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第7話 掃除の順番

第7話 掃除の順番


 その日の朝。


 アルフレッドは妙に機嫌が良かった。


 理由は簡単だった。


 昨日より掃除が上手くなった気がしていたからである。


 もちろん気のせいだった。


 だが本人は気付いていない。


 人間にはそういう日がある。


「よし」


 アルフレッドは腕まくりをした。


 麻のシャツ。


 茶色の作業ズボン。


 何度も洗われた布地は柔らかい。


 王宮の高級服とは比べものにならない。


 だが動きやすかった。


 ガストンは店先で荷物を整理している。


「今日は任せろ」


 アルフレッドが胸を張る。


 ガストンが嫌な予感しかしない顔をした。


「その顔やめろ」


「どんな顔だ」


「何かやらかす顔だ」


「失礼だな」


 アルフレッドは鼻を鳴らした。


「俺だって成長している」


「ほう」


「昨日の俺とは違う」


「ほう」


「見てろ」


 ガストンは何も言わなかった。


 それが正しかった。


 一時間後。


 店内は地獄になっていた。


「おい」


 ガストンが言った。


「何だ」


「これは何だ」


 アルフレッドは汗を拭く。


「掃除だ」


「違う」


 ガストンは即答した。


 床を見下ろす。


 確かに床は綺麗だった。


 雑巾で丁寧に拭いた。


 木目が見える。


 少し光っている。


 問題はその上だった。


 棚。


 商品。


 梁。


 全部埃まみれ。


 しかも。


 アルフレッドがさっき景気よくはたきを掛けたせいで、


 舞い上がった埃が全部床へ落ちている。


 せっかく綺麗にした床に。


 見事に。


 大量に。


「……」


「……」


「俺」


「何だ」


「馬鹿?」


 ガストンは真顔だった。


「今さら聞くか」


「聞いてる」


「そうだな」


「おい」


 ガストンは棚を指差す。


「何で床から始めた」


「綺麗にしたかった」


「その後は」


「棚を拭いた」


「その後は」


「梁にはたきを掛けた」


「その結果は」


 アルフレッドは床を見る。


 埃だらけだった。


 さっきより汚い。


「……」


「答えが出たな」


「出た」


 アルフレッドは頭を抱えた。


「俺馬鹿だ」


「知ってる」


「知ってたのか」


「最初から」


 ガストンは笑った。


 アルフレッドは床へ座り込む。


「何で誰も教えてくれなかったんだ」


「聞かなかったからだ」


「……」


「お前は昔から聞かなかったタイプだ」


 痛い。


 胸に刺さる。


 思い返せばそうだった。


 教師が何か言っても、


 従者が何か助言しても、


 大臣が忠告しても、


 聞いたふりだけだった。


 だって王子だったから。


 自分が正しいと思っていたから。


「くそっ」


 頭を抱える。


 ガストンは棚を拭きながら言った。


「順番があるんだ」


「順番」


「高い所から下だ」


「何で」


「重力」


 アルフレッドは黙った。


「埃は落ちる」


「そうだな」


「だから上からやる」


「そうだな」


「その後に床だ」


「そうだな」


「俺、本当に知らなかった」


 ガストンは笑う。


「だろうな」


 その時だった。


 店へ客が入ってきた。


 小柄な老婆だった。


 白髪を後ろで束ねている。


 籠を抱えていた。


「おはよう、ガストン」


「おう」


「おや」


 老婆はアルフレッドを見る。


「新入りかい」


「そうだ」


「顔がいいねぇ」


「元王子だからな」


 アルフレッドが言った。


 ガストンが頭を叩いた。


「痛っ!」


「嘘を教えるな」


 老婆が笑う。


「そうかいそうかい」


 どう見ても信じていない。


 アルフレッドは少し傷付いた。


 だが以前ほどではなかった。


 王子だと信じられない。


 当たり前だ。


 今の自分は麻のシャツを着て、


 埃だらけになっている。


 老婆は塩と豆を買って帰った。


 去り際。


「頑張るんだよ」


 と言った。


 アルフレッドは返事をしなかった。


 だが妙に心に残った。


 昼。


 二人は店の裏で昼食を取った。


 キャベツと豆のスープ。


 黒パン。


 薄いチーズ。


 そして干し葡萄。


 アルフレッドはパンを齧る。


 空腹だった。


 だからうまい。


 最近はそればかりだった。


「なあ」


「何だ」


 ガストンがスープを飲む。


「王子だった頃は」


「おう」


「何でも簡単だと思ってた」


「そうだろうな」


「掃除も」


「うん」


「商売も」


「うん」


「人の人生も」


 ガストンは黙った。


 アルフレッドはスープを見る。


 湯気が立っている。


 たった一杯のスープ。


 だが誰かが作った。


 野菜を育てた人がいる。


 運んだ人がいる。


 売った人がいる。


 全部繋がっている。


「順番か」


 アルフレッドは呟く。


「何だ」


「人生も同じかもしれない」


 ガストンはパンを齧る。


「ほう」


「俺、いきなり王になろうとしてた」


「そうだな」


「でも掃除もできない」


「そうだな」


「順番を知らない」


「そうだな」


 ガストンは少し笑った。


「じゃあ覚えろ」


「そうする」


 午後。


 アルフレッドはもう一度掃除を始めた。


 今度は上から。


 棚。


 梁。


 窓枠。


 そして最後に床。


 効率は悪い。


 時間も掛かる。


 だが少しずつ分かってきた。


 世の中には順番がある。


 王冠を失って初めて。


 アルフレッドはそんな当たり前のことを学び始めていた。



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