↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様の備忘録  作者: 伊丹 宝


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
109/118

鈴の向こう側 3

古い本は静かに閉じられていた。その表紙にはまだ名前がない。けれど最後の頁には一文字だけ、『待』と記されていた。


尊はその文字を見つめながら呟く。


「待つ。誰かを?」

「はい」


松平は静かに頷き答える。


「一柱を?」

「……はい」


わずかな沈黙のあと、松平は再び頷く。尊は少しだけ笑う。


「じゃあ、僕はずっと待ってたんだ」

「そうでございます」


その言葉に松平は静かにと応じた。その瞬間、尊の胸の奥に不思議な温かさが広がる。寂しさは確かにある。けれどそれだけではない。待つという行為そのものが、誰かを信じ続けることだったのだと、今なら少しだけ分かる気がしていた。尊は古い本を文机へ置いた。その隣には白い本がある。過去を記録した本と、まだ何も書かれていない本。二冊を見比べながら、尊は尋ねる。


「ねえ、松ちゃん。この二冊、どこか似てない?」

「似ているのではなく、同じ場所から生まれたものなのかもしれません」


松平は静かに答えた。その言葉に尊は目を丸くするが、松平はそれ以上語らず、ただ古い本へ視線を落とした。尊はその視線を追う。


「一柱。この本、一柱も知ってた?」

「はい」

「一緒に作ったの?」


尊からの問いに、松平はわずかに目を伏せる。


「作ったというより、約束したのでございます」

「どんな?」


重ねるように聞く。しばしの沈黙ののち、松平は静かに言葉を紡ぐ。


「忘れないこと。そして、帰ってきたら続きを書くこと」

「続きを……何の続き?」


尊は息を止めて問うが、松平は首を横に振る。


「それは尊様が思い出されるべきことです」


尊は少し困ったように笑う。


「松ちゃん、秘密ばっかりだね」

「申し訳ございません」


尊は古い本へ、そっと手を置いた。


「今度は僕が思い出す」


静かに告げたその瞬間、白い光が頁から広がり、景色は過去へと沈んでいく。そこにあったのは小さな家だった。少年の尊、少女、そして白い衣の青年が机を囲み、一冊の白い本を見つめている。


「これ、何を書くの?」

「人のことです」


青年が静かに答える。


「嬉しかったこと、悲しかったこと、誰かを大切に思ったこと、忘れたくないこと」

「全部?」

「一人につき一冊です」

「そんなの本が何冊あっても足りないよ」


少女は笑い、尊が目を輝かせながら聞くと、青年も少し微笑みながら答える。


「だからこそです」

「じゃあ僕も書く」

「それなら私も」


やがて景色は夕暮れへと移る。三人は庭を歩く。


「この本、いつかいっぱいになるのかな」

「いっぱいになったら新しい本を作ればいい」

「ずっと書けるね」


笑いながら歩いていると、少女はふと立ち止まる。


「もし私たちが別々の場所へ行っても」

「また会えるよ」

「どうして?」

「約束したから」

「そっか、約束したもんね」


さらに景色は夜の神殿へと変わる。白い衣の青年は一人で祈り、少年の尊はその背を見つめていた。青年は振り返り、告げる。


「もし私が君の前からいなくなったら」

「いなくならないよ、約束したでしょう」


尊は首を振る。青年は静かに笑い、小さな鈴を取り出す。


「これは帰る場所を知らせる鈴です」


尊はそれを両手で受け取る。


「じゃあ僕が鳴らす。帰ってきたら一緒に続きを書こう」

「必ず」


やがて鈴の音とともに景色は崩れ、青年の姿は光の中へと溶けていく。


「待って!」

「本を守ってください」


叫ぶ少年の声に、青年は最後に静かにと告げる。少年の尊は小さく頷き、その言葉を受け止めた。光が消え、尊は執務室へと戻っていた。目の前には古い本と白い本、そして静かに立つ松平がいる。しばしの沈黙ののち、尊は呟く。


「この相談所を、一柱が帰ってくる場所にしたんだね」

「はい。一柱がいつか帰ってこられるように」


松平は静かに頷き答える。尊は少しだけ笑う。


「じゃあ、僕はまだ終わってないんだ」

「まだ、何も終わっておりません」


その言葉に松平はわずかに目を伏せ答える。尊は古い本を閉じ、白い本へ手を置く。


「なら、続きを書こう」


その瞬間、白い本の頁に『帰』の一文字が浮かぶ。尊はそれを見つめ、静かに呟く。松平は何も言わず、ただ深く頭を下げた。その姿は、長い時間の祈りがようやく届いた者のようだった。窓の外では春風が若葉を揺らし、遠くで鈴が一度だけ鳴る。その音は誰かを呼ぶものではなく、ただ帰る場所を確かめるように静かに響いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。