第21話 結愛(3)
「なぁ、結衣。そういえば……結衣が書いてる小説の方はどうなんだ?」
残っていたお好み焼きを小さな口で上品に食べ終えたのを見計らって、瑞樹はふと気になっていたことを尋ねた。
「んー……。いやー、実は最近、更新が完全に滞ってるんだよね」
実は、結衣の小説が最近更新されていないことは同居人の一花から聞いて知っていた。
結衣からは「恥ずかしいから絶対に読むな」と固く禁じられているため、瑞樹自身は一切読んでいない。だが、偶然投稿サイトで見つけた一花が、たまたま結衣の小説を『すごく尊くて面白い』と言って愛読しているのだ。
もちろん、一花は筆者が目の前にいる結衣だとは夢にも思っていない。その事実を知ったら、さぞかし驚くことだろう。
そんな一花が、ここ一か月くらい更新がないと寂しそうに言っていたのを思い出し、瑞樹はさりげなく訊ねてみたのだ。
口に残っていたお好み焼きをごくりと飲み込むと、結衣はメロンソーダをストローで飲み、ぷはぁ! と美味しそうに息を吐いて笑った。
「私の小説って、瑞樹くんとのリアルな出来事を元にして書いてるじゃん? だから、最後の更新は先月のダブルデート回なんだよね。……最近、瑞樹くんとの間に新しいラブコメイベントが起きないしさー。完全にネタ切れ」
「まあ、リアルの高校生活なんて、漫画や小説みたいにそうそう毎日都合よくイベントは起きないだろ」
結衣はコクコクと頷くと、「それでね」とポンと両手を打った。
「実は、今日瑞樹くんを呼び出した本題はそれなんだ。さっきもちょっと話したけど、私たちって、ちょっとやそっとのことじゃ、もうドキドキしないでしょ? ただの友達っていう背徳的な設定下でのイチャイチャでも、なんというか……お互い、それが普通のことになっちゃってるじゃん」
「……まあ、そうだな」
瑞樹はグラスのコーラを飲みながら、結衣が一体どんな突飛な提案をしてくるのか、身構えて待つ。
「それで私は、初心を取り戻すためのお手本を用意しました」
結衣は自信満々にそう言うと、傍らに置いていたスクールバッグをガサゴソと漁り、なにやら怪しげなパッケージの本を取り出した。
「――ゴフッ!!」
テーブルに置かれたその本の題名を読んで、瑞樹は飲んでいたコーラを危うく盛大に吹き出しそうになった。
「じゃじゃーん! 『現役エロゲライターによる、ドキハラシチュエーション百選』!」
結衣は瞳をキラキラと輝かせながら、そのいかがわしい本を瑞樹の目の前にズイッと突き出してくる。
なんとなく、結衣がやりたいことが理解できた。理解できてしまった自分の男の性が悔しい。
「おい、ちょっと待て! 不穏すぎる題名だな!? そして帯のキャッチコピーから察するに、完全に成人向けの本だろそれ!」
表紙には、扇情的なイラストと共に『あなたはどれで勃つ!?』と、直球すぎるキャッチコピーがデカデカとピンク色のフォントで書かれている。
(そんな純粋で綺麗な目で、こんな破廉恥なものを堂々と掲げないでくれ……!)
「まー、現役エロゲライター厳選だから、そりゃ成人向けでしょーね。でもほら、完全に麻痺しちゃってる私たちは、これくらいの策を打たないと刺激が足りないでしょ?」
「すっごいヤバいことを、大真面目な顔して言うのな、お前!?」
「私たちのマンネリ解消には、これがぴったりだと思うんだー」
「まるで、夜の営みに悩む熟年カップルみたいな言い回しっ……!」
瑞樹はガクッと項垂れて頭を抱えるが、結衣の楽しそうなキラキラとした瞳を見たら、無下にして「嫌だ」とは言い出せない。
それに、結衣が自分との関係を良くしようと——方向性はともかく——真剣に悩んでくれているのは、素直に嬉しくもあった。
「……で。具体的には、この本を使ってどうするんだ?」
瑞樹が腹を括ってそう言うと、結衣はパッと嬉しそうに顔をほころばせ、ズズっと狭いソファの上で瑞樹に身体を密着させてきた。
本を二人の間の膝に乗せて、結衣が教師のように説明を始める。
「順番に適当なページをパラパラって捲って、そこに書かれてるシチュエーションを忠実に再現するの。相手には、自分がどのシチュエーションを選んで何をするのか、教えちゃダメね。ドキドキ感が減るから」
瑞樹の想像通りの、なんとも恐ろしいロシアンルーレットだった。
「じゃあ、試しにー……ここ!」
結衣がパラパラと適当なところで指を止め、そのページをパッと開いた。
一つのシチュエーションで、丸々一ページを使っている。シチュエーション名と、具体的な流れが詳細な文字で書かれており、エロ漫画のような挿絵も併せてデカデカと掲載されている。
読者の想像力を掻き立てる、すごくわかりやすくて具体的な構成だ。
しかし。
たまたま開いたそのページをじっくり見て、二人の動きはピタッと完全に止まった。
そのページのシチュエーションは『我慢カラオケ』と題してあり。女の子がテーブルの下で男の子の股間を直接触っていて、男の子は必死にそれに耐えながらマイクを握ってカラオケを歌っているという、あまりにも直接的すぎる絵が描かれている。
ドキドキ度とハラハラ度が十段階の評価で表されており、更にはご丁寧に『犯罪度』という項目まで数値化されている。
もちろん、この項目の犯罪度はMAXの『十』。カラオケの個室内でのそういう行為は、公然わいせつにあたる立派な犯罪だ。
というか、問題はそこではない。
このレベルのシチュエーションばかりが百個も載っているのだとしたら、とてもじゃないが高校生の二人が実戦出来る気がしなかった。
「…………」
結衣は顔を一気に熟れたトマトのように真っ赤にして、焦ったようにパタンッ! と大きな音を立てて本を閉じた。
「……さあ。やりますか」
「やらねーよ!! 捕まるわ!」
引き攣った苦笑いで結衣が無理におどけると、コホンと可愛らしく咳払いをした。
「じょ、冗談はさておき……。今みたいに、どうしても恥ずかし過ぎて出来ないことや、物理的に不可能なことがあると思うの。犯罪的な意味も含めてね? その場合は、ページの隅っこにレベルダウンバージョンとか、応用編とかが書かれてるから、今回はそこから選んでやることにしよ?」
「そ、そんな救済措置があったのか。助かった……」
結衣は、指を挟んで止めてあった先ほどのページを恐る恐る開き、瑞樹にだけ見えるように本を突き出すと、左下の小さなスペースを指差す。
そこには、『耳にキスをしながら』『強く抱き締め合いながら』など、多少過激さが減少し、高校生でもギリギリできそうなシチュエーションが書かれていた。
そのほかにも、カラオケボックスならではの密室を活かしたシチュエーションが応用としていくつか書かれている。
確かに、これならまだやりやすさはあるが……それでも十分にハードルは高い。
「私は目瞑ってるから。瑞樹くん、この応用の中から一つ選んで、私にやってみて」
「ま、まじか……俺からかよ」
二人とも歌は歌わないから、必然的に応用の中から選ぶことになる。
瑞樹は、ずらりと並んだ恥ずかしい文字列を目で追いながら、ふとテーブルの上に残っているフライドポテトに視線を移した。
(……これなら)
「じゃあ……おっけ。決めた。目、開けていいぞ」
瑞樹が覚悟を決めてそう言うと、結衣はパタンと本を閉じてテーブルの端に置いた。
「……何されるのかなー?」
両手をソファについて前屈みになりながら、結衣は頬を染め、期待と少しの不安を込めた潤んだ瞳で見つめてくる。
瑞樹はゴクリと唾を飲み込み、テーブルの上のポテトに向かって、ゆっくりと手を伸ばした。
――その瞬間。
プルルルルルルッ!!
部屋の壁に設置された内線電話の受話器が、密室にけたたましいコール音を鳴らし、カラオケの終了時間が迫っていることを告げてきた。
ビクッ!!
突然の大きな音に、悪いことをしようとしていた二人は、肩を激しく震わせて飛び上がった。
瑞樹は、ポテトに伸ばしかけた手を止め、恨めしそうに電話を見つめてから、結衣に向き直ってポツリと呟いた。
「……延長で……いいか?」
「……う、うんっ」
結衣も、顔を真っ赤にしたまま、コクコクと強く頷く。
瑞樹は急いで席を立ち、受話器を手に取った。
しかし、受話器の向こう側の冷酷な店員からは『ご退室十分前です。本日は満室で混み合っているので、これ以上の延長は出来ません』と、無慈悲に告げられてしまった。
「……あ、はい。わかりました」
ガチャリと受話器を戻した瑞樹は、肩の力が一気に抜け落ち、魂が抜けたような顔で結衣を見つめた。
結衣も全てを察したようで、「ハハハ……」と、二人して乾いた苦笑いをこぼすしかなかった。




