第19話 秋空(4)
紅葉に染まった森の散策を終え、秋の自然を存分に堪能した四人が丘の頂上にあるコテージへと戻ってきた頃には、太陽は西の空に大きく傾き始めていた。
十一月の中旬ともなれば、日が落ちるのも早い。肌を刺す風が一段と冷たさを増す中、コテージのプライベートな中庭は、外界の寒さを忘れさせるような温かな空間に仕上がっていた。
中庭をぐるりと囲む木柵には、オレンジ色のフェアリーライトが星屑のように巻き付けられており、夕暮れの薄暗さをロマンチックに照らし出している。中央に設置された大きなダイニングテーブルの横には、施設側が事前に用意してくれていた本格的なガスグリル式のBBQコンロが鎮座し、いつでも火を入れられる状態になっていた。
「うわーっ、すごい! 食材も全部用意されてる!」
結衣が、テーブルの上に並べられた豪華な食材の数々を見て、目をキラキラと輝かせた。
分厚くカットされた霜降りのステーキ肉に、骨付きのソーセージ。丸ごとホイルに包まれた玉ねぎやサツマイモ。さらには、殻付きの大きなホタテやエビといった海鮮まで、グランピングならではの贅沢なラインナップがずらりと並んでいる。
「よし、じゃあ早速焼いていくか。遊、手伝ってくれ」
「わかった。火の入れ方は……これでいいのかな」
瑞樹はマウンテンパーカーを脱ぎ、腕まくりをしてコンロの前に立った。
普段はインドアで他人任せな遊も、今日ばかりは紗綾香のために張り切っている。慣れない手つきながらも、瑞樹と一緒にトングを握り、真剣な表情で分厚い肉を焼き網に乗せた。
――ジュウウウウッ!
熱された鉄板に肉が触れた瞬間、食欲を暴力的に刺激する豪快な音と、香ばしい脂の匂いが中庭いっぱいに弾けた。
「ん〜っ、いい匂い! お腹ぺこぺこだよー」
「ふふっ、結衣ちゃんは本当に可愛く笑うねー」
焼き上がりを待つ間、結衣と紗綾香は肌寒い風を凌ぐためにアウトドアソファに並んで座り、施設が用意してくれた大判のブランケットを二人で膝に掛けていた。
初対面だったはずの二人だが、いつの間にかすっかり打ち解けたようで、今ではまるで本当の姉妹のように親しげに談笑している。
サバサバとした大人の余裕を持つ紗綾香と、人懐っこく無邪気な結衣の相性は、瑞樹が想像していた以上に良いらしかった。
「はい、お待たせ。まずはステーキとソーセージからだ」
瑞樹と遊が、綺麗に焼き色のついた肉を切り分け、二人の前のお皿へと取り分ける。
「いただきます!」と元気よく声を合わせた後、結衣は小さく切られたステーキを口に放り込み、ハフハフと咀嚼して、幸せそうに頬を押さえた。
「んん〜っ! やっばー! お肉、すっごく柔らかい! とろけるー!」
「本当。外で食べるお肉って、どうしてこんなに美味しいのかな」
紗綾香も上品に肉を口に運び、満足そうに微笑む。
その横で、遊が甲斐甲斐しく「中村先輩、ホタテも焼けましたよ。熱いので気をつけてくださいね」と、殻から外したホタテを彼女の皿にスッと置いた。
「あ、ありがとう、遊くん。……ふっ、なんだか今日の遊くん、いつも以上にやる気に溢れてるね?」
「今日は、中村先輩に喜んでもらうための日ですから。これくらい当然です」
「……ありがと」
普段の無気力な彼からは想像もつかないほど、まっすぐで甘い遊の言葉に、紗綾香は少し照れくさそうに頬を染め、ワイングラスに注がれたぶどうジュースに口をつけた。
そんな完璧なカップルの様子を、瑞樹は微笑ましく見守りながら、自分も焼きたてのソーセージを頬張る。
と、その時。
「ねえねえ、瑞樹くん」
隣に座っていた結衣が、トングの代わりに自分のお箸でお肉を一枚つまみ上げ、瑞樹の顔の前にスッと差し出してきた。
「はい、あーん。瑞樹くんに一番おっきいとこ、あげちゃう」
「お、おう……あーん」
遊たちの目を少し気にしながらも、瑞樹が素直に口を開けて肉を受け取ると、結衣は「美味しい?」と小首を傾げて、小悪魔のようにニシシと笑った。
そのあまりにも自然なあーんの光景に、向かいの席でホタテを食べていた紗綾香の動きがピタリと止まった。
「……ねえ、結衣ちゃん。あたし、やっぱりどうしても理解できないんだけど」
「ん? なんですか、紗綾香先輩」
「それ。その距離感。……そのあーんって、どう見ても恋人同士のそれじゃない。それなのに、本当に付き合ってないの? 本当にただの友達なの? ……やっぱり、何度言われても信じられない」
紗綾香が、訝しげなジト目で二人を交互に見つめる。
瑞樹は肉を飲み込みながら「ゲホッ」と軽くむせかけたが、結衣は全く動じることなく、キョトンとした顔を作ってみせた。
「えー? 本当に友達ですよー。ね、瑞樹くん?」
「……あ、ああ。友達、だな」
「嘘だよ。だって、さっき森の中で二人きりになった時も、なんかすごくいい雰囲気だったじゃない。それに今だって……」
紗綾香が納得いかないように追及を続けようとしたその時、テーブルの下で、瑞樹の足に、トントンと柔らかい感触が触れた。
(……っ!?)
瑞樹がビクッとして視線を下げると、テーブルクロスの死角で、結衣のショートブーツのつま先が、瑞樹のすねの辺りをツンツンと意図的に小突いていた。
顔を上げると、結衣は紗綾香に向かってニコニコと無邪気な笑顔を向けたまま、口パクで『バ・レ・ちゃ・ダ・メ』と、瑞樹にだけわかるように動かしている。
『バレちゃいけないハラハラの中でイチャイチャするの、ヤバイっしょ?』
先ほどの森の中での彼女の言葉が、脳裏に蘇る。
この状況を楽しんでいるのだ。鋭い紗綾香の追及を躱しながら、見えないテーブルの下でこっそりと触れ合う、この背徳感たっぷりの秘密のゲームを。
「……気のせいですよ、中村先輩。こいつは距離感がおかしいだけなんで。俺たちは、健全なオタク友達です」
瑞樹は、心臓の早鐘を必死に隠しながら、あえて平然とした声で言い放った。
そして、テーブルの下でツンツンと悪戯をしてくる結衣の足首を、自分の両足でそっと挟み込んで捕獲する。
「――っ!」と、結衣が微かに息を呑み、ほんの一瞬だけその無邪気な笑顔が赤く染まって崩れたのを、瑞樹は見逃さなかった。
(……お互い様だろ、結衣)
「んー……まあ、遊くんが言うように、そういうおかしな距離感の友達なんだって納得するしかないんだろうけど……どうしてもね〜」
紗綾香は大きなため息をつきつつも、それ以上深く踏み込むことはなく、再び遊の焼いてくれた野菜へと意識を戻した。
いつの間にか太陽が完全に沈み、空が群青色から深い黒へと変わっていく。
フェアリーライトのオレンジ色の光と、BBQコンロの炭火の赤いゆらめきだけが、四人の顔を温かく照らし出している。
気温は一気に冷え込んできたが、ジュージューと焼ける食材の熱気と、ブランケットの温もり、そして何より、気を許した相手と過ごすこの空間の居心地の良さが、寒さを全く感じさせなかった。
「ふう……食べた食べた。もうお腹いっぱい!」
「ね。すごく美味しかった。古河くん、遊くん、焼いてくれてありがとう」
結衣がポンポンとお腹を叩き、紗綾香が優雅に食後の温かい紅茶を啜る。
テーブルの上の豪華な食材は、見事に四人の胃袋へと収まっていた。
その様子を微笑ましく見ていた遊が、「少し待っていてください」と一人コテージの中に入っていき、しばらくして両手に何かを乗せて出てきた。
それは、小さめのホールケーキだった。
『誕生日おめでとう』と描かれたチョコレートのプレートが、立てられた数本のロウソクの火にキラキラと照らされている。いちごと雪のような生クリームが美しくデコレーションされた、シンプルだがとても美味しそうなショートケーキだ。
「――わあっ!」
紗綾香がたまらず立ち上がり、両手を顔の前で合わせて、驚きと喜びに瞳を輝かせる。
遊は少し恥ずかしそうにはにかんで、紗綾香の前にそっとケーキを差し出した。
「誕生日、おめでとうございます。……中村先輩が生まれてきてくれて、僕と出会ってくれて、本当にありがとうございます」
「……うんっ!」
紗綾香は顔を赤くして、弾けるような笑顔でロウソクの火に息を吹き掛けて消した。
「「おめでとうございまーす!」」
瑞樹と結衣も並んで拍手をし、心からの笑顔を向けると、紗綾香はまた嬉しそうに微笑んで「ありがとう」と優しく呟いた。
瑞樹と結衣は顔を見合わせて頷き合うと、結衣が後ろ手で隠していた、リボンで包装されたプレゼントの小箱を渡す。
「これ、私と瑞樹くんからです。好みに合うかわかりませんが……よかったら使ってください」
「……開けてもいい?」
紗綾香が小首を傾げて訊ねて、二人は「もちろんです」と笑う。
丁寧に包装された袋を破り、そして出てきたのは、高級感のあるハンドクリームと入浴剤のセットだった。
どちらも、上品なローズの香りがするもの。
遊から事前に聞いていた中村紗綾香という女性のイメージ像を参考に、凜とした大人の雰囲気を感じた瑞樹と結衣は、二人で相談して迷わずこの薔薇の香りを選んだのだ。
紗綾香は嬉しそうに目を細めると、ギュッとプレゼントを胸の中に抱きしめた。
「……ありがとう。薔薇の香りも色も好きなの。大切に使うね」
本当に嬉しそうにしてくれて、瑞樹も結衣も思わず安堵の笑みがこぼれおちる。
この人は、結衣に負けず劣らず、素直で感情表現が豊かな人だ。
――ゴホン、と。
不意に、紗綾香の背後でわざとらしい咳払いが聞こえた。
紗綾香がくるっと振り返ると、そこにはいつの間にかどこからか取り出したアコースティックギターを携えた遊が立っていた。
「……えっと……遊、くん?」
状況が全く理解できず、呆然とする紗綾香。
そんな彼女の戸惑いを無視して、遊は今まで見たことないほど顔を真っ赤にさせて、しかしこの上なく真剣な目つきで彼女を真っ直ぐに捉えていた。
(……え? まさか)
ギターの構え方からして、これからおそらく弾き語りをするのだろうと想像に難くないが。それよりも、何故あの遊が、こんな人前で目立つようなことを? という疑問が勝ってしまい、紗綾香だけでなく瑞樹たちまで体を強張らせる。
「……誕生日プレゼント、すごく悩みました」
いつも冷静沈着で飄々としている遊が、聞いたこともないような上擦った声で話し始めた。
三人は息を呑み、静かに彼の話を聞く。
「僕、誰かに特別なプレゼントをあげるっていうのが、人生で初めてで……。しかも、それが彼女となると、正直、どうしていいか全くわからなかったんです」
遊が、緊張を抑え込むようにギターのネックを強く握りしめた。
「だから……形に残る物じゃなくて、一生記憶に残るものにしようと思いました。……これは、僕がネットで必死に調べた結果、『恥ずかしすぎて男は絶対やるな』と。そして『彼女がドン引きすること間違いなし』と。……そんなネガティブな記事ばかりだったプレゼントです。だからこそあなたの記憶に刻めると思いました」
見ているこっちが恥ずかしくなりそうなほど、遊は顔を耳の先まで真っ赤にさせて、手も足も微かに震わせていた。
それでも、彼の瞳だけは逃げずに紗綾香を見つめ続けている。
「……あなたのために、作詞作曲しました。聞いてください」
そんな、あまりにも痛々しくて、けれど不器用で真っ直ぐすぎる彼氏の宣言。
でも紗綾香は、少しも馬鹿にする様子もなく、強張った体をふっと緩め、真剣な眼差しで遊を見つめ返した。
一音たりとも、一文字たりとも聴き逃さないと。そんな声さえ聞こえてきそうなほど、彼女の背中越しに覗く横顔の表情が、静かに、そして熱く語っていた。
雨が、降り始めた。




