第37話「低地の家族」
文字体系が、村に広まり始めてから、二ヶ月ほどが過ぎていた。湊は、まだ十六歳のままだったが、そろそろ、十七歳になろうとしていた。
雨季が近づいてきたある日、湊は、村の外れを歩いていて、ふと、足を止めた。低地に建つ、何軒かの家の壁に、水が達した跡らしき、うっすらとした線が、幾重にも、残っているのに気づいたのだ。
湊は、その家の戸を、叩いた。出てきたのは、村でも古株の、漁師の一家だった。
「すみません、少し、お伺いしたいことが」
湊が、壁の跡を指さすと、当主は、少し、ばつが悪そうな表情を見せた。
「ああ、あれですか。恥ずかしながら、毎年、雨がひどい時期には、床まで、水が来ることがあるんです」
「毎年、ですか」
「ええ。魚を獲るには、この場所が、一番都合がいいんですが……代わりに、水には、悩まされ続けています」
湊は、この言葉に、深く考え込んだ。これまで、湊は、村の技術発展に、多くの時間を、費やしてきた。だが、こうした、日々の暮らしの中の、具体的な困りごとに、十分に目を向けられていなかったのではないか。
「他にも、同じように、困っている家は、ありますか」
「ええ、いくつか。特に、最近、村に加わった人たちは、まだ、土地のことを、よく知らないので……」
湊は、この当主の言葉を聞きながら、ある家族のことを、思い出していた。メイとロウの家だった。
湊は、その足で、メイの家を訪ねた。ロウは、この頃、七歳になっていて、すっかり、村の子供たちと変わらぬ発音で、共通語を、話すようになっていた。
「湊さん、いらっしゃい」
メイが、湊を、家の中へと、招き入れた。
「メイさん、少し、聞きたいことがあるんです。この家、雨の時期は、大丈夫ですか」
メイは、少し、表情を曇らせた。
「実は……去年の雨季は、大変でした。床の下まで、水が入ってきて、家財道具の、いくつかを、だめにしてしまって」
「そうでしたか。それは、大変でしたね」
「私たちは、まだ、どこに住めばいいのか、よくわからなくて。村の人に勧められた場所に、そのまま、住んでいるだけなんです」
湊は、メイのこの言葉に、これまで、こうした新しい家族への、土地選びの助言が、十分に行き届いていなかったことを、改めて、自覚させられた。
湊は、この課題を、長老会議に、持ち込むことにした。集会所に、ガル、シラ、ドウ、タギ、ミオ、ナギ、ケイ、イワが、集まった。
「低地の家々が、毎年、浸水の被害を受けている。これを、なんとかしたいと思っている」
湊の言葉に、ドウが、真っ先に、口を開いた。
「以前から、気になってはいたんです。堤防を、もっと高く、頑丈にできれば……」
「どれくらいの規模が、必要になる?」
湊の問いに、ドウは、少し考えてから、答えた。
「川沿いに、これまでよりも高く、頑丈な堤を、築ければ、浸水そのものを、大きく減らせるはずです。ただ……レンガと木材の量が、かなり、必要になります」
この言葉に、集会所の空気が、少し、重くなった。村の資材には、限りがある。すべてを、一度に賄うことは、難しい状況だった。
ここで、タギが、口を開いた。
「レンガを、すべて使わなくても、いいんじゃないでしょうか」
「どういうことだ?」
湊が、尋ねた。
「土を盛って、固めるだけでも、一定の効果は、あるはずです。まず、土の堤を、作ってみて、様子を見ながら、必要な場所から、レンガで、補強していく――そういう、段階的なやり方は、どうでしょう」
湊は、この提案に、確かな現実性を、感じた。
「それは、いい考えだ。すべてを、一度に、完璧にしようとするより、まず、できることから、始めよう」
方針が固まると、雨季までの、残り少ない期間――およそひと月の間に、村総出での、堤防作りが、急ピッチで、進められることになった。
土を運び、突き固める作業には、力仕事の得意な若者たちが、中心となって取り組んだ。ガルもまた、狩猟の合間を縫って、この作業に、加わった。
湊自身も、できる範囲で、この作業に、参加した。土を運ぶ籠を、担ぎながら、湊は、隣で作業をしていた、若い男に、声をかけた。
「重いだろう。大丈夫か」
「湊さんも、無理しないでくださいよ。俺たちが、やりますから」
湊は、その言葉に、笑って、答えた。
「いや、俺も、少しは、力仕事を、しないとな」
この会話に、周りにいた、他の若者たちも、笑い声を、上げた。湊は、こうした、何気ないやり取りの中に、村の人々との、確かな繋がりを、感じ取っていた。
最初の雨季、堤防は、まだ、土を突き固めただけの、簡素なものだった。それでも、以前よりは、確かに、浸水の被害を、軽減することができた。
だが、完全では、なかった。ある夜、激しい豪雨が、続いた。湊は、心配になり、夜中に、低地の様子を、見に行った。
メイの家の前に、水が、じわじわと、迫ってきているのが、見えた。湊は、慌てて、扉を叩いた。
「メイさん、大丈夫ですか!」
中から、メイと、ロウが、不安そうな表情で、出てきた。
「湊さん……床下まで、水が、来始めています」
湊は、すぐに、近くにいた、村の若者たちを呼び集め、土嚢を積んで、応急の対処を、行った。この夜、なんとか、床上まで、水が上がることは、避けられたが、湊は、この結果を、決して、楽観視しなかった。
雨季が明けてから、湊は、改めて、ドウに、相談した。
「やはり、レンガによる、本格的な補強が、必要だ」
「わかりました。今度は、特に、被害の大きかった場所から、優先的に、進めましょう」
この、レンガによる本格的な補強には、さらに、三ヶ月ほどの月日が、費やされることになった。ドウは、特に浸水の被害が大きかった、漁師の家族と、メイたちの住まいの近くから、順に、丁寧に、工事を、進めていった。
湊が、十七歳になる、少し前。ようやく、低地の集落を囲む、確かな堤防が、完成した。
完成した堤防を前に、漁師の当主は、深く、安堵の息を、ついた。
「これで、少なくとも、これまでのような被害は、かなり、減るはずです」
湊は、その言葉に、頷いた。
「時間が、かかってしまって、すみませんでした」
「いえ、こうして、きちんと、対応してもらえるだけで、十分です」
湊は、その足で、メイの家にも、向かった。メイは、完成した堤防を、見上げながら、深く、頭を下げた。
「ありがとうございます。私たちのような、新しく来た者のことまで、こんなに気にかけてもらえるとは、思っていませんでした」
湊は、メイのこの言葉に、深く、考えさせられていた。村の発展は、決して、技術や制度だけで測れるものではない。そこに暮らす、一人一人の不安や困りごとに、丁寧に耳を傾け、応えていくこと――それもまた、村長としての、湊の、大切な役目なのだと、改めて、実感していた。
この経験を踏まえ、湊は、新たに村に加わる家族に対して、土地の特性――浸水の危険性や、日当たり、水源からの距離などを、丁寧に説明する、案内係を、村の中に、設けることにした。この役目は、村の地理に詳しい、ドウの弟子の一人が、志願して、担うことになった。
湊はレポート用紙に、この一連の取り組みを、書き記した。
『低地の浸水被害に対応するため、堤防建設に着手。着手から完成まで、およそ半年を要した』
『新しく合流した家族への、土地選びの助言が不足していたことを反省。案内係を新設』
湊は、まもなく、十七歳になろうとしていた。この世界に来てから、二年九ヶ月ほどが、過ぎていた。
夕暮れ、湊は、完成したばかりの堤防の上を、歩いていた。川の流れが、夕日を受けて、穏やかに、輝いていた。堤の内側には、これまでと変わらぬ、村の暮らしの営みが、広がっている。
湊は、この光景を見つめながら、静かな満足感に、包まれていた。急がず、一つ一つ、村の人々と共に、丁寧に向き合っていく。その積み重ねこそが、この村を、本当の意味で、豊かにしていくのだろう。
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【第37話 時点 文明発展状況】
湊16歳(まもなく17歳)/漂着後 2年9ヶ月
人口:45人
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01 生存・サバイバル ★★★☆☆ 低地の浸水対策として堤防を、半年がかりで完成
02 食料・農業 ★★★☆☆ 継続中
03 畜産・動物 ★★☆☆☆ 継続中
04 漁業・水産 ★★★☆☆ 継続中
05 狩猟・採集 ★★☆☆☆ 継続中
06 水・衛生 ★★★☆☆ 継続中
07 医療・薬学 ★★★☆☆ 継続中
08 住居・建築 ★★★☆☆ 低地世帯の土地嵩上げを実施
09 土木・インフラ ★★★☆☆ 堤防建設という事業を完遂
10 火・エネルギー ★★☆☆☆ 継続中
11 鉱業・金属 ★★☆☆☆ 継続中
12 製造・工業 ★★★☆☆ 継続中
13 科学・技術 ★★☆☆☆ 継続中
14 言語・文字・出版 ★★★☆☆ 継続中
15 教育・研究 ★★★☆☆ 継続中
16 経済・商業 ★☆☆☆☆ 継続中
17 政治・法律・行政 ★★★☆☆ 新規合流者への土地案内係を新設
18 外交・交通・情報 ★★☆☆☆ 継続中
19 軍事・防災・治安 ★★☆☆☆ 継続中
20 文化・娯楽・思想 ★★★☆☆ 新規合流者への配慮が、村の一体感をさらに深める
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