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第4話 掃除の仕方が分からない王子

第4話 掃除の仕方が分からない王子


 翌朝。


 アルフレッドは人生で最悪の目覚めを迎えていた。


 藁の寝台は相変わらず固い。


 背中が痛い。


 首も痛い。


 王宮の羽毛布団が恋しかった。


 窓の外から朝日が差し込んでいる。


 鳥の鳴き声。


 市場へ向かう荷馬車の音。


 下町はもう動き始めていた。


 アルフレッドは毛布を頭からかぶる。


「帰りたい……」


 情けない声が出た。


 だが帰る場所はない。


 王宮は遠い。


 王子だった自分も遠い。


 その時だった。


 階下から怒鳴り声が響いた。


「起きろ!」


 ガストンだった。


「働け!」


 アルフレッドは顔をしかめた。


「くそったれ……」


 ゆっくり起き上がる。


 着ているのは昨日ガストンに渡された麻のシャツ。


 少し大きい。


 茶色のズボンも膝が擦り切れている。


 鏡を見る。


 誰だこいつ。


 本気でそう思った。


 王子の面影がどんどん消えている。


 階段を降りる。


 店には朝の光が差し込んでいた。


 乾燥豆。


 小麦粉の袋。


 塩漬け肉。


 香辛料。


 様々な商品が並んでいる。


 ガストンは腕を組んでいた。


「遅い」


「俺は王子だったんだぞ」


「今は違う」


 いつもの返事だった。


 腹が立つ。


「朝飯だ」


 ガストンが木の器を置く。


 麦粥だった。


 刻んだ玉ねぎと塩が入っている。


 隣には黒パン。


 そして薄い山羊乳。


 豪華ではない。


 だが温かい。


 アルフレッドは無言で食べ始めた。


 空腹には勝てない。


 麦粥は思ったよりうまかった。


 玉ねぎの甘みがある。


 黒パンも香ばしい。


「食ったか」


「ああ」


「よし」


 ガストンが箒を渡した。


 アルフレッドは受け取る。


 しばらく眺める。


 長い棒だった。


 先に藁がついている。


「……何だこれ」


 ガストンが目を閉じた。


「箒だ」


「それは分かる」


「じゃあ掃除しろ」


 沈黙。


 アルフレッドも沈黙。


 ガストンも沈黙。


「……」


「……」


「どうやるんだ」


 ガストンの眉が動いた。


「何?」


「掃除だよ」


「箒で掃くんだ」


「だからどうやるんだ」


 ガストンはしばらく固まった。


「お前」


「何だ」


「掃除したことないのか」


「ない」


「床磨きは」


「ない」


「片付けは」


「ない」


「ベッドメイクは」


「ない」


「服を畳んだことは」


「ない」


 ガストンは天井を見上げた。


 深いため息。


 人生で一番深いため息だった。


「なるほど」


「何だ」


「本物だな」


「何がだ」


「駄目王子」


 アルフレッドは怒った。


「好きで知らないわけじゃない!」


「ほう」


「そんなの侍女や従者の仕事だろ!」


「ほう」


「俺は教わってこなかったんだ!」


 叫んだ。


 本気だった。


 王宮ではそうだった。


 起きれば服が用意されていた。


 部屋は勝手に綺麗になっていた。


 食器も消えていた。


 ベッドも整えられていた。


 だから知らない。


 本当に知らない。


 ガストンは頷いた。


「なるほど」


「そうだろ」


「はい、お疲れさまでした」


「は?」


「自己憐憫終了」


 アルフレッドは目を丸くした。


「なに?」


 ガストンは指を折る。


「親が悪い」


「……」


「教育係が悪い」


「……」


「侍女が悪い」


「……」


「環境が悪い」


「……」


「はい、お疲れさまでした」


 そこで拍手した。


 パンパン。


 本当に拍手した。


「全部終わったか」


 アルフレッドは口をぱくぱくさせる。


「終わってない!」


「終わった」


「俺は悪くない!」


「かもしれんな」


 ガストンは頷いた。


「じゃあ聞く」


「何だ」


「今から床を掃く人間は誰だ」


 アルフレッドは黙る。


「お前だ」


 即答だった。


「侍女はいない」


「……」


「従者もいない」


「……」


「教育係もいない」


「……」


「親もいない」


 静かな声だった。


「いるのはお前だけだ」


 アルフレッドは言い返せなかった。


 腹が立つ。


 悔しい。


 だが事実だった。


 ガストンは箒を持つ。


「見てろ」


 そう言うと床を掃き始めた。


 ざっ。


 ざっ。


 無駄がない。


 埃が集まる。


 あっという間だった。


「こうだ」


「……簡単そうだな」


「やれ」


 アルフレッドは箒を握る。


 そして。


 盛大に商品棚へぶつかった。


 ガタン!


 豆袋が落ちた。


「うわっ!」


 小麦粉も落ちた。


 白い粉が舞う。


 アルフレッドは咳き込む。


 ガストンは顔を覆った。


「帰れ」


「帰る場所がない」


「そうだった」


 昼まで続いた。


 箒で商品を倒す。


 棚にぶつかる。


 埃を顔に浴びる。


 何度も失敗した。


 腕も痛い。


 腰も痛い。


 汗も出る。


 昼頃。


 ようやく店の一角だけ綺麗になった。


 アルフレッドは床に座り込む。


「はぁ……はぁ……」


 息が切れる。


 ガストンが水を渡した。


 冷たい井戸水だった。


 うまい。


 信じられないほどうまい。


 ガストンは掃除した床を見る。


 そして一言。


「下手くそだな」


 アルフレッドは笑った。


 なぜか少しだけ。


 本当に少しだけ。


 悔しいだけではなかった。


 生まれて初めてだった。


 自分の手で何かを綺麗にしたのは。


 王子だった頃には知らなかった達成感が、埃の匂いのする店の中で、小さく芽を出し始めていた。



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