第21話 結愛(4)
十二月二十日。
今日は、宮の森東高校の生徒会が主導する、大谷高校との合同クリスマスパーティーの開催日だ。
宮の森東高校は、このクリスマスパーティーの日に合わせて、午前授業をもって一足早く冬休みに入る。少し早い冬休みとなるために、当然年明けの授業開始も早まる。
しかしそれでも、今日から休みだという事実と、この特別なお祭り騒ぎは、生徒たちのテンションを限界まで引き上げるには十分だった。
午後六時。
空が完全に暗闇に包まれた、駅前の市民会館前。
凍てつくような北風が容赦なく吹き付け、近年でも稀に見る厳しい寒さとなった本日。
どうしてこんな特別なタイミングで、数十年ぶりの大寒波が訪れたのか。着膨れしてもなお震えが止まらない参加者たちは、このタイミングの悪さと自分たちの運命を呪わずにはいられなかった。
「寒っ! マジで凍る!」と口々にボヤきながら、冷え切った体を縮こまらせて、市民会館の大ホールへと制服姿の生徒たちが次々と吸い込まれていく。
それでも、重い二重扉を抜けて館内に入ると同時。暖房の効いた温かい空気と、ホテルのビュッフェのような美味しそうなご馳走の香りで出迎えられ、大ホールの輝かしい色とりどりのライトと、クリスマスソングのBGMを肌で感じると、途端に全員の顔からパァッと笑顔が溢れてくる。
「わー、すごーいっ!」
朱音が、大ホールの天井に飾られた巨大なツリーと、ずらりと並んだ料理を見て、瞳をキラキラと輝かせて感嘆の声を漏らした。
腰まで伸びた美しい金髪を揺らして、彼女は瑞樹のブレザーの袖をグイグイと無邪気に引っ張る。
「お昼食べてないから、あたし、今日はいっぱい食べるんだー!」
「高級なお肉あるかな!?」
朱音の隣から、同じく瞳をギラギラとさせた一花が顔を出し、まるで今から獲物を狩る猛獣のような、気合の入った雰囲気を纏っている。
「……井上。あそこ、見てみろ」
いつもは無口な遊が、珍しく興奮気味に指を差した。
その先には、本格的なコック帽をかぶったシェフが立っている。あれは、目の前で直接調理してくれる類の実演コーナーだ。シェフのそばに、どう見ても高級そうな大量の赤身の塊肉が置いてあるのが見えるから、おそらくステーキを焼いてくれるはずだ。
「肉だー!! ゆーくん、行こ!」
「えっ、僕と!?」
一花は、有無を言わさず遊の腕をガシッと引いて、シェフの元へと脱兎の如く走っていってしまった。
「……あいつら、めっちゃテンション高いな」
「ね」
取り残された瑞樹がボソッと呆れたように呟くと、隣に立つ朱音も楽しそうにニコッと笑った。
彼女もまた、胸の高鳴りが抑えきれないと言わんばかりに、キョロキョロと色とりどりの料理が置かれたテーブルを吟味している。
「朱音も、遠慮しないで適当に行ってこい」
「えっ、でも……それだと瑞樹くん、ひとりぼっちになっちゃうよ? 結衣さんが来るまで、一緒にいようかと思ったんだけど……」
少し申し訳なさそうに、上目遣いで心配そうに見つめてくる朱音。
笑った顔も困った顔も、アイドルのような儚さと、モデルのような凜とした大人びた雰囲気があり、控えめに言っても、今この会場にいる数百人の誰よりも可愛く、美人だと言い切れる。
今日の朱音は、いつも以上に忙しくなりそうだ。クリスマスの浮かれた魔法に溺れて、彼女の美しさに当てられた男子が、次々と声を掛けてくるに違いない。
「子どもじゃないんだから、俺一人でも大丈夫だ。それより……」
瑞樹が少しだけ心配になってしまうのは、長年付き添った幼馴染だからというより、もはや娘を送り出す親心に近い。悪い男が寄ってこないといいが。
「ん?」
朱音が小首を傾げて、まん丸の瞳で真っ直ぐに見つめてくる。
余計なお節介だし、何より朱音の好意を振った張本人である瑞樹が、絶対に言うべきでないのは百も承知だったけど――。
「……彼氏、作る気なら。その……変な男に騙されないように、ちゃんとした相手を選べよ?」
「…………」
瑞樹の不器用で過保護なその言葉を受けて、朱音は一瞬目を見開き、黙って何かを考えるようにスッと視線を落とした。
そして、瑞樹の目を真っ直ぐに見つめ返し、大人びた柔らかな笑顔になった。
「……ねえ、瑞樹くん。瑞樹くんが今ここで、あたしのことを強く抱き締めて、頭なでなでして、キスしてくれたら……きっと誰も、あたしに声を掛けてこないよ?」
「……っ、それは――」
瑞樹が言葉に詰まると、朱音はフフッと優しく微笑んだ。
「そーゆーことだよ、瑞樹くん。……あたしはもう、ちゃんと前を向いてる。だから、瑞樹くんはもうあたしの心配はしないで、結衣さんだけを見る」
朱音はそう言うと、背伸びをして、コトンと瑞樹の胸に軽く頭を預けた。
周囲からは、仲の良いカップルが寄り添っているようにしか見えない距離感。
一瞬だけ香った彼女の大人びた香水と、胸に預けられた確かな重みが、瑞樹が守らなければならない幼馴染ではなく、一人の魅力的な女性であることを痛いほど自覚させた。
そして彼女は、瑞樹の耳元にだけ聞こえるくらい小さく、呟いた。
「……あたしのこと、心配してくれてありがとう。瑞樹くんのそーゆー優しいところ、本当に大好きだよ。……何かあったら、ちゃんと一番に相談するから。その時は頼らせてね?」
パッと瑞樹から離れて、朱音は憑き物が落ちたようにニコッと笑った。
「ああ。任せろ」
瑞樹も、心からの笑顔で力強く返すと、「じゃ! あたしもお肉争奪戦に混ざってくる!」と言い残して、朱音は一花たちのいる方へと小走りで向かっていった。
「……はぁ……」
瑞樹は、だだっ広い大ホールの天井を見上げると、深く、大きくため息を吐いた。
過保護というより、振った相手に対する嫌がらせのような発言をしてしまったことへの後悔があるはずなのに、どうしてか、胸の奥にずっとつっかえていたシコリが完全に取り除かれたような、不思議な清々しさを覚えた。
朱音を振ったことで悲しませた上に、その後も普通に接してくれる彼女の強さに甘えてしまっていた日々。
そして今もまた、彼女の大人な対応に救われてしまった。
(……本当に、成長してしまったな……)
今日は、純粋にこの空間を楽しめそうだ。
「――出た、浮気者の瑞樹くんだ」
「なに!?」
背後から突然、不穏すぎる言葉を掛けられて、瑞樹は咄嗟に振り向いた。
そこには、明るい髪の六花と大谷高校の制服を着た南那が、ジト目でこちらを見て立っていた。
少し前に、あの駅前の雑居ビルの純喫茶で、臨時女子会&断罪会を開いたメンバーだ。
「六花と南那か。……おい、今俺を浮気者とド直球に言ったのは六花だな!?」
六花は誤魔化すことなく、訝しげに目を細めると、瑞樹のブレザーの胸元をツンと指差した。
そして、六花の喋りたい言葉を、横にいる南那が代弁する。
「だってさー。君の胸元から金髪美少女のすっごく良い匂いがするからねー。……いくら人が多くても、見てる人は見てるから、気をつけた方がいいよ? 彼女さん泣くよ?」
「いや、待て! 見た目は確かに怪しかったかもしれないけど、あれは幼馴染としての確かな友情を確かめ合っていた、感動的なシーンだったんですよ!?」
瑞樹の必死の抗議の言葉を、六花と南那は「はいはい」と呆れたように首を振って否定する。
「瑞樹くん。それが世間で通用したら、この世から浮気も不倫も無くなるよ」
六花がやれやれとため息を吐くと、南那がニヤニヤと悪どい表情を浮かべて続けた。
「そうだよ、瑞樹くん。こっちには、頭コトンどころか……あの日、瑞樹くんの右手をオカズにして感じちゃってた子もいるんだから――痛っ!」
「ちょ、ちょっと、南那ちゃんっ!!」
顔を瞬間沸騰したように真っ赤にした六花が、南那の首元にスパーン! と鋭い手刀でツッコミを入れた。
無駄のない、プロフェッショナルの動きだ。
「あー……いや……んー……」
しかし、完全に思い当たる節のある瑞樹は、南那の爆弾発言と六花のいじらしい羞恥の反応に、どう対応していいかわからず言葉に詰まる。
南那が手刀を受けた首をさすりながらキャハハと小悪魔的に笑い、六花はモジモジとスカートの裾を握って瑞樹を上目遣いで見つめる。
「……ぶっちゃけ瑞樹くん、あの時、気付いてた?」
南那が、ニヤッと意地悪に核心を突いてくる。
「そりゃ……あの状況だからな。俺が気絶でもしてない限り、知りませんでしたは嘘になるだろ」
この間の女子会からの帰り。
停電したエレベーターでの出来事だ。
地震によって、瑞樹は六花と二ノ宮に正面から密着し、後ろから南那に挟まれる形で閉じ込められてしまった。
あまりにも狭い空間に無理矢理四人で乗ったものだから、瑞樹の片足は二ノ宮の、片手は六花の、それぞれのデリケートゾーンに深く侵入してしまっていたのだ。
エレベーターが動きだすまでの永遠のような数分間。彼女たちが、瑞樹の体温と感触に耐えきれず、小刻みに体を動かして甘い吐息を漏らしていたのを、気付けないはずがなかった。
「というか……俺は必死に忘れようとしてたのに、わざわざこんなところで掘り起こさなくても……」
瑞樹が周りの目を気にしてそう言うと、六花が瑞樹の正面に立ち、突然「バッ」と深く頭を下げた。
「……ご、ごめんなさいっ!!」
「えっ!? いやいや、六花が謝らなくたって……!」
「六花ちゃんがね、あの日からずっと、瑞樹くんに直接謝りたいって言ってたんだ」
南那がすかさず、真面目な顔になってフォローに入る。
「うん……ずっと、直接言いたくて……。私……瑞樹くんに彼女いるのに、あんな密室で……大変なこと、しちゃったと思って……」
六花は恥ずかしそうに頬を真っ赤に染めながら、しかし本当に申し訳なさそうに困ったように眉を下げる。
「全然……。俺は、別に嫌だったとか、そういうのは一切思ってないから。事故だし、全く気にしてないぞ。顔を上げてくれ」
「……そ、そっか……よかったぁ……」
瑞樹が優しくそう言うと、六花は心底安心したように「ふぅ」と胸を撫で下ろした。
南那も、友達のわだかまりが解けて安心したのか、「よかったね」と優しく笑う。
(……女子会の時は初対面だったはずなのに、いつの間にこんなに仲良くなったんだ?)
女子のネットワークの構築スピードに、瑞樹は内心で舌を巻く。
「じゃ、謝罪の任務も達成したし、私たちもご飯行こー! じゃーねー、瑞樹くん。楽しんでね!」
南那が、一足先に料理が並ぶテーブルへと楽しそうに駆けて行った。
しかし、タイミングを逃した六花は、「あ、待って……」とあたふたしながら、南那の背中と瑞樹の顔とを視線を往復させる。
「六花も、早く行ってこい。ほら」
瑞樹が六花の背中をポンと優しく押すと、彼女は数歩タタラを踏んで、名残惜しそうにクルッと振り返ってきた。
何かを期待するような、訴えかけるような、それでいて不安そうな視線。
瑞樹は、その視線の意味を少し考えて、すぐに答えを導き出し、口を開いた。
「……髪、ほんの少しだけ短くなったな。前髪パッツンじゃん。似合ってる。可愛いぞ」
六花の微かな変化に気付いていた瑞樹は、女子会で六花から直接受けていた『そういうのは本命の彼女にだけ言ってあげて』という忠告をあえて無視して、彼女に告げた。
何故なら。
「……言ってほしそうだったから、言っただけだぞ!」
瑞樹が慌てて言い訳のようにそう言うと、六花はパァッと顔を輝かせ、心の底から満足そうに笑った。
「相変わらずすごいね、瑞樹くん。ちょっと切ったのも、ちゃんと気付くんだ。……一センチも切ってないよ、私。……気付いてくれて、言ってくれてありがとね。私はもう瑞樹くんに惚れないから、私だけには、特例で伝えて良し!」
「例外の適用、早すぎだろ!」
「あはは! じゃね!」
六花は小さく手を振ると、「南那ちゃーん、待ってー!」と明るい声を上げて、クリスマスの賑やかな集団の中へと消えて行った。




