第55話「滑る仕組み」
水ポンプが村に定着してから、ふた月ほどが過ぎていた。湊は、二十二歳のままだった。
湊は、真空ポンプの研究を、決して手放そうとはしなかった。だが、この研究は、これまでのどの技術よりも、頑固に、湊たちの前に、立ちはだかり続けていた。
「湊さん、また、失敗です」
ある日、タギが、疲れた表情で、湊に報告した。
「今度は、どこが、問題だった?」
「ピストンと、筒の隙間から、空気が、漏れているんだと思います。水の時は、多少の隙間があっても、なんとかなったんですが、空気は……」
湊は、この報告に、深く頷いた。最大の壁は、ピストン――筒の中を、隙間なく、しかし、滑らかに動く部品の精度だった。
湊とタギ、イワは、これまで培ってきた、あの「弾む木の実」の加工技術を、さらに研ぎ澄ませていく必要に迫られた。ピストンの縁に取り付ける、密閉のための輪を、より精密に、そして、より確かな弾力を持つよう、何度も、配合と成形を、見直していった。
だが、この過程で、湊たちは、新たな問題に、直面することになった。
「湊さん、困ったことが」
タギが、また、湊のもとに、やってきた。
「今度は、なんだ?」
「ピストンを、繰り返し動かしていると、密着した部分が、摩擦で、熱を持って……擦り減ってしまうんです」
最初の試作品は、動かし始めてから、わずか数十回ほどの往復で、密着していた部分が、目に見えて摩耗し、隙間が生じてしまうようになった。
湊は、この課題に、しばらくの間、頭を悩ませていた。ある夜、湊は、以前、ドウが、水車の軸の部分について、こぼしていた、ちょっとした愚痴を、ふと思い出した。
「軸が回るところ、いつも、少し焦げたような匂いがするんです。木同士が擦れ合って、熱くなっているんだと思います」
湊は、この言葉から、記憶の中の、ある知識を、手繰り寄せた。
「タギ、油だ」
「油、ですか」
「ピストンと筒の間に、何か、滑りをよくする油のようなものを、塗っておいたらどうだろう」
湊たちは、これまで、食用や、灯りのために使ってきた、家畜の脂や、植物から採れる油を、この摩擦の軽減に使えないか、試してみることにした。
最初に試したのは、比較的手に入りやすい、家畜の脂だった。これを、ピストンの表面に塗って、動かしてみると、確かに、以前よりも、滑らかに動くようになった。だが、この脂は、繰り返しの摩擦熱によって、次第に、溶けて流れ出してしまい、長時間の使用には、耐えられなかった。
タギは、次に、いくつかの植物から採れる油を、試していった。ひと月ほどの試行錯誤の末、村の周辺に自生する、ある木の実から搾り取った油が、比較的、熱に強く、粘度も、ちょうどよい具合であることが、見えてきた。
「これです、湊さん。これなら、随分、長く持ちます」
この植物油を、定期的に、ピストンと筒の間に、丁寧に差し込むことで、これまでの摩耗の問題は、大きく改善されることになった。村では、この油を、「滑りの油」と呼ぶようになり、以降、様々な回転部分や、擦れ合う部品にも、広く応用されていくことになった。
この潤滑油の発見は、湊にとって、思いがけない、しかし、極めて重要な副産物だった。
潤滑油の導入により、ピストンの耐久性は、大きく向上した。だが、それでも、湊たちが目指す、確かな真空には、まだ、届いていなかった。
湊は、この段階で、これまでの、単純な、一つの筒とピストンだけの構造では、限界があるのではないかと、考えるようになった。
「タギ、イワ、筒を、複数、繋げてみたらどうだろう」
「複数、ですか」
「一つの筒で、ある程度、空気を薄くして、それを、次の筒が、さらに抜き取っていく。そういう、段階的な仕組みだ」
この、複数の筒を組み合わせる構造は、これまで以上に、複雑な製作を要求するものだった。それぞれの筒の間を繋ぐ、弁の配置や、タイミングを、精密に調整する必要があった。
湊たちは、この新しい構造の試作を、幾度も、幾度も、繰り返した。ある弁の配置では、空気が、逆流してしまう。別の配置では、思うように、圧力の差が生まれない。
この試行錯誤は、真空ポンプの研究に着手してから、通算で、実に、半年近い月日を、要することになった。だが、湊は、この長い道のりの中で、決して、焦りを見せることは、なかった。
「これは、急いで作るべきものじゃない。確かなものを、一つ一つ、積み重ねていけばいい」
そして、ある冬の日、湊たちは、ついに、これまでとは、明らかに違う手応えを、感じることになった。
複数段の筒を組み合わせた、最新の試作機を、丁寧に動かしていくと、内部に取り付けた、簡素な圧力の目安――薄い膜が、これまでにない、確かなへこみを、見せ始めたのだ。
「これは……!」
湊は、この膜の変化を、じっと見つめていた。これは、内部の空気が、確かに、これまでよりも、はるかに薄くなっていることを示す、確かな証だった。
「できた……。やっと、できたんですね」
タギの声には、これまでの、長い苦労が、確かに滲んでいた。湊は、その言葉に、深く頷いた。
湊はレポート用紙に、この、長い研究の末の成果を、丁寧に書き記した。
『植物油による潤滑を導入し、ピストンの摩耗という課題を克服』
『複数段の筒を組み合わせる構造を考案し、半年近い試行錯誤の末、確かな真空に近い状態を作り出すことに成功』
湊は、二十二歳のまま、この作業を終えた。この世界に来てから、八年五ヶ月ほどが、過ぎていた。
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【第55話 時点 文明発展状況】
湊22歳/漂着後 8年5ヶ月
人口:110人
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01 生存・サバイバル ★★★★☆ 継続中
02 食料・農業 ★★★★☆ 継続中
03 畜産・動物 ★★★★☆ 継続中
04 漁業・水産 ★★★★☆ 継続中
05 狩猟・採集 ★★★☆☆ 継続中
06 水・衛生 ★★★★★ 継続中
07 医療・薬学 ★★★★☆ 継続中
08 住居・建築 ★★★★☆ 継続中
09 土木・インフラ ★★★★☆ 継続中
10 火・エネルギー ★★★☆☆ 継続中
11 鉱業・金属 ★★★★★ 継続中
12 製造・工業 ★★★★★ 植物油による潤滑技術を確立、機械部品の耐久性が向上
13 科学・技術 ★★★★★ 半年に及ぶ研究の末、真空ポンプの実現に成功
14 言語・文字・出版 ★★★★☆ 継続中
15 教育・研究 ★★★★☆ 長期的な研究に、根気強く取り組む姿勢が村に根付く
16 経済・商業 ★★★★☆ 継続中
17 政治・法律・行政 ★★★★☆ 継続中
18 外交・交通・情報 ★★★★☆ 継続中
19 軍事・防災・治安 ★★★☆☆ 継続中
20 文化・娯楽・思想 ★★★★☆ 継続中
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