第19話 秋空(6)
季節外れの台風の直撃。
正確には台風ではなく、記録的な大雨と暴風を伴う低気圧らしいが、そんな気象用語の違いはどうでもよかった。
とにかく、バチバチと窓ガラスを叩きつける激しい雨と風の影響で、都市部の交通網が完全に麻痺してしまったらしい。
当然、この山奥のグランピング施設と来た時の駅を結ぶシャトルバスも、安全を考慮して運行休止となった。
コテージに駆け込んできた係員の提案で、「二人分の宿泊費で良いから、このまま四人でここに泊まっていかないか」と言われたのだ。
高校生をこの荒天の中に帰らせるわけにもいかないし、かといって親御さんにこの雨と風の中、車で迎えに来てもらうのも、何かあってからでは遅いという施設側の賢明な判断らしい。
事情を理解した瑞樹と遊は、シェアハウスにいる朱音と一花に電話で事情を伝えた。一人暮らしの結衣は「了解です!」と特に問題もなく。
紗綾香も両親に電話をして、係員の方と親が何度かやり取りをした結果、無事に宿泊する許可が下りた。
こうして、ただの日帰りダブルデートが、予期せぬダブルお泊まり会になってしまったのだ。
外では嵐が吹き荒れているというのに、室内の四人に不安そうな様子はない。どちらかと言うと、親や学校の目を盗んで悪いことをしているような、高校生特有のフワフワとしたワクワク感が漂っていた。
瑞樹も例に漏れず、この状況が少し——いや、かなり楽しみだった。
「じゃあ、奥の部屋のシングルベッドが私と瑞樹くんでいいよね? 瑞樹くん、いい?」
結衣が当たり前のようにマウンテンパーカーの袖を引っ張りながら訊ねてきて、瑞樹は「いいぞ」と自然に頷いた。
「――ちょっと待って、あなたたち!」
紗綾香が、ストップをかけるように手のひらをパッと前に出した。
顔をゆでダコのように真っ赤にさせて、彼女はあわあわと慌てた様子で口を開いた。
「ななななななっ、なんで当然のように『一緒に寝るのは当たり前だよね?』みたいな雰囲気になってるの!? えっ、友達なんだよね!?」
「ずっと言ってるじゃないですか、紗綾香先輩。私たちは友達ですよー」
結衣が『何を当たり前のことを』と言わんばかりに小首を傾げて、ニコリと笑みを浮かべた。
瑞樹もそれに倣い、コクコクと真顔で頷いてみせる。
「シ、シシッ……シングルベッドよ!? シングルよ!? そこにっ、ふふっ、男女が二人で寝るっていうの!?」
「むしろ、いつも私の家で寝てるベッドより少し広いです。ね、瑞樹くん」
「確かに。こういうリゾートのベッドは、少し大きめの規格なのかもな」
「いつもっ……!?」
いつも一緒に寝ているという事実を知り、紗綾香が完全に限界を迎えたように遊の服の袖に掴まり、力無くズルズルと体重を彼に預けた。
「大丈夫ですか、中村先輩。気を確かに持ってください」
遊がハハハと珍しく声を出して笑いながら、紗綾香の肩を抱いて宥める。
「え、遊くん……あたしがおかしいの? あたしの常識が間違ってるの?」
本気で混乱してそう問う紗綾香に、遊ははっきりと答えた。
「中村先輩の常識は間違っていません。おかしいのは古河と水橋さんです。あの二人に、世間の常識が通じると思わないでください」
「そうですよ、紗綾香先輩っ」
そう言って屈託なく笑う結衣が、いよいよ瑞樹も怖くなってきた。
本当にただの友達だと思い込もうと、結衣とはルールを取り決めたわけだが。それでもお互いに両想いだと知ってしまった以上、その思い込みには精神的な限界がある。
だから、この関係は演技でしかないはずなのに、今の結衣を見ていると本当に自分たちは友達でしかないのではと錯覚しそうになってくる。
いや確かに、正式に付き合っているわけではないから、友達という肩書きは間違いではないのだが。
「わ、わかった。あたしがもう、この状況をそのまま受け止めれば問題ないのよね。……うん、わかった。じゃ、じゃあ……汗もかいたことだし、先に二人でシャワー浴びてきたら……?」
半ばヤケになったように紗綾香が提案すると、結衣は信じられないことを言われたというようにキョトンとして答えた。
「いやいや! さすがにそれはないですよー。私たち友達なんですから。一緒にお風呂だなんて、ふしだらです」
「きゃーーーっ!! もうわからない! トモダチって何!? 遊くんっ!」
基準のわからない狂った線引きに半狂乱になりかけた紗綾香の肩を抱き寄せて、遊は優しく耳元で囁いた。
「だから言ったでしょう。いちいち気にしたら負けなんですよ。……ほら、一旦寝室に行きましょうか」
遊は紗綾香を連れて、手前にある二人の寝室へと足を進めた。
その際、瑞樹は口パクで『ごめん』と遊に伝えると、遊は同じく口パクで『いいよ。楽しんで』と優しく返してきた。
バタン、と二人が寝室に入ったのを確認して、瑞樹は隣の結衣に振り向いた。
彼女は、最高に悪い小悪魔のような笑みを浮かべて佇んでいた。
「お前……先輩、完全に目が回ってたぞ。この設定のゴリ押し、いくらなんでも無理があるんじゃないか?」
瑞樹は二人に聞こえないように、内緒話をするような囁き声で結衣に訊いてみる。
「んー。まぁ友達って設定を信じるか信じないかは、相手次第でいいかなって思ってるよ。大事なのは、私たちが友達だと思い込むことと、それを貫き通すことだから」
「なるほど」
「その背徳感の先に、極上の興奮があるんだよ、瑞樹くん。さっき森の中で、ちょっとはその片鱗を味わえたんじゃない?」
結衣と森の中を歩いた時。確かに、そのゾクゾクする雰囲気を味わうことができた。
友達なのに恋人繋ぎをしているという非日常感。そして前を歩く遊たちにバレるかもしれないというスリル。
危険な遊びをしているハラハラが、恋のドキドキを何倍にも増幅させていた。
「……うん。確かにすごかったな。これは正直、結衣とじゃないと出来ない遊びだ」
こんな特殊な設定の縛りプレイに付き合ってくれる彼女も、彼氏も、世界中探してもそうそういないだろう。
ニコニコと作戦成功を喜んで楽しそうな結衣を横目に、おそらく紗綾香を落ち着かせているのだろうその雰囲気を察して、瑞樹は少し意地悪な提案を思いついた。
「じゃあ、結衣。……今のうちに、一緒にサウナとシャワー浴びよう。一緒に。二人で」
瑞樹があえて挑発するようにそう言うと、結衣は想定外の言葉に顔をポッと赤くして照れた様子を見せたが、すぐに負けず嫌いな強がりの表情を向けてきた。
「いいよ、やってやろうじゃない。……でも瑞樹くん。私たち水着なんて持ってきてないから、お互い完全に裸になるけど……大丈夫そ?」
「なっ……! 結衣の方こそいいのかよ!? 俺にマジマジと裸体を見られるんだぞ!?」
結衣はジト目で瑞樹を見つめながら、可愛らしく頬を膨らませて答える。
「別に、わざわざ見る必要はないと思うよ瑞樹くん。見たら、やっぱりえっちじゃん。トモダチなんだから、目を瞑ってればいいの」
「くっ……!」
結衣はニヤッと笑うと、ここぞとばかりに攻めに出た。
彼女は瑞樹の手をギュッと取ると、コテージの一番奥まった場所にある、サウナとシャワーの設置されたスペースまで、瑞樹を引っ張って足を進めた。
重厚な木製のドアを開けると、そこはこぢんまりとした脱衣所となっており、左手に磨りガラスのシャワールーム、正面に小型のサウナ室が設置されている。
――カチャ。
結衣が、後ろ手で脱衣所の鍵をかけた。
雨音すらも遮断された、外界からの音が消えた密室に二人きり。
空間にはリラックス効果のある檜の香りが充満していて、通常であればこのままのんびりとサウナを楽しめそうだが。瑞樹の、そして至近距離に立つ結衣の胸の鼓動は早く、リラックスとは程遠い緊張感に包まれていた。
ドッドッドッドッ。
自分でもわかるほど、収まる気配のない心音。
瑞樹はギュッと目を瞑って、必死に深呼吸をして平静さを取り戻そうと努める。
ただの意地悪で言った冗談のはずが、取り返しのつかないところまで来てしまった。
「――そのまま、絶対に目を瞑っててね。私が先に、脱ぐから……」
結衣の、いつもより少し低くて、微かに震える甘い声が鼓膜を打つ。
瑞樹は何も答えずに、ただギュッと目を瞑り続ける。
早く終わってくれと願うが。
静寂の密室に、結衣の服の布擦れの音がカサッ……スルッ……と、あまりにも鮮明に、生々しく響いてくる。
そしてそれが、瑞樹の想像以上にゆっくりとした動作で、この暗闇と衣擦れの音だけが永遠に続くのではと、瑞樹は焦り始める。
(やばい。やばい。やばい……!)
かなり、限界だった。
目を瞑っているからこそ、視覚以外の感覚が研ぎ澄まされ、結衣が今どの服を脱いでいるのか、その柔らかな肌の質感がどうなっているのか、脳内で鮮明に補完されてしまう。
というか、この状況で理性を保ってただの友達として平静でいられる自信が、男である瑞樹には一ミリもなかった。
カーディガンが床に落ちる微かな音。そして、肌から直接布が滑り落ちるような、生々しい下着の擦れる音が鼓膜を打った。
「――ごめん、結衣!!」




