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第17話 新しい人格

第17話 新しい人格


 初夏の朝だった。


 市場はまだ目を覚ましたばかりだった。


 石畳には昨夜の雨が少し残り、朝日を受けてきらきらと光っている。


 パン屋からは焼きたての小麦の香り。


 八百屋の店先には露の残る野菜。


 遠くで荷馬車の車輪が軋む音が聞こえた。


 アルフレッドはガストン商店の扉を開ける。


 前掛けを締める。


 棚を見回す。


 商品の位置を確認する。


 もうすっかり朝の習慣になっていた。


「早いな」


 後ろから声がした。


 ガストンだった。


 麻のシャツに作業着姿。


 相変わらず不機嫌そうな顔だ。


「歳を取ると朝が早いらしい」


「お前はまだ若い」


「精神的に老けた」


「それはある」


 朝から失礼だった。


 二人は笑う。


 店の準備を始める。


 棚を拭く。


 商品を並べる。


 帳簿を確認する。


 そんな中。


 アルフレッドはふと窓ガラスに映る自分を見た。


 少し驚く。


 以前とは顔が違っていた。


 王宮にいた頃。


 自分はいつも高価な服を着ていた。


 鏡ばかり見ていた。


 髪型ばかり気にしていた。


 だが今は違う。


 日に焼けている。


 腕も太くなった。


 顔つきも変わった。


「どうした」


 ガストンが聞く。


「いや」


 アルフレッドは首を振る。


「別人みたいだと思ってな」


「別人だろ」


「そうかもな」


 本当にそうだった。


 店が開く。


 客がやってくる。


 常連の老婆。


 農夫。


 職人。


 若い母親。


 みんな挨拶していく。


「おはよう」


「今日も元気だね」


「茶葉頼むよ」


「この前の豆うまかったぞ」


 アルフレッドは笑顔で応える。


 以前なら想像もできない光景だった。


 昼頃だった。


 一人の少年が走ってきた。


 以前よく店に来ていた、あのそばかす顔の少年だった。


「アル!」


「何だ」


「父ちゃんが呼んでる!」


「何かあったのか」


「荷車の車輪が壊れた!」


 アルフレッドはすぐに立ち上がる。


 工具箱を持つ。


 昔なら絶対にやらなかった。


 だが今は自然に体が動く。


 現場へ行く。


 車輪は確かに壊れていた。


 農夫が困った顔をしている。


「悪いな」


「いい」


 アルフレッドはしゃがみ込む。


 手は汚れる。


 服も汚れる。


 だが気にならない。


 しばらくして修理が終わった。


 車輪は問題なく回る。


 農夫はほっと息を吐いた。


「助かった」


「たいしたことじゃない」


「いや」


 農夫は真剣な顔で言った。


「本当に助かった」


 アルフレッドは少し照れた。


 昔なら。


 こんな感謝は見下していただろう。


 だが今は違う。


 胸が温かかった。


 夕方。


 店を閉める。


 ガストンが簡単な夕食を作っていた。


 玉ねぎと鶏肉の煮込み。


 白豆のスープ。


 焼きたてのパン。


 林檎の甘煮。


 食欲をそそる香りが広がる。


「うまそうだな」


「うまいぞ」


 食卓につく。


 パンをちぎる。


 スープを飲む。


 体に染みる。


 働いた後の食事は格別だった。


 しばらく黙って食べる。


 やがてアルフレッドが口を開いた。


「なあ」


「何だ」


「人間って変われるんだな」


 ガストンはスープを飲む。


「少しずつな」


「昔の俺は」


 アルフレッドは笑った。


「嘘だらけだった」


「そうだろうな」


「見栄ばかり張っていた」


「そうだろうな」


「他人のせいばかりにしていた」


「それもだろうな」


 ガストンは遠慮がない。


 だが嫌ではなかった。


 アルフレッドは窓の外を見る。


 夕焼けが街を染めている。


 人々が家路を急ぐ。


 子どもたちが笑っている。


 平和な光景だった。


「昔の俺を脱ぎ捨てるのは大変だ」


 ぽつりと言う。


「古い服みたいにはいかんからな」


 ガストンが答える。


「だな」


 アルフレッドは頷いた。


 傲慢さ。


 見栄。


 怠け癖。


 自己正当化。


 全部まだ残っている。


 時々顔を出す。


 だが。


 少しずつ減っている。


 少しずつ変わっている。


 そのことだけは分かった。


 夜。


 帳場で一人帳簿を開く。


 数字が並んでいる。


 売上。


 仕入れ。


 利益。


 人々の生活。


 その一つひとつに意味があった。


 アルフレッドは静かに微笑む。


 王冠はない。


 豪華な宮殿もない。


 だが。


 今の自分の方が好きだった。


 昔よりずっと。


 人間らしく生きている気がしたからだ。


 ランプの灯が揺れる。


 アルフレッドは帳簿を閉じた。


 そして静かに呟く。


「明日も頑張るか」


 その声は誰に聞かせるものでもない。


 ただ。


 新しい人格を身につけようと歩き続ける、一人の男の本音だった。



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