第64話「はじめての本」
湊が実務から距離を置き始めてから、三ヶ月ほどが過ぎていた。湊は、二十七歳になろうとしていた。
この間、湊は、書庫にこもり、これまでの記録を、体系立てて、書き直す作業に、多くの時間を、費やしていた。
ある日、湊は、ケイを、書庫に呼んだ。
「ケイ、少し、考えていることが、あるんだ」
「なんでしょう」
「今、俺たちの記録は、ばらばらの紙の束になっている。これを、もっと、まとまった形に、できないだろうか」
ケイは、山積みの記録を、見渡した。
「確かに、探すのが、大変になってきましたね」
「そうだ。それに、このままだと、順番が入れ替わったり、なくなったりする恐れもある」
湊が思い描いていたのは、書物――複数の紙を、順番に綴じ合わせ、一つのまとまりとして扱える形だった。
「紙を、束ねて、端を、糸で綴じるんだ。そうすれば、順番も、変わらないし、持ち運びも、しやすくなる」
ケイは、この構想に、深い関心を、示した。
「それは、いい考えです。どうやって、綴じるんですか」
「そこが、問題なんだ。俺も、詳しくは、わからない」
湊は、イワを、呼び出した。
「イワ、紙を、束ねて、綴じる方法を、考えてもらえないか」
イワは、これまでの、細かな手作業の経験を活かし、この課題に、取り組み始めた。最初の試みは、紙の端に、小さな穴を開け、そこに、細い糸を通して、縛るというものだった。
だが、この方法では、糸が、すぐに緩んでしまったり、紙が、破れてしまったりすることが、多かった。
「湊さん、紙が、もちません」
「穴を開ける場所を、変えてみたらどうだ。端から、少し、離してみるとか」
イワは、この助言をもとに、穴の位置や、糸の通し方を、何度も、調整していった。三週間ほどの試行錯誤の末、イワは、複数の穴を、規則的に開け、糸を、交互に通していくという、比較的、丈夫な綴じ方を、編み出した。
「これなら、随分と、もちそうです」
湊は、その、初めて綴じられた紙の束を、手に取った。表紙には、まだ、何も書かれていない。だが、確かに、これは、書物と呼べる形を、していた。
「これが、この村の……最初の本、か」
湊は、しばらくの間、その手触りを、確かめていた。
湊は、この最初の書物に、何を記すべきか、しばらく、考えを、巡らせた。そして、ある結論に、至った。
「まず、この村の歩みを、書こうと思う」
湊は、ケイと、イワに、そう、告げた。
「村の歩み、ですか」
「ああ。俺が、この地に落とされた日から、今日までのこと。骨の針を作ったこと、ガルと出会ったこと、疫病を乗り越えたこと、水路を引いたこと、鉄を得たこと……そのすべてを」
ケイは、深く、頷いた。
「それは、大切な記録に、なりますね」
湊は、この書物の執筆に、三ヶ月近い月日を、費やすことになった。単に、出来事を、並べるだけでは、なかった。それぞれの出来事において、誰が、どのように関わり、何を、感じ、何を、学んだのか。湊は、可能な限り、丁寧に、記していった。
執筆の途中、湊は、しばしば、当時を知る人々に、話を聞きに行った。
「ガル、あの時、俺と初めて会った日のこと、覚えているか」
ある日、湊は、ガルに、そう尋ねた。ガルは、少し、遠い目をして、答えた。
「ああ。妙な布を着た、小さな男が、茂みから、出てきた」
「怖くは、なかったのか」
「怖かったさ。でも、お前は、武器も持たず、ただ、両手を上げて、震えていた。あれで、少し、拍子抜けした」
湊は、思わず、笑った。
「そんな風に、見えていたのか」
「ああ。それに……お前が、焼いた魚を、差し出してきたとき。あれで、この男は、敵じゃないと、わかった」
湊は、このやり取りを、丁寧に、書物に、書き記していった。
シラにも、湊は、話を聞きに行った。
「シラ、あの疫病のとき、君は、どう思っていた?」
シラは、しばらく、考えてから、答えた。
「正直に言えば……最初は、湊さんのことを、信じきれていませんでした」
「そうだったのか」
「はい。祖母――オルガが、あれほど、強く反対していましたから。でも、あの子供の熱が、下がったとき……何かが、変わった気がします」
湊は、こうした、一人一人の証言を、丁寧に、記録に加えていった。
三ヶ月後、湊は、この書物を、ついに、書き上げた。表紙には、こう、記された。
『村のあゆみ・第一部』
湊は、この書物を、まず、長老会議の場で、皆に、披露した。
「これが……俺たちの、これまでか」
ドウが、書物のページをめくりながら、感慨深げに、つぶやいた。
「読んでみると、随分と、色々なことが、あったんですね」
ナギも、そう、驚いた様子で、言った。
シラは、自分の証言が記された箇所を読み、少し、涙ぐんでいた。
「湊さん、こんなに、丁寧に、書いてくださって……」
「これは、俺一人の物語じゃない。みんなの物語だ」
湊は、静かに、そう、答えた。
この書物は、以降、村の学び舎で、子供たちが読む、最初の教材の一つとして、使われるようになっていった。
湊はレポート用紙――いや、この頃には、綴じられた記録帳に、この日の思いを、書き記した。
『紙を綴じる技法を、イワが確立。村で、初めての「書物」が、形になった』
『最初の書物として、『村のあゆみ・第一部』を執筆。三ヶ月を要した』
『これは、自分一人の物語ではなく、この村に生きる、すべての人の物語である』
湊は、二十七歳になった。この世界に来てから、十二年ほどが、過ぎていた。
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【第64話 時点 文明発展状況】
湊27歳/漂着後 12年
人口:144人
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01 生存・サバイバル ★★★★☆ 継続中
02 食料・農業 ★★★★☆ 継続中
03 畜産・動物 ★★★★☆ 継続中
04 漁業・水産 ★★★★☆ 継続中
05 狩猟・採集 ★★★☆☆ 継続中
06 水・衛生 ★★★★★ 継続中
07 医療・薬学 ★★★★☆ 継続中
08 住居・建築 ★★★★☆ 継続中
09 土木・インフラ ★★★★☆ 継続中
10 火・エネルギー ★★★☆☆ 継続中
11 鉱業・金属 ★★★★★ 継続中
12 製造・工業 ★★★★★ 紙を綴じる技法を確立
13 科学・技術 ★★★★★ 継続中
14 言語・文字・出版 ★★★★★ 村初の「書物」が誕生。『村のあゆみ・第一部』完成
15 教育・研究 ★★★★★ 書物が、学び舎の教材として活用され始める
16 経済・商業 ★★★★★ 継続中
17 政治・法律・行政 ★★★★★ 継続中
18 外交・交通・情報 ★★★★★ 継続中
19 軍事・防災・治安 ★★★★☆ 継続中
20 文化・娯楽・思想 ★★★★★ 村の歴史が、書物として、共有される財産となる
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