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第22話 悠遠(5)

 先に目を覚ましたのは瑞樹だった。


 時刻は正午を過ぎており、カーテンの隙間から真っ白な太陽の光がシーツの上に真っ直ぐな線を引いている。昨日の凍てつくような寒さは嘘のように、部屋の中は冬の陽だまりの温かさに満ちていた。


 瑞樹の腕の中で幸せそうに規則的な寝息を立てる結衣を起こさないように、そっとシーツを抑えながらゆっくりと腕を抜くと、彼女は「うーん……」と小さく声を漏らし、コロンと寝返りを打った。


 愛おしそうにその柔らかな髪を撫でてやると、寝ているくせに口元がふにゃりと緩む結衣。


 可笑しくて、瑞樹は思わず笑みが漏れた。


 軋まないよう静かにベッドから素足をフローリングに下ろす。床には昨夜の熱を物語るように、衣服や下着が乱雑に脱ぎ散らかっていた。その中から自分のスウェットのズボンとTシャツを拾い上げ、パーカー以外を身に付ける。


 そして残ったグレーのパーカーは、結衣の丸まった背中を包むように、掛布団の上からそっと掛けてやった。


 部屋のドアを音を立てずに開け、誰もいない静まり返った廊下を通る。誰もいないリビングに入ると、冬の澄んだ空気が肌を撫でた。瑞樹はそのままシンクのステンレスが光るキッチンに向かい、棚から取り出したグラスに蛇口から冷たい水を勢いよく汲み、喉を鳴らして一気に飲み干す。


「はぁ」


 カラカラに乾いていた喉が冷気で潤い、瑞樹はそのままリビングの中央にある大きなソファに深く腰を掛ける。


 どっと疲れが押し寄せてきた。


 腕も、足も、なんだか筋肉痛のように痛いし、ダルい。


 だけど、心は夏の空のように晴れやかで、森の川のように凪いでいた。


「……今日、だな」


 静寂に包まれたリビングで、瑞樹は一人、誰に向けたものでもなく、静かに呟いた。


 瑞樹が決めていたことを、実行するなら今日この時しかないと思った。


 ここまで晴れやかで清々しく、後悔が微塵もないまさに今なら、思い残すこともなく。


 立ち上がった瑞樹の足取りは、実に落ち着いた動きだった。


 覚悟を決めたからなのか、それともとっくの昔から決意していたからなのか。


 こうして実際に道具を手に持ってみて、実感が湧いてきても、瑞樹は妙に落ち着いていた。


 ベルト。


 先ほど部屋から持ってきた、いつも高校の制服で使っている黒い革のベルト。銀色のバックルがカチャリと冷たい音を立てる。


 それをリビングの頑丈なドアの上部に取れないようにしっかりと引っ掛けて、輪っかになった革の部分に、ゆっくりと首を入れた。


 ドッドッドッドッ……。


 静かな部屋に、自分の鼓動だけがやけに大きく響き渡る。落ち着いていたのは嘘だったみたいだ。


 心臓が警鐘を鳴らし始めた。


「怖いのか?」


 ふっと、瑞樹は自嘲した。


 そんなわけない。


 全て、終わったのだ。


 朱音、一花、遊は、完全に自立出来るほどにまで回復した。もう誰も異常な人間なんて言わないだろう。


 瑞樹は瑞樹で、ヤバい奴というレッテルが貼られ、突然この世から消えても、因果応報だと結論付けられる。


 結衣とも愛し合うことが出来た。もうこれから先、こんな素敵な人に出会うことはないだろうと思うほどに、大好きになれた。好き同士になれた。


 思い残すことなんて、ない?


「あー。小説……」


 結衣の、小説。


 結衣の小説が完結するまで、死なないと結衣と約束をしたけど、それを破ることになってしまった。


 申し訳ないな。


 瑞樹はポケットから黒い画面のスマホを取り出して、ブックマークしてあった小説投稿サイトを開くと、検索の欄にフリック入力でMIZUと打ち込む。


 画面が切り替わり、一つの小説が出てきた。


 これこそが、結衣が隠し続けた小説。


「あれ? タイトル、変わってる?」


 元々は一花が偶然見つけたことで、瑞樹もその小説のタイトルと作者名を知ったのだ。


『オタクにリアルラブコメは通用しない!?』


 そういう名前のタイトルだった気がする。


 だけど、液晶の光に浮かび上がったスマホの画面に表示されたタイトルは、全然違った。


『君を救う詩』


 新作?


 それとも、そもそも記憶違いだったのだろうか。


 いずれにしても、MIZUの作品はこれ一つしかない。


 瑞樹は、ガラスの画面を指先でタップする。


 すると、あらすじにも『君を救う詩』と短い文字が書かれているだけだった。


 そして話数は一話しかない。


 なんだこれは。


 もっと長々と書いているんじゃなかったのか。ランキングにも入ったと言っていたし、感想も貰えていると言っていた。


 やはりMIZUはMIZUでも、人違いかも知れない。


 しかし瑞樹は念の為、唯一のその一話をタップした。


 真っ白な背景に黒い文字が並ぶ画面。


 そこには——。


***


瑞樹くん。


これを見てるということは、私はおそらくこの世には……って違うか。


私はおそらく、どこかにいるでしょう。


おうちかな。学校かも知れない。


もしかして瑞樹くんの家だったりして。


そんなわけないか。


瑞樹くんのおうちには幼馴染たちがいるもんね。


それより瑞樹くん。


これを見てるということは、瑞樹くんは私との約束を破ったということだよ。


ひどーい。


完結するまで読まないでって約束したのに。


今度罰ゲームだからね。


覚えといてよ?


あ、もしかして瑞樹くん、思ってた小説と違うって思ったでしょ。


ほんとにね、書いてたんだよ。


意外と閲覧も伸びたし、感想も貰えたし、もったいなかったんだけど、消しちゃった。


一年生のクリスマスパーティーの日だよ。


あの日、私ちょっと遅れたの覚えてるかな?

天音くんの彼女の紗綾香先輩と二人でお話ししてたんだけど、そこでね、消すことにしたんだ。


理由は秘密。


教えてあーげない。


それでこのメッセージも、今紗綾香先輩の前で書いてます。


天音くんと会うのすごい楽しみにしてて、先輩と思えないくらい女の子してて、すっごく可愛いんだよ。


今度また四人でデートしようねって、紗綾香先輩言ってるから、忘れないでね瑞樹くん。


話を戻そっか。


瑞樹くんがこれを見てるってことは、私の予想では、瑞樹くん死んじゃおうとしてるんじゃないかな。


瑞樹くんが約束破るってことは、きっとそれくらいの決断してる時だなって思うから。


なんでわかるかって?


私はエスパーなんだよ。


いや、嘘。


前に私が車に轢かれそうになったの覚えてるかな?


瑞樹くんに助けてもらったけど、その時の瑞樹くん、なんかすごく諦めた顔をしてたの。


私を救って、そのまま瑞樹くんが死んじゃいそうだったのに、あっけらかんとしてたと言うか。


だからなんか、もしかしてって思ったんだ。


ほぼエスパーだね。


死んじゃったら、やだな。


前にも言ったけど、ほんとに私、後追うよ?


だから瑞樹くん。


私のことがまだ好きでいてくれてるなら、死なないで欲しいな。


えっちだってしてないじゃん。


ここだからいうけど、ずっとしたかったんだよ?


え?


まさかもうしちゃった?


えー、でも、瑞樹くんその辺りヘタレだから、これを見てる時にもまだしてないと思うんだ。


でも、わかんないかー。


瑞樹くん突然オスの顔になるし、案外しちゃってるかもね。


だから瑞樹くん。


どうせ死ぬなら、腹上死にしようよ。


ね?


とことん私も付き合うからさ。


とりあえず瑞樹くん。


ここまで読んだなら、感想送って。


◾️えっち未経験なら

→一番ドキドキしたシチュエーション


◾️えっちしてたら

→初めてした日


待ってるね。


今死のうとしてる未来の瑞樹くんへ。

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