第21話 結愛(6)
結衣のダッフルコートやマフラーを受付に預けて、身軽となった彼女と瑞樹は、色とりどりの食事が並ぶビュッフェのテーブルから適当に料理を皿に盛って、二人だけの食事を楽しんでいた。
どの食べ物も、地域の有名店が協賛しているだけあって本当に美味しい。高校生のうちからこんなに舌が肥えるような高級な食事をしていいのかと、一抹の罪悪感を抱くほどだった。
「ん〜っ! すっごい美味しいねー! しあわせー!」
しかし結衣は、そんな不安なんて一ミリも感じていないようだ。
美味しいものは美味しい。
ただそれだけを純粋に感じて、頬に手を当てて文字通り幸せそうにしていた。
「……うちの生徒会、マジでどうなってんだ? 学校祭の時もそうだけど、一介の公立高校にしては、資金もコネもスケールが違いすぎるな」
「実は、表には出せないような強大な力を持ったバックがついてたりして」
不穏な仮説を立てる結衣。
しかし、あながちそれを否定出来ないほど、宮の森東高校も、その生徒会も、やることなすことが高校生の枠を飛び越えてデカ過ぎるのだ。
「……日本を救うヒーローが生徒会に在籍してて、秘密裏に国から多額の活動資金が支払われてるとか」
瑞樹がオタクらしい例えを出すと、結衣はクスクスと笑う。
「もしそうだったら、瑞樹くんはヒーロー側になりたい?」
「そうだなー。毎回逃げ惑う一般人Aよりは、助ける側の方がいいかな……。いや、俺はどっちかというと敵役だな。ヒーローを陰から苦しめる黒幕側がいい」
「あはは、言うと思った。ふふっ」
そう言って、結衣はまたクスクスと楽しそうに笑った。
「結衣はヒーロー側だな?」
「えー、わかってないなー?」
「あー、じゃあ守られるヒロイン側か。一般人Aか」
結衣は自分の皿から半分に切られたゆで卵をフォークで取ると、油断していた瑞樹の口に「あーん」と強引に放り込んだ。
「瑞樹くんが世界を壊す悪役なら、私も悪役だよ。……瑞樹くんが世界から追われて殺される運命なら、私もその運命についてく」
真面目な顔をして、そんな重いことをサラッと言う結衣。
確かにかつて彼女は、死のうとした瑞樹に対して『瑞樹くんが死んだら、私も後を追う』と、本気で言った。
だから結衣のこの言い分も、彼女の中では紛れもなく正しいのだろうが、これじゃあまるで狂信的な運命共同体だ。
世界観の設定によっては、とんでもなく重いプロポーズとも言える。
結衣は真面目な顔から一転、ニヤッと悪い小悪魔の笑みに変えて、続けた。
「瑞樹くんが今食べたゆで卵も、瑞樹くんがダチョウの卵だと言えばダチョウだと言うし。赤色だったと言えば赤色だったねって言ってあげる」
「……まるで俺は洗脳を使う独裁者だな!? そして結衣は、考えることをやめた究極のイエスマンじゃないか」
「ふふっ」
冗談なのか本気なのか。結衣は空になった皿を埋めるために「お肉取ってくるー」とその場から離れ、一番人気がある実演コーナーのステーキの列に並んだ。
瑞樹は遠目でその背中の様子を窺いながら、一人で待つ。
結衣が人混みの向こうから振り返り、口パクで『たべる?』と聞いてきたので、瑞樹は笑顔で頷いて答えると、結衣は『おっけー』とまた口パクで大きく返してきた。
「――なあ。お前、古河だろ?」
その時、不意に瑞樹の肩を強く叩く男がいた。
振り返るとそこには、見たことはないが、宮の森東の制服を着た見知らぬ学生が立っていた。
制服のネクタイの色からして、三年生だとわかる。
「……そう、ですけど……?」
男は短髪で、いかにもスポーツマンといったガタイの良さも持ち合わせていた。声も低くて目つきも鋭く、シンプルに怖い人だ、というのが瑞樹の正直な第一印象だった。
「俺は浪川。三年だ。……お前が一人になるタイミングをずっと待ってたんだけどよ。お前、水橋とどういう関係なんだ?」
「どうって……」
友達、と言おうとしたが、浪川はずっと見ていたと言う。もしかしたら先程、結衣にほっぺにキスされたところもバッチリ見ていたかもしれなかった。
(さて、どうするか)
嘘をついて友達だと言って、「そんなわけないだろ」という不毛なやり取りをするのも、なんだかこのガタイの良い浪川相手だと面倒くさそうだ。
そうやって答えに迷っていると、痺れを切らした浪川が少し苛立ったように先に口を開いた。
「……まぁ、関係なんてどっちでもいいけどよ。お前、本当に大丈夫な奴なのか?」
「……質問の意図が読めません」
品定めをするような、腹の底を読み取ろうとするような、そんな蛇のようなねちっこい視線を向けてくる浪川。
「そもそも先輩は結衣のなんなんですか? 俺が先輩に正直に答えないといけない理由でもあるんでしょうか?」
「チッ……」
生意気な後輩の態度に、浪川は舌打ちをしてイラつきを見せ、自身の短い髪の毛を乱暴にかくと、深呼吸をして答えた。
「俺は、水橋と同じ中学で……ずっとあいつに一方的に惚れてた。……だけど最近、お前があいつと一緒にいるとこを何度も見たからよ。お前みたいなヒョロい奴が、本当に大丈夫な奴なのかって思ったんだよ。……変な噂にもなってるし」
「……噂?」
浪川の口ぶり的に、『自分の好きな子が別の男と仲良くしてることに対する、ただの嫉妬』だけではないとわかる。
そして瑞樹が一番気になったのは、噂という不穏なワードだ。
浪川は結衣がいるステーキの列の方にチラリと視線を向け、彼女がまだ列に並んでいるのを確認してから、声を落として口を開いた。
「……お前、キレたら躊躇なく人を殺すって……本当か……?」
「――――」
その瞬間。
瑞樹の瞳から、人間らしい感情の光がスッと完全に消え失せた。
その底知れぬ真っ暗な瞳を見て、浪川は大男に似合わず「ヒッ」と息を呑んでたじろぐ。
「……どこで、そんな噂が?」
「ほ、本田だよ……! 水橋に関わろうとしてる俺たちみたいな奴に、片っ端から『あいつの彼氏はヤバい。殺されるぞ』って忠告して回ってるんだ……!」
「……なるほど」
本田。
懐かしい名前だ。
以前、結衣にちょっかいを出そうとした不良の大男だ。
一時は瑞樹の手足の駒として使っていた男だが、幼馴染たちへの殺意が完全になくなってからは、瑞樹から一度も連絡をとっていなかった。
本田は今も尚、結衣の側に瑞樹がいるのを知っていて、瑞樹はヤバい奴だから近づくなと言いふらしているのだ。
瑞樹は感情の消えた真っ暗な目で、浪川を静かに見つめる。
「……全てが真実ではないですね。ただ、嘘でもないです」
「な、なんだよそれ……!」
瑞樹はコトンと、不気味に首を傾げる。
「結衣の噂は……知ってますか?」
「はっ? あ、あぁ……知ってるよ。少し前まではビッチだってかなり変な噂になってたからな。……でも、今は全然聞かなくなったぞ。裏サイトからも、いつの間にか水橋の情報は全部消えてたし」
「そうですか」
本田。
やはりあいつはとてつもなく仕事が出来る優秀な奴だ。
瑞樹が特に指示は出していなかったけど、結果的に、瑞樹にとって一番都合の良い盤面を揃えてくれた。
「な、なあ、お前――」
「結衣に手を出さなきゃ、俺は何もしませんよ」
瑞樹は浪川の言葉を冷たく遮り、彼に一歩、音もなくズリ寄った。
「結衣とは、付き合ってます。だから……もしあいつに変な虫がつきそうだったら、躊躇なく燃やして捨てる。……それだけですよ。先輩も、俺がいるうちは絶対に結衣に構わないでください」
瑞樹の放つ底知れない異様な空気に、浪川の額からドッと嫌な汗が滲む。
こいつは絶対に関わっちゃいけない、次元の違う本物のヤバい相手だと、本能が危険信号を鳴らしたのか。
浪川は顔面を蒼白にさせて後退る。
ドンっ。
逃げようと後ろに下がった浪川が、ちょうど後ろを通った見知らぬ女子生徒に強くぶつかってしまい、彼女の持っていた皿が派手に床に投げ出されて割れる。
「きゃっ!」
パリィィィン!!
陶器の食器が割れる甲高い嫌な音と、女子生徒の悲鳴で周囲の楽しげな視線が一斉に浪川に集まった。
「あ、す、すまんっ……!」
あたふたと女子生徒に謝る浪川を、瑞樹は正気を失ったような黒い澱んだ目で、無言で睨みつける。
視線が合うと、浪川は酷く怯えた様子でブルッと身震いし、「ひっ……!」と引き攣った声を上げて、走って会場から逃げるように出て行ってしまった。
「大丈夫?」
浪川の背中が見えなくなると、自分でもぞっとするほど滑らかに、口角を上げて優しく温かい声のトーンを作り出す。
スッと、瑞樹の瞳にいつもの輝きが戻り、倒れてしまった女子生徒に駆け寄り、優しく手を取って立ち上がらせる。
「危ないから、あとは係の人に任せよう。怪我はない?」
「あ、ありがとう……ございます……」
女子生徒は少し頬を赤らめてお辞儀をして瑞樹にお礼を言うと、受付の方に小走りで走って行った。
「瑞樹くん、大丈夫? どしたの?」
騒ぎを聞きつけて、結衣が熱々のステーキが乗った皿を片手に、心配そうにやってきた。
「なんでもない。ちょっとぶつかった人がいたみたいで、それで女の子が倒れちゃったんだ」
「……ふーん?」
結衣はステーキの肉をリスのように口に含みながら、何かを考えるように、瑞樹の顔をじっと見つめてくる。
「な、なんだよ」
「言いたくないなら、別にいいよ。……でも、なんか悲しい顔してるし、瑞樹くん」
「悲しい顔?」
そんなはずはない。
瑞樹の今の感情を読めないのなら、結衣とは運命共同体にはなれないかもしれない。
だって。
(俺は今、最高に嬉しいんだから)
本田がやってくれた。
愛する結衣の理不尽で悪い噂を、完全に過去のものにしてくれた。
そしてそれと同時に、瑞樹は関わると殺されるヤバい奴と、広く触れ込んでくれた。
(……これで、俺はいつ死んでもいい)
ヤバい奴がある日突然、誰にも看取られずに死んだだけ。
『今まで人に酷いことをしてきたバチが当たったんだ』
『当然の報い。自業自得だ』
誰もが、そう思ってくれるに違いないんだから。
「全然。悲しくなんてないぞ?」
結衣が不審そうに見つめてくるその視線に、あえて気付かないふりをして。
瑞樹は、自身の死に場所が整ったことへの喜びに、にっこりと完璧な笑顔を作って笑ってみせたのだった。




