数回、針でなぞると、溝が、すり減ってしまいます」
「わかっている。だが、もし、これを、改良できれば……村の教育が、大きく、変わるかもしれない」
「教育、ですか」
イワが、興味深そうに、尋ねた。
「そうだ。正しい発音を、円盤に刻んでおけば、誰でも、いつでも、それを、聞くことができる。ケイがいなくても、子供たちは、正しい音を、確かめられる」
この構想に、タギとイワは、深く、頷いた。
「なるほど……それは、確かに、大きな意味が、ありますね」
この日から、湊たちは、円盤レコードの改良に、本格的に、取り組み始めることになった。
最初の課題は、円盤の材質だった。これまで使っていた、樹脂と獣脂を混ぜたものは、確かに、加工しやすかったが、あまりに、柔らかすぎた。針でなぞるたびに、溝が、削れてしまう。
「もっと、硬い材料が、必要ですね」
イワは、いくつかの材料を、試していった。より硬い樹脂を使ってみると、今度は、溝を刻むこと自体が、難しくなった。
「硬すぎると、針が、跳ねてしまいます」
この、硬さの均衡を、見つけ出すまでに、ひと月半ほどが、費やされた。
最終的に、イワは、樹脂に、細かく砕いた鉱物の粉を、少量、混ぜ込むという工夫を、編み出した。これにより、溝を刻めるほどの柔らかさを保ちながら、繰り返しの使用に、ある程度、耐えられる硬さが、実現されることになった。
第二の課題は、音の明瞭さだった。これまでの装置では、音が、あまりに、歪んで、聞き取りにくかった。
「膜の大きさと、針の重さを、変えてみましょう」
タギは、様々な組み合わせを、根気強く、試していった。膜を大きくすると、音は、大きくなるが、細かい音が、失われる。針を軽くすると、溝への負担は減るが、音が、拾いにくくなる。
この調整にも、ふた月ほどが、費やされた。
ある日、タギが、湊のもとに、一枚の円盤を、持ってきた。
「湊さん、これを、聞いてみてください」
湊は、その円盤を、装置にかけ、針を、そっと、落とした。
しばらくの沈黙の後、確かに、聞き取れる声が、装置から、流れ出した。
『こんにちは。私は、タギです』
湊は、思わず、身を乗り出した。
「聞こえる……! はっきり、聞こえるぞ、タギ!」
タギの顔に、深い達成感が、浮かんだ。
「やっと、ここまで、来ました」
この改良により、円盤レコードは、ついに、実用的な水準に、達することになった。もちろん、まだ、音は、多少、歪んでいたし、円盤の寿命も、決して長くはなかった。それでも、内容を、確かに、聞き取れるようになったことは、大きな前進だった。
湊は、この技術を、いよいよ、教育に、活用することにした。
まず、ケイに、共通語の主要な音を、一つ一つ、丁寧に、円盤に、吹き込んでもらうことになった。
「『あ』……『い』……『う』……」
ケイは、緊張した面持ちで、装置に向かって、一音ずつ、ゆっくりと、発音していった。
「これで、私の声が、残るんですね」
「そうだ。ケイがいなくなった後も、この村の子供たちは、君の発音で、言葉を学ぶことになる」
湊のこの言葉に、ケイは、少し、感慨深げな表情を、見せた。
「そう考えると……不思議な気持ちですね」
この、発音の円盤は、学び舎に、設置されることになった。子供たちは、自分の好きな時に、この円盤を、聞き、正しい発音を、確かめられるようになった。
この試みは、思いがけない、大きな成果を、もたらすことになった。
特に、以前、ロウのように、村の共通語を、母語としない家庭の子供たちにとって、この円盤の存在は、極めて、大きな助けとなった。何度でも、繰り返し、同じ音を、聞き直せる。この繰り返しが、これまでの、人が教える方式では、なかなか実現できなかった、確かな定着を、もたらしたのだ。
ある日、湊は、学び舎で、一人の子供が、円盤の前に、じっと座り、何度も、同じ音を、聞き直している姿を、見かけた。
「何を、しているんだ?」
湊が、声をかけると、その子供は、真剣な表情で、答えた。
「この音が、うまく、言えないんです。だから、何度も、聞いています」
湊は、この言葉に、深い感慨を、覚えた。
「そうか。焦らなくていい。何度でも、聞くといい」
この成功を受けて、湊は、円盤の内容を、さらに、広げていくことを、考えるようになった。
「ケイ、次は、数の数え方を、吹き込んでみないか」
「いいですね。それから、簡単な物語も、いいかもしれません」
こうして、村の円盤には、少しずつ、様々な内容が、刻まれていくことになった。発音、数の数え方、そして、村に伝わる、いくつかの物語。
だが、円盤の生産には、依然として、大きな課題が、残っていた。
「湊さん、一枚、作るのに、随分と、時間がかかります」
イワが、そう、報告した。円盤は、一枚一枚、手作業で、音を刻む必要があった。同じ内容の円盤を、複数作ろうとすれば、その回数だけ、同じことを、繰り返し、吹き込まなければならない。
湊は、この課題について、しばらく、考えを、巡らせた。
「一枚の円盤から、複製を、作れないだろうか」
「複製、ですか」
「そうだ。刻まれた溝の形を、そのまま、別の円盤に、写し取るんだ」
イワは、この構想に、興味を示した。
「型を、取るということですね。鋳造と、似た発想でしょうか」
「その通りだ」
この、円盤の複製技術の開発には、さらに、ふた月ほどの月日が、費やされることになった。溝の形を、正確に写し取ることは、極めて、繊細な作業だった。
だが、最終的に、イワは、元の円盤に、柔らかい素材を押し当てて、溝の形を、反転した「型」として写し取り、その型を使って、新しい円盤を、成形するという方法を、確立することに成功した。
「これなら、同じ内容の円盤を、何枚でも、作れます」
この技術により、村では、教育用の円盤を、複数の場所――学び舎だけでなく、河口拠点や、村の他の集落にも、配布できるようになっていった。
湊はレポート用紙に、この一連の発展を、丁寧に書き記した。
『円盤レコードの材質と、記録装置を改良。実用的な音質を、実現するまでに、三ヶ月半を要した』
『ケイの発音を、円盤に記録し、学び舎の教材として活用。特に、共通語を母語としない子供たちに、大きな効果』
『円盤の複製技術を確立。同じ内容の円盤を、複数の拠点に、配布できるようになった』
夕暮れ、湊は、学び舎の前を通りかかった。中からは、円盤から流れる、ケイの声が、かすかに、聞こえてくる。そして、それに合わせて、子供たちが、繰り返し、発音を、練習している声も。
湊は、その光景に、静かな満足感を、覚えていた。かつて、一人一人に、根気強く教えるしかなかった言葉が、今、こうして、機械の力を借りて、確かに、次の世代へと、受け渡されている。
湊は、二十八歳になった。この世界に来てから、十三年二ヶ月ほどが、過ぎていた。
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【第66話 時点 文明発展状況】
湊28歳/漂着後 13年2ヶ月
人口:151人
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01 生存・サバイバル ★★★★☆ 継続中
02 食料・農業 ★★★★☆ 継続中
03 畜産・動物 ★★★★☆ 継続中
04 漁業・水産 ★★★★☆ 継続中
05 狩猟・採集 ★★★☆☆ 継続中
06 水・衛生 ★★★★★ 継続中
07 医療・薬学 ★★★★☆ 継続中
08 住居・建築 ★★★★☆ 継続中
09 土木・インフラ ★★★★☆ 継続中
10 火・エネルギー ★★★☆☆ 継続中
11 鉱業・金属 ★★★★★ 継続中
12 製造・工業 ★★★★★ 円盤レコードの実用化と複製技術を確立
13 科学・技術 ★★★★★ 音の記録・再生技術が、実用水準に到達
14 言語・文字・出版 ★★★★★ 音声記録という、文字に次ぐ第二の記録手段が確立
15 教育・研究 ★★★★★ 音声教材の導入により、言語教育が飛躍的に改善
16 経済・商業 ★★★★★ 継続中
17 政治・法律・行政 ★★★★★ 継続中
18 外交・交通・情報 ★★★★★ 継続中
19 軍事・防災・治安 ★★★★☆ 継続中
20 文化・娯楽・思想 ★★★★★ 物語の音声記録により、口承文化が新たな形を得る
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