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第12話 元婚約者との「再会」

第12話 元婚約者との「再会」


 その知らせが市場に届いたのは、よく晴れた春の日だった。


「視察団が来るらしいぞ」


 魚屋の親父が叫ぶ。


「隣国からだってよ」


「えらい人か?」


「公爵家の令嬢らしい」


 市場が少しだけざわつく。


 ガストン商店の店先で塩袋を運んでいたアルフレッドは、特に気にも留めなかった。


 隣国の貴族。


 今の自分には関係ない。


 そう思った。


 だが。


 次の言葉で動きが止まった。


「名前は確か……リーゼロッテ様とか」


 塩袋が手から落ちた。


 どさり。


 白い粉が少し舞う。


「おい!」


 ガストンが怒鳴る。


「何してる」


「……今、何て言った」


「塩を落としたと言った」


「違う」


 アルフレッドの顔から血の気が引いていた。


「名前だ」


「リーゼロッテ様だよ」


 魚屋が答える。


「有名な方らしいぞ」


 その後の言葉は耳に入らなかった。


 リーゼロッテ。


 元婚約者。


 自分を追放へ導いた女。


 いや。


 違う。


 自分の罪を暴いた女だ。


 胸の奥がざわつく。


 苦いものが込み上げる。


 あの日の夜会。


 冷たい眼差し。


 帳簿。


 王位剥奪。


 全部が蘇った。


「おい」


 ガストンが顔を覗き込む。


「大丈夫か」


「……ああ」


 嘘だった。


 全然大丈夫ではなかった。


 翌日。


 街は祭りのような騒ぎだった。


 通りが掃除される。


 旗が飾られる。


 役人たちが走り回る。


 アルフレッドは荷物運びをしていたが、まるで集中できない。


「そっちじゃない」


「何?」


「箱を逆に持ってる」


「あ」


 最近では珍しい失敗だった。


 ガストンは腕を組む。


「お前」


「何だ」


「今日おかしいぞ」


「そうか」


「そうだ」


 その時だった。


 遠くから歓声が上がる。


 視察団が来たのだ。


 市場の人々が通りへ集まる。


 アルフレッドも反射的に顔を向けた。


 そして。


 見た。


 白い馬車。


 磨かれた装飾。


 護衛騎士たち。


 その中心。


 淡い青のドレスをまとった女性。


 リーゼロッテだった。


 思わず息を呑む。


 美しかった。


 だが昔と違う。


 以前は令嬢だった。


 今は違う。


 威厳があった。


 自信があった。


 まるで一国を背負う人間の顔だった。


 人々が頭を下げる。


 リーゼロッテは一人ひとりに微笑み返している。


 高圧的ではない。


 傲慢でもない。


 誰に対しても丁寧だった。


 アルフレッドは物陰へ身を隠した。


 心臓が痛いほど鳴っている。


「何してる」


 ガストンが来た。


「見るな」


「見てない」


「見てるだろ」


「……」


 見ていた。


 どうしようもなく。


 目が離せなかった。


 リーゼロッテは商店街を視察している。


 店主たちの話を聞いている。


 子どもに話しかけている。


 老人に頭を下げている。


 その姿を見ているうちに。


 アルフレッドは顔を伏せた。


「くそっ」


「何だ」


「俺は本当に馬鹿だった」


 ガストンは黙る。


 アルフレッドは笑った。


 情けない笑いだった。


「昔の俺は何を見てたんだろうな」


 リーゼロッテは昔から優秀だった。


 誠実だった。


 働いていた。


 国のために。


 民のために。


 必死だった。


 なのに自分は。


 愛嬌がない。


 面白くない。


 そんなことしか見ていなかった。


「最低だな」


 ぽつりと言う。


「そうかもな」


 ガストンは否定しなかった。


 だからこそ少し救われた。


 夕方。


 視察団は市庁舎へ向かった。


 街は静かになる。


 アルフレッドは店の裏へ座り込んでいた。


 夕陽が石畳を赤く染めている。


 風が少し冷たい。


「会わないのか」


 ガストンが聞く。


「会えるか」


「元婚約者なんだろ」


「だからだ」


 アルフレッドは苦笑した。


「今の俺を見てほしい気持ちはある」


「ほう」


「だが」


 言葉が続かない。


 本当は分かっていた。


 まだだ。


 まだ足りない。


 掃除を覚えた。


 荷物も運べるようになった。


 帳簿も整理した。


 だが。


 まだ自分を許せていない。


 リーゼロッテに謝れるほど、自分は変われていない気がした。


「逃げてるだけじゃないのか」


 ガストンが言う。


 アルフレッドは少し考えた。


「そうかもしれない」


「そうだろうな」


「でも」


 夕陽を見る。


 赤い光が街を染めている。


「今の俺では、まだ合わせる顔がない」


 それは初めての感情だった。


 復讐ではない。


 未練でもない。


 言い訳でもない。


 ただ。


 恥だった。


 かつての自分への。


 深い恥だった。


 ガストンは黙った。


 やがて立ち上がる。


「飯だ」


「今日何だ」


「鶏の煮込み」


「食う」


 即答だった。


 ガストンが笑う。


「少しは元気になったな」


 アルフレッドも笑った。


 夕焼けの空は美しかった。


 リーゼロッテはもう見えない。


 だが不思議だった。


 今日初めて。


 アルフレッドは過去から逃げるのではなく、過去と向き合いたいと思った。


 それは苦しい。


 情けない。


 だが。


 きっと必要な痛みだった。


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