第19話 秋空(10)
翌朝の空は、昨夜の暴風雨が嘘だったかのように、雲一つない見事な快晴だった。
澱みも不安もない、高く澄み切った秋晴れの空。嵐によって洗われた木々の葉が太陽の光を反射してキラキラと輝き、冬の訪れを感じさせる冷たく心地良い風が、コテージの開け放たれた窓からサァッと吹き込んできた。
チェックアウトの十時が差し迫ってきたため、四人は手分けして片付けを行い、男女で分かれて着替えを済ませることになった。
瑞樹と遊が広いリビングで、結衣と紗綾香は昨夜遊たちが使った寝室へ。
「ふぁ……よく寝た」
大きな欠伸をしながら浴衣を脱ぎ、上半身が裸になった瑞樹は、隣で同じく浴衣を脱いだ遊の体を見て、思わず目を丸くして動きを止めた。
「……おい、遊。家に帰ったら、しばらくは絶対その裸体を朱音や一花に見せるなよ?」
「ん? なにか……」
遊は何のことかわからず、無防備に小首を傾げて瑞樹を見る。
瑞樹は深いため息を漏らして遊に近付き、彼の大胸筋の少し上――鎖骨の下あたりに向かって指を差した。
「お前のその胸筋だ」
「……鍛えてるから少し大きいけど、それが何か……って、ぐあっ……!」
自身の胸元に視線を落とした遊から、今まで聞いたこともないような情けない声が出て、顔が首の根元まで見る見るうちに茹でダコのように真っ赤に染まっていく。
遊の肌には、昨夜の情熱的な痕跡が隠しようのないほどくっきりと刻み込まれていたのだ。
(こいつにも、ここまで恥ずかしがるとかあるんだな……)
冷静に心の中でツッコミを入れつつ、瑞樹は意地悪な苦笑いを向ける。
「こ、これは、その……蚊だ。そう、昨日中庭にでっかい蚊がいたみたいで……」
「十一月の中旬に、随分と可愛くて情熱的な蚊に吸われたみたいだな」
「えーっと……!」
普段のポーカーフェイスはどこへやら。遊はあたふたとしながら、ふと逃げるように寝室の方へと顔を向けた。
そして、その閉まり切ったはずの寝室のドア越しから「きゃっ!」という紗綾香の甲高い声が微かに聞こえてきて、遊は何かを察したように、限界まで赤い顔で瑞樹を見た。
瑞樹はフッと笑い、着替え終わった浴衣を丁寧に畳みながら呟いた。
「別に悪いことじゃないだろ。恋人同士なんだし」
「……あ、ああー……うん……」
遊は照れ臭そうに視線を泳がせながらも、最後には恥ずかしさを超えるような、この上なく幸せそうな微笑みを浮かべて小さく頷いた。
***
一方、女子二人。
遊と紗綾香が一晩過ごした寝室は、結衣たちが使った手前の寝室よりも大きい六畳ほどのスペースで、部屋の中央にクイーンサイズのダブルベッドが一つ置かれているだけの殺風景な部屋だった。
現在、紗綾香と結衣の間に、どことなく気まずい雰囲気が流れていた。
それは、紗綾香がシーツの乱れたそのダブルベッドを見ては顔を真っ赤にして俯く、という動作を何度も繰り返して、一向に着替えようとしないからだった。
「紗綾香先輩、着替えないんですか?」
結衣はササッと浴衣を脱ぎながら、ニヤニヤとした表情でその沈黙を破った。
「きっ、着替える……けど、その……」
昨夜の熱を帯びた出来事を克明に思い出しているのだろうことは、結衣にも想像に難くなく、そのあまりにも初心な先輩の反応に、結衣の中に持ち前の悪戯心がムクムクと芽生えた。
「先輩。あそこのゴミ箱に捨ててある、おっきなティッシュの塊はなんですか? 乾燥で鼻血でも出ちゃいましたか?」
「えっ!? なになに!? ち、血? 血は少ししか出なかっ……じゃなくてっ!」
「ふふっ。大丈夫ですよ。途中までしか聞いてないので」
「と、途中までっ……! や、やっぱり……!」
見事に誘導尋問に引っかかり、顔から火が出るほど真っ赤になった紗綾香は、たまらず両手で顔面を覆ってベッドの端に座り込んだ。
結衣は苦笑いを浮かべながら、やれやれと言った様子で呟く。
「だから、昨日の夜あれほど忠告したじゃないですか。ここの壁はすっごく薄いから気を付けてくださいって」
「で、でも……頭ではわかってるけど、どうすることも出来なかったというか……その……はぁ〜!! 恥ずかしいっ……!」
「はいはい惚気ですね。乙でーす。……で? 私があげたアレ、ちゃんと使いましたか?」
昨夜結衣が渡した、女子の嗜み。
「……うん。その……ありがとう、結衣ちゃん」
普段のサバサバとした大人の余裕はどこへやら。初恋を知った幼い少女のような初々しい反応に、結衣も少しだけ顔を赤くしてニヤニヤと笑みを浮かべると、自分の鞄から取り出した上下の可愛い下着を身につけ始めた。
「……え? 結衣ちゃん、下着の替え持ってきてたの?」
顔を覆っていた手を少しどけて、紗綾香が不思議そうに目を丸くする。
「いいえ? 昨日の夜、シャワーの後に鞄に仕舞っておいただけです。昨日の下着です」
「じゃあなに。……あなた、昨日の夜、浴衣の下は……はだっ、裸のまま古河くんと同じベッドで寝てたの!?」
結衣は、当然のようにニヤリと頷いた。
紗綾香は浴衣をはだけさせた下着姿のまま、ズンズンと結衣に迫ると、その両肩をガシッと掴んだ。
「ちょっとごめん。……もしかして、ないとは思うけど。あなたたちただの友達なのに……その……したの?」
結衣は、トロンとした妖艶な瞳で紗綾香を見つめ返すと、不敵に口の端を上げ、悪女のように艶っぽく囁いた。
「――さぁ?」
年下であるはずの彼女が、まるで何人もの男を狂わせてきた魔性の女のように見えて、紗綾香はゴクリと生唾を飲み込んだ。
紗綾香の顔はみるみるうちに混乱で赤く染まり、そして下着のままガサゴソと自分の鞄を漁ると、中からスマホを取り出して結衣の目の前にズイッと差し出した。
「れ、連絡先、交換して! ……今後、いろいろ、その……相談とか……させて!」
「え、ええ……? いいですけど……。私、先輩の参考になるほど経験はないですけど……」
「絶対嘘よ! あなた、ただの女子高生じゃないわね!?」
大谷高校一年の結衣と、二年の紗綾香。
この嵐の夜を越えたダブルデートで、二人にとって初めてなんでも打ち明けられる親友と呼び合える同性の友達が出来た瞬間だった。
***
チェックアウトを済ませ、グランピング施設から駅まで向かう帰りのシャトルバス。
一番後ろの最後部座席に並んで座った瑞樹は、静かに窓の外を眺めていた。
色鮮やかな紅葉の森林やのどかな田園の風景から、バスが進むにつれて、徐々に背の高い人工物の建ち並ぶ灰色の景色へと変わっていく。まるで魔法が解けていくように、途端に現実世界に戻ってきた気分になる。
遊に誘われての付き添い的なダブルデートだったけど、瑞樹一人の発想じゃ絶対に考えられないような、素晴らしいデートプランだった。
目玉だった星空と夜景は雨風で見ることが出来なかったけど、でも、それが逆にまた次に来る口実にもなったから、結果オーライだ。
(……また、来よう)
「また、来ようね」
瑞樹が心の中で思ったのと同じタイミングで、隣に座る結衣が窓の外を見つめながらニコニコとそう言った。
少しの隙間もないほど、肩と太ももが密着している。
これが、いつもの瑞樹と結衣の、当たり前の距離感。
瑞樹は、周囲の乗客から見えないように、膝の上でそっと結衣の小さな手を握った。
結衣も、嬉しそうにその手をギュッと握り返してくる。
瑞樹は、彼女の温もりを手のひらに感じながら、静かに、確かな声で答えた。
「ああ。また、いつか」




