第50話「わからないものを、わからないまま渡す」
石鹸が村に定着してから、ふた月ほどが過ぎていた。湊は、二十歳になっていた。
ある夜、湊は、一人、工房の隅に積まれた、これまでの記録の束を、じっと見返していた。鋼、ドリル、ネジ、発電機、モーター、スピーカーの原型。この数年で、確かに、多くの技術が、村に生まれていた。だが、湊の心には、これまで、あまり直視してこなかった、ある違和感が、静かに広がりつつあった。
湊は、ケイを呼んだ。
「ケイ、聞きたいことがあるんだ。今の村で、発電機の仕組みを、俺やタギがいなくても、一から組み立てられる者は、何人いる?」
ケイは、しばらく考え込んだ後、正直に答えた。
「……タギ本人以外には、まだ、いないと思います。弟子たちも、タギの指示のもとでなら、部品を作れますが、なぜそう組み立てるのか、その理屈までは、まだ、誰も、十分には理解していません」
湊は、この答えに、深く考え込んだ。これまで、湊は、原理を示し、実演し、実際に形になれば、それで「技術が根付いた」と、どこか、安心してしまっていた。だが、実際には、その技術を生み出したのは、あくまで、湊の記憶という、他の誰にも共有できない、特殊な知識の断片であり、それを実現したのは、タギやイワといった、ごく限られた、卓越した技能を持つ、個人の才覚だった。
「もし、タギが、明日、いなくなってしまったら……」
湊は、そう、独り言のように、つぶやいた。
湊は、この不安を、長老会議に、率直に打ち明けることにした。
「俺たちは、これまで、新しいものを、次々と作ってきた。でも、それを、次の世代に、本当の意味で、確かに引き継げているのか……俺は、それが、不安になってきた」
この言葉に、長老会議は、これまでにない、重い空気に包まれた。タギ自身、この指摘に、深く頷いた。
「正直に言えば、俺自身も、なぜ、あの配合で、あの硬さの鋼ができるのか、完全にはわかっていません。何度も試して、これがうまくいく、というのは、体で覚えました。でも、それを、言葉で、誰かに説明しろと言われると……難しいのです」
湊は、この告白に、深く共感していた。
湊は、この会議で、これまでの村の技術発展のあり方を、根本から見直すことを、提案した。
「これからは、新しいものを作ることよりも、今あるものを、もっと多くの人が、理解し、扱えるようになることを、優先しよう」
この方針のもと、湊は、まず、これまで生み出してきた、様々な技術について、その工程を、これまで以上に、丁寧に、段階を追って、紙に書き記していく作業を、改めて始めることにした。
だが、この作業は、湊が思っていた以上に、困難なものだった。湊は、発電機の記録を、書こうとしたとき、コイルを、どの方向に、何回巻けば、安定して電気が生まれるのか、その正確な理由を、明確に説明することが、できなかった。
湊は、この課題に対して、一つの、地道な方法を取ることにした。タギに、実際に発電機を、一から組み立てる作業を、何度も、繰り返し行ってもらい、その一つ一つの手順を、隣で、湊とケイが、逐一、細かく記録していく、という方法だった。
この記録作業は、数ヶ月にわたって、根気強く続けられた。タギは、同じ発電機を、何度も、何度も、繰り返し作り直すことになった。最初のうちは、タギ自身、「なぜ、もう完成しているものを、また一から作り直すのか」と、戸惑いを見せることも、あった。
だが、この繰り返しの中で、タギ自身にも、これまで、感覚だけに頼っていた部分に、ある程度の、確かな規則性があることが、次第に、見えてくるようになっていった。
「そういえば、コイルの巻き数を、これより少なくすると、いつも、うまくいかなかった気がします」
タギのこうした、経験に基づく気づきの一つ一つを、湊とケイは、丁寧に、紙に書き留めていった。
同時に、湊は、この技術を、実際に、タギ以外の若者にも、教える機会を、意図的に設けるようにした。タギの弟子の一人――器用で、根気強い性格の若者に、この、まだ書きかけの記録を頼りに、実際に、発電機を、一から組み立ててもらう試みを、行った。
この最初の試みは、失敗に終わった。記録に書かれていない、細かな手加減や、部品同士の微妙な調整が、うまく再現できなかったのだ。
湊は、この失敗を、決して悪いことだとは、捉えなかった。むしろ、この失敗こそが、記録に、まだ何が足りないのかを、明らかにしてくれる、貴重な手がかりだった。
湊とタギは、この若者が、どこで、なぜつまずいたのかを、丁寧に聞き取り、その部分を、さらに詳しく、具体的に、記録に書き加えていった。
この、失敗と修正の繰り返しは、何度も、何度も、続けられた。ある部分は、言葉で説明するよりも、絵で示したほうが、はるかにわかりやすいことが、わかった。イワが、この技術記録に、より丁寧な図解を、幾つも書き加えていくことになった。
こうした、地道な作業を、半年以上にわたって積み重ねた末に、ようやく、タギの弟子は、記録だけを頼りに、独力で、簡素な発電機を、組み立てられるようになっていった。
「湊さん、タギさん、見てください。回りました!」
その若者が、緊張した面持ちで、湊とタギに、動く発電機を、見せた。それは、まだ、タギ自身が作るものほど、洗練されたものではなかった。それでも、確かに、タギ以外の人間の手によって、この技術が、再現されたのだった。
「これは……大したものだ」
タギが、深い感慨を込めて、その若者の肩に、手を置いた。
湊は、この成果を、静かな、しかし深い感慨と共に、受け止めていた。
「一つの技術が、本当の意味で、村に根付くというのは……こういうことなんだな」
湊はレポート用紙に、この、これまでとは違う種類の記録を、書き記した。
『発電機の技術記録を、タギの繰り返しの実演と、失敗の分析を通じて、半年以上かけて整備』
『タギ以外の者による、独力での再現に、初めて成功。技術の「定着」には、発見そのものより、はるかに長い時間がかかることを痛感』
湊は、この記録を、これまでの、発見の記録とは、別の場所――「継承の書」と名付けた、新しい書物の束として、大切に保管することにした。
湊は、二十歳のまま、この作業を終えた。この世界に来てから、六年ほどが、過ぎていた。
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【第50話 時点 文明発展状況】
湊20歳/漂着後 6年
人口:92人
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01 生存・サバイバル ★★★★☆ 継続中
02 食料・農業 ★★★★☆ 継続中
03 畜産・動物 ★★★★☆ 継続中
04 漁業・水産 ★★★★☆ 継続中
05 狩猟・採集 ★★★☆☆ 継続中
06 水・衛生 ★★★★★ 継続中
07 医療・薬学 ★★★★☆ 継続中
08 住居・建築 ★★★★☆ 継続中
09 土木・インフラ ★★★★☆ 継続中
10 火・エネルギー ★★★☆☆ 発電機の技術継承に時間を要し、実用化はまだ限定的
11 鉱業・金属 ★★★★★ 継続中
12 製造・工業 ★★★★★ 継続中
13 科学・技術 ★★★☆☆ 多くの技術が、まだ発見者個人の暗黙知に依存している実態が判明
14 言語・文字・出版 ★★★★☆ 「継承の書」という新たな記録分野を確立
15 教育・研究 ★★★★☆ 技術の再現訓練という、新しい教育手法を導入
16 経済・商業 ★★☆☆☆ 継続中
17 政治・法律・行政 ★★★★☆ 継続中
18 外交・交通・情報 ★★★★☆ 継続中
19 軍事・防災・治安 ★★★☆☆ 継続中
20 文化・娯楽・思想 ★★★★☆ 継続中
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