第21話 結愛(7)
二十一時を過ぎたところで、市民会館のホールに終了のアナウンスが響き渡り、大盛況のクリスマスパーティーはお開きとなった。
果たして高校生だけで食べ切れるのかと疑問だった、数十台のテーブルに並べられたビュッフェの大皿たちは綺麗に空となり、残さず高校生たちの胃の中へと見事に消えて行った。
来た時以上に満ち足りた幸せな顔で、続々と市民会館のガラス扉から出てくる生徒たちを、瑞樹と結衣は外の風除けスペースで眺めていた。
入る時は男子だけの集団だったのに、帰りは女子と恥ずかしそうに隣り合って出てくる者も少なくない。確かめたわけじゃないけど、きっとあの二人は今日くっついたんだよねと、結衣は微笑ましく笑う。
ふふっと笑った時に溢れる結衣の吐息が、真っ白な煙となって暗い夜空に吸い込まれて消える。
数十年に一度と言われる、大寒波。
深夜に近付くにつれ、容赦なく吹き付ける北風は刃のように冷たさを増し、気温は氷点下に向かってどんどん落ちていっている。
「結衣、寒くないか?」
「……ちょっと、寒いかも」
ダッフルコートにマフラーで上半身は完全防備の結衣だが、指定のスカートから伸びる細い足は、無防備に冷たい空気に晒されている。
『可愛さのために女子の我慢は必要』とはよく言うけど、氷点下を下回るこんな日は、せめてスキーウェアでも着込んで欲しいと心から思う。
瑞樹は、袖口から覗く結衣の手をそっと取った。
「――冷たっ!」
びっくりするほど、冷たい。
数分前まで暖房の効いた温かい会館の中にいたはずなのに、ずっと氷水にでも浸していたのかと思うほどに、結衣のその小さな手は芯まで冷え切っていた。
「ごめん結衣、もう帰るか。俺たちは先に行こう」
瑞樹が会館の外でわざわざ立ちんぼしていたのは、シェアハウスの幼馴染たちが出てくるのを待っていたからだ。
今日は四人揃って家を出てきたから、家の鍵を持っているのは一花だけだった。同じ家に帰るわけだし、せっかくだからみんなと合流してから帰ろうと思っていたのだ。
「ううん、いい。……待ってる」
結衣はぶるぶると小さく首を振ると、瑞樹の正面に立ち、そのまま瑞樹のコートの左右のポケットに、自分の両手をスポッと入れた。
側から見たら、完全に抱き締め合っているような甘い構図。
いつもの彼女なら悪戯に笑うはず。だけど今は小動物のようにただジッと温もりを求めてくるだけだったから、瑞樹は少し周りの視線が気になったけど、何も言わずにその柔らかな重みを受け入れた。
そして、ここぞとばかりに瑞樹の方から反逆の一手を打ち出してみる。
「……あったかくなるまで、俺が抱き締めようか?」
瑞樹はしてやったりの顔で、胸元にすっぽり収まる結衣を見下ろした。
しかしどういうわけか、今日はしおらしく小さく頷いた。
「……うん」
「っ……!」
いや、まだだ。
慌てるにはまだ早い。
ここで結衣はニヤッと笑って、『ドキッとした?』とか『早く抱き締めてよ』とか言ってくるんだ。
「……」
おかしい。
結衣はただジッと目を伏せたまま、何の反応も見せない。
これは、本当にそうして欲しいということかもしれない。
瑞樹が恐る恐る、結衣の華奢な腰に片手を回す。
すると彼女はスッと、更に瑞樹の体に密着し、コート越しにその小さな鼓動を伝えてきた。
(か、可愛いっ……過ぎだろ……!)
人目さえなければ。
周囲に誰もいなければ。
瑞樹は、ここで彼女を強く抱き締めきれない自身のヘタレ具合に嫌気が差す。
しかし、二人だけの永遠にも思えたこの甘い時間は、聞き馴染みのある明るい声によって終止符を打たれた。
「わーお。みーくんめっちゃラブラブじゃーん」
一花だ。
いや、一花どころか、五等分同盟全員に、朱音、遊に紗綾香、七瀬に八重樫、さらには六花に南那と、見知った顔の大所帯がそこにはいた。
さすがの結衣にも恥じらいがあったのか、大勢の冷やかしの圧を感じて、パッと瑞樹から離れた。
「ごめんねー! 終わったら連絡したかったんだけど、人多過ぎて電波死んでたみたいで。結衣さんも寒かったでしょ、待たせてごめんね?」
朱音がごめんねと手を合わせて謝ると、結衣は「全然大丈夫だよ、ありがとう」とにこやかに笑いかけた。
「なんだか随分パーティー増えたな」
瑞樹が朱音や一花の後ろの友達たちを見て、驚いて苦笑いする。
遊の彼女の紗綾香や、南那は大谷高校の生徒だ。個別に交遊はあっても、ほとんどが初対面のはずなのに、この数時間でいつの間にかまた仲良くなっているらしい。女子のコミュ力は恐ろしい。
「みんなでお話してたら、めっちゃ仲良くなったんだー。それでね、みーくん。はい、これ」
一花はそう言って、キーホルダーのついたシェアハウスの鍵を瑞樹に手渡してきた。
わざわざなんで渡してくるのだろうと瑞樹が首を傾げると、一花はニコニコとそれに答える。
「私たち、これからみんなでお泊まりすることになりました! 明日は日曜日だからね!」
「……なるほど?」
話を聞くと、どうやらこの大所帯は、ここから少人数のグループに分かれてお泊まり会をするらしい。
一花は三鷹、四葉、紗綾香と一緒に、五十嵐の一人暮らしアパートへ。
朱音は六花、南那と一緒に、二ノ宮の実家へ。
遊は七瀬と一緒に、八重樫の一人暮らしアパートへ。
「……随分と不思議な組み合わせだな」
瑞樹が思わず溢すと、朱音はニヤニヤと否定してきた。
「そーかなー? あたしは、みんなとすごく仲良くなれそうだよ?」
言われてすぐに、朱音たちは瑞樹に好意を寄せたことのあるメンバーだ、という共通点があることに気付き、瑞樹はタジタジと苦笑いで頷いた。
きっと今夜は、瑞樹を肴にして大盛り上がりするのだろう。
「楽しんでこい。他人の家で迷惑掛けるなよ」
「うん! じゃ行ってくるね。バイバイ、瑞樹くん!」
「みーくん、ばいばーい!」
朱音と一花が手を振って、それに合わせて他のみんなも各々「おやすみー」「またねー」と挨拶をして、夜の街へと散っていった。
そしてまた、結衣と二人だけが残される。
いつのまにか会館から出てくる生徒は一人もいなくなり、後片付けをしている生徒会の人が忙しく出入りするだけとなっていた。
「……帰るか」
「うん。帰ろうか」
結衣は、コートのポケットから手を出して、キュッと瑞樹の右手を握った。
二人は言葉もなく、先ほどのポケット越しよりも近い距離感の余韻を味わうように、静かに夜道を歩いた。
駅前の市民会館から、結衣が使う駅までは、直線で百メートルほどしかない。
(……あんまり、早く着きたくないな)
瑞樹は少しだけ、歩くスピードを意図的に落とした。
チラッと隣の結衣を見てみると、マフラーの下でニコッと嬉しそうに笑った気がした。
瑞樹がギュッと握る手に力を込めると、結衣は同じくらいの強さで、ギュッと温もりを返してきた。
――結衣が好きだ。
二人で楽しくオタク話で盛り上がるのも、こうして無言で夜道を歩くのも。
結衣と一緒に感じる全ての空気が、本当に大好きだ。
絶対に手放したくない。
ずっと一緒にいたい。
この心地よい温かさを、いつまでも感じていたい。
そう強く思えば思うほどに、瑞樹の深い胸の奥底では、全く真逆の黒い感情も湧き上がってくる。
(これで未練なく、いつでも……)
自分がなんなのか。
本当に生きているのか。
時々、わからなくなる。
ピーン……ポーン……。
いつの間にか、駅の目の前の交差点まで辿り着いてしまっていた。
規則的な盲導鈴の音が、現実に引き戻すように、二人の分つ時を知らせてくる。
駅へと続く、大きな横断歩道の前で、立ち止まった。
正面の青信号がチカチカと点滅し始めたばかりだったから、手を繋いでゆっくり走ったって全然間に合ったけど、自然と二人は、示し合わせたように足を止めた。
結衣は今、何を考えてるのだろうか。
いつだって元気で、なんでもないことを楽しそうに話すくせに、市民会館を出てから今まで遂に一言も口を開かなかった。
気まずさは全然なくて、ただ本当にこの静寂の中で、結衣の頭の中が知りたかっただけだ。
瑞樹は、隣に立つ結衣に顔を向ける。
視線に気付いた結衣が、くいっと上目遣いで視線を返してきた。
街灯の光を反射して、キラキラと輝く潤んだ瞳。
マフラーから覗く鼻の頭が、赤くなってる。
寒そうだ。
ピヨピヨ……ピヨピヨ……。
いつも通りの結衣だと思ってたけど、今日は少しだけ、耳に髪を掛けてる。
それとも、マフラーを巻いた時に乱れただけだろうか。
どっちでもいいか。
冷気で耳の先が赤くなってるのが、無性に愛おしくて気になる。
瑞樹は、繋いでいた手をそっと離すと、そのまま結衣の冷たい耳に掛かった髪を指先で優しく直した。
「……うち、来る?」
「…………いく」
横断歩道の信号は、まだ赤色のままだ。
待ち時間が長くて、本当に良かった。




