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第18話 裏庭の生姜

第18話 裏庭の生姜


 初夏の陽射しは柔らかかった。


 ガストン商店の裏庭には、小さな畑がある。


 大した広さではない。


 昔は雑草ばかり生えていた場所だった。


 だが今は違う。


 アルフレッドが時々手入れをしている。


 朝の仕事を終えた後だった。


 麻のシャツの袖をまくり、古い作業ズボンの膝を土で汚しながら、アルフレッドはしゃがみ込んでいた。


 目の前には種生姜。


 ごつごつした茶色い塊。


「何してる」


 後ろからガストンの声がする。


「生姜だ」


「見れば分かる」


「なら聞くな」


「生姜で何をする」


 アルフレッドは少し照れ臭そうに鼻を掻いた。


「育てる」


「何で」


「お前が好きだろ」


 ガストンが黙る。


 アルフレッドは続けた。


「前に言ってたじゃないか」


「冬に生姜湯飲むと体が温まるって」


「言ったか」


「言った」


 ガストンは腕を組んだ。


 少しだけ気まずそうだった。


「別に買えばいい」


「育てた方が安い」


「お前らしい理由だな」


 二人とも笑った。


 アルフレッドは種生姜を手に取る。


 芽が二つほど出ている。


 市場の農家から教わった通り、数日前に割って乾かしておいたものだ。


 小さな畝に穴を掘る。


 芽を上に向ける。


 土をかぶせる。


 水をやる。


 それだけの作業だった。


 だが妙に楽しかった。


「昔の俺なら絶対やらなかったな」


 アルフレッドが言う。


「だろうな」


「土触るの嫌だったし」


「知ってる」


「虫も嫌いだし」


「知ってる」


「今も嫌いだ」


「それも知ってる」


 ガストンは容赦がない。


 昼になる。


 二人は店へ戻った。


 昼食は野菜と豆のスープ。


 黒パン。


 塩漬け肉を軽く焼いたもの。


 それに薄く切った玉ねぎ。


 素朴だった。


 だがうまかった。


 働いた後の食事は格別だ。


「生姜ができたら何作る」


 アルフレッドが聞く。


「生姜焼き」


「豚肉ないぞ」


「なら鶏肉でいい」


「適当だな」


「食えればいい」


 ガストンは本気だった。


 数週間後。


 生姜は芽を出した。


 柔らかな緑色。


 真っ直ぐ空へ伸びている。


 アルフレッドは毎朝裏庭へ行くようになった。


 水をやる。


 雑草を抜く。


 土を寄せる。


 市場の農家に教わった通りだった。


「お前」


 ガストンが呆れたように言う。


「何だ」


「子どもができた親みたいだぞ」


「失礼な」


「毎朝見てるじゃないか」


「育ってるか気になるんだ」


「親だな」


 アルフレッドは反論できなかった。


 確かに気になっていた。


 生姜は少しずつ大きくなる。


 人間みたいだった。


 一気には変わらない。


 少しずつだ。


 毎日少しずつ。


 ある日。


 市場の帰り道だった。


 アルフレッドはふと立ち止まる。


 夕陽が街を赤く染めている。


 子どもたちが走る。


 商人が店を閉める。


 パンの焼ける香り。


 遠くから犬の鳴き声。


 平和な夕方だった。


 その時。


 ふと思う。


 自分も生姜と同じだった。


 追放された日。


 何もなかった。


 誇りも。


 金も。


 居場所も。


 ただの種だった。


 しかも腐りかけの。


 だが。


 土に埋まった。


 雨に打たれた。


 泥まみれになった。


 怒鳴られた。


 失敗した。


 恥をかいた。


 それでも。


 少しずつ芽が出た。


 少しずつ変わった。


 少しずつ成長した。


 気付けば今がある。


 秋になった。


 葉は大きく育っていた。


 収穫の日だった。


 アルフレッドは土を掘る。


「おお」


 思わず声が出る。


 立派な生姜だった。


 土の中からごろごろ出てくる。


 新鮮な香り。


 爽やかな辛味。


「できたな」


 ガストンも珍しく笑った。


「できたな」


 二人で収穫する。


 かごいっぱいになった。


 その夜。


 夕食は少し豪華だった。


 鶏肉の生姜焼き。


 生姜をたっぷり入れたスープ。


 焼きたてのパン。


 林檎の煮込み。


 食卓に湯気が立つ。


 生姜の香りが部屋いっぱいに広がる。


「うまい」


 ガストンが言う。


「そうだろ」


「お前が作ったわけじゃない」


「育てた」


「まあな」


 ガストンは黙って食べる。


 そして。


 ぽつりと言った。


「ありがとう」


 アルフレッドは固まった。


「今何て言った」


「聞こえなかったならいい」


「聞こえた」


「なら聞き返すな」


 ガストンは顔を背けた。


 耳が少し赤い。


 アルフレッドは笑った。


 大声ではない。


 立派な演説でもない。


 ただ一言。


 ありがとう。


 それだけだった。


 だが。


 どんな勲章より嬉しかった。


 窓の外では秋の風が吹いている。


 裏庭には掘り残した生姜の葉が揺れていた。


 人生は不思議だ。


 王宮では手に入らなかったものが。


 この小さな裏庭にはたくさんあった。


 アルフレッドは温かい生姜スープを飲みながら、静かに笑った。


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