第20話 清算(2)
「……瑞樹くんはさ、私たちがどういう思いでいたのか、一度ちゃんと知る必要があると思うんだよね。……勝手に好きになったのは私たちの方だけど、でも、ちゃんと線を引いて距離を取ってくれなかった瑞樹くんにも、少なからず原因があると思うの」
「い、いやっ! だから私は別にっ……好きになんてなってないってば……!」
南那がジト目で瑞樹を見つめて核心を突くように言い放つと、隣の二ノ宮が顔を真っ赤にして必死に否定する。
駅前雑居ビルの三階。かなり古いアニメが好きな店主の、昭和レトロな純喫茶。
四人掛けテーブルの二人用ソファに、南那、二ノ宮、六花がぎゅうぎゅうに肩を寄せ合い、正面の瑞樹に向き合って座っているという、異常な光景。
興奮気味の南那のストレートな物言いに、逃げ場もなく困り果てる瑞樹を見かねて、六花がふんわりとフォローを入れてくれる。
「まあまあ。南那ちゃんの気持ちもわかるけど、瑞樹くんも私たちに少なからず負い目を感じてくれたから、こうやってちゃんと彼女がいるって伝えてくれたわけじゃん? 別に私たちに、いちいちプライベートを報告する義理なんてないのにさ」
「……六花ちゃんやニノちゃんはいいよー。瑞樹くんと同じ東高だからさ? 私は谷高だから、物理的にほとんど会えなくて。その会えない時間が長いから、乙女みたいにずーっと彼に想いを馳せちゃったわけですよ。自分の中で恋心が勝手に膨張して、爆発寸前だったわけですよ。……だいたい、君が学祭でうちのアニ研に顔を出したのがいけない!」
ビシッと、恨めしそうなジト目で指を差してくる南那。
しかし、大谷高校のアニ研に顔を出したのは、時間潰しのためのたまたまだからで、完全に不可抗力だ。まさかそこに南那がいるとは、瑞樹も夢にも思っていなかったのだから。
「いや、それは――」
「――瑞樹くん」
瑞樹が事実を説明して反論しようとした瞬間、二ノ宮がピシャリと首を振って制止した。
「……女の子の愚痴に、正論で返しちゃダメ。私たち女はね、ただ自分の溜まった感情を吐き出したいだけなのよ」
六花も、ストローを弄り、頬杖をつきながら深く頷く。
「そうそう。瑞樹くんは今、ただ私たちが殴るためだけのサンドバッグでいればいいの。口答えは厳禁」
瑞樹が南那に視線を向けると、彼女も「その通り」と言わんばかりにニッコリと微笑んで頷いた。
「……助けてくれると思ったら、急に全員から殴られた!?」
瑞樹の額に、タラーッと冷や汗が滲む。
女子だけの秘密の花園。いや、断罪の裁判所に放り込まれ、お前は何も言わずに黙って座って殴られろという理不尽な状況。
これも、すべて自分が中途半端な態度をとって蒔いた種であるならば、甘んじて受け入れる。その覚悟はあったはずだが、実際にこうして直接的に女の子の本心をぶつけられると、男として結構心にくるものがある。
特に、明確な好意を伝えてくれていた南那には、本当に申し訳ないことをしてしまったのだと、今更ながらに思い知らされる。
「ふふん」と、瑞樹の困り顔を見て悪い笑みを浮かべる南那。その表情を見て、瑞樹はハッとする。
(……そうか。俺は、もっと正面から殴られるべきってことか)
瑞樹は、少しだけ考え方を変えることにした。
ここは、もしかしたら自分にとって恋愛の心を学ぶべき場なのかもしれない、と。
彼女たちを悲しませたのは、状況が状況だからとか、事情があるから仕方ないじゃないかと、瑞樹は無意識に自分に言い訳をして決めつけていた。けど、他人から見れば本当はこうするべきだったという明確な解答があるはずなのだ。
それをこの場で得られれば、これ以上結衣や、周りの人間を無自覚に傷つけ、同じ過ちを繰り返さなくて済む訳だ。
そして、本来は失恋した相手から聞けるはずのないその貴重な解答を、今目の前にいる少し変わった彼女たちは、ハッキリと言ってくれるはずだ。
瑞樹は、三人に向かって勢いよく、深く頭を下げた。
「……三人とも、本当にごめん。俺は、無自覚にみんなを傷付けてる。思い上がりだって呆れられるかもしれないけど……もし本当に、少しでも期待させて、勘違いさせてしまったなら謝る。ごめんっ……!」
「……うわぁ。そういう風に素直に謝られると、こっちが余計に惨めな気持ちになるからやめてよー……。ただ、まぁ、そういう真っ直ぐなところが、瑞樹くんなのかな」
南那が苦笑いで呟き、それに六花も同調した。
「ハハハ……。ほんと。こんな大真面目に頭下げられたら、これ以上愚痴も言えないじゃんね」
「……で? 他にもまだ何か言いたいことあるんでしょ、あんた」
ふんっ、と小さく鼻を鳴らして、二ノ宮が腕を組み、瑞樹の顔を真っ直ぐに見つめてきた。
瑞樹は顔を上げ、コクリと力強く頷く。
「俺は、あの時どうするべきだったのか。どうか教えて欲しい。どこで俺は間違えたのか、どこで慎重になるべきだったのか。……今後のためにも、それを本音で言って欲しい」
瑞樹のその真剣すぎる目つきに、三人は顔を見合わせて「はぁ」と呆れたようなため息を吐くと、「……いいよ。教えてあげる」と六花が最初に答えた。
「瑞樹くんはね、私と初対面の時、私を少し理解し過ぎたの。私が気づいて欲しいと思ってる本心にすぐ気付いてくれて、心の中のドロドロした気持ちを察してくれて、それを言葉に出してちゃんと伝えてくれたよね。……元彼と比較しなかったかと言えば嘘になるけど、それでも、落ち込んでた私の心がグラッと動くには、十分過ぎる優しさだった」
気持ちや思ったことはちゃんと口に出して伝える。
それは、結衣が瑞樹に教えてくれたことだ。『言葉にしないで察してなんて、それは傲慢だ』と。
でも今回は、それが裏目に出て仇となったのか。
必ずしも何でも理解して、何でも伝えれば良いというものではないのかもしれない。
六花は、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「そこまでの深い気付きを口にするのは、正直、自分が本当に好きな子だけに限定してあげて欲しいかな。小さなことかもしれないけど、女の子はその小さなことに気づいて欲しい生き物だからさ。……瑞樹くんが私のいろいろなことに気付いてくれて、本当に嬉しかったの、私」
「……わかった。無神経だったな……ごめん」
「私はねー」
次に口を開いたのは南那だ。
南那は、少しだけ照れたようにニヤッと笑った。
「最初に私が声をかけた時に、ちゃんと断って欲しかったかな。女の子から連絡先を聞きに行くって、駆け引きをすっ飛ばした『あなたに惚れてます』って、最大級の合図だと思うのね」
確かに、南那が初めて声を掛けてきた時、この展開なら『自分とお近づきになりたい』という明確な好意の意思があると、瑞樹自身もない頭を回転させてその結論に至ったのだ。
結衣のことが好きだと自覚していたあの時。結衣と付き合えるかどうかはさておき、やはりあそこで自分の気持ちを保留にせず、きちんと断らなければいけなかったのだ。
「まあもちろん? ただ連絡が取りたいって事務的な作業の場合もあるよ? でもそこはほら、空気とか表情でわかるじゃん。さすがに、ね? あの時、瑞樹くんがすっごく困ってるのは私の目から見てもわかったから。……『いいけど』って連絡先交換してくれた時は、正直びっくりした。自分から声掛けといてあれだけど、『あ、なんだ。いいんだ。ラッキー』って感じだった。だからね、あそこで瑞樹くんは『好きな人がいるから無理です』って、誠意を持ってハッキリ伝えるのが正解だったかな。……別に振られても、君を呪ったりしないしね」
べっ、と舌を出して、南那は気まずい空気を軽くするようにおどけて笑った。
「うん……わかった。ごめん」
そして最後に、瑞樹が二ノ宮に視線を向けると、二ノ宮は顔を真っ赤にしてモゴモゴと小さく呟いた。
「……学祭の準備期間の時、耳元で急に好きだって言われたの……あれが、ほんとに心臓が止まるくらいドキッとしたのよ……。えっ、演技だってわかってたわよ!? でも、あんな風に男の子から言われたことなかったから……それが……すごく嬉しかった……」
学祭での出し物でコンカフェをやるために、ツンデレ妹の接客指南として、瑞樹は彼女に手を貸した。
その時のやり取りが、やり過ぎだったということだ。
二ノ宮の言う通り、いくら演技とは言え距離感を無視してしまい、度が過ぎていたのだ。
「別にっ……それであんたを好きになったわけじゃないわよ!? わ、私はあの時助けてもらった感謝の方が大きかったんだから……! ずっと、感謝だけなんだから……!」
どんどん声が小さくなっていく二ノ宮に、南那が小首を傾げて鋭く問う。
「でも、ちょっと好きになっちゃったんだもんね? 今のうちにハッキリ言っておいた方が、瑞樹くんの教育のためにもいいよ?」
二ノ宮は南那から瑞樹に視線を移すと、瞳を少し潤わせて、悔しそうにコクっと頷いた。
「……好きって、言われた時は……。私も、好きってなっちゃった……。ほんとに、その一瞬だけ、ね……うぅ……恥ずかしい……」
二ノ宮は顔を完全に真っ赤にさせて、両手でその顔を覆ってしまった。
「そっか……わかった。ごめん……」
瑞樹は三人の話を聞いて、深く頷いた。
今になって考えれば、どれもどうにかしようがあった、防げたことばかりだ。
いかに自分が、無自覚に相手の感情への配慮もなく、発言し行動してきたかがよくわかる。
「みんな、教えてくれてありがとう。そして、改めて本当にごめん。みんなから聞いたことも含めて、これからは他の女の子への言動に、死ぬほど気をつけるよ」
瑞樹が改めて誠心誠意謝り、頭を下げると、三人はどこか吹っ切れたように優しく笑った。
六花が、困ったように口を開く。
「ほらー。瑞樹くんのそういう素直で真面目なところ、また惚れちゃうから、もういいよ。顔上げて」
「わ、わかった!」
慌てて顔を上げる瑞樹に、三人は再びクスクスと声を上げて笑った。
気付けば、窓の外はもう完全に暗くなり始めている。
時刻をスマホで確認した南那が、「それじゃあ、臨時女子会 with 瑞樹くんはここまでにしよっか」と声を掛けて、お開きにして帰ることになった。
全員分の会計を瑞樹が「奢らせてくれ」とレジで払おうとして、「それもダメ!」「そういう特別扱いは、水橋さんにだけにして!」「ほんとに無自覚なのね、あんた!」と三人から口々に怒られ、瑞樹はまたシュンと肩を落とした。
店を出て、ビルの古びたエレベーターホールへ。
最初に二ノ宮と六花が乗る。
四人が乗れないこともないが、かなり狭いエレベーターのために、来た時も二人ずつ分かれて行き来したのだ。
「お先にどーぞ。俺たちは次ので下りるから」
瑞樹がそう言って、二ノ宮と六花もそのつもりで「お先ー」とエレベーター内の閉まるボタンを押そうとした、その時。
ドンっ!
急に背中を強く押されて、瑞樹はエレベーターの中へと強引に押し込まれた。
「――おい!?」
「ちょっ、ちょっと瑞樹くん!?」
そして、瑞樹を突き飛ばした南那も「おいしょっと!」と、自ら無理矢理狭い空間へと入り込んでくる。
前後から女の子の柔らかい何かに挟まれて、四人が密着するぎゅうぎゅうの鮨詰め状態のまま、無常にもエレベーターの古いドアがガコンと閉まった。
そして南那が、背後から悪戯っぽい声色で言った。
「きっとこれで最後だし、ちょっとだけ良い思いしたいじゃん。ね? みんな」
「南那、お前っ……! 絶対この人数は無理だって!」
瑞樹の悲痛な抗議も虚しく、グゥンと下に引っ張られるような重力を感じ、箱は下降を始める。
「ちょっと瑞樹くん、足! 足がっ……!」
押し込まれた反動で、瑞樹の左足が、正面にいる二ノ宮の股の間に入り込んでいる。
「……瑞樹くん、めっちゃえっちじゃん」
そして、行き場を失った瑞樹の右手も、隣の六花の太ももの間という位置に強く押し付けられている。
背後からは南那が体重をかけて押し潰してきて、二ノ宮たちの背後も壁で、これ以上一ミリも動けない。
瑞樹は咄嗟に高い位置で構えた左手でエレベーターの壁を強く抑えることで、これ以上二ノ宮たちに倒れ込まないように踏ん張るだけで精一杯だった。
南那は南那で、キャッキャと楽しそうに笑って、瑞樹の背中に柔らかい胸をべったりと張り付けている。
おそらく定員二名か三名の、古い小型エレベーター。
重量の制限はわからないが、女子たちが軽過ぎたせいか、四人でもブザーのアラートは鳴らなかった。
せめて鳴って止まってくれれば逃げ出せたものの、動き始めてしまってはどうしようもない。
三階から一階までの、僅か十数秒の我慢。
瑞樹は女性陣の悲鳴や笑い声も無視して、頭の中を空っぽにして般若心経を唱えようとした。
――その時。
ドォンッ!
下から激しく突き上げるような、強い衝撃と揺れ。
「きゃっ!?」
誰かの『きゃっ』という悲鳴が耳元で響き、暗闇の中で服を強く掴む小さな手の震えを感じた。
そして、ガクンと不自然な音を立てて、ゆっくりと止まるエレベーター。
同時に、箱の中の薄暗い照明が、完全に消えた。
視界が完全にブラックアウトした瞬間、これまで以上に彼女たちの柔らかい体温や、恐怖で早鐘を打つ心音、そして甘い香りが、暴力的なまでの生々しさで全身に伝わってきた。
密着状態のまま、四人は真っ暗なエレベーターの箱の中に閉じ込められてしまった。
「……地震、か……?」
ポツリと、瑞樹が呟いた呆然とした声が、何も見えない暗闇の中に不気味に溶けていった。




