第22話 悠遠(7)
瑞樹が抱えている闇を初めて結衣に打ち明けた時、確かに瑞樹は全て語った。
雫を愛していたこと。
その雫が死んで、原因が幼馴染たちにあると考えていたこと。
その復讐のために、幼馴染たちに酷いことをして、最後に自分自身が死のうと思っていたこと。
全てを語った。
でも、瑞樹は一つだけ隠していたことがあった。
それは、溝口が朱音を犯しているカメラ映像を世間にばら撒いたのが、瑞樹自身だという事実。
その事実だけは、隠していた。
瑞樹はただ単に、溝口と朱音が付き合った後、朱音が犯される状況を作り出して、朱音をどん底に突き落とす。そしてそこから瑞樹が手を差し伸べることで信頼させて、朱音を殺す。この急転直下こそが、復讐。
結衣にはそう伝えていたのだ。
だから瑞樹が犯した明確な罪を、結衣は知らない。
あの時。
結衣が涙ながらに瑞樹が死ぬのを止めたあの日。
瑞樹は死ぬのを確かにやめた。
結衣の小説が完結するまで。
完結した小説を読むまで死なない。
そう約束して、瑞樹は死ぬのをやめた。
しかし瑞樹の心の奥底では、ずっと罪の意識が渦巻いていたのだ。
いつでも湧き出てやると、鎌首をもたげて、その黒い感情はずっと存在していた。
瑞樹は、死ぬのをやめていなかったのだ。
いつかその時が来たら死のうと、ずっと考えていたのだ。
朱音や一花や遊という幼馴染たちにしようとしていたことと同じように、瑞樹は自分が幸せになることを望んだ。
大好きな結衣と付き合って、結衣とやりたかったいろいろなことを体験する。
そしてその幸せの絶頂で、死ぬ。
これが自分に課された運命であり、罪の代償であると、瑞樹は思っていたのだ。
暖かな冬の太陽が、大きな窓ガラスをすり抜けて部屋の奥まで差し込む、昼下がりのシェアハウスのリビング。空気中を漂う細かな埃が、斜めに差し込む光の帯の中でキラキラと反射している。
ひんやりとしたフローリングの床で正座をしながら、瑞樹はまるで懺悔室にいる罪人のように、淡々とこの事実を結衣に明かした。
結衣はきっと、これを聞いても瑞樹を赦すと言ってくれるだろう。
それを罪だと思うなら、私も一緒に背負う。
それくらいのことは言ってくれる気がした。
でも、ダメなんだ。
たとえ結衣が赦すと言ってくれても、他でもない瑞樹自身が自分を赦せない。
罪の意識は死ぬまで消えないし、一生苛まれる。
それがここ数ヶ月でわかったのだ。
死ぬことをやめると言ったあの日から、たまに夢に見るのだ。
溝口が、恨めしい顔で睨んでくる。
溝口の両親が、何も言わずに指を差してくる。
お前のせいだと、夢に出てくる。
これは、瑞樹が死ぬことでしか解決出来ない問題なんだ。
「そっか……。もう隠してることはない? これが瑞樹くんの本心? 全部?」
静寂に包まれたリビングで、結衣が真顔でこてんと首を傾けた。窓からの逆光が彼女のシルエットを縁取り、その表情に落ちる影が真意を読み取れなくさせている。
今度こそ全てを語った。
もう何も、瑞樹の後ろめたさはない。
「これで、全部」
瑞樹が絞り出すようにそう答えると、結衣は、春の風が吹き込んだようにフワリとニコッと笑うと、瑞樹の顔の前にビシッと小さな指先を向けてきた。
「な、なんだよ……?」
思いがけない明るい反応に、戸惑いながら瑞樹が訊くと、結衣は優しく、慈愛に満ちたように口元を綻ばせる。
「瑞樹くん。その溝口くんの一家心中だけど、もしみんな生きてたら? それでも瑞樹くんは死ぬの?」
「はっ……? そ、そりゃ、もし生きているなら……俺が死ぬのはやめる……けど、そんなわけっ……」
生きてるなら、死をもって償うのはやめる。
瑞樹の罪は、罪として消えない。
だけど、瑞樹が仕向けたとはいえ、溝口が朱音を軟禁して暴力を振るったのは事実。
相殺……というのも変だが、自業自得。
そういう風に思うことは出来る。
もし死んでいなかったら、だが。
「そんなわけない。俺はニュースで見た」
「瑞樹くんの勘違いってことはないのかな? ほら、前回みたいに」
「勘違い……?」
確かに、瑞樹は一度壮大な勘違い——というより思い込みをしていた。
幼馴染たちへの復讐のために、瑞樹は自分にとって都合の良い幼馴染像を作り出していたのだ。
精神が不安定で、すぐにおかしくなる幼馴染たちの虚像。
だから瑞樹は、彼らを優しく支えることで深い依存状態にさせて、信頼と安心を与えた上で彼らを殺そうとしていた。
でも、そんな幼馴染たちは、実際にはいなかったのだ。
瑞樹が思っていたよりも何倍も、彼らは普通の高校生だった。
その思い込みを、今回もしている?
いや、そんなわけ……。
『ニュースで見た』
その言葉を聞いた瞬間、結衣の瞳の奥で何かが繋がったような素振りを見せた。
彼女は「……瑞樹くんって、あの事件の後、怖くて自分からそのニュースを詳しく追えなかったんじゃない?」と核心を突きながら、素早く手元のスマホを操作し始めた。
そして。
「勘違いだと思うな。私もそのニュース見たけど……ほら」
結衣は手元のスマホで何やら素早く検索したらしく、明るく発光するネットの記事の画面を、瑞樹の目の前へと差し出してきた。
液晶の青白い光に照らされたスマホの画面には、無機質な明朝体の文字でこう書かれていた。
『宮の森の溝口家、一家心中未遂。父親の溝口設備は倒産、母親は副市長を解任。息子とともに夜逃げか』
「……み、未遂……?」
「うん。未遂だよ、未遂。たしかに速報の朝のニュースでは、どこも一家心中で取り上げてたみたいだけど、最終的には未遂だったってなってるよ?」
「ほ、ほんとかっ!」
瑞樹は結衣からひったくるようにスマホを取り上げると、食い入るように、画面の文字を貪るように記事を読む。
震える指でスクロールしていくと、どれも、これも、別のメディアの記事でさえも、未遂を報じていた。
溝口は、死んでいなかった。
瑞樹の早とちり。
思い込み。
瑞樹はまた、『こうなってるはず』と架空の世界を創り上げていたにすぎなかった。
「そうか……そうかっ……!」
ポロリ、とスマホを取り落とす。
瑞樹は糸が切れたようにその場に崩れ落ち、土下座をするように額を冷たい床に擦り付け、肩を震わせて激しい嗚咽を漏らした。
溝口家の人が死んでいない。
それなら、瑞樹が死ぬ必要がない。
生きてもいいということだ。
生きれる。
まだこの温かい世界で、結衣と一緒にいれる。
それがこの上なく嬉しくて。
やっと呪縛から解き放たれて。
フローリングにポタポタと涙の染みを作りながら、瑞樹は初めて、心から笑うことが出来た。
「瑞樹くん。もう死ぬなんて言わないよね?」
「うんっ……! 言わないっ! ハハ!」
嗚咽の合間にとめどなく笑いが込み上げてきて、瑞樹は袖口でぐしゃぐしゃになった涙を拭いながら、天井を仰いで晴れやかな笑顔を見せた。
そんな瑞樹の顔を見て、結衣もまた、陽だまりのような温かいニコニコとした笑みを浮かべる。
「瑞樹くんを救えて良かった」
結衣は床に落ちたスマホを拾い上げ、両手で包み込むようにギュッと胸で抱いた。
あの無機質な電子音の通知が、瑞樹を救った。
結衣がこの家に居たから、瑞樹は救われた。
辿ればキリがない、幾重にも重なった『もしも』の奇跡の連鎖が、瑞樹を救った。
瑞樹は立ち上がり、自分をどん底の暗闇から引きずり上げて救ってくれた結衣を、両腕で強く、強く抱き締める。
腕の中にすっぽりと収まる、柔らかくて、温かくて、小さな結衣の体温。彼女から香る甘い匂いと、確かな命の鼓動が、瑞樹の胸にダイレクトに伝わってくる。
「俺の人生は結衣のためにある。結衣に捧げる」
感極まった瑞樹がキザったくそう言うと、結衣は瑞樹の背中に腕を回し、心底嬉しそうにコロコロと鈴を転がすように笑った。
「めっちゃ主人公じゃん。いいよ。私も、瑞樹くんに私をあげる」




