第18話 線引(3)
カラオケ大会の一次会がお開きになったのは、それから三時間後のことだった。
その間、瑞樹はずっと隣の六花と、恋愛観や他愛もない世間話をして過ごした。そのおかげで、陽気な集団の中で孤独を感じていた二人にとっての居た堪れない空間を、なんとか無事に凌ぐことができた。
その後、店の外のロータリーで「よし、じゃあこのまま二次会で飯食いに行こうぜ!」という話が出たが、瑞樹は自宅で熱を出してダウンしている朱音のことが気がかりだったこともあり、主役でありながら丁重にお断りを入れた。
すると、『そっか。じゃあ、俺たちだけで行くか!』と、二組の男子たちが特に引き留めるでもなく先導を切り、夕陽が落ちる駅前の街中へと、四十人以上の集団がワイワイと消えていくのを、瑞樹は一人少し離れた場所から見送った。
その時。七瀬と三鷹、八重樫と四葉が、それぞれ隣り合って楽しそうに歩いているのを見たわけだが、いつの間にか彼らはかなり良い雰囲気になっている。
学祭の準備前は女の子と話すのが大の苦手だと悩んでいたはずの彼らだが、その術さえ手に入れてしまえば、持ち前のイケメンさも相まって、高校生の恋愛市場においては最強の無双状態になるのだ。
まあ、上手いこといってほしいものだと、瑞樹は保護者のような立ち位置で優しく微笑んで見送った。
それにしても、本日のカラオケ大会の主役は、間違いなく瑞樹だったはずなのだが。
その主役が不在でも、彼らが少しの躊躇もなく二次会を楽しもうとするのは、高校生ならではの有り余った体力故なのだろうか。それとも、『二次会』や『打ち上げ』というお祭り言葉の魔力の前では、名目や理由などどうでもよくなってしまうのか。
「……まぁ、いいか」
そう一人呟いた時。
ズキっと、瑞樹の胸の奥が微かに痛んだ気がした。
(――あれ? 寂しいのか、俺?)
それは、おおよそ普通の友達と呼べる存在が、幼い頃から幼馴染たちしかいなかった瑞樹にとって、これまで感じたことのない、非常に厄介で未熟な感情の波だった。
主役であるはずの――瑞樹へのお礼のためにわざわざ集まってくれたはずの彼らが、瑞樹がいなくても平気で二次会へ行ってしまったことが、嫌だったのか。
いや、そんなはずはない。
今日の参加者のほとんどが、初めましてに近い他クラスの人間たちだった。
まともに会話したことあるのは、せいぜい数人程度だ。
――ああ。
(うわ、俺……ダッサ……)
そうか。
その会話したことある限られた数人が、瑞樹に「残念だな」「また次誘うよ」と親しげに声を掛けることすらなく、あっさりと背を向けて二次会に行ってしまったことが。たまらなく寂しかったのだ。
瑞樹は、他人に懐かれることに、慣れ過ぎていた。
小さい頃から、朱音、一花、遊の三人は、瑞樹が何か手助けをしたり、感謝されるようなことをしてあげたら、「ありがとう!」と全力で懐いてくれた。自分の側から離れずに、『瑞樹のおかげ』『瑞樹がいたから』と、ずっと肯定してくれていた。
それが、瑞樹にとっての人間関係の普通になっていた。
そして無意識のうちに、それを今日集まってくれた人たち――特に、関わりの深かった二ノ宮、三鷹、四葉、五十嵐、七瀬、八重樫にも、過剰に求めてしまっていたのだ。
お礼は一次会で沢山言ってくれたし、感謝しているという気持ちも痛いほど伝わった。
だけど、最後の最後で瑞樹より二次会があっさりと選ばれたこと。そして、去り際に特別な引き留めの言葉を掛けてくれなかったことに、瑞樹は勝手に寂しさを感じていたのだ。
彼らがすごく感謝してくれて、自分に懐いてくれた感じがあったからこそ、勝手に特別な関係だと求めて、勝手に裏切られたと感じた。
ダサい。ダサ過ぎる。
なんて器の小さい、自己中心的な男なんだろうか。
なんて面倒臭い、承認欲求の塊なんだろうか。
自分でも、こんな女々しい感情を他人に抱くとは、思っていなかった。
「……はーあっ」
重く、自己嫌悪に満ちたため息が自然と漏れる。
「……瑞樹くん?」
不意に。
瑞樹の服の袖が後ろからクイっと引かれて、声を掛けられた。
ギョッとして振り向くと、そこには帰ったはずの二ノ宮が、眉を顰めて怪訝そうにこちらを見上げていた。
「なに、ぶつぶつ独り言呟いて。仕舞いにはおっきいため息ついて。どうしたの? 大丈夫?」
「――二ノ宮!? ……え、なんでここに? 二次会行ったんじゃないのか?」
いないはずの二ノ宮がいて焦るとともに、心のどこかで一人じゃなかったという安堵と嬉しさを感じてしまった瑞樹は、自然と声が大きくなり、早口になってしまった。
二ノ宮は、その鋭い目を細めて、呆れたように小さくため息を吐いた。
「ハァ? 瑞樹くんがいないのに二次会なんて行くわけないでしょ。……それじゃあ、なんのためのお礼の集まりだったのって感じじゃない」
「……おお……!」
瑞樹は思わず、その言葉に感極まってしまった。
両手で、二ノ宮の細い両腕の二の腕を、ガシッと無意識に鷲掴みにして揺らす。
「そうだよな!? やっぱり、普通、そうだよな!?」
「ちょっ……!?」
ぶんぶんと前後に揺らされる二ノ宮の顔が、驚きから次第に赤く染まっていく。
「な、なによっ、普通って……! ……も、もしかしてアンタ、自分だけ置いてみんなが二次会に行って、寂しかったとか言うんじゃないでしょーね?」
「……っ」
瑞樹はピタリと振るう手を止めて、ガックリと項垂れて肩を落とす。
その指摘が図星過ぎて。
そして、自分の見栄っ張りな本心をいとも簡単に見透かされてしまって。
瑞樹は情けなさと恥ずかしさで、顔を上げられなかった。
「ちょっと! 何でそこでガチで落ち込んでんの!? 考え過ぎだって! ……てか、手離してよ、痛い」
「あ、ご、ごめん」
瑞樹が慌てて手を離すと、二ノ宮は掴まれていた二の腕を摩りながら、呆れたように口を開いた。
「……瑞樹くん、ほんと考え過ぎ。私たちが瑞樹くんに心から感謝してるのは本当だし、お礼したかったのも本当。……でも、二次会なんて、ただの高校生のノリの延長じゃない。瑞樹くんが行かなくてもお腹は空くから、ノリでご飯を食べる。……ただ、それだけのことよ」
そこに、瑞樹を蔑ろにするような深い意味なんてないわよ。
二ノ宮はそう言って、プイッと照れ隠しのようにそっぽを向いた。
「いや、でも……さっき二ノ宮は、なんのための集まりだって……」
瑞樹が苦笑いでそう言い返すと、二ノ宮は鋭いジト目で見つめ返して来た。
「……わ、た、し、は! 個人的にそこに意味を持たせただけよ! 今日の集まりは瑞樹くんのためのものなんだから、主役の瑞樹くんが二次会に行かないなら、私も行かない。それだけ! ……で! 別に三鷹や他の子が二次会に行っても、私は薄情だなんて何も思わない! だから、瑞樹くんもいちいちそんなことで落ち込まない!」
ビシッと人差し指を突き出して、二ノ宮は強い口調で言い切った。
その迫力と勢いに完全に圧されて、瑞樹は「は、はいっ……!」と情けなく頷く。
そして同時に、自分がどれだけ下らないことで悩み、彼らに過剰な見返りを求め、必要のない孤独感や寂しさを感じていたのだと、瑞樹はハッと気付かされた。
『普通の友達付き合い』というものが、ずっと孤独だった瑞樹にはよくわからない。
わからないけど、二ノ宮の言葉のおかげで、その距離感の測り方が、少しだけわかった気がした。
「……ありがとう、二ノ宮。なんか、目が覚めた」
瑞樹がスッキリした面持ちで笑い掛けると、二ノ宮は小さくコクリと頷き、また少しだけ頬を赤くした。
「……いいわよ、別に。アンタが勝手にウジウジしてただけだし。……で? 今日来れなかった、朱音ちゃん? の看病のために急いで帰るんでしょ? 早く行かなくていいの?」
「あ、ああ。そうだ。駅前の薬局に寄って、スポーツドリンクとゼリーと、風邪薬とか買おうと思って」
「……ついていこうか?」
チラッと横目で瑞樹を見てパチリと目が合うと、またプイッと逸らす二ノ宮。
わざわざ帰りを引き留めて付き合わせるのは悪い気もしたが、正直なところ女の子の看病に何を買っていけばいいか少し迷っていた瑞樹は、二ノ宮の優しきお言葉に甘えることにした。
「あーっと……じゃあ、頼む。あいつ、今まで熱なんて出したことなかったから、具体的にどうしたらいいかわからなかったんだ」
「うん。いいよ。看病なら任せて」
二ノ宮は自然と瑞樹の隣に並び、駅前のドラッグストアへ向かって歩き出した。
瑞樹もそれについて行くため、少しだけ歩幅を合わせる。
「……助かるよ」
瑞樹が素直にそう言うと、二ノ宮はコクンと小さく頷いて返した。
ツンケンして厳しい正論を言ったかと思ったら、急にしおらしい親切な対応をする二ノ宮。
この子は演技でもなんでもなく、本当に三次元のツンデレを地で体現している。
「……その、朱音ちゃんって。綺麗な金髪の子だよね? すっごくスタイルが良くて、めっちゃ可愛い子」
「ああ。……二ノ宮も、知ってるのか?」
「……一方的にね。たまにアンタたち、イチャイチャと手繋いだり腕組んだりして登校してたじゃん。目立つんだよ」
「――げっ!」
やっぱり、見てる人は見ている。
朱音は、瑞樹が結衣を好きなのは分かった上で、正式に付き合うまでは瑞樹へのアタックを止める気がないと宣言している。その策の一つに、こうして登校中の他の生徒にも見せつけるイチャイチャ登校があるのだ。
既成事実を作って、外堀から埋めてやるんだという朱音の恐ろしい思惑は、着々と学校中に根を広げていたのかもしれない。
二ノ宮は、ジトっとした軽蔑の視線を瑞樹に向ける。
「私はてっきり、その朱音ちゃんとカップルだと思ってたんだけど。……私たちが初めて話をした時には、瑞樹くんは一花とイチャイチャしてたよね……。だから『あれ? どっちが彼女なんだろう』って、ずっと混乱してたのよ。……でも、学祭の日は、また他校の可愛い別の子と一緒にいるし」
ジーッと見つめられて、瑞樹は完全に退路を断たれ、誤魔化すように「ハハハ……」と引き攣った苦笑いを浮かべた。
確かに、こうして第三者の口から客観的な事実だけを言葉にして並べられると。六花に言われた通り、完全に女ったらしに思えてくる。
「くっついたり構ってくるのはいつも相手からだから、俺は悪くない」とタカを括って言い訳をしていたが。
それをはっきりと拒絶せずに、生温く受け入れて美味しいところだけを享受している時点で、自分も相当タチが悪いクズなのかもしれない。
その自覚がないだけで、周りからすると、瑞樹は女の子を取っ替え引っ替え横に置いてキープする、最低な男だと見られているのか。
「……本命のそのショートの子と両思いだったってことで、とりあえずおめでとうだけど。……でも、これからその朱音ちゃんの看病に行くのよね? ……ほんと、どーゆーことなの? 瑞樹くん」
「うっ……。二ノ宮の鋭い指摘はごもっともなんだけど……これには、海より深く、山より高い、複雑な事情がありまして……」
朱音と一花、そして遊とは幼馴染で、一つ屋根の下、シェアハウスで同居している。
そして、その朱音が瑞樹のことが好きで、瑞樹が結衣を好きなのにも関わらず、構わないと強引にアタックを続けて来てる。
事実は、こうだ。
だけど、こんな漫画みたいな設定を一般人の二ノ宮に正直に伝えるわけにもいかない。
高校生でシェアハウスというのも変だし、それぞれの好きの矢印の向き方も特殊すぎて、あまり他人に言いたくなかった。
もごもごと口を濁し、返答に困っている瑞樹を察して。二ノ宮は「はぁ」と深くため息を吐く。
「……まぁ、いいわよ。言いたくなさそうだし」
「悪いな……。でも、二ノ宮が想像してるような酷いことはしてないから。それだけは、信じてほしい」
瑞樹が困ったようにそう答えると、二ノ宮は更に怪訝そうに、哀れむように瑞樹を見つめ、そして足元にスッと視線を落とした。
「……ねえ、瑞樹くん」
小さく、彼女は呟いた。
そして顔を上げて、何かを決意したような、凛としたツンとした表情で瑞樹を見つめる。
「……な、なんだよ?」
「みんなが二次会行ったのに、私だけ瑞樹くんのために残ってて、偉い? ……嬉しかった?」
潤んだ瞳を揺らし、上目遣いで見上げてくる。甘えたような声色で、完全に彼女特有のデレモードに入っている。
なんだ急に、と。瑞樹は激しく戸惑いつつも、素直に返答する。
「お、おう……。嬉しかった」
「……じゃあ、ご褒美に頭撫でてよ。……それ自体に深い意味はないし、減るもんじゃないし……いいでしょ?」
「あ、ああ……」
瑞樹が、言われるがままに右手を伸ばし、二ノ宮のサラサラの頭に乗せようとした――その時。
二ノ宮が、サッと冷たく顔を逸らして瑞樹の手を避け、赤くなった顔を引き締め、キリッと冷酷な目で瑞樹を睨みつけた。
「えーっと……?」
何が起こったんだ、と脳内の処理が追いつかず瑞樹があたふたしていると、二ノ宮が完全に足を止めた。
そして、逃げ場のない真っ直ぐな視線で、瑞樹を射抜くように見つめる。
「……ダメよ。撫でたら」
二ノ宮が強く、そして氷のように冷たく言い放った。
「私が想像してるような、酷いことはしてない? ……きっと嘘だよ、それ」
そこには、ツンもデレもない。
ただ彼女は、瑞樹の心の奥底に隠された醜悪な真理を暴き出すように、真っ直ぐに見つめ続ける。
そして瑞樹は、二ノ宮のその行動と、言葉の真の意味を一瞬で、正しく理解してしまった。
彼女が言っていることも、言いたいことも、痛いほどわかった。
いや、わかっていた。
誰よりも無自覚に自覚して、誰よりも、そんな汚い自分が嫌いだったから。
痛いほど、わかっていたのだ。
「……うそ……だな。うん。わかってる」
瑞樹は、血の気の引いた顔で、ボソッとそう答えた。
二ノ宮は一歩、瑞樹に詰め寄る。
「……じゃあ、ちゃんとして欲しい。瑞樹くんは……根は悪い人じゃないんだから。……ごめんね、まだそんなに仲良くもないのに、こんな偉そうなこと言って」
少しだけ泣きそうな顔をしながら、二ノ宮はそう言った。
まだそんなに仲良くないからこそ、そんなことを言わせて、そんな悲しい顔をさせてしまったことに、瑞樹は酷く強い罪悪感を覚えた。
「……いや、二ノ宮は何も悪くないよ。悪いのは、全部俺なんだ。……自分の狡さを、全部わかってるのに。俺はずっと、居心地の良さに甘えて、変われない。……結局俺は、自分が傷つかないことが、自分が一番大事なんだ……」
結衣という想い人がいるのに、朱音をハッキリと拒絶して傷つけるのが怖くて、曖昧な関係を続けるのも。
今日のように、二ノ宮たちに勝手に期待して、嫉妬して寂しがってしまうのも。
さっき、二ノ宮に言われるがまま、無意識に彼女の頭を撫でようとしたのも。
全部。
瑞樹が瑞樹として平穏にいられるように、自分の存在を他人に認められ、愛されるように。
自分に都合のいい居場所を守るためだけに考えた、無責任な言動なのだ。
酷いものだ。
本当に、最低だ。
やっぱり、化け物なんだ。
瑞樹は、絶望に打ちひしがれ、トボトボと一人で駅前へと歩き出した。
背中で、二ノ宮が心配そうに何か言っているのが微かに聞こえたが、瑞樹の心を閉ざした耳にはもうその優しい声は届かなかった。




