第21話 結愛
燦々と輝く太陽が、厚く白い冬の雲の切れ間から顔を覗かせる日曜日の昼下がり。
十二月も半ばに入り、明け方には氷点下近くまで冷え込むようになった外の気温も、太陽の光のおかげで今はほんの少しだけ温もりを感じる。
とは言っても、シェアハウスのリビングは常にエアコンが効いており、薄着でも過ごしやすい快適な温度に保たれている。
今日は久々に、シェアハウスのダイニングテーブルに四人が揃っていた。
誰も実家に帰らず、瑞樹と遊も、それぞれ結衣と紗綾香には会わない予定になっていた。
だから図らずとも、本当に数ヶ月ぶりに、四人揃っての穏やかなお昼ご飯を囲んでいた。
メニューは、シンプルながらも食欲をそそるチャーハンと、ごま油が香る中華スープ、それにシャキシャキのレタスとトマトのサラダ。
一花が作るチャーハンは、卵がたっぷりと使われており、お米の一粒一粒がパラパラに解けて黄金色に輝いているのが特徴的だ。
「……うっま。なんで家の火力で、こんなパラパラに出来るんだ?」
「ほんと。お店みたいに美味しいよね」
瑞樹がスプーンを動かしながら唸ると、正面で食べる朱音もそれに同調して手放しで褒める。
一花は照れくさそうにえへへと笑って、少しだけ誇らしげに胸を張った。
「ふっふーん。それはね、企業秘密だよー」
「えー教えてよー。あたしも、これくらい作れるようになりたい」
「じゃあ、朱音ちゃんには後でこっそり教えてあげるね」
隣同士に座る朱音と一花は、キャッキャと年相応の女子高生らしく楽しそうに笑い合う。
そんな、何気なくて平和な日常の光景。
しかし、黙ってチャーハンを口に運んでいた遊が、ふとスプーンを止めてポツリと呟いた。
「……この四人だけで過ごす時間も……あと数ヶ月で、終わるんだね」
――ピタッと。
その一言で、リビングの空気が止まった。
遊の言葉が持つ重たい意味が、朱音と一花を、そして瑞樹の胸をチクリと鋭く突き刺した。
あの日——母親たちとのヒリヒリとした報告会から帰った深夜。
瑞樹はリビングに幼馴染たちを集めて、静かに、けれど決定事項として告げたのだ。
『このシェアハウスでの生活は、二年生の春になったら……終わりにする』と。
最初、朱音と一花はひどく怒った。
「なんで!? 約束と違うじゃない!」「三年間はずっと一緒にいるって言ったのに!」と。
泣きじゃくりながら、嫌だと首を振り続けた。
いつもは感情を見せない遊も、その時ばかりは激しく動揺し、かつて見せたことのないような怒った表情で瑞樹に詰め寄った。
「親たちに何か言われたのか? 言いくるめられたのか!」と。
しかし瑞樹は、彼らの感情的な反発を正面から受け止め、報告会での親たちの切実な本心と、そして何より幼馴染たち自身がこの半年間でどれほど立派に成長し、自立したかを、懇切丁寧に説明した。
『お前らはもう、俺がいなくても自分の足で歩ける。普通の家族の形に戻るべきだ』と。
瑞樹と同様に、幼馴染たちも心のどこかで薄々感じていたのだろう。
最初こそ感情を露わにして拒否してきたが、瑞樹の真摯な説明を聞き、自分たちの変化を自覚すると、最後には涙を拭ってこの決定に納得してくれた。
ただ、理屈で納得したからと言って、感情まで割り切れて悲しくないわけじゃない。
遊が呟いた『あと少しでお別れ』という現実に触れ、朱音は悲しげに瞳を揺らして瑞樹を見つめた。
瑞樹は、その視線を受け止めてフッと優しく微笑むと、安心させるように言葉を紡いだ。
「別に、一生会えなくなるわけじゃないんだ。家が離れるってだけで、会いたい時はいつでも会えるだろ」
「……いつでもは、無理でしょ、みーくん」
寂しそうに、少しだけ自嘲気味に笑う一花。
そこには、『みーくんには結衣さんがいるんだから』という意味が暗に含まれていることに、この場の全員が気付いてしまい、また重たい沈黙が訪れた。
遊も、気まずそうにスッと顔を伏せる。
彼もまた、中村紗綾香という愛する彼女がいるから、瑞樹と同様に以前のような幼馴染の特権である『いつでも』が、もう通じない立場になっているのだ。
一花は、自らの発言で重くなってしまった空気を無理矢理に明るくしようと、努めて明るい声を張り上げた。
「……でもさ! 寂しいのはみんな一緒だよ、朱音ちゃん! 離れ離れになるのが、予定より少し早まっただけ! むしろ、二年間は学校でも毎日会えるから、卒業と同時にいきなりバイバイするより、心の準備ができて良かったと私は思うよ?」
確かに一花の言う通り、卒業してみんながそれぞれの進路へと進めば、物理的に会うことが難しくなる。そう考えれば、さよならまでの猶予として同じ高校に通う二年間が残された分、心の準備がしやすくなったと言えるのだ。
「……そうだけど……頭ではわかってるけどさ……」
悲しいものは悲しい。
こればっかりは、どんなに正論で説得しても、すぐにどうにかなるものではないらしい。
朱音はスプーンの背でチャーハンを突っついた。
遊は、自分の発言で場を暗くしてしまった責任を感じてか、いつもは振られた話題に最低限の相槌で答えるだけなのに、珍しく自分から話題を振ってきた。
「と、ところで……みんなは、今年のクリスマスパーティーには行くの? 僕は行く予定だけど」
「あ、例の大谷高校との合同パーティーだよね?」
一花も、この話題の転換には大賛成らしい。助かったと言わんばかりに、前のめりになって話に乗った。
瑞樹も、重い気持ちを意識的に切り替える。
「毎年、東高は近場の高校と合同でやってるみたいだな。今年は大谷か。主催は生徒会だっていうのに、企画力も規模もすごいよな」
「ねー。駅前の市民会館のホールを貸し切って、数百人が集まるんでしょ? ……朱音ちゃんも行くよね?」
朱音は、パンパンと両手で自分の頬を叩いた。
朱音も朱音で、湿っぽい空気を引きずらないよう、前を向いて気持ちを切り替えようと努力をしてくれるみたいだ。
「うんっ! 一花、一緒に行こうよ」
「おっけー! 学祭の時のメンバーも合流する予定だけど、いい?」
「もちろん、いいよ!」
朱音はあっという間に、いつものニコニコとした明るい笑顔に戻った。
クリスマスパーティー。
宮の森東高校の生徒会が主催する、学校行事ではない完全なプライベートのイベント。
地域の飲食店の協力を得て、立食のビュッフェ形式で食事を楽しみながら他校の生徒とも交流をする、そんな大規模な場だ。
特別な企画や催しのようなものは何もなく、単純に食事と歓談をするだけなのだが、開催されるのが十二月二十日ということもあり、来たるクリスマスに向けて、恋人のいない生徒たちにとっての貴重な出会いの場にもなっているらしい。
「みーくんは結衣さんとイチャイチャするんでしょーし、ゆーくんは紗綾香さんとだし。……私たちは私たちで、フリーの女子同士、美味しいもの食べて楽しもーねー?」
一花がわざとらしく肩をすくめてそう言うと、朱音はニヤニヤと意味深な笑みを浮かべる。
「って言っても、一花の友達、すでに何人かカップルになってるんだよね?」
「そーなの! 瑞樹くん聞いて。三鷹ちゃんと四葉ちゃん、ついに彼氏出来たんだよ」
「へー? もしかして相手は……七瀬と八重樫だったり?」
「えっ、なんでわかったの!? よくわかったね!?」
「まあ……やっぱり、って感じだな」
学校祭の打ち上げの時以来、三鷹は七瀬と、四葉は八重樫と、妙に仲良くしているのを学校でもよく見かけていた。
二ノ宮からもちょこちょこ進展の話は聞いていたし、付き合うのは時間の問題だろうと思っていたくらいだ。
それにしても、あんなに奥手だった二人が、よりにもよってあの五等分同盟の目立つ美少女たちと付き合うことになるとは。
高校生の人間関係や恋愛事情とは、つくづくどう転ぶかわからないものだ。
遊に視線を向けると、彼も肩をすくめてフッと笑っていた。
視線だけでわかる。『まさか、あの二人がね』と言っている。
「だぁー! あたしたちも負けじとカッコいい彼氏作ろうねっ、一花。負けてらんないっ!」
「でもさー、近くにみーくんみたいなのがずっといると、男の子に対するハードルが大分上がっちゃうけどね?」
一花は悪戯っぽくこちらに向いて、パチリとウインクをしてきた。
「あー、確かに。瑞樹くんを基準にしたら絶対ダメだよ、一花。こんなに良い人、世界中探してもいるわけないんだから」
そして朱音も、ニヤッと笑ってからかってくる。
「そうだぞ。俺は特別なんだ。お前らも、少しくらい妥協しないと相手は見つからないぞ」
「「言うねー」」
瑞樹への失恋を完全に果たした二人だが、今ではこうして恋愛絡みでこれくらいの軽口や冗談を言い合えるくらいには、精神的に自立している。
変に気まずくならなくて、本当に良かった。
もしこれがドロドロの愛憎劇になっていたら、場合によってはシェアハウスの終了を、二年生の春を待たずして更に早めていたかもしれない。
「……ま、顔の良さで言えば、僕が一番だけどね」
急に、遊が照れくさそうに頭を掻きながら会話に入ってきた。
普段はツッコミ待ちのような冗談の言い合いに、遊が自ら入ってくるのも非常に珍しい。
「ハハ! ゆーくんはイケメン過ぎて、逆に近寄りがたくてモテないやつだと思う」
「わかるー。女の子からしたら、隣に立たれるのはちょっとプレッシャーできついかも」
「……え? 貶された!? 古河、僕は今、遠回しに貶されてるのか!?」
予想外の辛口な反応に、焦ったように遊が口をあわあわとさせている。瑞樹はそんな親友の様子に、冷静に先輩風を吹かせてツッコミを入れた。
「いいか、遊。女子のこういうやり取りの内容を、いちいち真に受けちゃいけない。……いつもの遊らしく、クールにビシッと一言で決めればそれでいいんだ」
瑞樹がもっともらしくそう言うと、朱音と一花もうんうんと笑いながら楽しそうに頷く。
遊はゴクリと緊張したように唾を飲み込み、期待の眼差しを向ける三人を一瞥した。
そして、クールな顔を作り、一言。
「……僕には紗綾香がいるから、モテなくてもそれでいい」
少しの静寂の沈黙の後。
三人は、同時に吹き出した。
「あはははっ! なんか、なんか違う!」
一花がお腹を抑えて爆笑する。
「それはただの惚気じゃん! クールでもなんでもない!」
朱音がニコニコと遊を指差して笑う。
そして最後に瑞樹は、恥ずかしさで耳を赤くしている遊の肩にポンと手を置くと、真顔で力強く頷いた。
「お前は、そのままでいい。そういうダサいところも含めて、俺はお前のこと最高に好きだ」
「古河っ……!」
男同士でガッチリと握手を交わし、何かを深くわかり合ったように目を合わせる二人。
シェアハウスのリビングには、冬の寒さを吹き飛ばすような、四人の温かくて明るい笑い声がいつまでも響いていた。




