第19話 秋空(5)
誰でもいいと思っていた
今日最初に声を掛けてきた
その人と一緒になってみようと
なんで僕なの?
そう聞いてみたら
カッコいいからと
君はおどけて笑った
誰でもいいと思っていた
でもわかりやすいその理由に
この人ならと思ったんだ
互いのことなんて知らなくて
他人でしかない僕たちが
恋人なんておかしくて
どうせすぐ終わると思ってた
愛想尽かされると思ってた
でもあの日見た君の泣き顔が
僕に知らない感情を教えてくれた
重くて怖くて恥ずかしくて
今まで一度も言えてないけれど
溢れるこの気持ちはきっと
名前だけは知ってるけれど
初めて抱いたこそばゆい
あったかくて輝いた
君だけに使いたい言葉
大好きです
***
遊の弾き語りが終わるのを待っていたかのように、最後のコードの余韻が夜の空気に溶け込むと同時に、パラパラと降っていた雨が急に激しさを増し、屋根を叩く音を響かせた。
遊の歌もギターも、客観的に見れば決して上手とは言えなかった。
歌の音程とギターの音色が合っていない箇所も多かったし、コードを押さえる手つきはたどたどしく、見ているこちらがハラハラしてしまうほどだった。
でも。
それでも。
遊が、紗綾香のことを心から大切に思い、大好きだと思っていることだけは、痛いほどに伝わってきた。
弦を押さえる震える指先。裏返りそうになる上擦った声。耳まで真っ赤に染まった顔。
素人丸出しの直球すぎる歌詞に、コード進行だけをなぞったような、教科書一ページ目のギター演奏。
どれもが幼稚で、稚拙で、あまりにもありのまますぎて。不格好だった。
だからこそ、そこに込められた遊の嘘偽りのない想いが、溢れ出していたのだ。
その想いは、紗綾香には痛いほど伝わり過ぎていた。
「……どっ、どうでしょう……?」
遊は、やり切った達成感のある表情で、しかし声色からは彼女の反応を恐れる不安が拭い切れておらず、コトンとアコースティックギターを壁に立て掛けた。
そして遊は、紗綾香の表情を見て、心底安心したようにフッと微笑んだ。
「……クソダサじゃん」
紗綾香は震える声でそう言いながら、ポロポロと大粒の涙をこぼし、世界で一番美しくて、最高に可愛い笑顔を向けた。
「はい。クソダサです。……一生忘れないと——」
遊が言い切る前に、紗綾香は弾かれたように立ち上がり、遊の胸に勢いよく飛び込んだ。
「うわっ!」
「……ありがとう、遊くん……! 世界一、カッコ悪かったっ……!」
不意打ちで紗綾香を受け止めた遊は、少しよろけながらも、壊れ物を扱うように優しく彼女の腰に両手を回した。
「……褒めてくれて、ありがとうございます」
「……もっかい、言って欲しい」
年上とは思えないような、甘えるような上目遣いで胸の中から見上げてくる紗綾香に、遊は照れ隠しをするように頬を赤くして、小さな声で呟いた。
「えっと……大好きです」
紗綾香は嬉しそうに遊の胸に抱き締められ、その広い胸板に顔を埋めた。
その尊すぎる様子を後ろから見守っていた瑞樹は、隣に立つ結衣の小さな手を取った。
『二人きりにしてあげよう』
瑞樹のその無言の意思が伝わったようで、結衣はコクンと優しく頷いた。
中庭から静かにコテージの入り口の方に回り、玄関先の突き出た屋根があるスペースに、雨宿りをする形で二人は並んで立った。
止むどころか段々と風も強くなってくる、真っ黒に渦巻く夜空を見上げながら、結衣がポツリと口を開いた。
「……アオハルだったね」
「そうだな……めっちゃ、良かった」
「……あれ? 瑞樹くん、もしかして泣いてる?」
結衣が下からグイッと顔を覗き込んできて、瑞樹は慌てて乱暴に目元の涙を拭った。
「……めっちゃ泣いてた」
「知ってた」
結衣はニコッと優しく笑って、また何もない夜空へと視線を戻した。
瑞樹は、ただ彼女に聞いて欲しくて、ポツリポツリと涙の理由を話し始めた。
「遊は……両親から裏切られ続けた人生だったんだ。一般家庭じゃ考えられないくらいの頻度で母親と父親が変わっていって、今じゃもう、赤の他人を両親と呼んでる。……だから遊は、両親を……他人のことを信じられなくなって、誰かに期待することすらやめちゃったんだ。それが、あいつがまだ小学生の頃の話」
両親が入れ替わり立ち替わりするのを、遊が七歳になるまでに十回を超える回数繰り返された。
幼い子どもの心が壊れ、感情がおかしくなるには、十分すぎるほど残酷な環境で育ったのだ。
「……そんな遊に、俺は勧めたんだよ。恋愛をしてみるのもいいんじゃないかって。恋愛をすれば、世界が変わるぞって無責任に教えたんだ。遊のやつ、俺のその言葉を信じて……それで中村先輩と付き合ったんだよ」
「瑞樹くんは、私を好きになって世界が変わったんだ?」
結衣がニヤニヤとからかうように覗き込んできたから、瑞樹は少し照れ隠しで、彼女の頭をポンポンと優しく撫でた。
結衣は嬉しそうに目を細めて「へへへ」と笑った。
「……ああ、変わったよ。だから、この圧倒的な感情を、遊にも味わって欲しかったんだ。そしたら遊もまた、いつか誰かを——俺たち幼馴染以外の他人のことを、信じられるようになるんじゃないかって思ってさ」
ポロッとまた頬を伝って流れた涙を、瑞樹は手の甲で拭った。
「……遊は、変わった。まだ中村先輩相手だけかもしれないけど。それでも、あいつは自分の感情を外に出したし、無駄だと決めつけてた恋愛を真っ直ぐに楽しもうとしてるし、何より……中村先輩を心から信頼してる。だって見たろ、さっきのあの顔、あの歌! 不器用なクセに、あんな柄にもないこと死ぬ気で頑張りやがって……! いつ練習してたんだよ……あいつ!」
瑞樹は、それがたまらなく嬉しかった。
他人の目から見れば、まだほんの小さな一歩かもしれないけど。それでも遊は自らの意思で、確実に前へと進んだのだ。
そんなの、泣くに決まってる。
その時。
ふわっと、瑞樹の頭が柔らかな感触に包まれた。
結衣が背伸びをして、瑞樹の頭を自分の胸元に抱き寄せたのだ。大好きな甘い匂いが、鼻腔いっぱいに広がる。
「……お疲れ様、瑞樹くん。たくさん、たくさん頑張ったね」
「結衣……」
結衣は、いつもそうだ。
瑞樹が一番欲しい時に、一番欲しい言葉と温もりをくれる。
(……まったく。なんでもお見通しなのか、この子は)
瑞樹はたまらず、彼女の細い腰に腕を回し、強く抱き締めようとした。
少し冷えた秋の夜、雨音だけが響く中での、二人だけの甘い時間。
――その時だった。
「こんばんはー! あのー、すいませーん!」
土砂降りの中、雨合羽を羽織ったグランピング施設の係員が、丘を登りながら険しい顔で駆け寄ってきた。
そして、このロマンチックな雰囲気を木っ端微塵に打ち砕く、信じられない言葉を発したのだ。
「季節外れの台風の影響で、この辺りの交通機関、全部止まっちゃいましたけど……! 皆さん、自力で帰る手段とかありますかー!? 確か、高校生ですよねー!?」
「「……えっ?」」
瑞樹と結衣は、抱き合おうとしていた不自然な体勢のまま顔を見合わせ、引き攣った苦笑いを浮かべた。
自力で帰る手段はない。
帰れない。
つまりそれは、この男女四人で、このコテージにお泊まり確定ということを意味していた。




