↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様の備忘録  作者: 伊丹 宝


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
103/118

神様、最初の日 3

白い本は静かに閉じていた。その表紙には、まだ名前がない。けれど尊の胸の中には、一つだけはっきり残っていた。


「松ちゃん」

「はい」

「僕、昔の友達に会いたい」


松平は静かに尊を見る。


「はい。きっとその方も、お待ちなのだと思います」


尊は少し笑う。


「待ってる、僕を?」

「はい」


その答えに尊の胸が、ほんの少し痛んだ。



昼頃、尊は四季庭を歩いていた。桜の下、若葉の間、紅葉のそば、雪の上。どこを歩いても、あの少女の姿が浮かぶ。花を持って、笑って、少年だった自分の隣を歩いていた。


「毎日違う花、そう言ってたな」


尊は小さく笑う。


「名前、思い出せない。顔は覚えてる」


それだけでも不思議だった。何百年も前の記憶。なのに笑顔だけは、昨日のことのように鮮明だった。白い本を開く。今度の頁には、小さな村の景色が浮かんだ。少年の尊、少女。二人は川辺に座っている。少女が、小さな石を水へ投げる。ーぽちゃん、波紋が広がる。


「ねえ、尊」

「なに?」

「約束しよう」


少年が首を傾げる。


「何を?」


少女は少し考える。


「ずっと、友達」


少年は笑った。


「それ、約束なの?」

「うん。だって約束しないと、いつか忘れちゃうかもしれないから」


少年は少しだけ真剣な顔をする。


「忘れないよ、絶対」


少女は笑う。


「じゃあ、約束」


二人は小指を絡めた。小さな指、幼い約束。尊は、その光景を見ながら自分の指を握った。


「……」


胸が苦しい。けれど、なぜか温かい。


「こんな約束してたんだ」


松平は静かに答える。


「はい。尊様は約束を大切にする方でした」


景色が変わる。少年の尊は、村の人々を助ける青年へ成長していく。薬草を集め、病人を見舞い、争いがあれば両方の話を聞く。少女も隣にいる。


「また、人の話を聞いてる」


少女が笑う。


「うん。どっちが悪いか、分からないから」

「じゃあ、どうするの?」


少年は考える。


「両方、どうして困ってるのか…聞く」


少女は嬉しそうに笑う。


「やっぱり、尊は尊だね」


その言葉が尊の胸に深く響いた。


「やっぱり僕、昔からこんなだったんだ」


ある日、村へ一人の旅人がやってきた。ひどく疲れている。荷物もほとんどない。村人たちは警戒した。


「怪しい」

「追い返そう」


少年の尊は旅人の隣へ座る。


「どこから来たの?」


旅人は答えない。ただ俯いている。少女が少年の耳元で言う。


「怖いのかも」


尊は頷く。


「うん。じゃあ、急かさない」


その言葉に少女は笑う。


「また、それ」

「うん。僕は急がせるのが苦手なんだ」


尊は今の自分と同じ言葉を、昔から使っていたことに気づく。


「……」


胸の奥が熱くなる。その夜、白い衣の青年が少年の尊を呼んだ。


「尊」

「はい」

「人を救うというのは、その人の代わりに歩くことではありません」


少年は首を傾げる。


「じゃあ、何をするの?」


青年は笑う。


「隣にいるのです。その人が自分の足で歩き出すまで」


その言葉を聞いた瞬間、尊は息を呑んだ。


「……」


今の相談所、尊がいつもしていること、まさにそれだった。相談者の代わりに人生を歩くのではない。ただ隣に座る、話を聞く。そして自分で選んだ道へ送り出す。


「僕、ずっとこれをしてたんだ」


青年は少年へ小さな鈴を渡す。


「これは、何?」

「困った時に鳴らしなさい」


少年は嬉しそうに笑う。


「ありがとう」


青年は優しく頭を撫でた。


「ただしいつか、僕が来られない日も来ます」


少年の顔から笑顔が消える。


「どうして?」


青年は答えない。


「その時は君が、誰かの隣にいてあげなさい」

「僕が?」

「はい。君ならできる」


少年は小さく頷いた。


「分かった」


景色が崩れる。少年、少女、青年。三人の姿が、光の中へ溶けていく。最後に少女が振り返る。


「尊」

「なに?」

「もしいつか私のことを忘れても、大丈夫だから」


少年は驚く。


「忘れないよ」


少女は寂しそうに笑う。


「ううん。人は大切なものほど、心の奥へしまうことがあるから。だからもし忘れても、約束だけは覚えていてね」


その言葉が尊の胸を強く打った。景色が消える。尊は白い本の前で目を開けた。


「……」


涙が落ちていた。


「松ちゃん」

「はい」

「僕、この子と何を約束したんだろう」


松平は、すぐには答えなかった。やがて静かに。


「それは尊様ご自身が、思い出されることだと思います」


尊は頷く。


「うん。自分で見つけたい」


その時、白い本の頁に一文字だけ新しい文字が浮かんだ。


『約』


尊は、その文字を見つめる。そして静かに笑った。


「少しずつ、帰ってきてる」


松平は目を伏せる。


「はい。確かに帰ってきております」


白い本は静かに閉じる。その奥で少年だった尊と、最初の友との約束が長い眠りから、ゆっくりと目を覚まし始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。