第19話 秋空(2)
四人を乗せた郊外へ向かう快速電車は、リズミカルな走行音を立てながら、秋晴れの空の下を滑るように走っていた。
向かい合わせに座席を回転させたボックスシート。
窓側に瑞樹、通路側に結衣がぴったりと肩を寄せて座り、その正面の座席に遊と紗綾香が並んで腰を下ろしている。
車窓を流れる景色が、灰色のビル群から少しずつ色付いた木々や田園風景へと変わっていく中、紗綾香と初対面の瑞樹、そして結衣が軽い自己紹介を終える。
紗綾香は、先ほどからずっと瑞樹の腕にべったりと絡みついている結衣を見て、信じられないものを見るような怪訝な顔を向けた。
「……ねえ、あなたたち。その距離感で、本当にただの友達なの……? ちょっと仲良くくっつくなんてレベルじゃないと思うけど」
結衣は瑞樹の腕に全体重を預けるようにべったりとくっつきながら、ニコニコと悪びれずに「友達ですよー」と無邪気に答える。
遊には付き合っていると伝えてあるが、それはあくまで特例だ。幼馴染以外には、あくまでこの友達という設定の縛りプレイで通すのだと、二人の間で決めている。
なるほどどうして。全く信じられないという呆れた表情で見つめてくる年上の紗綾香の様子を見ていると、確かに背徳感というか、いけないことをしている秘密の共犯者のような気分になってくる。
瑞樹が『黙ってろよ』と遊へ視線を向けると、彼は『やれやれ』といった様子で小さく苦笑いをした。
一応、この面倒くさいオタクの設定には合わせて付き合うと、事前に言ってくれていたのだ。
「ねぇ、瑞樹くん。今日の私、可愛い?」
結衣が、瑞樹の顔を下から覗き込むようにして、ニコッと小首を傾げる。
こういう、アウトドアを意識しながらもしっかりと女の子らしいお洒落をする結衣を見るのは初めてだが、控えめに言って飛び抜けて瑞樹の好みのドストライクな服装だった。
「……ああ。めっちゃ可愛いと思う」
「……こーれーでーもー?」
瑞樹の素直な褒め言葉に照れ隠しをしたのか、結衣は両手の人差し指で自分の口の端を横にビヨーンと引き上げ、無理矢理大きな口を再現して変顔を作ろうとする。
「自力で口裂く女!?」
「『トマート』って三回言えば、消えてあげるよ」
「それは、お前が単純にトマトが苦手だからだな!」
あはは! と、結衣は楽しそうに声を上げて笑う。
ここ最近の家での落ち着いたやり取りとは違う、外での久々の結衣とのじゃれ合いに、瑞樹も思わずテンションが上がってしまっていた。
思えば、結衣とこうして電車に乗ってどこか遠くに出掛けるのは、今日が初めてなのだ。
いつもは結衣の家に遊びに行ってアニメやゲームを消費するインドアな日々。外に出るとしても、せいぜい近所のオタクが喜ぶショップや、ショッピングモールを冷やかすくらいだった。
こうして、旅行と呼べるくらいどこか遠くの知らない土地へ一緒に行くことが、新鮮で、瑞樹も、そして結衣も、内なる心が踊って浮かれているのが自分でもよくわかった。
そんな、二人だけの世界に入って楽しそうな瑞樹たちを、紗綾香はやはり信じられないものを見るような、哀れむような目で見ていた。
「ねえ、遊くん。……これでも、この二人は友達なの?」
遊も、お手上げだというように苦笑いで答える。
「信じられないと思いますが。正真正銘、あれで友達なんですよ」
紗綾香は、どこか悔しそうに赤い唇を噛むとわサッと自分の隣に座る遊に拳一つ分、体をすり寄せてた。
「中村先輩?」
「……なんか、あっちの二人のバカップル感を見せつけられてたら、無性に負けた気がして」
「張り合わない方がいいですよ。この二人は、一生こんな感じでイチャイチャしてるんで。いちいち気にしたらダメです」
『マジ?』と紗綾香が信じられない顔で遊を見つめると、彼は深くため息を吐いて大きく頷いた。
恐る恐る紗綾香が瑞樹たちを見ると、ちょうど結衣が甘えるように瑞樹の腕にスリスリと頬擦りしているところだった。
「――ね?」
遊が諦めたように悟りの笑顔を見せると、紗綾香は大きなため息を漏らした。
「はぁ……。そうみたい……ね」
その後、約一時間。電車に揺られながら、人懐っこい結衣からの容赦ない質問攻め——馴れ初めや、遊のどこが好きなのか等——に、遊と紗綾香が顔を赤くしてタジタジになりながらも、四人で賑やかで楽しい一時を過ごした。
そして瑞樹には、この一時間でわかったことがあった。
『中村紗綾香』という年上の先輩は、サバサバとしたハッキリした性格で、意外にもオタク気質の結衣との相性がとても良い。そして何より、遊のことが心の底から大好きで大切にしているのだということが、その視線や言葉の端々から痛いほど伝わってきた。
***
電車を降り、駅構内のロータリーにあるバス停から、目的のグランピング施設まで直行のシャトルバスに揺られること約三十分。
都会の無機質なコンクリートジャングルから、窓の外の景色は一変した。
視界を埋め尽くすのは、広大な畑や黄金色に輝く田んぼ。そして、赤や黄色に鮮やかに色付いた木々が目立つようになってくる。そのままバスは、舗装された山道を縫うように深い森の中へと入って行き、程なくして開けた高台にある一つの巨大な建物の前に到着した。
そこは、色鮮やかな紅葉の森に囲まれた広大な敷地の中でも、一番手前の開けた丘の上にある、グランピング施設のレセプション棟だった。
さながらテーマパークの秘密のゲートのような、限られた予約客しか入れない厳重でオシャレな木造の入り口がそこにはあり、サファリ風の制服を着た係りの者と思われる男性が、にこやかにこちらに手を振っていた。
バスを降りた四人は、例に漏れず大きく深呼吸をした。
冷たくて澄んだ空気に、乾いた落ち葉と微かな土の匂いが混ざり合う。
「良い空気〜」と、結衣が自然を全身で感じて、気持ちよさそうに大きく背伸びをする。
「なんか、すごい良いとこだね、瑞樹くん」
結衣がワクワクした様子で、ちょこんと瑞樹の横に並ぶ。
「そうだな。まさか俺が、こんなリア充みたいなところに来る日が訪れるなんて」
「ふふっ、私もこういう本格的なの初めて。楽しみー!」
結衣がニコッとして、前を歩く紗綾香から見えないように、体の後ろに腕を回して、こっそりと瑞樹の手を握ってきた。
冷たい風の中で、結衣の手のひらの温もりが直に伝わってくる。
瑞樹が驚いて結衣と目を合わせると、彼女は「ふふん」と悪戯っぽく鼻を鳴らした。
「そこの二人ー! 隠れてイチャイチャしないの! 行くよー」
背中に目がついているのか、既に受付に向かっている紗綾香に鋭く促され。二人も慌てて後を追うように小走りで向かった。
「予約していた天音です」
遊がスマートに受付の係員と話をしてチェックインを済ませ、程なくして施設内への入り口ゲートに通された。
四人はウッドデッキのゲートを通り抜け――そして、眼前に広がる圧倒的な光景に、全員が言葉を失った。
視界いっぱいに広がるのは、うねるような緑の芝生に覆われた、いくつもの広大な丘。
そして、そのそれぞれの丘のてっぺんに、秘密基地のような洗練された平屋のコテージや、巨大なドーム型のグランピングテントがポツンポツンと点在している。
丘と丘の間には、太陽の光を反射してキラキラと輝く小さな清流が流れており、所々に渡るための趣のある木橋が掛かっている。
その小川を辿っていくと、この広大な敷地をぐるりと囲うように立ち並んでいる、燃えるような赤と黄金色に染まった紅葉の森への入り口が口を開けていた。
まるで、絵本の中の世界か、ハイファンタジーのRPGの平和な村にでも迷い込んだかのような、計算され尽くした美しい大自然の絶景。
その非日常感に、瑞樹は心から感動し、圧倒されていた。
「すっげー……! 自然だ、大自然だ。……タイムスリップか、異世界転生でもした気分だぞ、結衣……」
「うん……! 存在したんだ、現代の日本にもまだこんな初期村みたいな大自然が……!」
本気で感動しているのか、オタク特有のふざけた表現なのかわからない二人の反応に、紗綾香が呆れたような苦笑いでツッコミを入れる。
「この子たち、なんでいちいち表現が大袈裟なの!?」
そして、いつも通り冷静な遊が淡々と答える。
「彼らにとっては、これがデフォなんです。……中村先輩、早く慣れてください」
「……まだしばらく、無理そう」
遊は「すぐ慣れますよ」と優しく笑い、また先導して歩き始め、見晴らしの良い一つの丘を指さした。
「一番高い位置にあるあの丘のコテージが、今日一日僕たちが貸し切った拠点です。まずは、荷物を置きにあそこに行くよ」
「瑞樹くん、いこっ!」
「お、おう!」
結衣が、瑞樹の手を引いて芝生の斜面を走り出す。
『めっちゃ楽しみじゃん』と、瑞樹は心の中で笑いながら、それをそのまま声に出して言った。
すると結衣は、走りながらニコニコと振り返り、冷たい秋の風に髪を揺らしながら、天使のようなとびきりの笑顔で力強く頷いた。
「うん! めっちゃ楽しみ! 早くいこっ!」
――ドキンッ、と。
瑞樹は、その純粋で無防備な笑顔に、心臓を真っ直ぐに射抜かれた。
可愛すぎるだろ。
「おい、こら運動音痴! 芝生で調子こいて走ると、足もつれて転ぶぞ!」
「アハハハハ! 今日の私は無敵モードだから、絶対大丈夫だもーん!」
一番高い位置にある丘に向かって、子どものようにはしゃいで走っていく二人。
そして、その微笑ましい背中を、遠くからゆっくりと歩きながら見つめる遊と紗綾香。
紗綾香は、隣を歩く遊のジャケットの袖をちょんちょんと引いた。
「……ねえ、遊くん。あの二人、本当にただの友達なんだよね?」
「ええ。友達ですよ。……凄く仲の良い、親友以上の友達です」
遊が、どこか自分たちの過去を重ねるように優しい笑顔で返すと、紗綾香は完全に理解を放棄したように、力無くコクコクと頷いた。
「……あたしの知ってる友達という概念と、全く違うんだけど」
「ツッコミを入れたら負けです」
「……そ」
紗綾香は、スッと自然な動作で遊の大きな手を取った。
「あたしたちも、行こっか」
「はい。……今日は、中村先輩のための一日ですから。あなたが、今日の主役ですよ」
遊は、紗綾香の細い手を力強く、しかし優しく握り返し、紅葉の舞う丘へ向かって、その幸せな一歩を踏み出したのだった。




