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第13話 牙を剥く悪徳商会(契約の罠)

第13話 牙を剥く悪徳商会(契約の罠)


 春の終わりだった。


 ガストン商店はかつてないほど忙しくなっていた。


 朝から客が並ぶ。


 焼きたてのパンの香り。


 茶葉の匂い。


 香辛料の刺激的な香り。


 店の中には活気があった。


「豆二袋!」


「はいよ!」


「茶葉も!」


「こっちがおすすめだ!」


 アルフレッドは忙しく動き回っていた。


 麻のシャツ。


 濃紺のベスト。


 作業ズボン。


 額には汗が浮かんでいる。


 だが顔は明るかった。


 商売が面白かった。


 数字が動く。


 客が笑う。


 店が成長する。


 その手応えが嬉しかった。


 だが。


 すべての人間がそれを喜ぶわけではない。


 その日の昼過ぎだった。


 店の前に豪華な馬車が止まった。


 黒塗り。


 金の装飾。


 高価な馬。


 市場の人々がざわつく。


「バルツァー商会だ」


「また来たのか」


 ひそひそ声が聞こえる。


 馬車から男が降りてくる。


 四十代半ば。


 太った体。


 高価な絹の服。


 指には宝石の指輪。


 男は店を見回し、鼻で笑った。


「ほう」


 その視線は嫌なものだった。


 値踏みするような。


 虫を見るような。


「ここが最近噂の店か」


 ガストンが店の奥から出てくる。


「何の用だ」


 男は笑った。


「挨拶ですよ」


「帰れ」


「相変わらず愛想がない」


 男の名前はバルツァー。


 この街最大の商会の会頭だった。


 市場の倉庫。


 輸送。


 卸売。


 多くを支配している。


 そして。


 昔からガストン商店を見下していた。


 バルツァーは棚の商品を眺める。


「繁盛しているそうですね」


「おかげさまでな」


「小さな店にしては」


 その言い方に棘があった。


 アルフレッドは眉をひそめる。


「何が言いたい」


 思わず口を挟む。


 バルツァーは初めてアルフレッドを見た。


「君か」


「何だ」


「噂の元王子というのは」


 市場が静まり返った。


 アルフレッドの表情が固まる。


 バルツァーは楽しそうだった。


「聞いてますよ」


「……」


「追放されたそうですね」


 笑う。


 嫌な笑いだった。


 アルフレッドの拳が震える。


 だがガストンが前に出た。


「帰れ」


「おやおや」


「客の邪魔だ」


 バルツァーは肩をすくめる。


「失礼」


 そう言って去った。


 だが。


 それで終わりではなかった。


 三日後。


 取引先の一つが突然契約を打ち切った。


 さらに翌日。


 別の業者も来なくなる。


 塩の仕入れが止まる。


 豆も遅れる。


「おかしいな」


 アルフレッドが言う。


「おかしいな」


 ガストンも言う。


 さらに一週間後。


 店の前に役人が現れた。


「苦情が出ています」


「何のだ」


「騒音です」


「騒音?」


 意味不明だった。


 だが役人は書類を残していく。


 明らかに嫌がらせだった。


「バルツァーだな」


 アルフレッドが言う。


「だろうな」


 ガストンも認めた。


 そして決定打は突然来た。


 雨の日だった。


 店を閉めようとしていた時だった。


 黒い馬車が止まる。


 中から男が降りてくる。


 バルツァーだった。


 今日は妙に機嫌がいい。


「良い知らせです」


「聞きたくない」


「そう言わずに」


 彼は書類を差し出した。


 分厚い羊皮紙だった。


「何だ」


「契約書です」


「契約?」


「この土地に関するものですよ」


 ガストンが眉をひそめる。


 アルフレッドも受け取る。


 読む。


 そして顔色が変わった。


「何だこれは」


 そこにはこう書かれていた。


 ガストン商店は土地使用権を放棄し、一か月以内に立ち退くこと。


 拒否した場合、高額の違約金を支払うこと。


 ありえない内容だった。


「ふざけるな」


 アルフレッドが言う。


 バルツァーは肩をすくめた。


「ですが署名があります」


「署名?」


 ガストンが目を細める。


 契約書の下。


 そこには確かにガストンの名前があった。


「……」


 ガストンは黙った。


「覚えてないか?」


 バルツァーが笑う。


「倉庫契約の更新時ですよ」


 ガストンの顔が歪む。


 アルフレッドは理解した。


 騙されたのだ。


 文字の読めないガストンは。


 内容を信じて署名した。


 バルツァーは最初から狙っていた。


「汚いな」


 アルフレッドが言う。


「商売ですよ」


 バルツァーは笑った。


「弱い者は食われる」


 その言葉。


 昔の自分なら賛同したかもしれない。


 だが今は違う。


 胸の奥で何かが燃えた。


 ガストンが呟く。


「俺の負けだな」


「おい」


 アルフレッドは振り返る。


「何言ってる」


「署名した」


「だから何だ」


「契約は契約だ」


 ガストンの声は静かだった。


 悔しさを押し殺している。


 その姿を見た瞬間。


 アルフレッドは決めた。


 もう逃げない。


 もう見ているだけではない。


 かつて数字を悪用した。


 契約を軽んじた。


 だからこそ分かる。


 この契約はおかしい。


 必ずどこかに罠がある。


 いや。


 罠があるなら逆に利用できる。


 アルフレッドは契約書を握りしめた。


「借りるぞ」


「何をだ」


 ガストンが聞く。


「時間だ」


 アルフレッドは契約書を開く。


 目が鋭くなる。


 王子だった頃。


 唯一得意だったこと。


 数字。


 法律。


 契約。


 それを初めて誰かを守るために使う時が来た。


 バルツァーは笑っていた。


 勝利を確信している笑顔だった。


 だがアルフレッドも笑った。


 静かに。


 獲物を見つけた時のように。


「悪いな」


 小さく呟く。


「今度は俺の番だ」


 雨音が激しくなる。


 契約書の文字がランプの灯に照らされていた。


 その中に。


 バルツァー自身も気付いていない致命的な綻びが隠されていることを。


 まだ誰も知らなかった。



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