第53話「輪を鋳る」
石鹸が、村のほぼ全戸に行き渡るようになった頃。湊は、二十一歳のままだった。
湊は、これまで長らく先送りにしてきた課題に、いよいよ本格的に向き合う時が来たと、感じるようになっていた。貨幣の導入だ。
きっかけの一つは、石鹸だった。この、村の誰もが必要とする品が、量産できるようになったことで、村の中に、これまでとは違う種類の、小さな商いの芽が、生まれ始めていたのだ。
石鹸作りに、特に熱心に取り組んでいた、ある女性――ハナといったが、彼女は、自分の余暇を使って、これまでの標準品よりも、少し香りをよくした石鹸を、独自に作り始めていた。
ある日、ハナが、湊のもとを訪ねてきた。
「湊さん、少し、困っていることが、あるんです」
「聞かせてくれ」
「この石鹸一つに、魚を何匹分と考えればいいのか、いつも、相手と話し合わなければなりません。それに、私自身、魚は、あまり必要としていないのに、魚しか持っていない人とは、なかなか、話がまとまらないこともあります」
湊は、この話を聞き、以前、村がまだ小さかった頃、同じような問題に直面していたことを、改めて思い出した。
湊は、長老会議に、貨幣制度の導入を、改めて提案することにした。
「みんなが、同じように価値を認められる、共通のものを、交換の目印にできないだろうか」
この提案に、ケイは、以前から、数を扱う中で、漠然と感じていた必要性を、思い返しながら、賛同を示した。
湊は、以前から、タギの精錬した金属の小片を、貨幣として用いることを、頭の中で、思い描いていた。
湊とタギは、一定の大きさと重さに揃えた、簡素な金属の輪――円形の貨幣を、鋳造の技術を使って、作ることにした。
この鋳造による貨幣作りは、これまでの、単発的な道具や部品の鋳造とは、また違う難しさを伴うものだった。最初の試みでは、型に流し込む金属の量に、わずかなばらつきが生じ、できあがった貨幣の重さが、一枚一枚、微妙に異なってしまっていた。
「これでは、貨幣としての、公平な価値を、保証できません」
タギが、湊に、そう報告した。タギとイワは、この課題に、根気強く向き合った。まず、型そのものを、より精密に、均一な大きさで、複数作り直すことから始めた。さらに、溶かした金属を、型に流し込む際の、量を正確に測るための、簡素な柄杓も、新たに作られることになった。
こうした、地道な工夫を重ねる中で、少しずつ、貨幣の重さのばらつきは、抑えられていった。それでも、完全に均一にすることは、難しく、ケイが、できあがった貨幣を、一枚一枚、簡素な天秤で量り、一定の基準から、大きく外れたものは、選別して、再び溶かし直す、という、地道な検品の作業が、必要とされることになった。
この貨幣――村では、以前と同じように「輪」と呼ばれることになったが――の量産には、当初の想定よりも、はるかに長い時間がかかった。実に、三ヶ月ほどの、根気強い試行錯誤の末に、ようやく、ある程度、安定した品質の輪が、村に、一定量、供給されるようになっていった。
湊は、この輪を、村の人々に、実際に使ってもらう過程でも、以前と同じように、慎重な実演を、繰り返し重ねていった。自ら、この輪を使って、様々な人々との取引を行い、それが、確かに、別の場所で、価値あるものと交換できることを、村の人々に、丁寧に示していった。
ある日、湊は、市場で、ミオから、野菜を買った。輪を、数枚、手渡す。
「これで、いいだろうか」
「はい、ちょうど、いいくらいです」
ミオは、その輪を受け取り、確かめるように、手のひらで、その重みを、確認した。
「これが、あとで、別のものと、交換できるんですね」
「そうだ。俺が、後で、これを持って、タギのところに行けば、道具と、交換できる」
この貨幣制度の導入と並行して、湊は、これまでの金属加工技術を、さらに一歩進めることも、視野に入れていた。薄く、広い、平らな鉄板を、安定して作る技術だ。
「タギ、大きな、平らな鉄板を、作れないだろうか」
タギは、これまでの鍛造の技術を応用し、熱した鉄の塊を、大きな石の台の上で、根気強く、繰り返し叩き延ばしていく作業に、取り組み始めた。だが、大きな板を、均一な厚さで、しかも、割れることなく、叩き延ばすことは、想像以上に困難な作業だった。
何度も、鉄の端が、薄くなりすぎて、ひび割れてしまうことが、繰り返された。タギは、叩く力の加減、そして、鉄を熱し直すタイミングを、何度も調整しながら、少しずつ、より大きく、より均一な鉄板を、作れるようになっていった。この製作には、ひと月半ほどが、費やされた。
この鉄板の技術と合わせて、湊は、もう一つ、これまでの村にはなかった、接合の技術についても、思いを巡らせていた。半田付けだ。
「タギ、細い部品同士を、確実に、でも、傷めることなく、繋げる方法は、ないだろうか」
湊の記憶にある半田付けは、鉛と錫に近い、比較的低い温度で溶ける金属を、接合したい部分に流し込み、冷えて固まることで、二つの部品を、しっかりと結びつける、という原理だった。
タギは、これまでの合金作りの経験を活かし、村で手に入る金属の中から、比較的低い温度で溶ける組み合わせを、探ることになった。
この探索も、簡単なものではなかった。溶ける温度が低すぎると、接合部分が、後になって、簡単に外れてしまう。逆に、高すぎると、接合したい、繊細な部品自体を、傷めてしまう恐れがある。
タギは、いくつかの金属の組み合わせを、三週間ほど根気強く試し、ようやく、ある程度、実用に耐える、低融点の合金を、見つけ出すことに成功した。
湊はレポート用紙に、この一連の発展を、丁寧に書き記した。
『貨幣制度を、改めて正式に導入。鋳造による輪の量産には、精度の確保に、三ヶ月ほどを要した』
『薄く均一な鉄板の製法を確立』
『低融点合金による半田付けの技術を確立』
夕暮れ、湊は、ハナが、自分の作った、香りのよい石鹸を、輪を使って、村の別の職人と、円滑に取引している様子を、見かけた。
「湊さん、これのおかげで、随分、楽になりました」
ハナが、湊に、笑顔で、声をかけた。
「それは、よかった」
湊は、その光景を見つめながら、静かな満足感を、覚えていた。
湊は、二十一歳のまま、この作業を終えた。この世界に来てから、七年五ヶ月ほどが、過ぎていた。
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【第53話 時点 文明発展状況】
湊21歳/漂着後 7年5ヶ月
人口:103人
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01 生存・サバイバル ★★★★☆ 継続中
02 食料・農業 ★★★★☆ 継続中
03 畜産・動物 ★★★★☆ 継続中
04 漁業・水産 ★★★★☆ 継続中
05 狩猟・採集 ★★★☆☆ 継続中
06 水・衛生 ★★★★★ 継続中
07 医療・薬学 ★★★★☆ 継続中
08 住居・建築 ★★★★☆ 継続中
09 土木・インフラ ★★★★☆ 継続中
10 火・エネルギー ★★★☆☆ 継続中
11 鉱業・金属 ★★★★★ 鉄板・半田付け技術を確立
12 製造・工業 ★★★★★ 貨幣(輪)の量産体制を確立
13 科学・技術 ★★★★☆ 低融点合金の探索により、金属の性質理解がさらに深まる
14 言語・文字・出版 ★★★★☆ 継続中
15 教育・研究 ★★★★☆ 継続中
16 経済・商業 ★★★★☆ 貨幣制度が正式導入、個人による小さな商いが芽生える
17 政治・法律・行政 ★★★★☆ 継続中
18 外交・交通・情報 ★★★★☆ 継続中
19 軍事・防災・治安 ★★★☆☆ 継続中
20 文化・娯楽・思想 ★★★★☆ 個人の工夫による商品が、村の暮らしに彩りを加える
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